ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ。



姿勢はまっすぐ、動かす手はリズム良く、目線は足元に。
箒によって巻き上げられた落葉が、右へ右へと移動していく。



今日は日曜日。
青空が広がるいい天気の下、ふと庭を見るといつの間にか落葉が目立つようになっていた。
流石に散るがままに任せておくわけにはいかないので、箒と塵取りを携えて孤独な戦場に参上した次第。ステージ1、衛宮邸(庭)、といったところか。



誰かに手伝ってもらおうかとも思ったが、それほど散らかりきっているわけでもないし、軽く片付ける程度、と考えていたので一人で庭を掃くことにしたわけだ。
以前セイバーに、手の空いている者がいるなら手伝わせるべきです、と言われたことがあるが、性分なんだから仕方ないよな、と最近の俺は開き直り気味。



「……よし」



ぐるっと見回して、ここ二時間の成果を確かめる。
始まる前はあちらこちらに散らばっていた落葉も、俺と箒一本の努力によって、今では庭の隅に積み上げられている。



「ちょっと、本気でやりすぎたか?」



見れば、集めた落ち葉の量はかなりのもので、ちょっとした小山だ。



「……いいか。誰が困るわけでもなし」



軽く片付ける程度じゃすまなくなっていたが、問題ないだろう。
……セイバーに見つかったら、また何か言われてしまいそうではあるが。



「ついでだ、玄関周りもやっつけちまいますか」



ステージクリア、次のステージへ。
より一層開き直ってしまった俺は、集めた落葉の始末は後回しにして、庭から直接玄関まで——



「………………をお?」



赴いたところで、思わず間の抜けた声を出してしまった。
何故って、玄関先には、見慣れないものが置いてあったからだ。
おかしい。朝見たときには、こんなものは無かったぞ。
その奇妙な落し物とは——


 玄関先にドン、と一つ、大きなトランクが置かれていた。

「……なんでさ」

 なんとなく、周囲に目をやる。
 右確認、左確認。辺りに人影は無し。
 これの持ち主がすぐ傍にいるわけではなさそうだ。
 ……ということは、いよいよ持って理解に苦しむ。
 何故に、このトランクはこの衛宮邸の目の前に置かれているのでしょうか……?

「しかし……」

 箒を壁に立てかけて、地面に置かれているトランクに触れてみる。
 トランクと一言で言っても、そこらの旅行者が使うような取っ手が伸びてカートに早変わり、などという代物ではない。

 言うなればアンティーク、だろうか。
 焦茶色のトランク本体、角の部分と鍵穴、取っ手の部分が金属で補強してあり、その金属部分に施された細工は俺が見ても見事だと思わされる意匠だ。
 遠坂がロンドンに渡る時に用いたトランクがあったが、アレよりも確りとした造りで、古さと質の良さを兼ね備えた逸品、といった感じだ。

「誰かがうっかり置いていったのか……?」

 遠坂じゃあるまいし。
 と、本人の前で言ったら捻りの効いた拳の一つももらえそうなことを頭の中でだけ呟いて、トランクを持ち上げて見る。

 ……結構重たいな。

 持ち上げてみると、確かな手ごたえを感じる。
 トランクの中は空っぽ、という訳では無さそうだ。

「ん?」

 そのとき。
 トランクから滑り落ちるようにひらひらと、一枚の紙が地面に落ちた。
 何気なく拾い上げ、裏側を見てみると、そこには……。


「まきますか? まきませんか?」

 紙にはそう書かれていて、その下に小さく「どちらかに丸をつけてください」と付け加えられていた。

「なんだこりゃ?」

 首を捻りつつもう一度文面を読み直してみるが、書いてあることはそれだけだった。
 なにかのアンケートだろうか?
 それにしては質問内容がわかりにくすぎる気がするが。

「隙間に挟まってたのか?」

 トランクを持ち上げた途端に落ちたのだから、多分そうなのだろう。
 念のため、トランクをひっくり返したり振ってみたりしたが、それ以上は何も起こらなかった。

「これ以上は手がかりは無し、か」

 もっとも、現時点で手がかりと呼べるものは皆無なのだけれど。
 謎のトランクはいまだ持って、謎のトランクのままだった。

 こうなったら、一度開けてみるべきなのだろうか?
 中に身分がわかるものが入っているかもしれないし。
 そう考えて、トランクの止め金に手を伸ばした。

「あれ」

 開かない。
 止め金は固く固定され、カチャカチャと音を立てるだけだった。
 どうやら鍵がかかっているようだった。
 当然といえば当然か。
 しかし、開かないとなると、余計に中身が気になってくる。
 落とした誰かには申し訳ないが、俺にだって好奇心というものがあるのだ。

 ――こうなったら最後の手段、こいつを『解析』してしまおうか。
 いやしかし、玄関先でそんな魔術行使をしていたら誰に見られるかわかったもんじゃない。ここは一度家の中に持っていってから……。
 そんなことを考えながら、指で金具をなぞっていると。

「……痛っ!」

 指先を、金具の尖った部分に引っ掛けてしまったらしい。
 ぷくり、と指先から赤い血の玉がにじみ出る。
 慌てて口に咥えたが、一、二滴ほど零れ落ちて――

 ――アンケート用紙の「まきますか?」の上に、赤い点をつけてしまった。 ]

「あ、やばっ」

 慌てて服の袖を押し付けるが、既に遅し。
 赤い点はしっかりと、紙に染み込んでしまっていた。

「しまったな、こりゃ擦っても滲むだろうし……」

 アンケート用紙を手に、少々途方にくれていると……。

 カチリ。

「……え?」

 トランクの止め金の部分から、音が聞こえた気がした。
 例えて言うなら、鍵が外れたような音。

「そんな、バカな」

 ひとりでに外れる鍵などあるはずが無いし、あったらそれは欠陥品だ。
 欠陥品にしたって、俺が見つけた途端に鍵が外れるなど、出来すぎとすら言えない。
 つまり、これは偶然ではなく必然。
 そしてこんな必然を引き起こすモノといったら、それは……。

「魔術……!?」

 咄嗟にもう一度、周囲を見回す。
 幸いなことに、相変わらず人影は無い。
 それを確認すると、俺はトランクを引っ掴み……。

 こんなものを一般人がいる場所に放っておくわけにはいかない。
 俺はトランクを引っ掴むと、慌てて玄関の奥に引っ込んだ。
 居間……は拙い、今の時間は藤ねえが溶けてバターになっている可能性が……!

「そうだ、土蔵――!」

 土蔵ならば、このトランクがあっても全く不自然ではない。
 なにしろ鉄板焼き用の鉄板からペンギン型カキ氷機まで、なんでもござれのガラクタ置き場だ。
 ついでに俺の魔術も気兼ねなく使える絶好のポジションだ。

「……よし」

 そうと決まれば、玄関先から土蔵まで移動である。
 俺は他の住人、特に藤ねえに気を配りながら、中庭に続く渡り廊下を通り抜ける。
 ステージ1とは打って変わって、ステージ2はスニーキングミッションだ。
 居間に面する廊下を避けて、離れの大外回りを迂回する。
 これならば、ちょっとやそっとのことでは目に付くまい。
 もっともセイバーやライダー相手には一発で見つかってしまうのだが。

「……ふ、良好だ大佐」

 思わず口から潜入捜査官っぽい台詞がこぼれる。
 いやまあ、別に藤ねえ以外の住人には見られても一向に構わないというか、むしろ遠坂あたりには一度尋ねてみるべきだと思うのだが。
 正義の味方としては……というより男の子としては、こういう仕事というか任務というか、そういうものにも憧れるのだ。
 そのまま離れを回り込み、何事も無く土蔵まで到達することが出来た。

「よっ、と」

 土蔵の重たい扉を片手で――もう片方の手にはトランクが握られている――開けると、土蔵特有の冷たい空気が漂ってくる。
 その中に身体を滑り込ませると、返す腕で扉を確りと閉める。
 ごとん、という重い音とともに、土蔵は外界と断絶した。

「……ふう」

 一度大きく息を吐いて、緊張していた身体を弛緩させる。
 別に疚しいことはしていないはずなのに、額から冷や汗が一筋、流れ落ちる。

 さて。
 いよいよこの謎のトランクの正体を暴く時がやってきた。
 今度はゆっくりと慎重に止め金に触れる。

 かちん。

「っ、開いた」

 先ほどまで堅固に施錠してあったとは思えないほど、トランクはあっさりと口を開いた。
 ゆっくりと開いていく蝶番。
 その中には、純白の布が敷き詰められていて、中央には『何か』が鎮座している。
 その『何か』は、薄暗い土蔵の中で、真っ暗なトランクの中から、徐々に姿を現した。

「人、形?」

 トランクの中には、少女がひっそりと横たわっていた。
 まず最初に、生きている少女だと勘違いして、次に呼吸をしていないことに気がついて、では死んでいるのかと再び勘違い。
 精巧な人形だと気がついたのは、一緒にトランクに収められていた発条を見つけてからだった。

「凄いな……こりゃ、滅多に創れるものじゃないぞ……」

 トランクの中に手を差し込み、人形を抱き起こすように持ち上げる。
 だらん、と力なく身体を投げ出していてなお、この人形の美しさは際立っていた。

 純銀を溶かし込んだかのような輝く髪。
 切れ長の瞳は、閉ざされたままでもその美しさを物語る。
 手触りも心地よい上等な衣服は、土蔵の闇よりなお深い黒。

 中でも一番目を引くのは、その背中に備わった一対の翼だろう。
 黒鳥の羽だろうか、艶のある羽は、肌の白、髪の銀、衣服の黒と完全に調和していた。

「……お」

 ふと、俺の目が留まる。
 トランクの片隅に置かれていた、掌くらいの大きさの発条。

「発条……ってことは、巻くための穴があるってことだよな……」

 さて、それでは……

 ……ほう、衣服の中身ですか。
 それはもちろん衣服に隠された人形の発条の穴が目当て、
 などという当たり障りの無いオチではなく、
 もっと人形の本質に迫る中身が目当てなのですね。

「……フン、答えは得た」

 人形を前にして、口がひとりでに動いた。
 しかし、目の前に発条があるのにそれをスルーしてまで中を覗くという、
 その仄暗い欲求はどこからやってくるのか。
 いや、でも発条を巻こうにも何処に穴があるかわからないしね。
 穴を探すためにも一度じっくり見てみないことには。

 ……どこかから電波で『志村、背中背中ー!』という声を受信したような
 気がするが、そんな別世界からの干渉は俺の心の遥か遠き理想郷で
 一切遮断させていただくことにする。

 そんなこんなで理論武装を終えると、俺の手は人形の服の裾を軽く摘み、
 それをそろそろと持ち上げ始めた。

「……おおっ」

 人形師は見えない部分も手を抜いていなかった。
 さすが匠の逸品、と言えるフリルの奥に、ゆったりとした純白の半ズボン。
 ええとこれは確かドロワーズ、という女性下着だったっけ?
 ぱっと見、かぼちゃズボンの女の子を連想させるそれは、
 現代の女性下着とはまた違った可愛さを持っている。

 また、抜けるような白い肌からはじまって黒で終わるまで、
 見事な色彩感覚で彩られた外側とは対照的に、
 中着のほうは意外と言うべきか、純白一色である。
 だがそれが違和感があるかといえば、全くそんなことは無かったりする。

「――――凄い」

 ほう、とため息を付きそうな口元を抑える。
 見事だ。
 この作品には一切妥協は存在しない。
 つい興が乗って、今度は背中側を覗いてみることにする。
 衣服の背中側は、大きく開いていて翼を邪魔しないような造りになっているらしい。

「へぇ、この羽根は背中から直接伸びてるのか。
 それで服がこういう造りなんだな」

 よく見ると翼の付け根に穴が開いている。
 これが発条を差し込む部分なのか。

「……納得。やっぱり発条で動くんだ」

 俺は一つ頷くと、次に……

 なんと。更にその中身と来ましたか。
 果たして、何がそこまで俺を駆り立てるんだろうか。
 もはや先ほどまでとは違う意味で、藤ねえに見つかったら即アウトな雰囲気。
 いや、この場合、遠坂に見つかってもアウトと言うか。

「むしろ即デッドエンドだよなぁ」

 たやすく幻視できる。
 遠坂の左手が光って唸って俺を倒せと輝き叫んでるのが。

 しかし、今の俺はどうしてもこの人形の更なる中身、
 噛み砕いていえば裸の人形が見たくなっている……!
 おかしい、俺は人形にされかけたことはあっても、
 人形で遊ぶ趣味は無かったはずなんだが。
 それもこれもこの人形が見事すぎるから、なのだろうか。
 見るものを狂わせる魔性の人形、とか。

「しかしどう脱がしたものかなコレ。
 チョーカーやヘッドドレスは最初に外しておくとして」

 ショック!
 頭でああだこうだ考えているうちに、
 身体は既にどうやって脱がすかの試行錯誤に走っているとは!

「か、身体が勝手に!」

 太正時代からのお約束を口走りながらも、俺の手は止まらない。
 あ、でも別にそれが不満ってわけじゃなくて、いいぞ俺の身体もっとやれ。
 そうして、身体チョーカーやヘッドドレス、ブーツなどといった小物類は
 割と容易に取り外すことが出来た。
 次はいよいよ衣服に取り掛かります。

「見た感じ、ワンピース風なわけだから……こう、下から上にたくし上げて……」

 するすると捲り上げられていくスカート。
 だが、腰の辺りまでスカートをたくし上げたところで、
 背中の羽がつっかえて上手くいかない。

「あ、これじゃ駄目か……じゃあ肩のところから……」

 そうして試行錯誤することしばし。
「…………」

 深い黒と清楚な白。
 見飽きない造型は時間の感覚を麻痺させる。
 文句の付け所がない至高のアンティーク。
 コレクションを楽しむ蒐集家や創作に励む造型師の憧れになりそうな見目麗しい人形は、しかし。

 今まさに、スカートをたくしあげて肩をはだけさせたあられもない姿を見せていた……!

「あ、ちゃんとあるんだ、お腹」

 残念なことに、人形は上半身と下半身がしっかりくっついていました。
 ナニが残念なのか自分でもよくわからないのですが。
 素肌部分は言うに及ばず真っ白で、その艶やかさは陶磁器のよう。

 それともう一つ、大きく目に付いたのが各関節の球体。
 大きく曲げられる間接は流石にまかないきれなかったのか、
 球体間接そのままの形で作られていた。
 なるほど、長袖とブーツで上手く隠してあるわけだ。

「しかし、これは……流石に」

 拙い。
 自分でやったこととはいえ、どこをどう見ても犯罪の雰囲気だ。
 流石に最後の理性が下着を脱がすことは拒否しているので、
 人形は今キャミソールとドロワーズを纏っているが、
 捲れあがったスカートとあらわになった肩の醸し出す色気は
 人形のものとは思えないほど生々しい。

 もういいだろう。
 もうかなり堪能したと思う。
 事前準備は十分だ。

「さて、そろそろいい加減に……」

 本命中の本命を、試してみよう。
 俺は手早く人形に服を着せなおすと、
 トランクの中で忘れ去られていた発条を手にとった。
 この発条こそ本命、この人形の真価を知るための鍵になるのだと、
 俺はなんとなく悟っていた。
 それを背中に開いていた穴に差込み、ゆっくりと回転させる。

 キリキリキリ、キリキリキリ。

 十数回、発条を巻いて、ゆっくりと抜き取る。
 土蔵の冷たい床の上に、そっと人形を横たえた。

「お」

 カタリ、と一度、小さく震えた。
 続けてカタ、カタ、カタカタカタ、と人形の身体が振動していく。
 そして、次の瞬間。
 人形の瞳が、ゆっくりと開いていった。

「おお……!」

 感嘆の声を上げる俺。
 人形の瞳はそんな俺に焦点を合わせると、
 次第にある一つの感情を示し始めた。
 人形の瞳、それは……。

 人形の瞳が示す感情、それは蔑み。

「……」

 言葉が出ない。
 相手は人形だ、感情なんてあるわけが無い。
 それはきっと疚しいことをした俺の心が見せる錯覚に違いない。
 ……しかし、現に今、俺に突きつけられている氷のように冷たいこの瞳は。

「う、わ……」

 人形の圧力に押されたかのように、思わず胡坐の姿勢から後ろにのけぞる。
 すると、それに呼応するように人形がゆっくりと起き上がっていく。

 ぎ、ぎき、ぎきききき。

 歯車の軋むような音を立てながら起き上がった人形は、
 やがて直立したまま頭を垂れたような姿勢でカクン、と止まった。

 ばさっ。

 主の目覚めに呼応したかのように、一対の黒翼が大きくはためく。
 そして、その頭がゆっくりと前を向いて……。

「……私の寝ている間に、随分勝手に弄んでいたみたいねぇ?」

 冷たくも美しい声で、軽蔑の言葉を紡いだ。

「しゃ、喋っ……た?」

 目の前のあまりの出来事に、俺の言葉はカタコトだった。
 身体は後ろ手をついたままの姿勢で動かない。
 まるで俺のほうが人形になってしまったみたいだ。
 対して、人形は先ほどまでの作り物めいた動きではなく、流れるような自然な動きで。
 その指が、俺の顔を指し示した。

「そんなに、私の身体が気になったのぉ? あぁ、気持ち悪ぅい」

 首をわずかに傾げながら、嘲りの笑みを浮かべる人形。
 そんな姿でさえ、人形の美しさは欠片たりとも失われない。
 むしろ、土蔵の薄暗い闇の中で、人形が立つ場所だけが銀色に輝いて見えた。
 ああ、つくづく俺はこの場所で縁があるらしいなぁ、などと現実逃避気味なことを考えていると。

「……人間。あなた、名前はなんて言うのぉ?」

「……え?」

 不意に。
 人形から発せられた質問に、思わず間の抜けた返事を返してしまった。

「聞こえなかったの、お馬鹿さぁん? あなたの名前を聞いてるのよ」

「あ、え、衛宮、士郎、だけど……」

 人形にものを尋ねられたことなんか、今まで一度も無かったのだが、
 それでもなんとか自分の名前くらいは答えられた。
 俺の答えに、人形は軽く頷くと、地面を軽く、トン、と蹴った。
 同時に背中の翼が羽ばたき、人形の身体を宙に持ち上げる。

「そう。じゃあシロウ、改めて……」

 人形が右手を優雅に一振りすると、幾多の羽根が、人形の周囲に舞い散った。
 それを見た瞬間、ぞくり、と。
 本能に近い部分が、アレは危険だと俺に告げた。

「二度と馬鹿な真似をしないように、あなたを躾けてあげるわぁ」

 次の瞬間、幾つもの黒い羽根が俺に向かって殺到した――!!

 土蔵の中に嵐が生まれる。
 黒い嵐の中心から、冷たい空気を切り裂いて飛来する羽根、羽根、羽根――!

「な、あっ!?」

 咄嗟に、横に転がって回避する。

 ……だが、遅い。

 元々後ろ手に尻餅をついたような姿勢からの回避だ。
 その程度で避けられるほど、黒い弾幕は手緩くなかった。

「あ、づ……っ!」

 容赦なく俺の腕に突き刺さる黒羽。
 腕から伝わる、痺れるような激痛。

「無様ねぇ。もっと上手に避けなさぁい。……ま、避けさせるつもりはないけどぉ」

 嵐の中心にいるのだろう人形が、加虐を楽しんでいる声でそう告げた。
 その声が。その痛みが。
 俺の頭をひどくクリアにした。
 状況はどうだ?
 どうしてこんなことになった?
 玄関でトランクを見つけて。
 紙に意味不明な文章が書かれてて。
 トランクの鍵が勝手に外れて。
 その中に人形が入ってて。
 それが全く見事な美しさで。
 挙句、発条を巻いたら攻撃してきた。
 ああ、全く持って訳が判らない。

 ……だからこそ、『立ち向かえる』。
 なぜなら。
 訳の判らない危機なんて、当の昔に慣れている……!!

「やるしか、ない!」

 撃鉄を下ろす。
 ガツン、という衝撃とともに、魔術回路が起動した。

 間髪入れずに、起きたばかりの回路の中にあるだけの魔力を叩き込む。
 投影する武装を検索する暇すら惜しい、真っ先に頭に浮かんだ設計図をもぎり取る!

「投影《トレース》――――」

 創造の理念を鑑定し、
 基本となる骨子を想定し、
 構成された材質を複製し、
 製作に及ぶ技術を模倣し、
 成長に至る経験に共感し、
 蓄積された年月を再現する――!

「開始《オン》――!!」

 結実する。
 造り上げたのは、大きな花弁のような『盾』――『熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》』。
 だが、それは偽物。
 間違いだらけの、穴だらけの、欠陥だらけの出来損ない。
 八節は十分に練ることが出来なかったし、注ぎ込む魔力も不十分だ。
 現に、七つあるはずの花弁はたった一片しか再現できていない。

 それでも。
 俺はこの『盾』が、人形の羽根を防げないなどとは微塵も疑わなかった。

「な……!?」

 人形の絶句する気配が伝わってくる。
 俺の投影した『熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》』は、
 殺到する幾多の黒羽を、完全に遮断していた。

 さあ、これでようやく……。

 衛宮士郎にとって、訳の判らない危機なんて、当の昔に慣れている。
 そう、こういう時は――!

「すんません勘弁してください!!」

 諸手を地面について頭を下げる。
 これぞ、日本伝統の謝罪様式・土下座である。
 まず防御、しかる後低頭に謝る。
 これぞ衛宮士郎の編み出した危機対応策――!!

「……はぁ?」

 俺の一分の隙も無い土下座の前に、当惑の表情の人形。
 ふ、完璧だ。

 ……もし、『情けない』とか言ってる人が居たらそれは甘い。
 訳の判らない危機が日常レベルでやってくる人間に、そんな言葉は通じない。
 例えばそれは、
 約束をすっぽかされた時の遠坂だったり、
 空腹時に稽古した時のセイバーだったり、
 うっかりミスした時の遠坂だったり、
 誰かと一緒に買い物に出かけた後の桜だったり、
 金の問題に悩んでる時の遠坂だったり、
 テンパッてる時の藤ねえだったり、
 なんか機嫌が悪い時の遠坂だったり、
 あととにかく遠坂だったり、って遠坂多いなぁ!

 ともかくそういった、こちらのあずかり知らぬ事情で機嫌が悪い相手への、
 俺なりの最上級の策がこれなのだ。
 なお、謝りつつも投影は維持しておくのがこの際のポイント。
 相手はこちらの誠意に関わらずガンドとか竹刀とか振るってくるしね!

「俺が触ったりしたことが不快だったのなら謝る!
 お前が望むならこれからは触れないようにするから!
 とにかくすまなかった!!」

「…………ふん、みっともなぁい。なんか気が抜けちゃったぁ」

 どうやら幸いにして、人形は興が削がれたようだった。

「本来ならその下劣さを、nのフィールドの彼方で反省してもらうんだけどぉ……」

 なにやら酷く気になることを口走りつつも、どうやら矛を収めてくれたらしい。
 ばさっ、と一際大きく翼が鳴ると、羽根の嵐は見る見るうちに大人しくなった。

「あなたは私の発条を巻いた人間……だから、一度だけ聞いてあげるわぁ」

 浮かんだまま近づいてくる人形。
 今のところ、攻撃する意思がないようなので、
 俺は間を隔てる『熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》』の壁を消去した。

「あなたが取れる二つの道、一つは私の手で死ぬこと。それが嫌だと言うのなら……」

 言いながら、人形は俺の目の前に降り立った。
 土下座の姿勢のまま頭を上げていた俺は、丁度人形と目線を同じくすることになった。
 目線が交わる境界線、そこに自分の左手を差し出して、人形は言った。

「この指輪に誓いなさぁい。この私、薔薇乙女《ローゼンメイデン》第一ドール、水銀燈の下僕となることを」

 左手の薬指。
 神話において心臓と直結していると謳われたその場所に、薔薇の指輪が光っていた。

「――さぁ。跪いて、お舐めなさぁい」


「水銀燈……って言ったか。その指輪に誓えば、許してくれるんだな?」

「ええ、そうよぉ。私にとっては不本意なんだけどぉ、下僕になるのなら許してあげるぅ」

「そうか……」

 悩むことは無い。
 そもそもは俺に非がある。
 ただの人形ならばどれだけ好きに触ろうと問題なかっただろうが、
 その人形が意志を持っていて動くことが出来るというのなら、話は別だ。
 知らなかったこととは言え、本人が動けないのをいいことに好き放題やってしまったのは完全に俺が悪い。
 それを考えれば、彼女……水銀燈の言葉に従っても構わないのかもしれない。
 俺は、ゆっくりと顔を上げて――

「――駄目だ。その命令は、聞けない」

 はっきりと、その提案を拒んでいた。

「……なんですってぇ?」

 水銀燈の顔が、見る見るうちに不快の色に染まる。
 ほんの少し罪悪感を受けながら、俺は土下座していた身体を立ち上がらせる。

「俺のほうに非があるのなら、お前のいうことを聞いてやるのも構わない。
 それこそ、大概のことは聞いてやる。
 けど、訳のわからないまま下僕になるなんて、俺には出来ない」

「……ふぅん、そう。つまらないプライドで死を選ぶと言うわけぇ?」

 突き出した左手を頭上にかざし、再び翼を広げる水銀燈。
 この距離では恐らく、瞬きする間に俺は黒い羽根の嵐に埋もれてしまうだろう。
 それでも俺は、水銀灯を見据えたまま言葉を続けた。

「プライドとか、そんな格好いい理由じゃない。
 俺がお前の下僕になれない理由はな、水銀燈。
 もっと単純で、どうってことのない理由なんだ」

 それは衛宮士郎にとって、もっとも重要な瑣末事。

「このままお前の下僕になってしまえば、正義の味方になれないだろうから」

 それが理由。
 そんな子供でも口にしないような理由で、俺は一つの道を拒んだ。
 
「はぁ? なぁに、それ。意味が判らないわぁ」

「うん、つまり……俺はね、正義の味方になりたいんだ」

 どこかで困っている人が居たら、その人を助けてあげたい。
 不幸な人が居たら、幸せになって欲しい。
 そういうことが出来るような、正義の味方になりたいと。

「そのためには、お前の下僕になるわけにはいかないんだ」

 だから、お前の命令は聞けない。

「…………あなたイカレてるわぁ」

 心底呆れたように、水銀燈がポツリと言った。
 イカレてる、か。
 多分その通りなのだろう。
 この年で正義の味方を口にすれば、そう言われて当然だ。
 だから。

「そうかもな。でも、イカレた奴にだって、憧れたものはあるんだよ」

「…………憧れた、もの?」

 ――そのとき。
 水銀燈の目が、弾かれたように見開かれたように見えた。

「ねぇ。あなたは、自分が――」

 水銀燈が口を開きかけた、その時。

「――シロウ? こちらにいるのですか?」

「えっ!?」

 この声は……セイバーか!?
 土蔵の外からこちらに向かって近づいてくる足音。
 扉は閉めてあるので姿は見えないが、間違いない……我が家の騎士王がやってくる!

「せ、セイバー? どうしたんだ?」

「いえ、シロウこそ、一体何をしているのですか?
 庭の様子を見る限り、掃除の途中と見受けましたが……」

 そういえば集めた落葉はそのままだし、箒は玄関に立てかけたままだったような。
 確かに不審がられても仕方なかったかもしれない。

 セイバーはすぐそこまで来ているようだ。
 時間が無い。
 俺は――

 とりあえず、俺が一人で応対することにしよう。
 いきなり水銀燈と対面させると、恐らく俺にとってあまりよろしくない状況になる。
 そう判断した俺は、水銀燈に「悪いけど、ちょっと待っててくれ」と言い残すと、
 素早く土蔵の扉を開いて、隙間から抜け出るように外に出た。

 後ろ手で再び閉めると、目の前にはそんな俺の挙動を「む?」といった様子で眺めているセイバーが立っていた。
 セイバーはいつもと同じブラウスに青いスカート、という出で立ちで、
 手には先ほどまで俺が使っていた箒が握られていた。
 恐らく玄関に立てかけてあったものを拾って持ってきてくれたのだろう。

「すまない、セイバー。それにしても、よくここだって判ったな?」

「先ほど、シロウの気配がこちらへ向かったのを察しましたので」

 げ。
 どうやら剣の英霊さんには、土蔵にいることはとっくにばれていたらしい。
 自分のスニーキングスキルの未熟さを嘆くべきか、
 それともセイバーの気配察知スキル高性能さに感嘆するべきか、判断に迷うところである。

「ですが、たった今、玄関を見てみたらこの箒が置いてありました。
 ……シロウ、掃除の途中で土蔵に閉じこもって、一体何をしていたのですか?」

「あー、いや、その」

 さて、一体なんと言ったものか。
 なんとかして上手い嘘を考えるべきか、それとも正直に告白するか。
 どうするか決心のつかないまま、俺は口を開いた。

「実は、庭の掃除をあらかたやった後、
 ついでだからってことで玄関まで手を伸ばしたんだけどな。
 そうしたら玄関先に――」

「実は……遠坂のツインテール部分が落ちてたんだ」

 ……はて?
 俺は一体ナニを口走っているんだろう?

「……はい?」

 セイバーの目が思わず点になる。
 そりゃそうだ、なにせ言ってる俺にだって意味がわからない。

「それは……凛の髪の毛、ということですか?」

「いや、そうじゃなくて。ほら、遠坂の頭の両隣にくっついてる二本のアレ」

 しかしもう後には引けない。
 俺は自分の頭の両脇をちょいちょい、と指差してツインテール部分をジェスチャーする。
 当然のごとく、セイバーはジト目で俺を睨んできた。

「……シロウ。いくらなんでもそんな荒唐無稽な話を信じるとでも?」

「俺もそう思っていたんだけどな……甘かった。遠坂のあの部分な、分離できたんだよ」

「なにをバカな……シロウ、いい加減に――」

「いや、でもほら、遠坂だし」

「む……確かに凛ほどの魔術師ならば考えられなくはないですが……」

 うわ、なんかセイバーが一転して信じるほうこうで考え始めてる!?
 自分で言い出しておいてなんだけど、信じるか普通!?
 あ、でも以前桜が遠坂からの脅迫状を見つけたときも同じようなリアクションしてたような。
 恐るべし遠坂の説得力……!

「それで、流石にそんなものを放っておくのは不味いだろ?
 それに、どういう理屈で取り外せるのか興味もあったし」

「も、もしや、土蔵に篭っていたのはそのため……!?」

「うむ。『解析』してみた結果、アレは単体での行動が可能な上に、
 片方で魔力20%アップ、両方で40%アップ、おまけに清潔水洗いも可だ」

 ああ、もはや自分でも何を言っているのか判らない。
 しかもだんだん本当にそうなんじゃないかって思え始めてきたのが恐ろしい。

「なんということだ……あのお下げにそんな秘密があったとは……!」

 セイバーもとうとう本気で信じてしまったらしく、深刻そうな顔で俯いている。
 真面目な性格だとは思っていたが、ここまでとは。
 正直、良心がチクチクと痛い。

「で、そのお下げは何処に……!?」

「いや、実はついさっき土蔵の窓から外に飛び出していっちまった」

「なんですって!?」

 ひとりでに窓から脱走するツインテール。
 想像してみただけで、かなりシュールな光景である。

「すまないがセイバー、探すのを手伝ってくれないか?
 なるべく他人に知られないように頼む」

「判りました。早急に見つけ出しましょう!」

 言うなり、あっという間に駆け出していく。
 すまん、セイバー。
 遠坂のツインテールが見つかる確率は、ツチノコよりも低いんだ……。

 ……さて。
 何故だか知らないが、死刑執行書に自らサインをしてしまった気がする。
 一抹の不安を覚えながら、俺が土蔵の中へ引き返すと……

 土蔵の中に入ると、はたして水銀燈は其処に居た。
 もしかしたら、セイバーと話しているうちにどこかに行ってしまうのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。

 ひらり、と一枚、黒い羽根が綿雪のように舞い落ちる。
 その奥で、水銀燈はこちらに背を向けて立っていた。

「…………」

 それは一枚の絵画のよう。
 窓から差し込む日光に照らし出された黒い翼。
 背を向けたまま黙して立つその姿は。
 まるで、天使のようだと言ったら……笑われるだろうか?

「……ねぇ、人間」

 沈黙が、水銀燈自らの言葉で破られる。
 顔は、未だにこちらを向かない。

「なんだ? ……いや、その前に俺、名前を」

「ここにある色々なもの、一体なんなのぉ?」

 名前をさっき名乗ったよな、という俺の言葉は、
 水銀燈の更なる問いかけによって封殺された。
 ちょっとへこむが、気を取り直して水銀燈に説明する。

「ん、まあ……ガラクタの山だよ。中には壊れていないものも混じってるけど」

 土蔵の中身は、二つに大別される。
 直したらまた使えるかもしれない、と俺が持ち込んだものと、
 なぜ置いてあるのか判らない出所不明の代物。
 後者については、持ち込んだ人物(虎)は判明しているが、持ち込んだ理由は不明である。
 ……そろそろまた若衆の人たちに引き取ってもらおうかなー、とか考えないでもない。

「ガラクタ……」

 その単語を呟くと、水銀燈はくるりと翻り、土蔵を一望した。
 壊れたラジカセがあった。
 冷たいストーブがあった。
 刻まない時計があった。
 歌わないスピーカーがあった。

「そう……これ、みぃんな、ジャンクなのね」

 果たして、その言葉にどれほどの意味と想いが込められていたのか。
 振り仰いでガラクタの山を見上げる水銀燈は、なぜか遠い目をしているように見えた。

「みんなみぃんな、イカレてしまった成れの果て。
 ここはまるで墓場《ジャンクヤード》ね」

 ……ふむ。
 水銀燈がガラクタに対して抱いている感情は、俺には全く知ることができない。
 だが、とりあえず間違いは正しておこう。

「別に墓場ってわけじゃないぞ、俺がちょくちょくいじって直してるからな」

 手近なところにあったカメラを手に取りながら言う。
 すると、水銀燈の首が、つい、と俺のほうに向けられた。

「……直している? あなたが?」

「趣味と実益を兼ねた労働、ってところか。
 直して使えば新しく買う必要もないし、なにより――」

「壊れたものを直すのは楽しいしな」

 達成感、と言うのだろうか。
 昔は義務感に似たものに駆られてやっていたこの作業も、
 最近は素直に楽しいと思えるようになってきた。
 これもひとえに、新しく増えたこの家の住人たち日々を過ごしてきたためだろう。

「俺にとっちゃ、ここは墓場どころじゃない、大切な『工房』なんだ」

「『工房』……」

 もう一度土蔵を見回しながら、水銀燈が複雑そうな声で言う。
 ……そうか、水銀燈も人形なのだから、どこかの工房で生まれたのかもしれない。
 となると、工房という言葉にはなんらかの愛着があるのだろうか。

「……さっきは聞きそびれてしまったんだけどぉ」

「ん?」

「ジャンクを直してるあなた自身は、自分のことをイカレてると認めてるのぉ?」

 さっき聞きそびれたこと、とは、恐らくセイバーがやってくる前のことだろう。
 確かに、俺は言った。

 ――イカレた奴にだって、憧れたものは――。

 新しい日常の中で、変わってきたものもあるが、変わらないものもある。
 俺という存在の在り方は、恐らく相当に歪なんだろう。
 故に、この身体は、きっと……。

「そうだな。俺は多分、どこかが壊れたままなんだろう」

「……自分でイカレてる、って言うなんて、あなた本当にイカレてるわぁ」

 ふん、と鼻を鳴らしたきり、水銀燈はそっぽを向いて黙ってしまった。
 そのまま長い沈黙が降りる。
 水銀燈はガラクタを観続けているし、俺は所在無くラジオを持て余している。

 ……埒が明かない。
 こうなったら、俺のほうから水銀燈に質問してみよう。

「なぁ。どうして玄関に落ちてたんだ?」

 一番最初に気になっていたことを尋ねてみる。
 もし持ち主がいたのなら、水銀燈ほどの貴重な人形を
 他人の家の玄関に落とすとは考えにくい。
 そうするとなにか理由があって置かれたということになるが……。
 しかし、水銀燈の答えは俺の予想を大きく外れていた。

「どうして、って質問は無意味だわぁ。
 私があなたに拾われたのは、必然だけど故意じゃないしぃ」

「必然だけど、故意じゃない?」

 一体どういうことなんだろう?
 水銀燈の入ったトランクが俺の家の前に落ちていたのは
 理由があってのこと、だけどわざとやったことじゃない……?
 いかん、頭がこんがらがってきた。

「すまん、俺にもわかるように説明してくれないか?」

「……面倒くさぁい。下僕になる気のない人間に話しても仕方ないじゃなぁい」

 どうやら説明する気がゼロの様子。
 よくわからないが、どうも俺の家の前に落ちていたことと、
 下僕になることとは関連性があるらしい。
 いやそもそも、水銀燈の言う下僕、という言葉が、
 本来の意味での下僕なのかどうかも疑ってみるべきだろう。

「話してくれたら気が変わるかもしれないだろ?
 内容次第ではどうにかしてやれるかもしれないし」

「……本当ぅ?」

「本当だって」

「……仕方ないわねぇ。お馬鹿さんのために、少しだけ説明してあげるわぁ」

 そう言うと、水銀燈はここに至るまでの所以を説明し始めた。
 相変わらず表情は変わらないが……実は説明したかったのか、水銀燈……?

「私たちは自らのミーディアムたりえる存在の元に届けられるわぁ。
 けれど、それを選ぶのは私の意志じゃなくて、メイメイの選定に任されているのぉ」

「メイメイ?」

「この子よぉ」

 水銀燈が軽く右腕を振るうと、そこに纏わりつくように光の結晶のようなものが現れた。
 光の結晶は掌まで到達すると、その上を無音で停滞する。

「これが人工精霊。
 この子の問いかけに同意した人間が、発条を巻くことが出来るのぉ」

 俺には光の結晶にしか見えないが、どうやらその人工精霊とやらは知性を持っているらしい。
 魔力で少し目を『強化』して見てみると、若干魔力を帯びているようだった。
 しかし、問いかけ?
 俺はそんなもんに同意した憶えは……。

 ――まきますか? まきませんか?

「あ」

 あった。
 偶然とは言え、血の印をつけてしまったあの謎のアンケート。
 どうやらあれが、人工精霊の問いかけというものだったらしい。

「そうして、目覚めた私たちは、ミーディアムになるにふさわしい人間と契約して、
 人間を媒体にして力を使うことが出来るのよぉ」

 媒体、ということは、人間の持つ魔力を人形に分け与えるのだろうか。
 ……ん?
 ということは、ひょっとして……。

「なあ、そのミーディアムってのは、さっきから言ってる下僕のことか?」

「その通りよぉ、お馬鹿さんの癖に察しがいいわねぇ」

 ……なるほど。
 水銀燈が言うところの下僕というのは、魔術師で言うところの パスを繋ぐことを指しているらしい。
 俺の知っている世界の言葉に置き換えられただけで、 随分話がわかりやすくなった。
 わざわざ下僕などという表現をしているのは……まあ、水銀燈の性格だろう。

「それで、どうするのぉ?」

 俺が独り納得していると、不意に水銀燈が尋ねてきた。
 しかし、主語抜きで言われてもなんのことだかわからない。

「え、何が?」

「……本当にお馬鹿さんねぇ。自分の言ったことも忘れたのぉ?」

 俺の言ったこと?
 ええと、まずなんで玄関にいたのか尋ねて、
 俺に判るように説明して欲しいと頼んで、
 そして……あ。
 もしかして、話をしたら気が変わるかも、って言ったことか?
 でもそうすると、水銀燈は俺の気が変わったか、と聞いているわけで、
 それはつまり。

「俺にミーディアムになれ、ってことか?」

「……ふん。さっさと見限って、新しい下僕を探しに行こうかと思ってたけどぉ……」

 気がつくと、水銀燈は俺の目の前に立っていた。
 左手の甲を差し伸べて、そこに光る指輪を見せ付ける。

「気が変わったわぁ。
 もう一度だけ、下僕になるチャンスを与えてあげる。
 この指輪に口付けなさぁい。そうすれば契約は結ばれるわぁ」

 魔術師とは、契約で生きる生き物だ。
 人間としてどれだけ相手を信頼していようとも、魔術師としての己は何者も信じない。
 魔術とは突き詰めれば孤独でしかない。
 故に、必要なのは信頼ではなく鎖。
 口約束から血の交わりまで、あらゆる鎖で互いを繋ぐ。

 まあ、半人前の魔術師である俺がそこまで深刻な契約を考えていたわけもなく。
 ただ単に、この短時間の中で感じた、水銀燈への好意の証として。
 俺は水銀燈の差し出した左手の指輪に、ゆっくりと軽く口付けをした。

 弾ける閃光。
 一瞬焼けるような熱さが俺の左手に走ったかと思うと、
 次の瞬間、俺の左手の薬指にも、水銀燈のしているものと同じ指輪が嵌められていた。

「……これでいいのか?」

「……ええ。これであなたは私の下僕よぉ、士郎」

 人間ではなく士郎、ね。
 どうやら俺と水銀燈の契約は、それなりに悪くない形で始まったようだ。

 ただ、このときの俺が考えていたのは、この一人の人形のことだけで。
 水銀燈が言った『私たち』という言葉の意味を知るのは、もう少し後になってのことだった。


『銀剣物語 第一話 了』

さーて、来週の銀剣物語はー?

 セイバーです。
 先日シロウの話を聞いてから、凛のお下げが気になって仕方ありません。
 あの後ひとりでに凛の元へ帰っていたようですが……むう。
 ところで、最近シロウは頻繁に土蔵に籠もっているようです。
 壊れたものの修繕にしては、回数が多いような気がするのですが……?

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最終更新:2007年01月18日 17:44