高山教区

(2011/04/11)
高山教区 東日本大震災を心に刻む集会 開催

高山教区では、「ひだご坊ボランティア委員会」を結成し、4月11日(日)に「東日本大震災を心に刻む集会」を高山別院で開催しました。
毎月20日に飛騨全域に新聞折込をしている教区の機関紙『ひだご坊』を繰り上げて4月4日に発行し、当集会を宣伝したこともあり、150名の方が参加しました。

日程は以下のとおりです。
○ 高山スタッフの現地報告
○ 被災地で救援活動を行った高山市消防署警防課長 ○○○○氏のお話
○ 被災され、高山に避難された○○○○氏のお話
○ 高山教区不遠寺就職の四衢亮氏のお話

また、ボランティアスタッフの募集と、お米の寄付のお願いもしました。
 3月22日から被災地に入った高山の○○○○氏からの現地報告では、「私たちは簡単に“瓦礫”というけれど、被災された方にとっては大切な家であり思い出なのです。偶然見つけた動いている自動販売機の缶コーヒーが温かかった。友人同士が震災後はじめて再会して抱き合う場面も目にした。普段当たり前にしている、家族や友人と会ったり温かいものを口にしたりということは、被災地では当たり前ではなかった。人に会いたい、ぬくもりが欲しいというのは、私たちのいのちの要求なのだということを教わりました」と話されました。

 次に、地震が発生した3月11日に救援のため被災地入りした高山市消防署警防課長の○○○○氏にお話いただきました。「道が寸断されている中、高山から15時間かけて被災地に入りました。私たち消防隊員は神でも仏でもないのに、皆さん頭を下げられ、手を合わせる方もおられ、ジーンときました」と話される○○さん。実際の救援活動は、ヘリコプターで生存者を捜した後、倒壊した家や車の中を一つひとつ捜していき、捜索が終わればヘリコプターからわかるように×印をつけていくそうです。
 被災地から高山に、4月11日現在で○○名の方が避難されていますが、宮城県女川町から避難されてきた○○さんと○○○さんの家族11名のみなさんに集会に参加していただき、○○さんからお話をしていただきました。1万人中、1300人が死亡・行方不明になっている女川町。地震が起き、経営していたレストランから店の裏にある駐車場に避難。雪が降ってきたので車の中にいると、遠くの電柱が次々と倒れ土煙が上がるのが見えた。「津波だ。逃げろ」と叫んで裏山に向かって走った。近くに止めていた車内にいた近所の5人も一緒に逃げたが、1人が助かったのみだったそうです。以前に高山に数回訪れたことがある○○さんと○○○さんは、高山に移り住むことを決心されました。○○○さんの息子さんは就職が、娘さんは高校編入が決まったそうです。女川町でレストランと民宿を経営し、高山でも同じ仕事をしていきたいという○○さんは、「生き残った私たちは、これから本当に大切に生きていかなければならないと思っています」と話されました。
 高山教区不遠寺就職の四衢亮氏からもお話いただきました。「今起こっていることを、“我が事”と受け止めているかどうかが問われているのだと思います。しかし、他人事にしてしまう私たちがいます。買いだめがそうです。買いだめをした人が悪いのではなく、他人の大変さを自分の不安にしてしまうのが買いだめで、それが私たち人間のすがたです。そういう私たちに、“我が事としているか”という問いかけが至り届いたとき、自ずと身の処し方が定まるのだと思います」と話されました。
 参加者にボランティアの募集をしたところ、たくさんの方が名のり出てくださいました。中には、被災地にはいけなくても高山でやれることをやりたいと言う方も多くありました。
また、お米の寄付を募ったところ、本当にたくさんのお米が集まりました。みなさんの意識の高さを感じました。

今後、ひだご坊ボランティア委員会では、協議しながら活動を継続していきます。


(2011/04/06)

高山教区では実行委員会による「東日本大震災を心に刻む集会」を開催します。
「東日本大震災を心に刻む集会」―被災者から私へ 私から被災地へ―
日時 4月10日(日)午後7時から9時ごろまで
会場 高山別院 御坊会館 入場無料
【4月4日発行の教区機関紙 ひだご坊より】

呼びかけ文
3月11日に発生した東日本大震災から3週間を迎えようとしています。
3月27日現在で死者・行方不明者は2万7千人を超えました。避難されている方は24万人。日々更新され、私たちはその数字の大きさに目を奪われます。
そんななか、連日、亡くなられた方の名前と年齢が、新聞で大きく報道されています。
名前は、他人と区別するための記号や番号ではないのでしょう。一人ひとりの名前には、必ず親や時代の願いが込められています。また年齢は、その名が呼ばれ続けてきた歴史、一人の人間が生きた証を表しています。津波にのまれそうになったまさにその時に、また変わり果てた家族や知人の姿を前に、それこそ幾千人の名前が、悲痛の叫びとなって呼ばれたことでしょう。その「重さ」を深く受け止め、心に刻みたいと思います。
震災報道一色だったテレビも、平常にもどりつつあります。テレビのスイッチ一つで、私たちは、被災された方々の現実から目を背けることも可能です。原発事故のニュースを放射能が飛騨に流れてこないかに関心を寄せて見ています。悲しいことに、人間は他人の悲しみに一時涙を流すことはできても、その気持ちを持ち続けることのできない存在なのでしょうか。

被災者から私へ、私から被災者へ。
今回の震災で亡くなられた方、避難生活を余儀なくされている方から、私たちはメッセージを投げかけられています。まずは被災者の願いに耳を傾け、それを具体的な行動に移すことで応えていきたいと思います。ここに、東日本大震災を心に刻む集会を開催します。
「東日本大震災を心に刻む集会」実行委員会代表 ○○○○

内容 
高山スタッフによる現地報告・活動計画 
福島県相馬郡新地町で救助活動された高山消防署警防課長○○○○さんのお話 
宮城県女川町から高山に避難をしてみえる○○さんと○○さんのお話
高山一組 不遠寺住職 四衢亮さんのお話
物資 被災者支援の一助として、被災地に届けるお米を募っています。集会当日も受付ますので、ご協力をお願いします。
最終更新:2011年04月11日 20:49
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