夏の湿気た空気が秋の空気に入れ替わり、木々の葉が少し秋めいて彩りが変わり始める頃の話だ。その日の俺は放課後に担任から進路についての有り難いお話を拝聴出来る機会を頂戴したようで、塾の効果や個人的補修の成果により成績もV字回復とは行かないまでも、それなりの効果を実感していたのでとやかく言われる事は無かろうと考えては居たのだが、今までの成績に問題がありすぎ、またテストでケアレスミスが多い点を指摘された。 結局、色々と指摘を受けたが志望校のランクアップは認められ、アイツに言えば喜ぶだろうと思い、暗くなった家路を急いだ。
「「キョン君お帰りなさ~い」」・・・不協和音になってるぞ、それ。
一体何があったか知らないが、妹が一人増えているらしい。リビングへ歩みを進めた俺はお袋に事の次第を確認しようとした。「あら、知らなかったの?」お袋が上げた第一声はこんな感じだった。話を聞けばお袋は「しっかりした娘が欲しい」との事で、妹は「お姉ちゃんが欲しいの」で、アイツは「独りっ子だから兄弟姉妹が欲しい」と云う異なるニーズを組み合わせた結果が、先程の不協和音の原因らしい。因みに親父は「賑やかは善い事だ」と言ってたらしい。アイツと妹はカップに手を掛け揃ってニコニコとしていらっしゃる。長兄の意に介すつもりはないらしい。 やれやれ、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。
俺の家では夕飯は結構早めの時間にするのが習わしになっており、理由は簡単な事でゴールデンタイムのテレビをゆっくり見たいからという、非常に単純な根拠からである。もっともこんな理由も後付の理由なのかも知れず、100年前にはもっと早い時間に夕餉の時間になっていたのは想像に難くない。人間って存外にいい加減な面があるからな。
そんなこんなで夕餉の準備をする時間となったのだが、臨時参加の大きな妹も準備に呼び出される事となりお袋に扱き使われてた。俺はその傍でその様子をうかがっていたのだが、アイツはこんな事には少し慣れてない様子で、豆鉄砲を食らった鳩の様な瞳で金魚の様に口をパクパクとさせ、駒鳥の様な足取りでキッチンを右往左往していた。いざ包丁を握らされると震える手で刃先を見詰めると、高速撮影された画像を通常再生する様なスローモーな動きでぎこちなく食材を切り分け始めた。お~い、そんな調子じゃ夕餉が朝餉に変わるぞ。
「どうだ、ウチのお袋は人使いが荒いだろう」と皮肉を言ってみると「漬け物石な馬鹿息子より100倍役に立っているわよ」お袋が混ぜ返して妹は「キョン君つけもの石だぁ~」と相変わらずの馬鹿っぽい声で笑われた。アイツと言えば声を潜めてくっくっと笑ってる。「こんなシッカリした娘ならずっと居て欲しいわ」とお袋が言うので最も影響を受けそうな妹を見ると、きゃっきゃと笑っていた。 なぁ、妹よ。お前のレゾンデートルが問われてるんだぞ。ジブリ作品のヒロインの様な聡明さを身に付けろとは言わないが、お兄ちゃんはお前の行く末が心配でならないぞ。
準備が終える頃には親父も家に戻ってきて和気藹々の夕食と相成ったのだが、いつもと違う席順に違和感を覚えた。その原因たる違和感の正体であるアイツを見ていると、この席はずっと前から私の席だったよと云わんばかりに融け込んでいて、妹とからかいながら楽しそうにしていた。元から同級生に比べて背は低い方だし、凛とした表情にも幼さが残る顔立ちをしていたので、大人達の中で見てみれば俺の妹の様にも見えなくも・・・いかん、俺は何を考えているんだ。どうやら俺も馬鹿空間の一員に取り込まれてしまった様だ。 食事風景も今考えればカオスその物だった。アイツにご飯を盛られて「お兄ちゃん、ご飯だよ」と首を傾げて微笑みながら差し出してくるのだが、それを見たリアル妹は対抗心でも起きたのかアイツより大盛りのご飯を出してくるし、銘々皿におかずを盛って差し出せば、対抗して大盛りで出してきた。その様子をみて「ウチの兄妹はホントに仲がいいね」「ホントに兄妹になっちゃってもいいわよ」と両親が暢気な事をのたまった。 俺もアイツも顔が熟れたトマトの様になったのは言うまでもない。ここではリアル妹のひとり勝ちになってしまった。
食事の時間が終わりテレビを観る時間になったのだが、受験生たる俺にそんな時間はあまり無かったしアイツが居る状況では遊んでも居られないだろうと早々に諦めていた俺は、部屋へ戻って学校の宿題、塾の宿題、アイツ特製の宿題を取り組もうとした。まぁ、俺の事だから自発的に諦めたのではなく「僕と勉強しよ!お兄ちゃん」という声に促されたのは想像出来るだろう。部屋に足を踏み入れた俺は更なる違和感を感じる事になる。部屋の中が妙な具合に片付いているのだ。 ――お前、この部屋を掃除したのか? 「うん、お兄ちゃんが帰ってくるまでに掃除したんだ」 ――何か捨てたりはしていないだろうな。 「お布団の下や本棚の後ろにあった、勉強に関係なさそうな御本を捨てたよ」 ――は、はははは。 「お兄ちゃん、あんなのが趣味だったんだ。くっくっ・・・・」 ――た、頼むから他人には内緒にしてくれ。 「わかった、お兄ちゃん。くっくっくっ・・・・」滅多に入手出来ない貴重なコレクションをクラスの女子に見付かって、秘密を握られてしまった俺の心境は誰か理解出来るか?誰か替われるものなら替わって欲しい。その後は二人で勉強をしたのだが、慣れぬ娘言葉(妹言葉?)で話し掛けてくるので落ち着かず、あまり身には付かなかった気がする。
「あんた達そろそろお風呂にしなさ~い」というお袋の声が響いてきたのは、宿題と妹特製ドリルがちょうど終わった頃合いだった。あんた達って俺もセットなのかと思うと少々鬱な気分になり、悪態付きながら俺は立ち上がり階段を降りていった。アイツはと言うと両手でスカートをちょこんと押さえて立ち上がった。 こんな何気ない仕草に育ちがいい娘ぶりを感じさせるが、男相手には男言葉で話し時々毒気や皮肉混じりな事を言ったりする。今日は特に違和感満載なのだが、普段から些細な違和感をアイツに感じていたのは間違いない。もしかすると、あの違和感は演出の上で誰かに向けられたメッセージなのかも知れない。ならばその相手は誰だろうか?そんな考えをまさか読んでる訳が無かろうと階段の上のアイツを見上げると、さっと片手でスカートを押さえ「お兄ちゃんスケベ!」と抗議の声をあげた。
妹ふたりを風呂に入らせるのはちょっと俺でも難渋した。リアル妹は「キョン君も入るの~」とさり気に問題発言をするし、もう一人の妹も「この子もこう言っているんだ、僕は構わないよ」と言ってやがるし、お袋も"あんたどうするの?"って感じの意味あり気なアイコンタクトをしてくる。取り敢えずウチの家は風呂が狭いから3人は無理だなと言えば、「お父さ~ん、今度お風呂のリフォームしない?」と返された。 この一家には色々問題がありそうだ。
風呂に入っている間、暫しのテレビタイムと思った俺はリビングで茶をすすっていたのだが、何やら妙な声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、きれいな体してるね~」・・・・う、うわっ、いきなりどこを触るんだい。「おっぱいふかふかだ~」・・・・やっ、やめて。お兄ちゃんが、お兄ちゃんが。「えいっ!えいっ!」・・・・やめっ、あんっ……ん……はぁっ!お、おねが……ちょっ、やめ……は……んっ!そ、そこは・・・・んっっ!
・・・・お袋よ、止めに入らないでいいのか?「仲が良くていいじゃない」 どうやら妹のセクハラ癖は母親譲りらしい。まったくやれやれだ。そのあと入れ替わる様に風呂場に入った俺なのだが、先程の悩ましい声を思い出すと湯船につかる気力も失せ、カラスの行水とばかりに体だけ洗って足早に風呂を出てそのまま寝てしまおうと部屋へと戻った。寝てしまえば後は朝までじっくり出来るからな。
ベッドに足を突っ込み目覚まし時計をセットする。早めに寝るつもりだったが時計を見るといつもの就寝時間とあまり変わりがない。きっと色々と色々とあったせいだろう。明日になれば俺もアイツも普段通りになってアカデミックな会話をしつつ・・・・ドアがコトリと小さな音を立て、細い光が部屋に拡がったのはそんな事を考えていた時だった。やがてドアは開いた時と同様に静かな音を立てて閉じられ、小さな黒い影が足音立てず俺の元にやってきてベッドサイドに腰掛けた。暗闇でも光り輝く大きな瞳が俺を見下ろしていた。「僕でも夜、寝られなくなる時があったりするんだ」・・・まぁ、今日は色んな事がありすぎたからな。「そうだね、色々とありすぎたよ」・・・最後のお願いでもあるんだろう。やっぱりあれか?「そう、あれだよ」・・・そうかい、だったら来いよ。でもな、それ以上は、「それは僕もお断りだ。なにせ今の僕は妹だからね。お兄さん」
眠れないと言っていた割には実にあっさりと寝息を立て始めた。次第にゆっくりなリズムへと替わる体の動きに、俺はアイツが深い眠りについた事を感じさせた。いい香りがした。シャンプーとリンスが奏でる仄かな薫りにアイツ自身の香りが混じり、心の中に甘酸っぱい何かを感じた。その夜、俺は眠れなかった。
しだいに明けてゆく外の気配にもうそろそろ朝になるなとおもい、時計を見ようとした。自由な手を動かして目覚ましを取ろうとしたのだが、動かすと関節が気味が悪い程に嫌な音を立てた。そうだ、一晩中緊張しっぱなしだったから、すっかり体がコチコチになってしまってた。 ふとアイツを見遣れば相変わらすぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立て続けていた。「・・・お兄さん」小さな声で寝言をいった。ああ、そうか。俺一人で緊張していたんだ。普通にしていれば良かったんだ、普通にな。そう思うと目覚まし時計で起こしてやるのがかわいそうに思え、目覚ましのアラームは切っておく事にした。二人してミニ台風に起こされるのも一興だろう。強ばっていた関節や筋肉が解れてゆく感触がして、血液が元気に体の中を駆け回る様になっていた。体がポカポカと暖かくなってきて、途端に強烈な睡魔の誘惑が襲ってきた。俺はその誘惑に乗ってやろうと思った。
その日は学校を欠席する事になった。俺は睡魔と戯れていたし、意外にもアイツは朝が極端に弱く、妹は俺達に気を遣ったつもりらしく、お袋はあの子がいれば勉強だけは大丈夫でしょと、そのまま出掛けてしまっていた。ああ、当然ながら受験生として勉強は欠かさずしたぞ。勉強以上の事もなければ、勉強以下の事はない。 何故ならば俺達は・・・・・・・・
ヤバイ、だんだん空気が悪くなってきた。今年も生徒会からイチャモンを付けられて機関誌を作らされる羽目となり、またもや恋愛小説のパートを承けざるを得なくなった俺は、もう少し女遊びをしてスキルを上げていりゃ書けるのにと思いつつ、俺の人生の中で女が出てくる出来事を何とか紡ぎ出し、かつ登場人物のプライバシーを極力守りつつ一作を書き上げたのだが、題材が悪かったのか文才に欠けるのか、何故かハルヒの目にとまり、憲兵の尋問官じみた取調が行われようとしている。 朝比奈さん、おろおろしないで助け船を入れてください。 長門よ、興味深げにのぞき込むんじゃありません!って見えてるのか? 古泉、お前だけが頼りだ。ヘンテコ空間のバイトよりも友情を大事にしようじゃないか。
「なんで"俺"が俺になるか根拠を教えろ」「だって"キョン君"って書いてあるじゃない」「うぬっ、ぬかった!」「ほんとアンタって馬鹿よね。 この勉強を教えてくれるアイツって、どうせ佐々木さんの事なんでしょ。 どうなの、有希!」「――……そう」
長門よお前、神秘が漂う宇宙的パワーを今、とんでも無くつまらない事に使わなかったか? 朝比奈さん、耳に手を当てて何してるんですか? 古泉よ、バイトするより実のある事をしようじゃないか。そんな事を考えつつも俺はハルヒの動きを見逃してはいなかった。仁王立ちになって勝ち誇っていたハルヒは目を爛々と輝かせるとスカートに手を入れて携帯電話を取り出した。「そうそう、こんな事は本人に聞けばすぐ判るわよねぇ」最も恐れていた事態が訪れたと思った俺は被害の更なる拡大を恐れて想像を超える動きをして・・・いたらしい。 後に聞いた古泉の話を聞くと、俺は決死の形相でハルヒ目掛けてルパンジャンプを敢行し、手から携帯電話を奪い去って後は諸般の物理的法則に従い・・・・。「い、痛った~い。あんたいきなり何するのよ! それにその手をどけなさい。いったいどこを触って・・・・おが?」「こ、こ、このド変態~!!」
まぁ、そんなこった。結局、閉鎖空間が発生して世界的・宇宙的危機が発生する事はなかったが、俺の心が閉鎖空間になってしまうかと思った。その後は今度はハルヒ達が一日お姉ちゃんをすると宣言して、そこでようやく機嫌が収まったらしい。かしましい一日が俺に約束された訳だ。
帰り道、喫茶店にいる佐々木を見付けた。どうやらお勉強をしているらしい。あいつなら自宅か図書館で勉強していそうで、ちょいと顔を出してみた。「よう、佐々木。何やってんだ?」「やぁ、キョン。ちょっとした現代文にチャレンジをしているんだが、なかなかこれが手強くてね」佐々木はホチキス止めされた数枚の紙をひらひらとさせ、上目使いで俺の表情をのぞき込んでいた。「お・・・お前、それって」それは見事なまでに隙間無く、極細の赤ボールペンで書き込みがされており、執筆者の未熟さを指摘している様だった。「ああ、これかい?どうやら思い出に誤認識があった様で、僕が勝手ながら修正を加えさせてもらったよ」誰だよ、こいつにこんな劇物を与える奴は。
「今度は僕が姉として権限を振る舞える機会が与えられたんだよ。 楽しみにしていてくれたまえ。お兄さん」
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