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史実ネタ/実際の兵種について - (2011/07/25 (月) 03:29:53) の編集履歴(バックアップ)
実際の兵種について
- 騎馬隊
- 基本的には移動時にのみ騎乗し、下馬して戦うのが基本であり、戦場では主に指揮官だけが騎乗したといわれている。
- とはいえ資料などを見る限り、騎馬隊や騎馬による戦闘が全く無かったわけではないようである。
- 機動力の高さを活かせる奇襲や追撃戦、情報伝達手段として重宝されたとされる。
- 騎馬隊と言えば「武田の騎馬隊」が有名ではあるが、資料などを見る限り武田軍が大規模な騎馬隊を編成していたと言う事実は確認されていない。
しかし長篠の戦いに関する資料等では、武田軍が騎馬隊を用いた戦術を立てていたこと、騎馬の扱いに長けたものが多かったという記述がいくつか確認されている。
- 槍足軽
- 槍は突いて使うイメージがあるが、戦国時代の足軽隊は叩きつけるように振り下ろして使っていた事が分かっている。
戦国大戦でも槍撃のモーションにその面影が見られる。
- 鉄砲隊
- 用いるのは「種子島銃」と呼ばれる、いわゆる火縄銃である。西洋ではマッチロック式と呼ばれる。
有効射程距離はおよそ100メートルほどだが、命中精度には非常に難があった。
- 鉄砲の出現により木の盾では防ぎきれなくなったので、竹束(竹を何本も束ねた円柱状の盾)を用いて防ぐようになった。
- 長篠の戦いで有名な「鉄砲三段撃ち」だが、実際には行なわれなかったらしいというのが近年の定説となっている。
理由は諸説あるが「火縄銃の構造上、3人が交代で弾幕を張り続けることは不可能」「『騎馬隊の大軍による連続突撃』がそもそも存在せず、無駄に弾を撃ち続けること自体戦術的に無意味」など。
むしろ「地形と柵で足止めされた敵部隊を、鉄砲隊や槍足軽などが連携して各個撃破してゆく」という「局地戦」だったのではないか、というのが最近の主流の説となっている。
- 但しスペイン等ではテルシオ陣形(いわゆるイスパニア方陣)として三人交代制の銃陣形が既に実用化されており、完全否定は難しい。
また、織田軍が大量の鉄砲を用いた作戦を立てていたのは信憑性の高い事実として確認されている。
- 弓足軽
- 現代こそ重火器による遠距離戦が主だが、当時の資料においても兵士たちの死因の殆どは弓矢によって受けた傷とされ、当時の主力武器だったことが伺える。
それがたとえ致命傷でなくとも、矢傷から破傷風に感染する事も多くあった。
- 盾持ちに守られながら射手が大人数で連射し、さながら雨のように矢が降り注いだ。
- 矢の中には返し刃(簡単に言えば矢印型の矢じり)が付いているのもあり、矢を抜く際にさらに傷を負わせる工夫がされたものもあった。
- 足軽
- 集団戦法が確立されるにつれて戦場の主役となった、「足軽く戦場を動き回る者」を意味する下級兵士の総称。槍足軽や鉄砲隊など、その範囲は広義に渡る。