時間は午後を少し回った頃。
太陽は中天を通り過ぎ、後は沈み行くばかり。
だが、そうは言っても少しばかり沈んだところで熱がすぐに失われるわけではない。
昼下がりの太陽は、沈み行く事に抗うように眩く輝いている。
「ゆぅ~~~~……あづいよぉ……はやくかわいてね……ゆっくりしないでね……」
その日差しの下。
1匹のゆっくりまりさがいる。
ゆっくりにしては珍しく、どう考えてもゆっくり出来ない日差しの下で佇んでいる。
いや、ただ佇んでいるわけではなかった。
その目線の先、やや見上げる位置には黒いものがある。
それは帽子。
リボンの部分を紐で結わえられるようにして、ゆっくりまりさのトレードマークの三角帽が干されていた。
このまりさは、自分の帽子を見上げていたのだ。
帽子があるのははまりさの正面、しかし跳ねても届かない高さ。
イジメではない。
下にあるのは当然のように庭の地面。
もし、まりさが帽子が無い事に耐えかね、跳んで落とそうものなら今までの苦労が水の泡となる。
まりさの要求と、現実的な問題との妥協点が、この位置であった。
最初のうちは干す前の出来事も忘れて帽子に必死で飛び掛っていたが、それも暑さに耐えかねて見ての通りだ。
当然ゆっくりには帽子を吊るすなど出来ようはずも無いので、誰かがそれをやった事になる。
そして、それを実行した誰かはと言うと、
「暑いって言うな、かえって暑くなる……」
まりさの横でそれ以上に伸び切っていた。
いかつい外見の男がみっともなく寝そべっている様は、ゆっくりのそれ以上に暑苦しさを感じさせる。
まりさの要求とは「なるべくぼうしをちかくにおいてね!」というものだった。
普通、洗濯物を干すならば庭、それも日当たりのよい場所だ。
男の家の庭へと出る縁側に屋根が無いわけではない。
だが、それも直射日光が遮られたところで恐ろしく暑い、がとても暑い、になる程度。
暑い事には変わり無い。
本来ならば男が付き合う理由も必要もないのだが、その常ならぬ姿と無理やり洗うように仕向けた事もあって、どこかいたたまれなくなり付き合うことにしたのだ。
しかし、夏の日差しの中で、ゆっくり待つと言う行為が実際これほどの苦行とは。
想像はしていたが、それ以上に厳しい現実に男は早くも後悔し始めていた。
「これはゆっくりできねぇ……」
これならば、やはり疲れようとも動いていられる分仕事場の方がいくらかマシだ。
憎憎しげにその原因を見やるが、その男の視線も力無い。
男は喉の渇きを覚え、水差しを手に取った。
それもまた不愉快な暑さを手に伝えてくる。
表面の状態からすれば、中の状態も押して知るべし。
さりとて、水を替えに行く気力も沸いてこない。
妥協して予想通りぬるい風呂のようなそれを飲み、隣のまりさの口元にも運ぶ。
「ほれ、水」
「ゆ、ん……あついよ、おじさん……」
まりさも一瞬顔をしかめるものの、文句のキレもまるで無い。
片割れのれいむはというと、帽子の洗濯を見届けさせた後は大事を取って奥に引っ込めておいた。
報酬と言おうか、おかきを少しだけ与えておいたが、まりさの帽子についてはあれから特に何も言う事無く、いつものようにふんぞり返っている。
「気楽なもんだぜ……」
「ゆ? おじさんまだなの? はやくかわかしてね……」
「そうは言ってもな、こればっかりはお天道さんに聞いてくれや……」
一応律儀に立ち上がって確かめはするが、触ったそれはまだ湿気の残った感触を返してくる。
「ゆふぅん、はやくゆっくりしたいよ…………」
身振りでそれが判ったのか、さらにまりさは萎れていった。
それを横目に見、男も力尽きるようにそのまま寝転がる。
床板と背に挟まれて体に張り付く服と、汗で濡れた後頭部の感触は非常に気持ちが悪い。
そう言えば、ゆっくりとこうも会話をするのは初めての事だったか。
男は今更のように気がついた。
彼がこのゆっくり達を家の下で見つけてからはもう半月以上、一月近くになる。
その間、自身の信条に従ってほとんど接触すらしてこなかった。
それは、ある意味では不干渉ではなく無視や拒否だったのかもしれない。
今でも、心のどこかで厄介ごとを抱えてしまったという思いはある。
事実、今は毎日が面倒だらけだ。
だが。
男はまりさに背を向けるようにごろりと向きを変える。
会話があると言うことそのものは楽しかった。
この家で来客相手以外に喋る事が無くなって、どれほど経ったろうか。
意志の疎通が出来る相手。
友人とは違うし、非常に不可解・不条理が山盛りだが、そこに理解があると言うのは面白かった。
ならば、このまま理解していければいつかいい関係が築けるのだろうか。
不可解な事、不条理な事、腹立たしい事、面倒な事、嫌な事。
それらはゆっくり相手でなくとも、人間同士でも当たり前のように存在する。
他人、知人、仕事仲間、友人、身内。
お互いがお互いを完全に理解できない以上、どこにでもあるものだ。
それを許容出来るかどうかは、お互いの理解度や関係から来る親密度によるものだろう。
こればっかりは、一朝一夕にどうこうなるものではない。
「ま、気長にやるか」
口にしたのは自分を納得させるためだったろうか。
子供が生まれてからすぐ出て行かせるにしろ、しばらくは置いておくにしろ、ゆっくりに対する知識がある事自体はマイナスに作用する事は無いだろう。
上手くすれば、自分だけでなく他人の役に立つ知識も得られる可能性だってある。
そうなれば、こいつらだってむやみやたらと殺されなくたって済むようになるかもしれない。
誰だって、生来の性だろうがなんだろうが、むやみやたらに死にたくなんぞ無いだろう。
だが、どうしたらいいんだろうか。
あるいは、別に何かをしなくとも、どうもしなくてもいいのか。
放っておけば、そのうち適当な位置に収まるだろうか。
暑さと、ゆっくりとゆっくりしている状況に、どろどろとそんな取りとめも無い思考に身を浸していく。
「済みませんが、どなたか居られませんかー?」
そんな思索を打ち破ったのは、女の声だった。
女と言っても、声だけで判断すれば若い。
子供ではないが大人でもない、微妙なところだ。
そう言った年頃の知り合いが居ないでもないが、今の時間にわざわざここまで来るだろうか。
あるとすれば、人づてに聞いて見舞いにでも来たか。
だが、それならば「どなたか」「居られませんか」と尋ねるのも変な話だ。
それに、声も聞いた覚えが無い様に思う。
無視するわけにはいかないか。
気だるさを飲み下して男は体を起こす。
「失礼、今出るので!」
その動きで、汗の滴が服に更なる陰影を生み出す。
文字通り汗まみれの姿で女性の前に出るのはまさしく失礼だろうが、時期も時期なのでそれは勘弁してもらおう。
そう思いながら腰を浮かせたところで、不安げにこちらを見上げるまりさと視線がかち合った。
大丈夫だ、と髪を撫でるついでにでこピンひとつ、そのまま庭を突っ切って玄関へと回る。
「済みませんね、裏に居たもんで……」
頭を下げつつ出てきた男の言葉が止まる。
そこにいたのは、声から予想されたとおりの少女。
だが、それは見た目だけの話。
幻想郷ではかなり有名な部類に入るだろうが、有名人ではない。
来訪者は人間ではなかった。
「新聞屋の、天狗?」
脳裏から引き出した記憶が、そのまま声を形作る。
「はい、文々。新聞の射命丸文です」
天狗は取材帳を片手に笑みを浮かべた。
「……で、こんな所に一体何の用で?」
発言した後に我ながら間抜けた質問だと気づく。
新聞を配るのでもなければ取材に決まっている。
あの新聞は個人で発行しているらしいので、それなら取材も自分でやるしかないだろう。
しかし、予想外の来客に加え、暑さで茹で上がり始めた頭はどうにも上手く働かない。
付け足すように、ここ数日あまり表に出ていないので周りの事はよくは判らんが、と左腕を掲げて見せる。
「それはますます好都合ですね」
それを聞いて、さらに天狗が笑みを深めた。
どうやら、天狗が気にするような話のネタがこの家の近くにあると言う事か。
俺はそれどころじゃなかったんだがな、と、男はここ数日の出来事を複雑な心境で思い出す。
その所為で気づかなかったにせよ、そんなネタになるような事がここ数日だったろうか。
男はボケた頭を覚まそうと首を2、3動かし、記憶をかき集めようと
「数日前の話なんですが、夜更けに何やらこの世のものとも思えぬ得体の知れない叫び声が聞こえた、と言う話を耳にしましてですね」
暢気に構えていた所へ、いきなり直撃がきた。
暑さも相まってへたり込みそうになるのは堪えるものの、抑えきれなかったため息が漏れる。
なんてこった、また厄介事が飛び込んできたか。
いや、とそれを否定。
そもそもここらには小屋などを除けばこの家以外の民家も無いし、そんな時間に出歩く人間もそうはいないだろう。
あの声を聞いた人物がいるとは考えにくい。
聞こえたと言う事ならば、ここらであると言うだけで、もう少し人里側での出来事かもしれない。
今の段階で近しい事と言えば日付と時間くらいだ。
「……もしかして、一昨日の夜くらいの話かい?」
「外へ出られていないという割には詳しいですね。なにやら思い当たる事でもありましたか?」
語っていない情報を男が口にしたことに天狗が食いついた。
しかし、男の姿はその視線の先にはない。
「おや、どうかしました? どこか具合でも……」
「ああ、いや、さっきまでじっとしていたから、暑さや立ちくらみやらなんやら……」
男は今度こそ堪えきれずにその場にしゃがみこんでいた。
実際暑さはかなり堪えているが、決定打はそんなものではない。
後悔先たたず。
思いきりヤブヘビだ。
こちらから聞いてしまった以上、知らぬ存ぜぬでは通らないだろう。
何故だ、何故、黙っていなかったのか。
最近ゆっくり相手の会話ばかりだったが、ゆっくり相手だととにかく詳しく聞かないと話が進まない。
合わせて、この暑さでぼーっとしていたため、考え無しについ口にしてしまったのだが、男にはそこまで分析する余裕は無い。
まぁ、いいか。
言い逃れは出来ないだろうし、そもそもゆっくりを見せれば済むだけだ。
ゆっくりの如き開き直りで復活し、庭へと案内するべくふらりと立ち上がる。
「それなら……」
そこで男は言葉を止めた。
この天狗を、ゆっくりたちに会わせていいものだろうか。
いきなり危害を加えたりという事は無かろうが、妖怪の考える事など判るはずも無い。
しかし。
いざそうなったとしても、天狗の前では男もゆっくりも、実力的にさしたる違いは無いだろう。
止められるかと言われれば、まず不可能。
なるようにしか、ならないか。
一旦言葉を止めた事に疑問の表情を浮かべる天狗へ男は自分の背後を指差した。
「ちょっと裏のほうに回ってもらえれば、多分判るかと」
「おじさんおそいよ! ゆっくりしてないでまりさのぼうしがかわいたかはやく……ゆゆっ!!?」
男一人が戻ってくるものだと思っていたのだろうまりさが、続いて出てきた来客の姿に目を白黒させた。
たちまちのうちに全身を震わせながらも、その目線が、男と、帽子と、屋内と。
3箇所をめまぐるしく動き回る。
部屋に逃げようにも、帽子を置いては逃げられないので帽子を取って欲しいが、その男の後ろには見知らぬ人物。
その人物から逃げようとするが帽子はやはり見捨てがたく……不審な動きの理由は、おおよそそんな所だろうか。
「おや、ゆっくり……ですか」
続いた、飼っているのですか、という問いを男は頭を振って否定する。
「まさか。住み着かれただけで、飼っているわけじゃない。が、さすがにこいつを放り出すのは忍びなくてね」
天狗へ断りを入れて、未だに混乱状態のまりさの横を素通りし奥へと向かう。
必要なのは、まりさではなくもう1匹のゆっくり。
「やめてねおじさん! ここはれいむのゆっくりプレイスだよ! かってにうごかさないでね!?」
「へーへー。放りだしゃしねぇから大人しくしてろ。持ち上げるから暴れるなよ」
「やめてね、あかちゃんがおちちゃうよ!! はやくはなしてね!!!」
相変わらずのおうち宣言を今は無視して引きずり出し、まりさの横へ並べる。
「あぁ、なるほど。見つけたときにはこうだった、と」
頭上の蔦だけで事情を察した天狗が意を得たりと頷いた。
それを見て、促されるまでもなくあの日の出来事を話し始める。
時折れいむからの茶々が入るが、それには取り合わず淡々と説明と簡単な質問に終始する2人。
元々大した話ではないので、確認など全部含めても10分ほどもかからなかったろうか。
「なるほど……時間も日付も確かですから、ほぼその話で間違いないでしょうね」
取材帳を書き終えて閉じ、それにしても、と天狗は2匹に向き直った。
「なかなかどうして。滑稽と愉快な記事以外にも、良い話の1つくらいはありますか」
「そうだよ! れいむはいいゆっくりだよ、えへん!」
自慢げにれいむがふんぞり返る。
だが、ゆっくりは気づかないだろう。
今の発言、どこか言葉以上に侮蔑的なニュアンスを感じないでもないが、これも一般的な範疇での評価だ。
この天狗の性格がことさら悪いと言うわけではない。
しかし。
今、それを聞いた男の心に浮かび上がってきたものは何だったのだろうか。
形になる前に一瞬でどこかへ消えうせてしまい、もうその欠片も残っていない。
代わりに出てきたのは、この天狗は、妖怪は、どうなんだろうか。
そんな単純な問い。
「ああ、そうだ。……ひとつ聞きたい事があるんだがいいか?」
「取材の事以外であれば構いませんよ? 答えるかはまぁ、内容にもよりますが」
頷きひとつで返して見せた天狗に、今度は迷わない。
「いや、大した事じゃないんだ。あんたや妖怪から見て、ゆっくりってのはどうなんだ、ってのが聞きたいんだが」
「ゆっくりが……ですか」
やや考えるような間があって、それから天狗は口を開く。
「今ひとつどう、の意味は図りかねますが、そうですね、存在としては取るに足らないでしょう。
誰もが好き好んで食べる訳でも無し、理も害も無く、別に居ても居なくてもそう変わりありませんよ」
紡がれる言葉は、やはり男の予想と違わない。
それはそうだろう。
人間でさえゆっくりを取るに足らないと見ているのだ。
その人間よりも強大な力を持つものたちなら尚更だろうな。
納得の表情を浮かべる男にさらに天狗は続ける。
「私個人の意見として、でしたら興味が無い、わけではありませんが。ネタとして新しいものがあるに越した事はありませんし」
これも新聞屋らしい意見だ、と頷く。
が、聞きたい意見としては若干違う。
そういったところではなく、もう少し単純な個人的好悪みたいなものを聞いてみたかったのだが。
しかし、あっさりと答えてもらったせいで、かえって深く聞きづらくなった。
だが、問うてみたい。
どういえば良いものかと、眉間にしわを寄せて考える。
その様子に、文も続きなり反応なりがあるのだろうと推測し、何も言わずに待った。
表情は変わる事無く薄い笑みを浮かべたままだが、今までとは違いどこか探るような色がある。
沈黙が、続く。
男と、天狗と、ゆっくりと。
じじ、じじ、とにぎやかしいセミの声。
ややあって、男ではなく文の声が沈黙を砕いた。
「ゆっくり、お好きなんですか?」
「……………………は?」
馬鹿のように口を開けたまま、男の首だけが天狗の方を向く。
「おや? ゆっくりについてわざわざああいう事を聞く人は初めてでしたので」
私が初めて出会うだけかも知れませんが、と補足するが男の耳にはまるで入っていない。
文には男がどういった精神状態かなど知る術も無いが、意味も無く口を開閉し、僅かにあ、だの、うー、だのと呻くばかり。
「あの、もしもし?」
男は完全に固まってしまっている。
それを眺める事しばし。
「……ふむ」
どこか呆れたように肩をすくめると、文はそのまま男に背を向けた。
「えーと……いい加減、大丈夫ですか?」
「……え? あ?」
肩を叩かれた衝撃で、男はようやく自失から回復した。
今、何が起こったんだったか。
何かとんでもない台詞を聞いた気がするが、何故か思い出せない。
「ああ、ええと……?」
「いえ、もう取材は終わったので帰ろうかと思ったのですが、なにしろそういう状態でしたので……」
「ええと……」
オウムの様に、再び繰り返す。
そうだ。
天狗が取材に来ていたのだ。
で、その取材が終わったので帰る、と。
「……っと、取材中に申し訳ない。どれくらいこんな感じで?」
「いえ、5分も経っていませんが……。それよりも、体調が悪いのでしたら無理はしない方が」
「いや、暑い中で待たせて済まない。ちょっとお茶でも持って来るんで、座っててくれないか?」
何か忘れている気がするが、それはさておき台所へと向かう。
これ以上もてなしも無しに客人を待たせてはさすがに失礼だ。
昼前にバカな事で消費した氷と茶を湯飲みに放り込むとすぐに踵を返す。
「済みませんね……って、何やってるんだお前ら?」
縁側に腰掛けた天狗とれいむ、それにようやく落ち着いたまりさがなにやら話していた。
「おねえさんとあかちゃんのおはなししてたんだよね!」
「そうだよ! あかちゃん、ゆっくりしてるねっていってたんだよ!!」
「ああ、これはこれは。……ん、私もゆっくりに取材をした事はなかったので、これはこれで面白いかと思いまして」
お茶を受け取ると、一気に半分ほどを飲んで天狗。
その横、ゆっくり2匹を間に挟んで自分も腰を下ろす。
「面白い、ねぇ。俺には難しいとしか思えんが」
「別に趣向なんて人それぞれ。好きなら好きで置いておけば良いし、嫌いなら嫌いで追い出してしまえば良いだけでは?」
「いや、そういうことじゃなくて、そもそもゆっくり自体俺は好きとも嫌いとも思っちゃいないんだが……」
思い出した。
さっきはゆっくりが好きかと聞かれて茫然自失に陥ったのだ。
「……やっぱり、家においてやってるだけでもそう見えるもんかね?」
「恐らくは、そうでしょうね。普通は放り出されるか、家に上げても後で処分というのがオチでしょうから」
「そうだよなぁ……」
男が力の無い声でぼやく。
だが、ゆっくりの方は黙っていない。
「ゆ!? ほうりだす!? お、おじさんもおねえさんもそんなことやめてよね!!」
「おじさんうそついたの!? うそつきはまりさのゆっくりプレイスからさっさとでていってね!!」
「そのゆっくりプレイスは誰の家だと思ってんだ! それにお前ら放り出すとは言ってねぇし、こういうときだけ元気になるんじゃねぇ!」
夫婦合わせてのゆっくりプレイス発言に、男はためらう事無くまりさの頭部にチョップを叩き込んだ。
「ゆぐっ! いたいよ、またたたいたね!? おじさんこそいいかげんにしてよね!!」
「喧しい、お前は頭に蔦ねぇから遠慮なく叩きやすいんだよ……?」
男はそこで動きを止める。
常ならぬ、視線。
れいむではなく、無論、天狗の視線だ。
それが、自分に注がれている。
「……もしかしなくても、こういうのは」
「正直、今のがどちらかという判断は微妙ですが、まぁ」
やや言葉を濁した返答に、深い、深いため息をついて男が肩を落とす。
その様子を見て、文は思う。
男自身はその気が無くとも、周りから見ればそう見える、その差異。
社会に属する以上、集団としてのルールやスタンダードといったものが存在し、それが常に考慮にある。
それは、文にも理解できる。
ゆっくり自体を「飼ってはいけない」と言う事は無い。
ただそれが物好きであるという認識があるだけだ。
しかし、その「集団の一般認識との差異」
この力は想像以上に人間を縛る。
基本的に、人間は群れなければ生きていけない。
その群れから異端の目で見られるというのは、物理的にはともかくも、大なり小なり精神的に負担を強いられることだろう。
誰もがそれからあっさり抜けだせるほど強くは無い。
人間と違う妖怪であっても、集団に属する故に文は男の苦悩を正しく理解していた。
そして、男は気づいているかどうか判らないが「何故」悩むのか、その理由もだ。
故に、先ほどの発言がある。
「こういう仕事をやっていれば、色々な生き物の色々な姿を見ることになりますから。さほど悩む事ではないと思いますがね」
文が男の背に優しく語りかける。
表面だけ取れば、助言の類。
だが、内実は全てが全てそうではない。
文からすれば、これはネタを生む可能性への投資も含まれる。
「だから、そういうことじゃなくて……」
ええい、と舌打ちをして男は頭をかきむしり、さらに思考の深みへとはまっていく。
愉快。
いつの間にか、今までとは違い、どこと無く意地の悪い笑みが天狗の顔に浮かんでいる。
「別に、バレなければ問題ないでしょう? 知られなければ、それは存在しない事と同じですし」
その知られていない事、隠されている事を調べ、記事にする。
それこそ我が生き甲斐也。
この天狗の性根を、当然のように男は知らない。
悩みを体現した姿の男を尻目に、さて、と天狗が立ち上がる。
「おねえさん、どこいくの? ゆっくりしていってね!」
「ああ、次の仕事があるんですよ。まぁ、面白いネタでも判ったら知らせてくださいな。また取材に来ますので」
「ゆぅ~~~、しょうがないね! こんどはゆっくりしていってね!!」
れいむとまりさの頬を軽く撫でてやり、天狗は男に向かって紙束を差し出した。
「それと、これは情報料の代わりとでも。一回で終わるとは思いませんでしたので、大したものを持ってきてはいないのですが……」
男がそれを受け取った事に満足そうに目を細めると、ではこれにて、と天狗は別れを告げて飛び去っていった。
「おねえさんいっちゃったね!」
「ゆっくりしてなかったけど、ゆっくりおはなしきいてくれたね!」
ゆっくり2匹は、男以外だと久しぶりの会話相手だったので非常に嬉しかったらしく、まだきゃいきゃいと騒いでいる。
人の苦労も知らないで、この饅頭共め。
悩みが増えたのは天狗の所為だが、根源はお前らだ、とばかりに睨みつけるが2匹はまるで気づかない。
その事に気づき馬鹿馬鹿しくなったので、男は手渡された紙束を広げてみた。
「文々。新聞……って、これ礼でもなんでもねぇじゃねぇかよ」
仕事場で暇つぶしに読む分には構わないが、家に置くのも邪魔なので、購読しようとまでは思わない。
しかも、これはもう読んだ事がある。
「ああ、暑い思いしただけかよ……」
今までの悩みも何もかもを体ごと放り投げるようにして畳に倒れこむ。
「そうだ、おじさん、あついよ! あかちゃんがよわっちゃうからはやくもどしてね!」
「まりさのぼうしもだよ! ゆっくりしてないではやくしてね!!」
「なんだよ、そうだ、って。自分の事じゃねぇか。お前ら今まで天狗と喋ったってはしゃいでただろ……あぁ、帽子は完全に忘れてたわ」
「ゆ゛! ふざけないでね! さっさとまりさのぼうしかえしてね!!」
まりさの踏み付けとタックルを足に浴びながら、男はぼんやりと考えていた。
まだ、厄介事は終わっていない。
訳の判らない事だって沢山ある。
まぁ、いい。
他に何かを忘れている気もしたが、今は暑くて頭が上手く回らなかった。
とりあえず、目の前の問題から片付けよう。
考えるのは後からだって、どこでだってできる。
しかし、天狗のあの言葉。
「別に趣向なんて人それぞれ。好きなら好きで置いておけば良いし、嫌いなら嫌いで追い出してしまえば良いだけでは?」
それだけが、やけに頭から離れなかった。
中書き
「ゆゆっ? れいむたちよりさきにだれかいるよ?」
「どうも、毎度おなじみ射命丸です」
「さっきのおねえさんだ! こんどはゆっくりしていってね!!」
「そうですね、前回ももうすぐ出来るとか言った割に全然仕上がらない作者でしたから、時間はあるかと……」
「ゆ! じゃあもっとゆっくりたくさんおはなししようね!」
「そう言いたい所ですが、やっぱり仕事が有りまして」
「ゆっくりしていったらいいのにね!」
「そうだね、おじさんもここはゆっくりできるっていってたからね!」
「ああ、では代わりといっては何ですがこれをあげましょう」
「ゆぅ~~~~ん、なにそれ、たべもの?」
「ちがうよ、ぴかぴかしてるからごはんじゃないよ! おねえさん、そんなのよりおかしちょうだいね!」
「これはお金と言ってですね、食べ物とか服とか、まぁ色々なものと交換できるものなんですよ」
「たべもの! だったらおねえさん、やっぱりそれちょうだい!」
「はい、そっちのゆっくりもどうぞ。さっきの話の礼をあなた達にはしていませんでしたからね、その分です」
「ありがとうね、おねえさん! で、これをどうしたらいいの?」
「さっきの方に渡せばきっとお菓子をくれると思いますよ。ああ、もう時間が無いので私はこれで」
天狗、どこかへ退場。それからややあって。
「お、ちゃんと着いてたな。どっか適当なとこで着いたとか言ってるかと思ったんだが」
「ゆっ! ばかにしないでねおじさん! まりさはかしこいからそんなまちがいしないよ! やくそくどおりおかしちょうだいね!!」
「判った判った、ちょっと待ってろ。……ん? お前ら何を口に入れてるんだ?」
「ゆゆ、わすれてたよ! はい、おじさん、おかね! これでおやつもっとちょうだいね!」
「ああん、金だぁ? おい、拾ったならまだいいが、まさか盗んだりとかはしてねぇだろうな……?」
「ち、ちがうよ、さっきのおねえさんがくれたんだよ! おはなしのおれいだって!」
「はぁん? ……まぁ、いいか。ほれ、取らねぇから見せてみ」
「ん! ちゃんとおかしにしてね!」
「判ってるって。うわ、涎まみれ。ばっちいなぁ……って、おい」
「ゆ、ゆゆっ!? ど、どうしたのおじさん!? よ、よくわからないけど、そんなにおこらないでね!?」
「あ、あの天狗…………!!!(現代日本円だと一円玉相当の硬貨を2枚握り締めながら)」
- 性悪 -- 名無しさん (2010-11-28 02:46:18)
- おお、ゆかいゆかい。 -- by空の上 (2012-08-13 20:17:31)
最終更新:2012年08月13日 20:17