雨の匂い

ふと、並木を歩いていると、小学校からの下校中か。黄色のカバーで覆われた真新しいランドセルを背負ったゆっくりの子供が目に入った。体付きとそうでないゆっくりが居て、体付きゆっくりがれみりゃ、そうでないゆっくりがふらんの様だ。
この子供達は遠くから観察してみるに、何やら咲き誇る桜の木の花を花軸ごと取って遊んでいるみたいだ。用事はあるものの、とりわけ急がなければならないものでも無いので少し立ち止まり観察をする事にした。

「うー、ふりゃん! 春なんだどっ!」

体付きのゆっくり、れみりゃが叫ぶ。木の枝からむんずりと丸ごと桜の花を取り、もう一人のふらんに差し出しながら見せて笑いかける。
こらこら、むやみやたらに花を取ってはいけませんよ。
まあ、子供特有の感受性を妨害したくはないし、もっとこの様子を見ていたいから言わないけれど。
もう片方のゆっくりは体が無いためか花を取るのに悪戦苦闘している。木から少し離れ駆け上がり木に登ろうとするものの、うまく登れずに拗ねてしまったのかややふてくされた表情を浮かべている。
その様な様子のふらんを、れみりゃが『うー、元気だして!』とあやしている。しかし、どうもふらんの機嫌は直らないままでれみりゃはおどおどと戸惑うばかりだ。

…なるほど。れみりゃが花を差し出したのは、木に届かないふらんにあげるためだったのか。
しかし、いつまでもふてくされた様子を変えないふらんを見かねて諦めたのか、れみりゃは顔をうつ伏せてとぼとぼとおぼつかない足取りで前に進み始める。
そのれみりゃを見て、さらに涙ぐむゆっくりふらん。
置いていかないで、と言わんばかりにぴょんぴょんと跳ねれみりゃの背後を追い掛けようとするも、一重に決心がついたのか先ほどまでとは違ったどっしりとした腰構えでふらんが木に登る!
なんとか花の場所にまで届き、口で加えた! しかし、足場が無いためそのままどすん! と下に落ちてしまう。
音が聞こえたのか様子に気が付いたれみりゃが目をギョッとさせ、一目散にふらんに駆け寄っていく。
ふらんは打ちどころがまだ良かった方なのか、痛そうにしているものの問題なく体を起こす。近づいてきたれみりゃに笑いかけて、こう言った。

「うー、ふらんね、春をいっぱい取っちゃった!」


思わず、頬があがってしまう感触がした。













「うー! 雨なんだどっ!」

リビングに付いている窓越しから見せ付けるように、空からしとしとと嫌らしく雨が降り注いでいる。
むしむしとべたつく部屋内。湿気で曇った窓を指でなぞると、その部分だけ曇りが拭き取られ外の景色が鮮明にはっきりと映る。そこから外を覗き込むと、嫌にも曇天の空から打ち付ける雨が目に入った。
4月の陽気の面影も無く、まるで梅雨の時期に入ったかの様などこか寒気のする天気。窓に向かいほうっと息を吐くと、元々曇っていた窓が一層湿りを濃くし、窓全体を塗りつぶす。

雨は、嫌いだ。
洗濯物も干せないし、外に出かけることも出来ない。厳密には問題なく出かけられはするが、服が濡れるなどの面倒、デメリットを考えると動くのがおっくうになる。
誰とも会いたくなく、一人で居たい時なら雨でも気に障りはしない。しかし、あくまで気に障らないだけであって、好きだとか、好んだりはしない。
そのような時でも、どうせだったら気軽に動ける晴れの日の方が好きだからだ。
…雨だと、嫌にアンニュイな思考を巡らせてしまうという理由もある。目じりを指で潰し、手を額に当てて思考を切り替える。





…私の足元に座り、手のひら全体で曇った窓をなぞりきゃいのきゃいのとはしゃいでいるこの肉まんのおちびちゃん。どうやら、れみりゃは突然やってきた雨の訪れを喜んでいるようです。
私は、胸に抱いた疑問をれみりゃに投げかけます。

「れみりゃ」

「うー?」

れみりゃが私の呼び掛けに反応し、興味を示していた窓から視線と体を私に向けます。
もたもたと立ち上がり、そのまま倒れてきて私のお腹にぽふんと顔をうずめてすりすりと顔を擦り付けてきました。
一生懸命背伸びをしても、私の胸にすら届かない身長のれみりゃ。私はれみりゃに向かい立て膝をし、抱き締めてれみりゃの顔を肩に乗せて頬擦りをします。

「う、うー…。こしょばゆいど、おねーさんっ!」

「れみりゃは、嫌ですか?」

「う、うう…」

抱き締められた状態から顔を赤らめ弱い力で嫌々をするれみりゃでしたが、私が嫌かどうかを聞くと赤らめた顔色を一層赤くして俯き、体を私に預けるままにしました。
全く、素直じゃないんだから。れみりゃの頬を甘噛みしていると、恥ずかしさに耐えられなく逃げるかの様に私に尋ねてきました。

「うああ、おねーさんっ! おねーさんは、なんでれみぃを呼んだんだど?」

「…あ、えっと。れみりゃは、なんで雨が好きなのですか?」

「うー? 雨の匂いが、好きだからだどおっ♪」

れみりゃが体をよじらせてはにかみながら応えます。
…雨の匂い、雨に匂いなんてあったっけ? あるにはあるがどぶ臭く嫌になる臭いがして、どうも私は好きになれそうに無い。
れみりゃは、その様な臭いが好きなのでしょうか。

「ふりゃんも、雨が好きだどお♪」

れみりゃが、顔は私に向けたままぷにぷにの腕ををふらんの方に向けて喋る。ふらんは隣の和室で頭に枕、お腹にタオルケットをかけてすやすやと眠っています。
タオルケット1枚では寒そうな気もしますが、まだ春だと言うのにしばらく暑い日が続いていたし、ちょうどいいのでしょう。
気持ちよさそうに目を細めて、口を開けてぐっすりと眠るふらん。端からはよだれが垂れちゃっています。
んもう、はしたないですね。しかし、むにゃむにゃと小さな口を動かしている様子がとてつもなく愛らしいのもまた事実。タオルケットも崩していないし、そっとしておきましょう。

「う~…。おねーさん、れみぃの話無視する! ぷんっ」

「え、ああ、ごめんねれみりゃ」

無視したつもりは無いけれど、結果的に無視した事になってしまいれみりゃを拗ねさせてしまいました。
謝りの言葉を口にしてれみりゃの頭を撫でなだめますが、れみりゃは頬を膨らませツンとそっぽを向いたままです。
ううん、どうしよう…。

「…外ににいくど」

「へ?」

「外に出て、雨の匂いを探しにいくんだどっ!」

れみりゃはぽてぽてとタンス前まで歩き、引き出しを引いて中からレインコートを取り出しました。下のズボンを履き、上をそのままはおろうとしますが中々うまく腕を通らないみたいで、着るのに悪戦苦闘しているれみりゃ。
何も言わずれみりゃに近づきレインコートの襟袖を持って、手伝ってあげます。

「う、うああ…」

れみりゃは言い出しっぺなのにレインコートを着るのに手伝って貰ったことが恥ずかしいのか、目の力を弱めながら身をよじります。
そしてすぐれみりゃは玄関へと続くドアを勢い良く開け、玄関前まで走ります。

「うー! おねーさん、早く早くっ!」

「…はいはい、今行きますよ」

れみりゃは足をじたばたし、今すぐにでも来て欲しいという素振りで私に振り向き言いました。
んもう、少したりとも待てないのですから! ふらんが一人になるし、私自身寝巻きのスウェット姿だから着替える時間が欲しいのですが…。

「うー、早くっ!」

…子供に待たせる程罪な事はありませんね。人から甘やかしと言われるかもしれませんが、せっかくの外出で気を滅入らせるようなことはしたくありません。
和室に行きふらんに行ってきますの挨拶とキスをして、テーブルにメモがきを置く。リビングのドレッサー前に行き、サッと引き出しからハンカチとティッシュを取り出しポケットに入れて、髪だけ整えて玄関へと向かいます。

「はーい、今行きますよ! 先に長靴を履いて、外にでて待っていてくださいれみりゃ!」

お気に入りのかえるのブローチを髪に結わえながら、すっぽりと長靴を履いたのは良かったもののやっぱり鍵を開けるのに悪戦苦闘しているれみりゃ。
代わりに鍵を開けてあげます。その時に、私用の長靴を履いておきます。
れみりゃはまたもや恥ずかしそうにたじろぎ、後ろから私の腰にぽふんと、ぎゅう~っと抱き付いてきました。れみりゃの手を取り、空いている手でドアを開けそのまま傘を持ち私たち二人は外へ出ました。




「うあうあ、うーっ♪ 雨さんがいっぱいなんだどぉ!」

れみりゃはマンションを降りて外に出てからうきうきと元気いっぱいに辺りを跳ね回っています。私は傘を差していますが、れみりゃはレインコートを羽織っているため何ら問題はありません。
雨もどしゃ降りという程ではなく、変なたとえですが丁度いい具合の雨加減です。
行く道に水溜りを見つければ、わざわざジャンプして水溜りの中に入っていくれみりゃ。そのままパシャパシャと足を動かし感触や反応を楽しんでいるようです。
れみりゃの履いている黄色の長靴が自分の出番だと、誇らしげに光っています。
れみりゃがどうしてもとせがむから買ってしまったあの長靴、…正直出番が来て少しほっとしています。
まあ、買った一時でもれみりゃが喜んでくれれば良かったのですが。一応雨の日にはそこそこ使っているようなので新品と言えるほどピカピカでも無いですが、まだまだ新人、現役です!

「れみりゃ! 転ばないように、気をつけるのですよ! 振り向いたり、足元を見ていないときは足を止めるのですよーっ!」

「うあ? …うーっ!」

ほら、やった! れみりゃは私の方を振り向きながらも足を動かしているものですから、足を踏み外してしまいどってーんと大きな尻餅を付いてしまいました!
全く、言ったそばからやらかすなんてとんだお馬鹿さんなんですから! れみりゃは痛そうに打った腕を押さえて体を震わせながら目に涙を溜めています。
れみりゃの側に駆け寄り、ハンカチで涙を拭ってあげます。打った腕をさすってあげると、れみりゃは少し堪えた後、そんなの気にしないと言わんばかりに笑顔を取り戻しまた元気いっぱいに足をじたばたし始めました。
…私のそばで始めたものですから、私のスウェットはびしょびしょになってしまいましたが。

「…こぉるああああああ~! 私のスウェットに、何てことをするのですか~!」

「キャー、おねーさんくすぐったいんだどお~♪」

私はれみりゃの体全体をまさぐります。その度にただでさえ活発なれみりゃが動き回るので、バシャバシャとスウェットに水が掛かってしまいますが、後でクリーニングに出せばいいのです。
今は、遊ぶことが先決です!



「う! あそこにカタツムリさんがいるどぉ!」

今の時期にしては少し早い時期に咲いているあじさいの葉に、かたつむりが2、3匹乗っています。
れみりゃはあじさいに駆け寄り嬉々とかたつむりを観察します。つんつんとかたつむりの殻を突付いたり、葉っぱを揺さぶったり。
うーん、確かに幼児特有の多大なる物事の興味や感受性、微笑ましく思います。しかし、これは注意しないといけません。
れみりゃに目線を合わせるためひざ立ちをし、れみりゃに話しかけます。

「こら、れみりゃ。かたつむりさんをいじめちゃいけません」

「うあ、どうして? れみぃ、カタツムリさんをいじめてる訳ではないど?」

「例えれみりゃにいじめている気が無くとも、行為を受けている当人たちは嫌に思っているかも知れません。例えですが、私がれみりゃに良かれと思ってれみりゃに頬を叩くとしますが、れみりゃは叩かれるなんて嫌でしょう?」

「う? ううー…」

「端的に言えば、自分の嫌がる事を相手にやってはいけないのです。れみりゃはかたつむりさんにとってとてつもなく大きいのです、れみりゃもゴジラに突付かれたら嫌でしょう?」

「うー…。…うあ! れみぃは、自分がやりたいからやっているんだどぅ♪」

れみりゃは得意げに腰を振って私にダンスを見せつけます。
…全く、私の真似をして!

「どうせ、私が普段言っている事を適当に言っているだけでしょう?」

「う゛っ!?」

「…全く!」

私はれみりゃの頭を小突いてやります! …成長、なのかなあ。
子供は知らないところで、親を見て成長すると言うけど、ううん。感慨深いというか、れみりゃもただ日々を過ごしているだけではないんだな~、と、その…。
れみりゃは、あどけない表情で小さな舌をペロリと出しウインクをしてきます。さっきまでかたつむりが3匹乗っていた葉っぱには、新たにもう1匹かたつむりが乗っていました。
私はまたれみりゃの小さくてやわっこい右手を私の左手で包み、引き連れてあても無く次の場所へと歩き出しました。
傘にぶつかってパラパラと聞こえる軽く降る雨の音が、なんだか心地よく感じます。


「うーっ! 空が割れてるどお!」

…家に居たときには気付きませんでしたが、外に出て空を見上げると既に一筋の光が、覆っている雲の隙間から顔を覗かせています。れみりゃには、これが割れているように感じたのでしょう。
れみりゃは空を指したしたまま嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて、筋を追うように道路を駆けて行きます。
こらこら、車が来るかもしれないですし、危ないですよ。私がのんびりれみりゃの元へ向かっていると、れみりゃが立ち止まり『早く早く!』と急かして来ました。
…もう一度、空を見上げる。さらさらと小粒になってきた雨を、光が照らすように差してきて、くっきりと浮かび上がってきます。
雨の、匂いかあ。

「はーい、今行きますよ、れみりゃ!」

雨は、好きになれそうもない。しかし、…何らかのきっかけを作ってくれる。
どんどんと遠くなるばかりのれみりゃを追い、私たちは別の場所へ向かいました。





おまけ


「ぶぇっくしょい! ああん、喉が渇いたよ、ふらん…」

「ふんだ! ふらんを、置いて行くからだもんね! 風邪なんて引いて、当たり前だい! ふんだ、すんだ! つーん!」

「うええ、れみりゃ…」

「うああ、…zzz」

「ああん、頭が痛いよ、寝付けない、誰か、ああ…」


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最終更新:2009年04月25日 21:49