空気嫁5(がすわいふふゅんふ)-2





元いた座敷に戻る途中、思考が渦巻いていた。
親父は一体何を作る気なのか。
「大量の野菜を用意してくれ」と言っていた。まさか野菜炒めを作るわけでもないだろう。
それとわからないのが、俺とれみりゃの手も借りたいと言っていたことだ。後でまた呼ぶから、それまでたっぷり食事を取っておいてくれとも。
店の料理人に手伝ってもらうんじゃダメなんだろうか。それだけでなく色々引っ掛かるところのある言葉だった。

「あー、もーワケがわかんねぇ!」
「Oh、息子サン」

両手で頭を抱えたところで、金髪ビキニがお膳を持って現れた。
恥ずかしいところを見られた気がして、慌てて腕を下ろす。
れみりゃが俺の陰に隠れた。金髪ビキニが苦手なのかな? 威嚇するように頬を膨らませている。

「チョウド息子サンノ所ニ注文シタノ運ブトコダッタヨ。飲ミ物ハモウ持ッテイッタカラ、コレハオ料理ネ」

店長が給仕するはずだったのが、あんなことになって、それで代わりになったわけか。店長は事の収拾に右往左往しているとこだからな。
会ったついでに気になっていた質問をしてみる。

「そういやお前ら何でバイトなんてしてんだ。さっさとイタリアに帰ればいいじゃん」
「ボスガ山直スマデ待タナイトダメヨ。バイトシテルノハ日本デノ生活費稼イデルワケ」
「日本にい続けるわけはわかったけど、お前らマフィアだろ、バイトするほど金ないのか?」

いろいろ資金には事欠かないはずだ──白い粉売るとか、依頼受けてタマとるとか。

「何言ッテルネ、今ハ百年ニ一度ノ大不況ヨ? 組織ニ属シテレバ安泰ナンテ甘スギナ考エネ。全クコレダカラ土地持チノボンボンハ」

ため息をついて首を振られる。
そこまで言うことないじゃんよ。貧乏なのはウチも同じだし。

「で、順調なのか、バイト」
「OKネ。店長サン優シイシ、オ給料モ悪クナイヨ。胸ノ大キサデUPスルミタイ」
「いや、どういう基準だよ」

店の経営方針が皆目見当つかん。
あと、女チャンピオンがここで働いたら、不当に低い給与で労働基準監督署に訴えることになるだろうな。大草原の小さな胸。

「ボスモ山ガ治ルノモウスグダッテ言ッテルシ、ソロソロ帰レルヨ。ソノ時ハオ土産チョウダイネ」
「銃を乱射した相手に向かってあつかましいな。何か欲しいのでもあるんかよ」
「息子サンノwifeネ」
「俺の妻? ──ああ、れみりゃか」
「モラエル?」
「やらねーよ。何ちょっとしたプレゼントみたく言ってんだ。でもまたなんでだ?」

欲しがる理由がわからん。イタリアでは歩く肉まんがブームなのか?

「最強レベルノ兵器デファミリーヲ強化シタイヨ」

ああ、そういうことか。
確かにあれを超える毒ガス発生装置はそうないな。見た目も普通の幼女でどこにでも持ち運び可能だし。
そんなのと寝食を共にしている俺の立場については、あんまり考えないようにした。

「うー*」

れみりゃの顔を覗き込む金髪ビキニ。対する本人は膨れっ面でさらに俺の後ろに隠れる。

「れみりゃはここにいるんだどー」

ぎゅっと俺のズボンをつかんでつぶやく。小さいが強い宣言。
金髪ビキニが避けられている理由が何となくわかった。多分強引なスカウトでも掛けたんだろう。なら嫌われて当然だ。

「Oh、残念ネ。ソレナラ代ワリニ大和撫子ノ手料理ヲ持ッテクヨ。アレモカナリノ物ネ」
「あー、毒物的にな」

確かにあれを超える暗殺兵器はそうないわ。見た目も普通の料理で警戒心も持たれないし。
そんなのをしばしば食している俺の立場については、あんまり考えないようにした。
よく生きてるな、俺………………現実から目をそらそうとお膳の上に目を移す。

「へぇ、寿司か。いろんなのが載ってるな」
「本店自慢ノ品々ネ。バリエーション豊カヨ」
「うー、れみりゃも見たいんだどー」

背の低いれみりゃが何度もつま先立ちになってアピールし始めたので(さっきまで警戒してたのに、子供は気分屋だ)、金髪ビキニが膝をかがめて料理を見せる。
見た途端、れみりゃは「うぁー」と口を開けた。
驚くのもわかる。寿司さえほとんど目にしたことがないだろうに、ここにあるのは独創性そのものであると言っていい。載る物全てがだ。
一目見てどんなネタなのかわからないものがほとんど。わかるものでさえ、握り方・盛りつけ方が他とは一線を画す。

「この緑の太巻きは何だ?」
「コレネ。キュウリ&ビントロマグロヲアボガドデ巻イタヨ。上ニイクラヲトッピングシテアルネ」
「じゃあ、こっちの何か山盛りになってんのは」
「合鴨ノスモークシタノニ、タップリ玉ネギノマリネヲ載セテルヨ」
「このねっとりした緑の軍艦は?」
「モロヘイヤ&シソ&山芋ヲミジン切リシテネットリサセタネ」
「すげえ。よくまあここまでいろいろ考えつけるもんだ。……ん?」

れみりゃの「ぅおー」「あぅー」とか言ってる口を見ると、よだれが出まくっている。ベトベトに濡れ光っている様は、食いしん坊万歳。
やれやれだぜ。
ハンカチを取り出してふいてやる。

「部屋戻るまで我慢しろよ。思う存分食っていいから」
「うー! れみりゃいっぱい食べるどー♪」
「食欲旺盛でよろしいこった」
「Oh、タクサン栄養摂ッテ毒ガスヲ生成スルノネ」

不吉なことを言うな。事実だから否定できねぇだろ。

「チナミニ息子サンハ何ガ好キナノ?」

廊下を歩きながら金髪ビキニが尋ねる。

「何って言っても、食わないと味も予想できなさそうなんばっかで、な。──ああ、そのイクラなんか美味そうだな」
「ダメネ、ソコデ『俺ノ好キナノハレミリャ一択ダ』トカ言ワナイト」
「俺は受け狙いの芸人かよ?!」
「ギャグジャナイヨ。イタリアデハ愛ノ言葉ハ息ヲ吐クヨウニ言ウネ」

普通の受け答えをしろよ。コミュニケーション成り立たねぇだろ。

──『関税ヲモット低クシナサイ!』『アイ・ラブ・ユー』
──『移民ヲモット受ケ入レルノデス!』『オー・マイ・ゴッド! 君ノ瞳ハ薔薇ノヨウダネ!』

イタリアが世界から取り残されない未来を祈る。

「デモイクラニ目ヲ付ケタノハオ目ガ高イヨ。オメガ級ニ高イヨ」
「くっだらねえ。ギャングのギャグかよ」
「ソレモツマラナイネ」
「うっせぇ!」
「コノイクラノ軍艦巻キハ溶岩ガ流レル火山ヲイメージシテイルネ」

イクラがこんもりと盛られていて、こぼれそう、でなく、こぼれて皿の上に広がっている。清々しいほどの豪快さだ。

「んじゃ、俺はそれをいただこうかな」

食欲で胃がきゅっと震えるのを感じながら、俺はふすまを開けた。

「ゴク・ゴク・ゴク・ゴク……ぷふぁー!」

そこには一升瓶を掲げて飲み干す女チャンピオンの姿が。
やだ……なに、これ……。

「清々シイホドノ豪快サネ」
「豪快さがとてつもなさ過ぎるだろ!」

俺たちが二階に行っている間にいったい何があった?!

「飲みっぷりハンパねぇぞ! 一杯目が一升瓶って何だ?!」
「ア、ソレ二杯目ヨ」
「え」

見ると、女チャンピオンの手を離れ、テーブルの上にでんとそそり立つ瓶には『魔王』の文字はない。
貼られたラベルには大仰な毛筆で──『魔界への誘い』

「だから怖ぇよ! 名前が!」

加えて、そんな焼酎をストレートで一気のみというのも恐ろしい。
女チャンピオンは目元をほんのりと赤らめ、しかし恐ろしく目を据わらせて、言う。

「すみません、次の焼酎は『閻魔』で」
「またかっ、やめろって!」

『魔王』に『閻魔』に『魔界への誘い』と禍々しい品目そろえやがって。この場を地獄の最下層に変貌させたいのか。

「芋焼酎から麦焼酎に変えてみたのですが、いけませんか」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「焼酎ダッタラ『鬼火』モオ勧メヨ」
「お前も煽るなよ!」

女チャンピオンは「ふぅ」と酒臭そうなため息をついて、「わかりました、でしたら植田さんに倣ってカクテルなどを」と提案。
ああ、気分転換にはいいかもな。和服美人にカクテルは乙な取り合わせだ。

「ブラッディマリーでお願いします」
「だからッッ!」

ブラッディマリーの名前の由来:16世紀、およそ300人の異教徒を処刑したイギリス女王「血まみれのメアリー」から。
不吉にも程がある。

「第一もう十分飲んだろうが。いい加減やめとけよ、水飲め、水」
「何を言っているのですか。どちらを見ても胸、胸、胸。おっぱいだらけです。巨乳の大洪水です。これが飲まずにいられますかっ」

いられるよ。お前以外は。

「うー、だったられみりゃの飲み物あげるんだどー☆」

無垢なる肉まんが純粋な善意を差し出す。しかしてその一品は、

「Oh、ソレハ店長自慢ノ一品、カレーシェイクノソーダ割リ・チェリー添エネ」

常識の領域を超えたもの来たコレ。

「チェリーハ梅酢ニ漬ケテ酸味ガ程良イヨ」
「味の想像がつかねぇ……」

というか、食感から何から何も想像できない。むしろこれこそが魔界への誘いなんじゃなかろうか。
ダメだ。こんなん飲んだら女チャンピオンが魔神と化してしまいかねん。

「もっと一般的なもの、普通のもん頼もうぜ。巨峰サワーとかさ」
「巨乳アワーですって……?」
「おいおい」

親父ギャグレベルの勘違いするなよ。そして殺意をみなぎらせるなよ。

「そうですか、今はふくよかな胸の時間、つまり私に出て行けと……。ならば互いの存続を掛けて決闘ですね」
「おっぱいで命を懸けるのはお前くらいだ。なあ、金髪ビキニ、早く出て行った方がいいぞ。いらんとばっちりを受ける」
「言ワレナクテモスタコラサッサネ」

いつの間にやら品々はテーブルに並べられ、お膳と共に金髪ビキニがふすまを閉めて出て行った。手際のいい退出ぶりだ。
女チャンピオンは愚痴り酒モードに突入している。

「持てる者は持たざる者の気持ちを理解すべきです。なのに! なんですか! なんなんですかっ、この格差社会の象徴はっ。こんな日本に誰がしたのでしょう!」

女チャンピオンの脳内では、おっぱいが社会問題化しているようだ。深刻だな、別の意味で。

「いつかやりますよ、私は。全国の貧民を集めてクーデターです!」

貧乳たちが全女性の胸を更地化するのだろうか。胸が厚くなるな。いや、薄くか。
気を取り直して俺の注文したドリンクを飲もうとする。テーブルの上を見渡したが、あれ? ない。ないぞ、有機トマトジュース。
ふと目を部屋の隅に移すと、饅頭二匹が、

「「ゴク・ゴク・ゴク・ゴク……ぷふぁー!」」

ツインストローでトマトジュースを楽しんでいた。

「ゆゆん、とってもゆっくりできるよ」
「おお、美味い美味い」
「てめぇら、それ、俺のだぞ!」

指差す俺に、れいむときめぇ丸は「ゆ?」「おお?」とこちらを見るも、またストローに口をつけて、ズズズズッと最後まで飲み干しやがった。
そして一言、

「ゆぅーん、この一杯のために生きてるね!」

すぐ死なせてやるよ。




座敷にいても全然落ち着けないので、予定を繰り上げて親父のところに行くことにする。
女チャンピオンの精神状態がやや不安ではあるが。
最終的には「こぶ取りじいさんって良い昔話ですよね……。私も悪いおばあさんになって、もいだ乳をくっつけてもらいたい、ふふふ……」などと、あっちの世界に行ってしまわれていた。
けど、ペット二匹に丸投げしとけば大丈夫だろう。まあ、大丈夫でなくても一向に構わん。むしろ死ね。

「うー、お料理の手伝いをするんだどー?」

れみりゃが聞く。顔がほころんでいる。

「ああ、面倒くさいけどな。れみりゃは違うのか」
「れみりゃはお料理好きなんだどー☆」
「そうか、そりゃいいお嫁さんになれるな。…………ぁいや、既にそうだったか」
「うー♪」

なんか墓穴掘ったような。
ともかく厨房へと歩を進めていく。確かこの先、うん、あそこだろうか。
暖簾(のれん)をくぐる。

「親父ー、いったいどんな具合……」

空中でジャガイモが弾けていた。ニンジンが砕け、玉ネギが破裂する。
フンドシ一丁の親父の拳や蹴りが、宙を舞う野菜に叩きつけられているのだった。
そのあふれんばかりのマッスル臭に、俺は「すみません、部屋間違えました」ときびすを返した。

「いや、ここで合っているぞ、息子よ」

瞬間、がっしりと肩をつかまれる。

「どうかしたのか? 何の変哲もない台所を見間違えるとは」
「変哲ありまくりだろーが! 何やってんだよ!」

ドラム缶のような寸胴鍋がたっぷりの水をたたえている。そこまではいい。
しかし、筋肉ムキムキのフンドシ中年が汗だくでそれを前にしていると、鍋が調理器具というより拷問用具に見えてしまう。
しかも、野菜をどうしてた?

「わからないか。農作物を美味しくいただくには、包丁という金属よりも己の肉体を用いるのが良い」
「どういう理屈?!」
「直接身体で触れあうことで野菜と対話するのだ。それで美味さを引き出す。全神経を使うので普段はしないがな」

そう言って脇のザルの縁を叩く。水洗いされた数本の大根が勢いで舞い上がった。

「はぁあああッ! ふぅんッぬ!!」

気合いと共にほとばしる筋肉の連弾。蹴りが一本の大根に入ると四つのヒビが入る。続けて拳がその四つに等しく叩き込まれると、それぞれが細かく砕けて(葉の部分にまで!)鍋に落ちる。一つの欠片も外にこぼさずにだ。
運動力学をまるで無視した調理風景に、俺は茫然自失そのものと化すしかない。
他の大根についても肘、膝、回し蹴りを数瞬で行った後、とどめの頭突きで食材を鍋に入れ終えた親父は「ふぅ」と軽く息を吐く。

「よし、これで全ての処理が済んだ。材料はほぼ野菜のみだからな、非常にヘルシーだぞ」
「……HELL死ー?」
「さて、次はダシを取るとしようか」

言うと、鍋の銀色に光る胴回りに両の手を当てた。
途端に視界がぼやける。いや、違う。親父の全身が超高速で微振動しているのだ。
何を、と思う間もなく、もわっ、と。寸胴鍋から白い湯気が湧いた。
え、さっきまで水だったよな?

「ど、どうなってんだ?!」
「何を驚いているのだ。水分子を細かく震えさせれば温度が上がる。理屈だろう」
「理屈じゃ人間にはできねぇんだよ!」

そんなんできたら貧乏揺すりであっちこっち火の手が上がるぞ。消防署が大変だ。

「ふぅむ、どうにも頭が固いな。我が息子には、へそで茶を実際沸かすネタでも見せておくべきだったか」
「見せなくてよかったな。トラウマになってたぞ」
「まあ、ともかくもダシだ。では、息子よ」
「何だよ」
「れみりゃと一緒に服を脱げ」
「は?」
「まぐわうのだ」
「はぁ?!」
「やれやれ、我が息子ながら困ったものだな」

なんで俺の方が物わかり悪い奴扱いされてんの。
全年齢対象のサイトでやっていいことじゃねぇだろが。石原出張ってくんぞ。

「いかに物を知らないお前でも『調味料のさしすせそ』くらいは耳にしたことがあるだろう」
「内容も知ってるよ。『さ』は『砂糖』で、『し』は『塩』だろ」
「その通りだ。そして、『す』は『酢』とくれば、『せ』は『セックス』だろう」
「何でだよ!?」

話がいきなり性行為にテレポートしただと?!

「意外そうな顔をするのがよくわからんな。おお、そうか、今風に言ったのがまずかったか。『せ』は『性交』や『接合』と言えば通りがいいな」
「横文字も日本語も同じだよ! ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」
「昔から言うではないか──愛は最高の調味料だと」
「上手いこと言ったつもりか?! じゃあ三分間クッキングは三分間ファッキングか? キッチンプレイ上等で、裸エプロン万歳か?」
「息子よ、公共の場で下品なことを言うものじゃない」
「こ、この親父……っ」

怒りで死にそうになる俺を意に介さず、親父は鍋へと顔を向ける。腕組み。

「聞き分けのない息子を持つと苦労するな。仕方ない。ダシは別のやり方で取るとしようか」

掛け声の「よいしょっと」の「と」で、並んだ両足が跳ねとんだ。親父の筋骨隆々とした肉体が腕組みした状態のまま、天井にぶつかりそうなほど宙を上がり、そして──ザッップーン!
鍋の中へダイブした。

「何ぃい?!」
「農作物と苦楽を共にしてきた農家から染み出るエキス。これ以上のダシはあるまい」

いろいろとねーよ!

「では、息子とれみりゃよ。お前たちも農家の一員としてエキスに加わってもらおうか」
「あほかーっ! どこの人食い人種の郷土料理だよ!」
「うー♪ れみりゃも野菜風呂に入るんだどー☆」
「ちょ、おまっ」

脱ぎ出すれみりゃを慌てて止めようとする。そこに肩をがっしりつかまれる。

「こら、息子よ、自分の嫁がやる気になっているのに水を差すものではないぞ。むしろお前も脱がねばなるまい」
「いいから離せ! ってか、脱がすな! パンツに手を掛けるな!」
「うー、すっぽんぽんだどー♪」
「れみりゃも脱ぐな!!」

と、そこへ植田さんJr.がやってきた。

「あの、お仕事中失礼します。料理の方はいかがで……」

彼が目にしたのは、スープまみれになったフンドシ姿の中年が少年にしがみつき、パンツを無理矢理引っぺがそうとしているところ。そしてその少年は、ほぼ全裸の幼女に抱きついていて……

「ごゆるりと」

植田さんJr.は何事もなかったように出て行った。明らかな営業スマイルと共に。

「勘違いされた! 今ものすごく嫌な勘違いされた!」
「家族の団らんに水を差さないようにという気遣いか。細かい配慮のできる店主だ」
「関わりたくないだけだろ!」
「やれやれだな。分からず屋は放っておいて、私と一緒に鍋に入ろうか、れみりゃ」
「うー☆」
「な、ちょっと、」

待て、の言葉をいう間もなく、親父とれみりゃは仲良く鍋の中に入った。

「おい、こら、これ料理だぞ、人に食わせるもんだぞ。風呂か何かと勘違いしてねーか?!」
「まったく、我が息子は鍋と風呂の区別もつかんのか。これが料理であることぐらい一目瞭然だろうに。ところで、れみりゃよ、湯加減はちょうどよいか?」
「はービバノンノだどー」
「やっぱ風呂じゃねーか!!」




三十分ほど浸かった後、ようやく親父とれみりゃが鍋から出る。
「ふぅー」といかにも良いお湯だったと言わんばかりの息をつく。

「ずっと見ているだけではつまらなかったのではないか、息子よ」
「鍋に入れば面白くなれると思えるのがすげーよ」

二人にタオルを渡す。さっき借りてきたものだ。なお、店長には誰も厨房に入らせないようにと言っておいてある。名目上は「企業秘密だから」。

「では、ダシも取れたところで仕上げといくか。煮詰めていくぞ」
「またあの変態電子レンジか」

身体をふいた親父は再び両手を鍋に当てる。
ブゥ…ンンと、ブレる輪郭。さっきより音が大きく、動きが激しい。特撮映像みてーだ。
鍋から出る湯気の勢いが強くなった、かと思うと、ボコボコと沸騰し始めた。
段々と勢いが強くなっていく。次々と破裂する気泡から飛沫があちこちに散る。
中を見ると液体はどす黒く変色し始めていた。得体の知れない化学変化が起きているらしい。もう一度確認した方がいいのだろうか──これ、食い物だよな?
不気味に泡立ちながら液体の表面が渦巻き始める。ごぽっと一際大きな気泡が弾けたかと思うと、真っ黒なシルエットが浮かび上がってきた。角が生えている。

「我ヲ呼ビ起コス者ハ誰ゾ……」
「ふっんっ!」
「グフッ」
「おい、今何か変なもん召還しなかったか?! そして殴って追い返さなかったか?!」
「うろたえるな、息子よ。美味い料理を作る際には悪魔の一匹や二匹つきものだろう」

ねぇよ。三つ星レストランが邪教の館になんぞ。
ってか、さっきの悪魔だったのか。
と、再び大きな気泡が弾けて、角頭が浮かび上がってくる。

「グ、グゥウ……オノレ、賢シキ人間メ……ダガ、コレデ終ワッタト思ウナ……我ノ後ニハ第二、第三ノ……」
「れみりゃ砲発射」

親父が後ろ向きにしたれみりゃを肩に担ぎ、尻を標的に向ける。合図と共に、れみりゃが「うー!」と一発放屁。

ブゥォオオオオッ!

「グ、ギャァァァアアアァアア!!!」

断末魔の叫びを上げ、何だかおぞましぽかった存在は鍋の中に消えた。
屁が死因か。無念過ぎる。
こんな事態の後でも、何事もなかったかのように親父は快活に言った。

「さてこのまま温めつづければ完成だぞ」

産業廃棄物が?

「うー、スープが段々きれいになってきたんだどー」
「うむ、農家スープにあく取りは必要ない。全てを旨味として提供できるからな」

というより、全てがあくそのものなんじゃねぇのか。
だが、先ほどのどす黒さが嘘のように液体の透明度が上がり始めている。きらきらと金色の澄み切ったスープに変わりつつあった。食欲をそそる匂いまで立ち上り始める。
何だこれ。




「素晴らしい!」

海千山千とやらが開口一番、叫んだ台詞がそれだった。
お椀に入れられたスープ、その匂いをかいだ途端に顔色が変わり、一口すすった途端に立ち上がり絶賛したのだった。

「ワシはこれまでこのようなスープを飲んだことはない! 何と素晴らしいのだ、これは! 口の中で一つの革命が起こっておる!」

作られた経緯を知っている俺は内心冷や汗かきまくっていた。
革命か……無血革命であることを祈ろう。明日あたり全身から血を流して死亡とかあるかもしれんし。
周りを見やると、他の客やウェイトレスたちもスープを賞味している。寸胴鍋で作ったから量はたくさんあるのだった。
みんな口々に「美味い!」「最高ー!」「でらデリシャス!」などの賛辞を述べ合っている。
そこから悪魔が現れたとか夢にも思わないだろう。
だが真相は墓の中まで持っていくつもりだ。バレたら間違いなく保健所が駆けつける。ついでに警察と悪魔研究会も。
海千山千がうなった。

「うぅむ、それにしてもこの味はどうやって出せるのか。特にダシが他の凡骨とは違う。野菜中心なのはわかる。だが、それ以外の要素が──小賢しい、この山千を試そうというのかッ。むぅう……豚骨でもない……煮干しでもない……そうかッ、わかったぞ! 間違いなくこれは、桑の実だな!!」

親父と肉まんの汁です。

「うー、勝利のダンスなんだどー☆」

れみりゃが座敷に飛び込んでいって、テーブルの上で踊り始めた。
両の拳を胸の前で回して尻を振る、例のあれだ。
自らが関わった料理を大いに褒められたことが嬉しかったのだろうか。
大丈夫か、そんなことしてせっかくご機嫌になった大先生がまた癇癪(かんしゃく)起こすんじゃないか。そう思ったが、

「おお、これは和ませる。この店は舌だけでなく目と心も幸福にしてくれるとは」

海千山千はえらくご満悦だ。
店長の植田さんJr.も、

「そうでしたか。これが真のサービスなのですね」

と目頭を押さえている。周囲からは拍手が湧いた。
いや、ここ、感動するところなの?
もしかして、明日から尻を振りつつ拳を回すウェイトレスが見られるようになるのだろうか。
この店の奇抜度がますますレベルアップする可能性に、俺はこめかみが痛くなった。




店内の喧噪を逃れるように二階より先の階段を上った。
どん詰まりの扉を開けると外気。夜の冷たい風が心地よく頬を撫でた。

「やれやれ。……ん?」
「おお」

足下にきめぇ丸。座敷にいたはずがなんでこんなところに。
細かく静かな音が外に広がっていた。きめぇ丸のやや後ろから先のコンクリートタイルが黒く濡れている。曇り空は雨空に移り変わっていたようだ。
視線を上げる。
視界いっぱいにでかい饅頭があった。

「ゆぅん、困ったよ」

普通車がすっぽり入るような口が気弱な声を吐く。
れいむだった。
何にもない屋上の空間を巨大な体積で埋めている。恐ろしくでかくなっていた。

「な、な、なんででかくなってんだ?!」

ドスまりさほどではないが、とてつもない大きさだ。これじゃあ店のディスプレイと思い違いされてしまう。ここは饅頭の店ではないし、さらし首をやる風習もない。

「ゆゆん、ちょっと涼むつもりでうっかりしていたね。れいむは水に触れると大変なことになるんだったよ」

グレムリンかよ。
ゆっくりの場合はどうも水を吸収してでかくなるらしい。そんなオモチャがあったな。
キモイ足が生えたこともあったし、なんてデタラメな生態だ。饅頭が活動している時点で今更だろうけど。

「でも本当に困ったよ。これじゃお兄さんに愛してもらえないし……」
「安心しろ。小さくても毛嫌いしてるから」
「ゆっ、そうだよ、お兄さんがデブ専になれば一発解決だよ!」
「さらりと恐ろしいこと言ってんじゃねぇ」

目の前のクジラ饅頭を解体してみんなに振る舞ってやろうと思ったが、そこでふと気がつく。
確かドスまりさがこっちに来ていて、マフィアの連中を見守っていたはずだ。
となると、外で雨に打たれているということに──
叫ぶ。

「おーい、いるかぁ? ドスまりさぁっ!」

瞬間、空が白くなった。
じゃなかった。
空全体がドスまりさになっていた。饅頭の底面が、あっちの地平線からそっちの地平線まで伸びていた。

「おお、デカいデカい」
「ビッグになっていってね!」

ゆっくり二匹がはしゃいでいるが、俺の口はあんぐり開いて物も言えない。
いや、ビッグとかデカいとかって範疇(はんちゅう)超えてるだろ。
これじゃ、生物とか物体とかの話じゃなくて、もはや天候として扱っていいんじゃないか。曇りのち饅頭。
ドスまりさが“ぐりんっ”と動いて下にいる俺たちの方を見る。
うげぇ、月がでんぐり返ったような感覚。
天体並の大きさの饅頭が眉を寄せて苦笑した。

「ゆへっ、ちょっと失敗しちゃったよ。面倒くさがらずにオリーブ油を塗っとくべきだったね」
「イタリアの防水はオリーブ油なのか。靴とか香ばしくなるんだろうな。あと、ゆへっとか可愛くないから」

吹っ飛んでいた意識をようやく取り戻し、突っ込んでやる。ついでに気になっていたことを尋ねてみた。

「ところで、ずいぶんとデブくなってるみてーだが、いったいどんくらいの大きさなんだ?」

ドスまりさはやや首を傾げて(それでもタイタニックが傾く以上の動きだ)考えていたが、やがて答えた。

「13㎞や」

なんで関西弁?


おわり

  • 毎回台詞回しやセンスが秀逸で驚く
    かなり不気味な(褒めてます)人間たちの空気の中で、ゆっくり達の可愛さがやばい
    でもれいむのふてぶてしさや主人公の反応がとても「らしく」て好き
    ちょっとまねできる人はいない気がする -- 名無しさん (2011-01-25 00:21:07)
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最終更新:2011年01月25日 19:30