67-613「やれやれ、ひどい雨だ」

「やれやれ、ひどい雨だ」
「まったくだな」
 突然の大降りの雨に、閉店した店舗のアーケード下に二人で逃げ込む。
 俺と同様、服をびしょぬれにされた佐々木はそれだけ言うと、いつかそうしたように上を向いて黙りこくった。 
 俺も、なんとなく、なんとなく視線を外す。フラッシュバックする光景があったからだ。

 ………………………
『キョン、こっちを見ないでくれないか』
『何でだ』
『キョン、キミは時々忘れるようだが、僕は遺伝子的に紛れもなく女なんだよ。さすがの僕でも、こんな姿……解りやすく言うと
 下着の下すら露になりかけているような、破廉恥な格好を人目にさらして平気な顔ができるほど無神経じゃないんだ』
 ああそうとも、こいつはどうにもこうにもデジャヴすぎるな。
 いつかの雨の日のメモリーズ………………
 …………

「……くく、僕らの雨の日に苦い思い出がある事、覚えていてくれたのかい?」
「さあてな」
 ゲリラ豪雨の中だろうと軽やかに、よく通る声。
 互いに視線を明後日に外したままなのに、まるでこちらを見ているような事を言う。
 そんなところは相変わらずだ。

「さあて、忘れていたよ」
「くく、そうかい」
 俺の言葉に、視線を外したまま佐々木は笑う。
 ああそうだとも。『忘れていました』ってことは『思い出した』って事なんだからな。
 そのくらいの判じ物、言葉のパズルならお手の物なのだろうさ。
 俺の言葉なんかきっといつだってこいつには筒抜けだ。

「そうでもないよキョン。いつか言ったように全部解るのは神様だけさ。僕はそんな風には作られてはいないよ?」
「そうともさ。だからお前はいつだってお前に見えないところを想像してきてくれたんだろ?」
 全部知ることが出来るのは神様だけ。だから見えないところは想像で補う。それが人間が持った観察の能力。
 全部を知る事が出来ない人間が持った能力なのだと。
 そう言ったのはお前だったな?

「くく、そうやって僕の言葉を考えてくれていたのかい?」
「そうやって想像しろって言ったのはお前だろ?」
 しばらくクエスチョンマークを付けた会話を続けていると、佐々木が急に吹き出した。
 ああ面白い、実に楽しい、そんな空気がアーケードの下を温め、そうして温まった空気よりなお温かいものが不意に背中に触れた。

「くく、実に、実に良いよキョン。そんなキミだからこそ、キミにだけ僕は今でも『僕』を貫き続けるのさ」
「さあて、そいつは褒められてるのか」
「褒めているのさ。キミは実に手ごわい相手だとね」
 俺の背中に小さく細い背中を預けたままで佐々木は笑う。
 大学で再会してからはや三年、俺と佐々木の身体の体積差は相変わらず広がり続けるばかりだというのに、相変わらず俺はこいつに言葉で勝てる気がしない。

 そう、再会後しばらくしてから知ったことだが、今の佐々木は「僕」から始まる言葉遣いをもう使っていない。
 男性に対しても女性に対しても、等しく普通に語りかけるようになっていた。
 変人を演じることをやめた「新しい自分」とやらがこれなのだろうか。
 なら何故俺にだけは「佐々木」であり続ける?

「知ってるだろ? 僕のコレは理性の仮面だ。本来は異性に、離婚した父を始めとする異性に対し情動的な僕が、理性的にある為の仮面でありそして……」
『けれど高校ではこの喋りも特に注目もされなくなった』
 佐々木の言葉に、あの春の別れの佐々木が重なる。

 佐々木の「僕」は、他人と距離をとるための仮面だ。
 社会の中で、素の自分を晒さない、踏み込ませない為に「演じる」というありふれた行為。
 普通と違うのは、その仮面が「普通ではない」という事。普通はしない言葉遣いをする事で「自分に踏み込むな」とアピールしてきた。
 自分は踏み込まない、と自己暗示をしてきた。

 けれどその一方で、こいつは誰かに注目してもらいたがっていたのだ。
 だから「私」という普通の仮面ではなく、「僕」と言う規格外の存在を演じて、周囲にアピールをしてきたのだ。

「正解だ。けれどね、もうその必要はないんだよ」
「ま、そんな事しなくたってお前は社交的な性格だからな」
「くく、お褒めを頂き感謝する。だがちょっとピントがズレているね。大事なのは、そんな自己矛盾にようやく気付けたという事さ」
 背を弓なりに伸ばし、ずぶぬれの背中をたっぷりと預けながらくつくつと笑い
 まるで日記帳でも音読するような、恥ずかしいにも程がある自己分析を、それでも楽しげに佐々木は続けた。

「他人に踏み込ませたくない、けれど自分の姿は見て欲しい。そんなの随分虫が良い話だろ?」
「なあに、そいつもきっと誰にでも良くある事だ」
 どっちも人間の欲求だからな。
 しかしだ。

「なら佐々木、なんで俺には「佐々木」であるんだ?」
 別にお前を無視してる訳でもなければ、お前にとって話しにくい相手って訳でもないだろ?
「そうかな? とある方面にのみ限定するならば、僕にとってキミほど話しにくい相手はいないのだよ?」
「そりゃ初耳だ。お前にとって俺はいい話し相手じゃなかったのかよ」
「そうだね。キミほど『僕』に構ってくれた人はいないよ」
 言ってくいくいと俺の袖をひっぱる。

「ねえキョン? こっちを見てくれないか?」
 なんだと? そう思わず目を見開く俺の眼前に、するりとずぶぬれの佐々木が回りこむ。

「やれやれ、見てくれれば解るだろう? かまってもらいたがりの僕が、こんなにもキミに惹かれて身体を紅くしているという事がね」
 そうしていつものくつくつ笑いを付け足していたかと思うと、弾けるような笑いに変わった。
「理性で縛らなきゃ、僕はキミに何をしてしまうのか。僕自身にだって解らないのさ」

「お前自身にって」
「例えば、そう、こうとかね」
 言うが早いか佐々木の柔らかなものが俺の唇をふさぎ、互いにそのまま目を閉じ、互いに腕の中に相手を包む。
 ああそうとも、こうしてりゃ互いの体温で乾燥が早くなるだろ?
 俺達の生活の知恵さ。

「うふん。そんな韜晦っぷりも変わらんね」
「そりゃ変わらんさ。お前がそうであるように、俺だってこんな俺が気に入ってるからな」
 だからなのかね。きっとこいつにはこの先も俺は敵わんのさ。
 まったくもってな。
)終わり

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最終更新:2012年09月08日 02:48
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