11-292「佐々木の憂鬱」

さくさく。

鉛筆を削る小気味いい音が静かな部屋に響く。
木と芯の香りがひろがる。
鉛筆を削るのは好きだ。
僕は勉強をする前に鉛筆を削ることを習慣にしている。
丸くなった鉛筆の先を削ると自分の中の何かも研ぎ澄まされていく気がする。
心を空にするこの瞬間は癒される。

―――高校生活は僕にとって期待していたものではなかった。
女同士の上辺だけの付き合い、そんなのが嫌だった。
キョンと過ごした中学校生活は楽しかったな。
机の中にしまってあったキョンの写真を眺めながらそう思い返した。
けれど楽しかった過去の思い出は僕の心の暗がりをより強調させるだけだった。


かりかり。

仕上げに鉛筆の芯を削る。
鉛筆の芯を削るのは好きじゃない。
カッターの刃で芯を削るのは、黒板を引っ掻くような感覚に似ている。
まるで皮膚の奥底にある神経を削り取っているようで、ぞっとする。
僕はキョンと似ている。そっくりだと思う。
容姿的なことではなく内面的なものだ。
だからキョンと喋っているときは心が安らんだ。
僕に兄妹はいないが、きっと兄か弟がいたらこんな感覚をもたらしてくれたんだろう。
キョンは僕にとってそんな存在だった。

キョンと同じ学校に行きたかったな。
彼はどんな高校生活を送っているんだろう。
恐らく中学のときと同じだろう。
相変わらずまだ世を捨てたようなつまらなそうな眼をしてるんだろうね。
僕は彼のそんな眼が好きだった。
でも本当に好きだったのは僕と喋るときに見せてくれる眼だ。
僕の考えを読もうとするような、好奇心の眼差し。
僕だけに見せてくれる、特別な眼だ。



ある日偶然キョンと出会った。
キョンはちょっと驚いた顔をしていたし、僕も少し意外だった。
僕は自転車を駐輪所に止めに行くところだった。
出会ったのは駅前である。

「やあキョン、久しぶりだね」
「佐々木か」


休日をもてあましているのかと思いきや、
どうやらキョンは友人と待ち合わせをしているようだった。

そう――友人、か。
誰か分からないけどちょっとだけその友人に嫉妬した。
そう思いたくないけど。
でも、羨ましかった。
僕はキョンに少しわがままを言った。
君の友達に会わせて欲しい、と。
わざわざ会って軽い会釈を交わすのは煩わしい気持ちだったが、
もう少しだけキョンと話していたかった。

仲間との約束時間が迫っていると聞いて、僕はキョンと一緒に集合場所に向かった。
いったいどんな友達なんだろう。

中心にいたのは黄色いカチューシャを着けた女の子だった。
キョンとは正反対の印象を受ける活発そうな女の子。
名前だけは知っていた。涼宮ハルヒさん、本人を見るのは初めてだ。 涼宮ハルヒさんの存在を知ったのは、橘さんと出会ったのと同時だった。
橘京子さんと出会ったのは数週間ほど前だった。
学校の校門で僕のことを待っていたらしい彼女は、
僕を近くの喫茶店まで連れて行くと僕に話を聞かせてくれた。

「あなたは神様っていると思いますか?」

そういって橘さんは僕に彼女の写真を見せた。
どこにでもいるような普通の女の子といった印象を受けた。

「かみさま?」

橘さんが僕に語ってくれたことは、にわかには信じられない話だった。
世界を思うまま造り替えてしまう力を、隣の高校に通う普通の女の子が持っていること。
そんなことを橘さんは語った。
そんなことを思い返した。


涼宮さんは彼が遅れたことに対して文句を言って、僕の方に眼をやる。
ちょっと苦手なタイプかな…。

「誰、それ」

涼宮さんは僕に一瞥をくれるとそうキョンに向かっていった。

「親友。」

キョンより先に、僕の言葉が無意識に口から飛び出した。
誰それって…、初めて会う人にかける言葉がそれなの?

正直言ってちょっと驚いた。
キョンってこんな子と付き合うんだ。
やっぱり苦手だな、こういう人。


楽しそうだね――キョン。

キョン、君は何でそんなに楽しそうなの?
僕は全然楽しくなんて無いんだよ。毎日になんの魅力も感じない。
キョン、君は僕と同じじゃなかったの?――キョン


なんだか、ここは僕の居場所じゃないな…。
僕は電車の時間が迫っていることを口実にその場を離れた。
ある日僕は橘さんと一緒に遊びに出かけた。
僕は面倒だったが橘さんの友達ごっこに付き合っていた。
はたから見ればただの仲の良い友達に見えるだろう。
でも、所詮は僕は橘京子にとって利用されるだけの存在。

でも橘さんと過ごすのは嫌いじゃなかった。
上辺だけの付き合いが面倒でも、
橘さんと僕は普通のどこにでもありふれた関係じゃなかったし、
彼女の言う機関という得体の知れないエージェントという肩書きは
いくらか僕の退屈な日常をスリリングにしてくれる気がした。


「佐々木さん、あの話考えてくれたかしら」
「あの話?」
「ほら、涼宮さんの力の話のことです」
「ああ、その話か――」

橘さんは事あるごとに涼宮さんに変わって僕に神様になって欲しいと言ってきた。
やれやれ、またその話か。
その話が出るたび、僕は曖昧な言葉でお茶を濁していた。

正直橘さんのこういうところは好きになれなかった。
僕とこうやって仲良くするのもそのためなんだよね。
仲の良い親友なんて言葉、反吐が出そうだった。


疲れた。
家に帰ると僕はベッドに倒れこんだ。
最近だるい…体力的にだろうか、それとも精神的にだろうか。
予備校に通うのも楽ではない。
なんでだろう、中学のときはそうでもなかったのにな。

僕は枕元にあった小説を手に取るとそれを眺めた。
サスペンス物だ。普段こういった類の本は読まないのだが、
電車の中で何か退屈しのぎになるものが欲しかったので、
駅前の本屋で適当に手に取ったものだった。

殺人に快楽を覚える殺人鬼が売春婦を次々と殺していく話だった。
グロテスクな描写が多い…。

やだな…
僕は読むのをやめた。

もう今日はこのまま寝よう。
眠りに落ちて行く感覚に身を任せた。
ここはどこだろう。
辺りを見回す。
薄暗くどんよりとした空間だった。
様子を見ようと脚を動かしたが、思うように動かない。
気付くと僕はいつも寝ている自分のベッドにくくり付けられていた。
隣にはぼーっと人影が現れ、僕を見下ろしていた。
その大柄な男は、右手にぎらぎらと光る大きなナイフを持っていた。
男はナイフを降り上げると僕を切りつけようとする。

やめて!
助けて!!

じたばたと暴れが身体は思うように動かない。
すると視界の隅にまた別の誰かがいるのが見えた。
キョンが立ってこっちを見ていた。
僕はキョンに向かって助けを求め叫んだ。

助けてキョン!!殺される!

キョンの隣にはあの女がいたんだ。涼宮ハルヒ。

「なにぼーっとしてるのよキョン。さっさと行くわよ!」
「ああ」

彼女はキョンの腕をひっぱる。
キョン!行かないでよ!!助けて!!!
僕の叫び声は届かない。
ニタついた男がナイフを僕に向かって振り下ろした。
「うわああっ!!!」

ゆ、ゆめ!?はぁはぁ!

手が、がたがたと震えている。
こ、こんなことはじめて、
視界がだんだんと狭くなって行く。
はきそう

おお、おちつかなくちゃ
明かりをつけようとベッドから降りるが脚がもつれて思うように立てない。
はぁはぁ!
這うように机の上のスイッチを入れると
なんとかいすに座る

呼吸を整えるために深呼吸をする。
だめ、息がうまく吸えない。
はぁはぁ!
心臓がばくばくいっているのが分かる。
全身の血管が暴れまわってる。
息を止めた。
うっ、ぐっ…ふっ!はぁ…はぁ……

少し落ち着いたのか、周りがだんだんと見えてきた。
時計は午前3時を指していた。
いやな夢。最悪だ、思い返したくも無い。
キョン――助けて…。
眼を閉じるとキョンの隣にいたあの女の顔が浮かぶ。
涼宮ハルヒ――ニタついた顔をして僕を眺めている。
また手ががたがたと震える
いきが、うまくできない…

ええんぴつを、けけずろう、そうだ、おおおちつこう

さくさく…かりかり、カリ、がりっ、、ざくザクッ。はぁはぁ

だだめだ、折れてしまった、、かわりのを

がりがりがっ、ググ…、めき…ばきっ!

痛―――っ!!
誤って指を切ってしまった、血がどくどくとあふれ出す。
ティッシュをつかみ取ると指を押さえつけた。

はぁ…はぁ……
おちつけおちつけ。
時計の秒針を刻む音が聞こえてくる。

うぐっ……えぐっ…

気付かなかったが、いつからか僕は泣いていた。
キョン、キョン――!
涙があふれた、
あれは夢ではないのだ。
もうキョンは、僕のところには来てくれないんだ。

こんなのって辛過ぎるよ。
こんな世界――いやだ
こんなの、誰が望んだのさ。
僕の頭の中にあの女の名前が浮かんだ。

涼宮ハルヒ

これは、彼女が望んだ世界。
彼女がキョンを僕から奪ったんだ…。
あの女が。

僕の指からは血がぽたぽたと足もとに滴り落ちた。
僕はキョンと頻繁に会うようになった。
といってもお互い待ち合わせてなんかじゃないけれど。
たまに会うと喫茶店に入り二人で話をした。

キョンは自分の部活のことをうれしそうに語った。
本当に――楽しそうに――。

なんでさ、何がそんなに楽しいのさ――。
キョンは僕がいなくたってそんなに楽しいの?
ねぇもっと僕の話をしてよ、キョン。
昔の話をしようよ、
もっと昔の眼で僕を見てよ。

キョンは僕のそんな気持ちを分かっていない。
ハルヒが、ハルヒが―――
涼宮ハルヒ、今日は12回も彼女の名前を出したね。
あの女さえいなければ君はもうその不愉快な名前を口にしないでくれるのかな。
キョンを蝕むあの女さえいなくなれば。

いなくなれば、いなくなれば、あいつさえいなくなれば!


「佐々木?」
「うん?」
「どうした?俺の話つまらないか?」
「そんなことないさ、とっても興味をそそられるよ。」
「それより佐々木」
「なんだい?」
「お前どうしたんだその指。全部包帯だらけじゃないか。」
「あ、これは。最近料理を作りだしたのだが、まだ慣れないもんだからね…この様さ。」
「そうか」
「それよりもっと聞かせてよ、キョンの話を」
橘さんが家に遊びに来た。
いつものことだ、僕はあがるよう橘さんに言い、お茶とお菓子を出した。
今日は何をして遊ぼうか、橘さん。
天気がいいから買い物にでも行こうか
そう言って彼女の方を見た。

「あっ、もしかしてこれって」

橘京子が何気なく机の上にあったキョンの写真を手に取った。
気付いたときには体が勝手に動いていた。

「キョンに触るなっ!!」
「え?」

僕は無意識のうちに橘さんを突き飛ばしていた。

「きゃっ!」

はずみで鉛筆立てがガシャっと音を立てて倒れた。
はっと我に返った。しまった、橘さんは何も悪くないのに。

「橘さん、ごめんね、いきなり突き飛ばしたりして!痛くなかったかい?」
「だ、大丈夫なのです…」
「本当にごめんよ。」

でも、次からは気をつけてね。
キョンに触れていいのは、僕だけなんだ。
僕は優しく橘さんを抱きしめた。
橘さんは、少し震えていた。きっとびっくりしたんだろう。ごめんね、今度からは気をつけるからね。

「さ、佐々木さん、それ…」

橘さんが指差したのは弾みで開いた僕の机の引き出しの中身、
血のりがついて錆びかかっていたカッターと
血の染み込んだ無数の鉛筆の破片と僕の指の爪や表皮
切り刻んだ涼宮ハルヒの写真だった。

ああ、これ。
なんでもないよ、橘さん。怖がらなくても大丈夫。
なるべくなら見られたくなかったけれど
安心してよ
キミはこんなふうにはしないからね。

僕は橘さんの耳元で囁いた。

ねぇ橘さん。わたしが神様になるって話、うけてあげてもいいよ


待っててよキョン。
また二人で一緒に過ごそうね。
今度は一生誰にも邪魔されないところで二人だけでさ。

FIN

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最終更新:2007年07月20日 08:07
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