ゆっくりとわたくし いつまでも同居人 上

 …バイトを、雇われた。
 何でも、とあるゆっくりの最期まで一緒に居て、見届けてあげればいいらしい。
 大体、一・二週間くらいの命と言う。

 正直に白状すると、私はこの様な仕事が苦手だ。理由は、そっけなくなるから。
 私は今回の雇い主にその旨を伝えたのだが、

『構わない』

 …と、軽くあしらわれてしまった。
 どういう事だろう。別に、ゆっくりの最期を見届けてあげるだけだなんて、それこそ知り合いの動物好きにでも頼めばいいじゃないか。
 疑問を胸の内に抱きつつも、この仕事をこなさないと生活費が払えないのも確か。
 嫌々、仕事を引き受けた。
 そして、今日。そのゆっくりが私の家に運ばれてくるらしい…。





 無機質な、冷たい響きに聞こえる音のインターホンが、マンションの部屋一室に響き渡る。
 私はその時、日差しの当たる和室の壁に寄りかかり、外の景色を眺めていた。

   曇天の空の下に広がる、面白みの無い世界。

 つまらなくは無い。
 しかし、それを上回って、面白みに欠けているのだ。
 田舎から上京して半年。情けない話、親を安心させる為に家を飛び出したのに、いつ切れるかわからない派遣業務にすがっているだなんて。
 元々、私には趣味だなんて高尚な物は持っていなかった。
 興味が沸かないという理由、そして、人付き合いが苦手だからだ。
 …私は一人、円状の掛け時計から虚しく反響する針の音を聞いている。

『…もしもし。私、今回仕事を依頼した責任者です。ゆっくりを預けに来たので、開けて貰えますか…?』

 …留守だとは、思わないのだろうか。
 リビングの壁に設置されたドアホンから、今回の依頼主だろう人の呼び掛けが聞こえて来る。
 一般のドアホンと違い、ドアホンから受話器を取らなくても声が聞こえるというのは大変便利なのだろう。
 されども、正直私の性分からすると、ただありがた迷惑なだけである。
 …こんな所で、愚痴を吐いても仕方無いのだけれど。
 仕方なく、日当たりの良い和室から重い腰を上げて、フローリングの床を歩き玄関前まで行く。
 チェーンと鍵を外し、ドアを開けて依頼主の人に対応する。

「…初めまして。先程も申しましたように、今回の仕事の依頼主です。今回、最期を見守って欲しいゆっくりを持って来たので、お預けします」

 依頼主の人が地面に置かれている動物用の籠の金網扉を外し、ゆっくりを外に出させてあげる。
 ゆっくりの種類は、れいむだった。
 肌のつや、色合いから見るにとても一・二週間で死んでしまう様には見えない、健康な体をしている。
 素人目から見ても、だ。
 表情はこの場に慣れない為か暗くおどおどしているもので、顔色から過ごした環境を察するのは難しい。
 しかし、とてもじゃないが、私は動物と二ヶ月三ヶ月も一緒に居られる様なお人好しでは無い。
 長居させるような事は、お断りだぞ…?

「…大丈夫です。仮に、この子がずっと元気でいられたら、連絡してくだされば引き取りに行きます」

 私の考えを読んでか、凛とした声色で依頼主から先を告げられる。
 なんでだろう。なんで、この人はゆっくりが居なくなると、断言するような口ぶりをしているのだろう。

 …依頼主の人のイメージは私の想像していた、見るからに無頓着で世話の出来ない人のイメージとは違っていた。
 黒髪を後ろでまとめ、引き締まった顔立ちをしている、堅そうな人物。
 まるで恐い女医さんの様な人だった。
 女医さんだと思った理由の大体は今現在依頼主が白衣を着ていて、縁の細いメガネをかけているからなのだが。
 …しっかりしていて、とても世話を投げ出す様な人には見えない。
 沢山の人々と関わっていると、世話をするのが苦痛になるのだろうか。

「ゆぅ~…。この人がおねーさんの言ってた、れいむの新しい飼い主さん…?」

「ええ、安心して過ごせるわよ」

 不安そうに私の顔を見上げるゆっくりに、依頼主が優しく微笑みかける。
 私には、その微笑みが愛想を尽かせた、偽りのものには見えなかった。
 母の様な、慈しみを持った微笑みに見えた。…仕事が、どうしても忙しいのだろうか。

「…れいむ、あのおねーさん恐いよ」

「!」

 ゆっくりが、ふいに私に対する感想を呟いた。
 …私は、少なからずショックを受けた。

「…れいむ。あなたが恐い人と思って接するのは自由だけれど、それでは良い関係を築けませんよ。おのずから、進む事です」

「だ、だって…」

「他の人に、最初かられいむは嫌なゆっくりだと言われたら傷付くでしょう? あなたの呟いた事は、最低な事です。…さあ、行っておいで」

 ゆっくりがやや悲しそうな、ある意味悲壮といえる目付きで元の飼い主に注目する。
 そしてすぐに私に振り返り、ゆっくりは『宜しくね、おねーさんっ!』と私に喋り、笑い掛けてきた。
 この笑顔から推測しても、…それは、後ろめたい所はどこか感じるものの。
 悪い環境で過ごしたものとは思えなかった。
 先程恐い人と言われてむっと来たが、話によるとこの子はすぐに寿命を迎えるんだ。
 出来る限り、苦痛を与えないように意識をしよう。
 それが、私ができる、せめてものいたわり。
 私はゆっくりを家にあげて、招待する。依頼主は、会釈をして籠を持ちすぐどこかへ行ってしまった。




 廊下を歩き、ゆっくりをリビングにまで招待する。
 このゆっくりはリビングより今なお日当たりの良い和室を気に入ったみたいで、すぐに和室まで跳ねて行くと、日の当たる場所にのぺーっとひなたぼっこを始めてしまった。

 …今回、私と依頼主は、お互いに名前を知らない。
 名前を伏せたまま仕事をしているのだ。私は単純に、名前を知られたく無いから伏せている。
 …それでも、苗字は家に来て貰うため知られてしまったが。
 気持ちを察してくれたのだろう、一回も苗字を言わないでくれた。
 依頼主にも、何か名前を知られると不都合があるのだろう。
 別に、いいのではないだろうか。…ただ、なんと無責任な。
 果たして、名前も明かせられ無い様な奴に、大切なペットの世話を任せてもいいのだろうか。
 一番の被害者は、このゆっくりであろうに。

「ゆ…、おねーさん。れいむ、お腹減ったよ…」

 考え事をしていると、れいむがおずおずと尋ねて来た。
 時間にして昼頃、確かにお腹が空いてくる頃かも知れない。
 昨日、宅急便で二個ほどの段ボールに入った様々な荷物が送られて来た。
 中は確かめて無いが、恐らくその中にゆっくり用のフードがあるのでは無いかと考える。
 連絡先が書いてある紙、ガムテープを剥がして段ボールを開ける。
 すると、すぐ手元に取れるところに、見事ゆっくり用のフードを見付けた。

 私は、それをむんずと片腕に抱える。食器棚から皿をテーブルに置き、用意する。
 フード袋の端を電話近くに置いてあるはさみを手に取って、切る。皿の上に、そこそこの量のフードを盛ってやる。
 皿をテーブルから地面に置いて、ゆっくりを誘導する。ゆっくりは、日向ぼっこをしていた様子からこちらに振り返ってきた。
 …この量の調子で餌を与えていると、とてもでは無いが二週間も持ちそうに無い。
 しかし、このゆっくりは死期が近いのだ。
 …足りなくなったら、私が買い足せばよい。その位は、私だっていたわってあげられる。

「…」

 しかし、ゆっくりのれいむはというと、フードに対して唖然とした表情をしている。
 そして、ゆっくりが話し掛けて来た。

「…れいむは、おねーさんと同じ様な食べ物は、食べられ無いの?」

 ゆっくりが、さも当然の様に。
 それを不思議に感じるかの様に、問掛けて来た。
 こいつは、何から私の食べ物の事を推測したのだろう。
 …恐らくだが、前の飼い主がゆっくりの餌に、きちんとした料理を用意してあげていたのだろう。
 贅沢な話だ。流石に、資金的な意味でそこまでゆっくりに労ってあげる事はできない。
 フードも用意されていたし、別にいいのだろう。
 何かあれば事前に言われている筈だ。
 そこまで愛情を注いだのなら、尚更最期が近いのなら。
 一緒に居てあげればいいのに。それこそが、こいつにとっての最高の…、いや。
 だからこそ、疲れてしまったのかも知れない。労ってあげよう、とにかく私に出来る事はこのゆっくりを見届ける事のみだ。
 ゆっくりは、最初は戸惑っていたものの、次第にガツガツと用意したフードを食べ始めた。






 夕方になり、町全体が鮮やかな朱色に染まる。
 ビルも、公園も、道並木も。
 しかし、代わり映えの無い生活を送っている私には関係の無い話である。
 もうそろそろ、夕飯時になるか。…なんだか今日は料理をするのがおっくうに感じるので、適当にコンビニで弁当を買うことに決める。
 その前に、ゆっくりのれいむにご飯を用意してあげよう、…そう思った。
 まだ不馴れな手付きなものの、フードを皿に盛ってゆっくりに差し出す。
 ゆっくりは音に反応するものの、こちらに来る気配がない。
 …まあ、いいか。その内食べるだろう。
 外に出るため、地面から立ち上がったその時だった。

「…ゆ、ゆぅ」

 ゆっくりのれいむが淋しそうに、何か聞きたそうな微妙な表情を浮かべている。
 ゆっくりは外に出ようとする私を声で引き留める。
 そして、ゆっくりが私に喋った。

「…おねーさんと、一緒に食べたいな」

 せめてものと、眉を下げてゆっくりが話し掛けて来る。
 必死さというか、何か希望するものを感じたが、

「…なんで、一緒に食べないといけないの」

 …ペットと一緒に食事を取るほど、私は動物溺愛者では無い。
 むしろ、嫌いな方なのだ。
 仕方無いとはいえ、動物の世話をする仕事を引き受けただけ慈悲深いと言うものだ。
 このゆっくりは、あの飼い主に溺愛されて育って来たのだろう。それを、当然と思い込んでいる。 
 だったら、尚何故私にこのゆっくりの世話を任せたのか?
 流石に、大雑把すぎるというか、不適切では無いか?
 視野にチラと映ったゆっくりのれいむの姿は、ただただ悲しい目をして、用意したフードに喰らい付いていた。
 私は玄関の鍵とドアを開け、暖かく心地好いものの、…どこか冷えきった外に歩き出した。





 夜になった。田舎では外からりんりんと虫たちの合唱が聞こえる季節だが、生憎この部屋はマンションの九階にあるため辺りからはしん、とした静かな音しか聞こえない。
 部屋の中も嫌に蒸して来たので、換気扇を回して窓を少し開ける。
 春と夏の中途半端な風が心地好い。

 私は和室にてもう一つの手を付けていない方の段ボールを開けて、ゆっくりの寝床作成に忙しんでいる。
 どうやら柵の様な鉄ごうしを組み合わせて作るらしい。
 なかなか難しかったが、何とか形を作る事が出来た。
 柵部屋の下に時折郵便受けに入っている新聞紙と、コンビニに行くついでに買って来た毛布とクッションを用意して、完成。
 やや粗いものの、いざ出来てみるとそこそこ広く存分にゆっくり出来る環境であろう。
 …無機質で、檻の様なイメージを受けるのがネックだが。

 時間にして十時前。
 テレビのチャンネルを回すも、何が面白いかわからない話に笑いがはびこる番組ばかり。
 少し早い気もするが、ゆっくりも居る事だ。今日は、寝る事にした。
 早速出来た寝床にゆっくりを誘導して、入れさせる。
 充足感を感じてくれたのか、ゆっくりからは満更でも無さそうな様子が伺える。
 …不満に思われなくて、少しだけほっと安心したことは、内緒だ。
 一息ついたところで和室の押し入れから自分の布団を取り出し、ゆっくりのスペースと被らない様に敷いていく。
 明かりを消して、タオルケットを掛けて寝入ろうとした時。
 不意に、ゆっくりが檻越しに話し掛けてきた。

「…おねーさんと一緒に、寝ちゃあ駄目なの?」

 部屋内が暗く、表情は確認できない。
 しかし、か弱く細い声が、確かに私の耳に聞こえて来た。

「…一緒に、寝てるじゃない。近くに」

 …自分でも、こいつの主張したいであろう意図はわかっている。
 ゆっくりの言いたい事は、そうでは無いのだろう。
 一緒の布団に入って眠りたいと、そう言っているのだろう。…ならば!
 飼い主は、なんと無責任な! こんなに、溺愛をしておいて! 

 …いや。それもそうだが、思い返せばゆっくりが言うお願いや問掛けは、すぐに満たしてあげられるものだった。
 しかし、何だと言うのだ。
 私の仕事はこのゆっくりの最期を見届けるだけで、決してわがままを聞いてあげる事ではない。
 餌や檻も用意されていたし、甘やかす様な指示も特に無かった。
 気にかける必要は、そもそもこれっぽっちも微塵も無いのだ。
 …これで、いいんだ。

 ゆっくりからの返事は特に無かった。
 ただ、部屋には静寂のみが振動して、響き渡っていた。





 ゆっくりと同居を始めてから、早くも三日が過ぎた。
 代わり映えの無い、特に着目する所も無い生活を送っている。
 一応、考えを改めて食事を取る時間は合わせる事にした。
 これによって、ゆっくりの気持ちが少しでも報われれば幸いだ。

 強いて言えば、時々ゆっくりが私に詰め寄って来る事だろうか。
 学生の時はどうだったとか、お外に行きたいな、等。
 一応、何か返事をしなければと焦繰感を感じたのだが、どうしてもそっけないツンとした返事しか返せなかった。
 その都度悲しそうに目を伏せるゆっくりの哀切な様子ばかりが、脳裏に焼き付いてしまう。胸に残るのは、自己嫌悪。
 …しかし、私にはどうしようも出来ない事だ。
 これは仕事なんだ。気に病む必要はない。
 それに、責任はどう考えても、依頼主にあるのではないだろうか。

 そうだ。気にする事はない。私には、そうだ。
 このゆっくりと、当たり障り無い生活を、そう、送る事しか、…。

 …出来ない。


「…ゆう。ねえねえ、おねーさんっ!」

 …懲りないのだろうか。傷つき、疲れ果てないのだろうか。
 ゆっくりが、私に話し掛けて来た。
 …口が悪いが、このゆっくりには、学習能力が無いのだろうか。
 話をする度に傷付く思いをしている筈なのに、何故この子は諦めずに、私と関わりを持とうとするのか。
 疑問に思うが、解明したいとも思わない。
 私はいつも通りに、ゆっくりから顔を背けて無視をする。…しかし、今日のゆっくりは違った。
 いつもだったら諦めて和室の寝床へと戻って行くのだが、今日は逆に友好的に擦りよって来たのだ。

「ゆっ、ゆ~♪ れいむとおねーさん、仲良し♪」

 れいむが背中に体を擦り寄せて来る。…何が、仲良しだと言うのか。
 沸々と、腹の底から我慢していた感情が、滲み漏れていく様に感じる。
 …お前に何がわかると言うのだ、憎たらしい…。

 憎たらしい!

「あっち行ってろ!」

「ゆぎっ!?」


 …手に、柔らかい感触がした。
 右腕は、さっきまでこいつが居た場所に、震えながら止まっていた。
 …気が付いた時には、後の祭だった。

「…ゆ、ゆあ、ああああ」

 ゆっくりが、倒れていたリビングの中央辺りから起き上がり、私を見て後ずさりをして、部屋の隅で体を縮こませ震えだしてしまった。 
 私はゆっくりに近づく。ゆっくりは、『こないで!』と甲高い声で私を拒否し、背中を向いて一層私に対する恐怖をあらわにした。

 …擦り寄ってきたゆっくりが、少しうっとおしかったからといって、…思いきり手で払い除けてしまった。
 もう一度、謝ろうとゆっくりに近付く! 
 しかし、ゆっくりは部屋の隅からひっと怖じけついた様子でじりじりと私から離れ、ついには玄関のドア前まで駆け込み、『出して! 出してよおっ!』とドアに向かい体当たりを始めた。

 …それほどまでに、このゆっくりを、パニック状態にさせてしまったのか。
 私は、なんて事を…。





 一週間が過ぎた。
 ゆっくりを手で払い除けてから、仲を修復出来ずにいる。
 餌も余り食べなくなり、やつれて来た様に思える。
 一度、一緒の布団で寝ないかと提案したのだが断られてしまった。
 一応、時々ゆっくりが私に話し掛けてくる事がある。
 なるべく、意識して受け答えをする様になったのだが、…日が経つに連れてゆっくりの言葉が舌ったらずになっていく事が気にかかる。
 果たして、ストレスが原因か何かの症状だろうか。
 このままだと、このゆっくりは…。







 ある日、私が家に帰るとれいむがただ一人リビングの隅で泣いていた。
 『ゆっ、ぐっ』と、声を噛み殺しながら体を震えわせていた。
 私は居ても立ってもいられなくなって、…私の家だというのに、思わず外へ出てしまった。
 …私は、そこまで酷い事をしたのだろうか。
 そこまで、れいむを傷付けてしまったのだろうか。
 れいむを、愛でてあげられなかったのだろうか。











 れいむは日に日にやつれて来ている。
 ストレスが溜って、今に噴流してもおかしくないという様子が、私ですら分かる。
 …私は、何をしているんだ! このゆっくりは、まもなく、ひょっとしたら…!

 …心の内で葛藤するも、行動に移せぬまま。
 後悔は大きく、募るばかり。洗面台で自分の顔を覗くと、私まで痩せこけてきている様に見える。
 どうしよう、どうしたらと悩むも行動に移さない臆病な私に、不意にれいむが話しかけてきた。

「…ゆっ」

 …やはり、本能的に警戒しているのだろう。
 どこか距離を取った場所から、れいむが話し掛けて来る。

「れいむ、おねーたんとゆっくちちたいよ…」

 れいむは、悲しい目付きで。
 ゴミの投棄場に棄てられたの動物の様に、不安そうな瞳を浮かべ、私にそう言った。

「…、れいむ」

「…れ゛い゛む゛、も゛っ゛と゛お゛ね゛ー゛た゛ん゛と゛関゛わ゛り゛た゛い゛よ゛…゛!゛!゛!゛」

 涙ぐんで震えるれいむに、ハッと。今までの私の行動全てが、脳裏で鮮明によぎった。
 本当に今更、気付かされた。
 遅かった。なんで、もっと早く気付けなかったのか。

 ただ、払い除けられた事だけが悲しいのではない。
 れいむは、今までの積み重ね、今までの生活全てが、




   私は、なんて最低な事を――――!





「…ごめん」

「…ゆ゛」

 諦めたのか、れいむは肩を落とした仕草で用意した寝床に向かって行く。

 …待ってくれ、待って!
 今、ここで言葉にしなければ、機会は!
 私は、私は―…!

「…ごめ゛ん゛ね゛、気゛が付゛い゛であげら゛れ゛な゛く゛で、本゛当゛に゛ごめ゛ん゛ね゛…゛!゛」

「…ゆ゛、う゛?」

「も゛う゛そ゛っ゛け゛な゛く゛し゛な゛い゛か゛ら゛!゛ ご゛飯゛も゛一゛緒゛に゛食゛べ゛る゛か゛ら゛!゛ もう離゛ざな゛い゛から、だから、ごめん、ご゛め゛ん゛…!」

「…お゛ね゛ー゛、たん…?」

 今更、本当に今更。
 ずっとそっけなく、腫れ物の様に接して来てなんと言ういい草なのだろう! 
 …私は、とことん最低だ。れいむに、謝るしかない。
 許すかどうかじゃなくて、謝るしか、無い…。
 溢れでる気持ちをそのまま言葉に換えて、れいむに伝えた。
 …れいむが、泣きくじゃる私の側にまで寄って来た。

「ゆっくちちていっちぇね!!!」

「…゛!゛」

 そして、こう言ってくれた。
 散々邪険にしてきた私に、さも当然の様に、こう言ってくれた。
 胸の奥から、ぶわっとごちゃごちゃ気持ちが溢れてきて、一度はなんとかまた奥に押し込めた。

 …それが、何回も私の中で続いた。
 とうとう溢れでる感情を抑えられなくなり、…れいむを抱き締めてわんわんと泣いてしまった。
 恐らく顔がぐちゃぐちゃだろう私に、目からでる涙を付けられて抱きかかえられても、れいむは嫌な顔一つしないで、私の頬にすりすりと静かに擦り寄ってしてくれた。
 『これからがあるよ』とも、言ってくれた。

 れいむ、お前は、なんでここに来たのだろう。
 私みたいな、奴に。…なんで、気付いてあげれなかったのだろう。

「おねーたん、もう泣かないで…」

「…あ゛、あ゛う゛、え゛…゛! ご゛め゛ん゛、ご゛め゛ん゛ね゛…!」

 鈍感で、愚直で、馬鹿な私には、とにかく謝りの言葉を口にするしか無かった。
 後悔ばかりが募る。…視界がぼやけていて良く見えないが、れいむの表情は一般のゆっくりと変わ らない、やけに自信たっぷりのふてぶてしい表情をしているかの様に見えた。







「…んん」

 朝だ。窓から不器用に覗む朝焼けが、和室を所々に照らしている。
 丁度顔の部分を照らされたので、反射的に起きてしまったという訳だ。
 昨日は蒸し暑かったのでタオルケットをお腹にかけて寝た。
 タオルケットを少しずらし、近くにいるれいむの様子を確認する。
 …れいむは私の懐に頬を擦り付けながらぐっすりと眠っていた。
 今までの生活が生活だし、気が抜けなかった分どっと疲れが来たのだろう、ちょっとやそっとじゃあ起きそうな気配もない。
 頭には、ちゃんとクッションをしていた。

 そっと、れいむの表情を伺う。
 今までずっとしていた、先や終わりが見えなくて不安そうに怯えていた表情では無く、安心したどこか力の抜けた、…ある意味まぬけな表情を浮かべて眠っていた。
 その様子に、私はほっと胸を撫でおろす。
 れいむの額の髪を掻き分けて、軽く触れる様にキスをする。…我ながら、なんて掌の返し様なんだろう。
 自分でもわかる理不尽さで、思わずくすくすと笑ってしまう。
 れいむが起きない様に再びそっとタオルケットをれいむのお腹にかけ直し、静かに寝床から立ち上がった。
 台所に行き、眠気冷ましにコップに一杯水を入れて、それを口に運ぶ。
 顔を軽く洗い、私は朝食作りに励む事にした。
 朝食と言っても単純なもので、パンをトースターに入れて焼きマーガリンを付け、あらかじめ用意してあるティーパックで出した紅茶をコップに注いだものだ。
 お好みでハムも付けられる。

 どうでもいいが、ティーパックの正式名称はティー『バック』で、パックとバックの意味合いや発音からの誤用なのだとか。
 …くだらない事を思っていると、チーン、と。
 少々大きめな音でトースターがパンが焼けた事を告げるベルを鳴らす。

「ゆうぅぅん、おねむ…」

 今の音はうとうとと寝ている身には辛いものだったのだろう。
 れいむが起きてしまったらしく、ぽよぽよとおぼつかない足取りでリビングに顔を出してきた。

「ゆうん。パンの焼けた、いい匂いがするよ…、ゆ! 食パンだあ、美味しそう! …、」

 れいむはほがらかな顔を浮かべるも、ペットフードの事が頭によぎったのだろう。次第に、俯いて陰りを見せた表情にしてしまった。
 …れいむは、いつもこんな表情をしていたというのか。
 私は何でそんな、非情な事をしていたのだろう。お金なんぞ、後でいくらでも入ってくるのに。
 …後悔しても始まらない。ともかく落ち込むれいむを元気付けるために、ほがらかにハキハキとした言葉を意識して、れいむに話しかける。

「大丈夫、れいむの分もちゃんとあるよ。今ならハムも付いて来ますよ~」

「ゆっ、本当!? れいむね、あのね、うんとね! ハムをね、二ちゅ、ふた、あううぅん…。乗っけて欲ちいんだ!」

 するとれーむは打って変わって、活発に体を動かして喜びを示してくる。
 発音がきちんと出来なくて戸惑うれいむ。…初めて、ゆっくりという生物に対する、可愛さを見出せた気がした。…確かに、可愛い。
 頬がでれっとにやけてしまったが、重大な問題が前に迫った。

「…二つ? ふ、二つ。財政難の私政府に、そんな圧迫する様な事を…」

「おねーちゃん、駄目?」

「…仕方ない。探ってみることにしよう」

 ハム、ちゃんとあったっけな。不安に思いつつ、なかったときの言い訳を考えながらハムを探す。
 冷蔵庫の中を確認してみると、確かにあった。ちょっとだけ、安心した。
 しかし、枚数は二枚のみ。…やむを得ない。
 泣く泣く今日はパンにハムを乗せず、マーガリンのみで食べる事となった訳だ。
 このハム結構高い奴だぞ、何でこんな事に、ああ! …れいむが喜んでくれれば、それでいいか。
 冷蔵庫を確認したところ、食材も少なくなっていた。後で、買い足しに行くとしよう。

「ゆっ! はむはむ、めっちゃうめえ!」

 れいむにハムを渡すと、ハムを口に加えながらすぐにテーブルの席にぴょんと飛び乗り、一度テーブルにハムを置く。
 パンの乗ったお皿の端を口で器用に加え、自分の近くにまで寄せる。
 その後、ハムをパンに乗せて食べ始めた。
 行動から察するに、『ペットフードにはこりごり!』と言った所か。れいむの背中からある種の執念の炎が見える。
 本当に、反省しないとなあ…。

「おねーちゃんは、パンにハムを乗ちぇ、あっ。乗せないの?」

 れいむが私に喋りかけてくる。
 話している途中に噛んでしまい、言い直す所がまた何とも可愛らしい。
 しかし、推測するに。ここでハムが無いからと言うと、れいむは遠慮してしまうだろう。
 何か適当な言い訳を付かなければならない、どうする…?

「ダイエット、してるんだ。あははは」

 見えすいた嘘を付いて、部屋一室には微妙な空気が流れる。
 心苦しい空間から逃れるため、一目散にパンにかじりつく。れいむからは、ジト目で見られている。

 …どうせ、普段から暴食で意味が無いだなんて知っていますよ。
 既にお腹ブヨブヨだなんて知っていますよ…。
 うう、目線が痛い。

「ゆーん、そういう事にしてあげるよ」

 れいむがジト目で私を注目しながら、そう告げる。
 果たして、どんな風に思われたことやら。

「…れいむ。私の私の喋り方は、恐い?」

 …会話は繰り広がっても、どこかぎこちない気が、雰囲気を感じる。
 そこで、私はれいむに問い掛けた。

「ゆうう? …別におねーちゃんの好きな方でいいよ!」

「どちらかと、言えば?」

「…恐い」

 …そりゃ、そうか。今までの生活だ、恐く無い筈が無い。
 表情から察してもまだ完全に怯えが抜けきった様子は無いし、こんな質問をする私が、最低だ…。

「…そう、あ、いや。そうですか。…この、喋り方はどうですか?」

「…さっぱり似合わない」

 れいむがげんなりした顔色で返事をしてきた。…。

「ゆうう、ちょんな、あう。そんな、おねーちゃんすねないでよぉ…」

「…ぷん」

「おねーちゃん、ごめんね…?」

「つーん」

 れいむがテーブル越しに謝ってくるけど、私はそんな甘い女では無い。謝罪と賠償を! …これは、違うか。
 そもそも、敬語にすれば何とかなると思っていた私が、馬鹿だった。
 安直すぎるか。けれども、一度始めた手前、私は諦め無い!
 …敬語で無くなるかもしれないにしろ、なんとかしてれいむに恐怖を与えない様にしてみせる。

「よしっ、れいむ! 朝食も食べ終えたし、買い物にでも行きますか!」

「ゆゆっ、買いもにょ? 行く行く、れいむも行くっ!」

 れいむがにこやかな笑い顔で、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねながら私に喋りかけてくる。
 食べ終わった空のお皿とコップの食器を洗面台のシンクに浸け、外に出るため和室に行き今着ているスウェットから普段着の柄の入ったTシャツとジーパンに履き替える。
 …れいむが、後ろから気になりますよと言わんばかりに覗いて来ていることに気が付いた。
 乙女の覗き見なんて、れいむはなんとハレンチな!
 昔はこれでもブイブイ言わせて…。

「おかえり、おねたん! くっく、はいて~」

「…え?」

「おねたん? ああん、ゆぅ~」


 れいむの口から発せられた言葉は、それこそものの数十秒前からは想像できない、幼稚な口ぶりのものだった。
 …これが、私のやらかした、弊害か。
 それとも、…。
 残された時間は、少ないのかも知れない。





「エベレーター、エベレター! きゃっきゃ!」

「エレベーターですよ、れいむ」

 マンションのエレベーターを降り、ロビーを出て久々に駐輪場にまで行く。
 なんだかんだで、しばらくの間れいむ漬けだったため、直に浴びる日差しが気持ちいい。
 れいむも同じ感想を持ったらしく、腕の中で元気いっぱいにはしゃいでいる。…もう少し早く、この感触を共有できたのなら。
 …後悔していても始まらない。自分の自転車を見つけ出し、鍵を開けてさっとれいむを前かごに入れる。
 れいむは『てまい! ちぇまい!』と不満を言いのたまうものの、満更でも無さそうに頬を赤らめて眉を強くする。
 なんだい、そこまで嫌でもないんじゃないかい。てやんでえ、と柄にも無く変な言葉をれいむに告げて、自転車に跨ぎスーパーへと漕ぎ始める。
 れいむから、顔をしかめられてしまった。照れ隠しに、自転車の漕ぐスピードを早くした。





 責任者は死期が近いと言っていた。しかし、れいむの様子から察するに、…。
 私がストレスを与えたから? れいむの体はすでにボロボロで、やってはいけないことをした為にこうなったのか?
 …あの人は、れいむに何を?

「にゃーにゃ、にゃーにゃー!」

 れいむがかごから暴れて何かを叫ぶ。
 危ないから静かにしていなさい、どうしたのだろうと辺りを見回す。
 すると一匹のぶちねこが、塀の上でのびをしながらひなたぼっこをしていた。
 れいむが暴れたのは、そのためか。
 まどろむ猫と反応するれいむ、どちらもキュートなものはある。しかし、ボトル2リットル分でれいむの方が可愛いと考える! 
 …何を、考えているのだろう。

 カーッと赤くなる顔をれいむに見られない様に、同時に危なくない様にうまくそっぽを向きつつ自転車を漕ぐ。
 何時しか、スーパー前にまで到着していた。
 設置された駐輪場に自転車を止め、れいむを抱えてスーパーの入り口へと向かう。
中 の様子を伺うと、時間が昼頃というのもあるのか店内にはあまり人がいなく、気軽に陳列された商品を眺める事が出来そうだ。

「じんにん、たまげに~!」

「にんじん、たまねぎですよ」

「てーしー、おねたん!」

「ティッシュですよ」

 外に並べられた商品に目をやってはどこで覚えて来たのだろう、もしくは元々持っている知識だろうか。
 名称を言ってはいちいち間違えて、次々と名前を挙げてゆくれいむ。
 そのれいむを見て受けた衝撃は、叶うならば近くの奥さん方全員に話しかけては伝えたい位! 
 腕で抱えたれいむをと頬にまで持ち上げ、軽く頬擦りをしていた時だった。

「お客様、成体のゆっくりを連れたご来賓はお断りしているのですが…」

 おばさんの店員が、私に尋ね話し掛けて来た。
 品はいいのだが、こう、陰湿そうな雰囲気というか…。
 この人には悪いが、一目見てあまり関わりたくない印象を受けた。
 面倒臭い、そう思った時だった。

「あー…? おばば、やーや! やー!」

「…え? んん、ええと」

「失礼します」

 おばさんの店員は面喰らった表情で、しかし店内にいるすぐに近くの店員とひそひそ話を始めた。
 大方悪口だろう、あの位の年頃のばばあは一番嫌いなんだ。
 自分に非は無いと思って行動する癖に、陰口だけは一丁前。
 挙げ句の果てには普段陰口を一緒に喋っている奴の陰口もする始末!
 理不尽で不愉快極まり無い、本当にペット持参禁止ならもっと注意しろっつーに、何ですぐ店内に引っ込んで話を始めるのか? 本当に意味がわからない!
 何を勝手にれいむを障害持ち扱いに! …、…。

 …そうなのだ。れいむは、しっかりとした成体で、今の状態。
 はたから見ればれっきとした障害を抱えている。
 …これも、私がしでかした事なのか。
 私は、大きな十字架を背負ってしまった、いや。
 背負うだなんて、そんな言い方は傲慢だろう。
 …とにかくれいむに何を出来るかだけを考えよう。
 れいむを、元気つける…。

「あ、うぼめし! ちゅっぱい、ひ~」

「…ふふっ」

 くすりと、笑ってしまった。同時に、なんだかどうでも良くなってしまった。
 れいむは、れいむなのだ。
 代わりは無い、ただ私が一緒に居たいかどうかだと考える。
 …仕事で、なければ。

「…おねたん、おねたん?」

「…ふふ。別のデパートに、行きましょうか」

 近場とは言え、もうこのスーパーには行かないだろう。
 駅の近くにきちんとしたデパートがあるので、そこで食材を買う事にする。少し遠いのが、ネックだが。
 駐輪場に向かい自転車のスタンドを起こす。
 れいむをかごに入れて、ここからだと尚更遠いデパートへ向かう。スタミナが持つか…、構うものか!
 私は怒り心頭に自転車のペダルを漕ぎ出した。





「う! いままきだす!」

「はい、いただきます」

 私とれいむは買い物を終えて、近くの土手にて金たこで買ったたこ焼きを食べている。
 買ってから土手に着くまでそこそこ時間がかかっているため、いい具合に冷めている頃だろう。
 ぱくりと一口、たこ焼きをついてきた串で刺し、舌で頂く。
 ソースの味を筆頭に外がパリパリした生地の味が絡み合って、たこが歯応えのいいこと! 
 美味しく頂いた。
 れいむも美味しそうに食べている、買って正解だった。
 もきゅもきゅと、目にスマイルを浮かべながら顎を動かすれいむ。
 すると不用意に口を開けているれいむが、何やら動き始める。
 道を歩いている様子だ、そんなことやっていると、口の中のたこ焼きが…。

『…ポロリ』

「…ん、ああー! れ゛い゛む゛の゛お゛ど゛っ゛と゛き゛が゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛」

「はいはい、まだありますよ。あーん」

「ん゛…、あーん!」

 案の定、たこ焼きを口から地面に落としてしまったれいむ。
 全く、そそっかしいんだから。串で穴を開け、あらかじめ冷やし用意して置いたたこ焼きをれいむの口の中に優しく入れてやる。
 れいむがゆっくり口の中のたこ焼きを消化できるまで、一緒に待ってあげる。
 どうやられいむはタンポポの近くに向かっていた様で、『ぽんたた、ぽんたた!』と私に大声で呼び掛けてきた。
 幼児時代、私も何かと名称を逆にして言うのが好きだったかな。
 嬉しそうに、花の抜けたタンポポの周りを跳ね回るれいむが目に移る。

「よく、これがタンポポだと分かりましたね」

 れいむを褒めてやり、頬を撫でてやる。
 れいむは気恥ずかしそうに目を反らし、すぐに言葉を私に言った。

「れいむ、えらいこ!」

「…偉い子」


  懐かしい、田舎に居た頃だった。
  れいむと、同じ位のゆっくりが、何気無く私に話しかけた時。
  あいつは、神社の


「…おねたん、あ~ぶじゅ?」

「…何を考えているのでしょうね。心配してくれたのですか? ありがとう、大丈夫ですよ」

 恐らく大丈夫? と聞いてくれたのだろう、れいむを抱き上げて頬を撫でる。
 たこ焼きを食べたとは言え所詮は間食、ただでさえ遠出をしているので、お腹が空いて仕方が無い。れいむも、同じだろう。
 私は急いで家に帰るため、再びれいむをせっせと抱え運び、かごに乗せようとする。

「おたづけ、おたづけ!」
「…ああ」

 食べたたこ焼きの容器を地面に放って置いたままだった。
 立つ鳥跡を濁さず、きちんと後始末はしないとと言ったところか。
 …偉いね、れいむ。小さい事に気が回るだなんてね。
 空のビニール袋に串と容器を入れ、右手に袋をしっかりと持って自転車の椅子にまたぐ。
 れいむをいいこいいことあやしてから、自転車を漕ぎ土手を下って行った。





 れいむの言う『じぞうはんばいき』でれいむはがんがんグルト、私はヤバリースを買ってマンションの部屋へと戻った。
 こきゅ、こきゅと一生懸命がんがんグルトを飲もうとするれいむだが、どうも一人では上手く飲めないらしい。
 ペットボトルの容器を持ってあげて、飲むのを手伝ってあげた。
 家の中に入ると、電話に留守電が入っていた。
 確認すると、留守電は一軒だった。昼頃に入っていて、出かけた直後に電話があったらしい。
 用件を聞くと、留守電主は今回の仕事の責任者だった。

『もしもし。留守電を聞きましたら、至急〇〇大学受付まで来てください。住所は、~』

「…へ?」

 …まぬけな、ふぬけた声を出してしまう。
 一抹の不安が脳によぎる。なんで、あの医者の人が、大学に?
 大学病院? いや、そうだったらきちんと大学病院と告げるはずだ。
 どういうことだ、数少ない私の知識をしぼり、可能性を詮索する。

  おかしいだろう。あの人をみるからに、医務系の仕事についているのではないのか。
  見た目では到底判断しきれないとはいえ、大学というのは条件が当てはまらないだろう。
  あの格好は、あの人の趣味? ありえない、何のために白衣を着て、何か意味が、



   ―――研究員?




「…―!?」

 まさか。いや、可能性はどれも低いけど、この可能性は他の可能性より少しは高い。
 もしそうだとしたら、今のれいむの症状について、何か知っているかも知れない。
 …『終末治療』だなんて、理由を教えられず押し付けられた理由が、わかるかも知れない。

「…れいむっ!」

 れいむは返事をしない。ただ、不安そうに私を見上げるのみだ。
 先程通った道を戻り、大急ぎで自転車に乗る。
 道のりなんて知った事か! 交番に聞けばなんか分かる、電車に乗って行くんだ、調べるだけ無駄!
 駅へ、駅へ! …気が動転しているのが、自分でも分かる。
 皮肉だ、しかし急がなければ、急ぎたい!
 信号も人混みもなんのその、とにかく駅へ駆けて行く。
 …駅へ駆けてからどうやって大学にまで辿りついたか、覚えていない。
 おぼろげに交番に顔を出したことは覚えているが、そこからは本当に急いでいた事ぐらいにしか意識にない。
 まばらに人がいるキャンパスを走り抜けて、大学の受付口へ駆け込む。
 『どちらさまですか?』と、受付の人は悠長に話し掛けてきた。
 いらつく、こっちはそんなのん気に対応されちゃ困るんだよ…!

「責任者を出せッ! 責任者の名前なんか知らねーよ、放送で流せばいいだろ? 私の名前は東風谷早苗だよッ、早く放送しろよオッ!」


  • 何だか悲しげな雰囲気が漂ってくる。でもそういうストーリーを構築できるくらいいいSS -- 名無しさん (2009-05-19 20:15:27)
  • 気分次第で突き放したり可愛がったり。感情が幼稚で不安定。些細な他人の言動にすぐキレ、心の中で暴言。時に口にも出してキーキー。今どきのモンスターペアレント、まんまですな。後半どう変わるのか、さて… -- 名無しさん (2009-07-24 23:46:01)
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最終更新:2009年07月24日 23:46