らばうる
滑走路に、いつぞやのエンジン音は響かない。
火山が噴火して、火山灰に埋もれてしまったのだ。しかし、かつての響きを辿って来た者は、いる。
ウン十年前に、日本軍が駐留していた場所、ニューブリテン島・ラバウルには慰霊碑に戦没者を慰めるために、日本人が良くやってくる。
だが、私はそうでは無い。
確かに一面では正しいのだが、今回の目的はそうではないのだ。
かつて、整備兵だった祖父がかわいがっていて、撤退する際に島に取り残してしまった『ゆっくり』達に、会いに行きたい。そう思ったから、だ。
祖父が、今際に残した呪いのようなものだが、
まあ悪いことではないだろう。あいつらをつれて帰ってやりたかった、という一言を聞いてしまえば。行ってみたくもなろうというものだ。
しかし、なぜゆっくりがあそこに居るのかというと、どうやら、船に潜り込んでゆっくりしていたところ、戦地送りという事になったらしい。
しかも、それはつがいのれいむとまりさで、あまつさえは子持ちであった。
いかに密航とはいえ、捨てるわけにもいかないだろう、そう考えた者が居て、隊内でこっそり飼われていたという。
ただし、徐々に戦局が悪化したのは周知の通りであり、撤退した部隊に祖父は所属しており、その際にゆっくりを連れて行こうとしたが、無理だったという。
その後にも、しぶとくゆっくりたちは生き残り、火山が噴火し、人が消えたあそこに、彼らは今でも生きているのだというのだから、驚きである。
自由意志の問題はあるが、出来ることならば日本につれて帰ってやりたい。そう考えて、次の日、私は機上の人になった。
暑い。まずはそれが第一印象だった。
慰霊碑に参った後に、車を借りてラバウルへと向かう。その車はクーラーもついていないボロの赤いオペル・カデットAで、
砂漠を横断した実績もあってか、かなり頑丈ないい車でもあるのだが、途中の風景で気分が滅入る。
ボンベイが現代によみがえったとすれば、こんな感じだろうか。
生活の痕が見え隠れする建物に、誰も居ない。こんな寒々しいところに、ゆっくりが今でも居るのだろうか。
そういうネガティブな事を考えていたのが、不味かったのだろう。
頭をキャビンの天井にぶつける。ごん、といういい音がした。
スタックというわけではないが、兎にも角にも道が荒れている。痛む頭をさすりながら、エンジンをかけっぱなしでドアを開け、外に様子を見に行く。
この車はバッテリーの機嫌が悪く、一度エンジンが止まるとなかなか回ってくれないのだ。
案の定、大きなくぼみにタイヤが嵌っていただけだった。
そのはずだったが、車の前に違和感がある。そこには、サッカーボール大のゆっくりれいむが、居た。
「おい! 大丈夫か!?」
ゆっくりに会いに来て、ゆっくりを轢いてしまった、ではオチにもならない。
幸いにも、この子は気絶していただけだった。他に何かを轢いた形跡は無い。
ぷにぷにとしたれいむの頬をぺしぺしと叩き、様子を見ていると、ゆゆ、などとうめきながら目を覚ます。
謝ると、ふくれっつらをしながらも許してはくれた。
「ぷんぷん! ゆっくりきをつけてね!!!」
「いや、本当にすまん。……ところで、こんな顔のじーさんに覚えは無いか?」
懐から写真を取り出す。
情報関係の部隊の人間が、記念にという事で密航していたゆっくりの家族や、たまたまその場に居た爺さんを含めた、
整備や搭乗員を写したもので、爺さんの顔を指差す。
れいむは、それを見ると、少しの間首を捻り、何かを思いついた、という顔で写真をひったくってジャングルに消える。
「おい! 待て!!」
一瞬呆けるが、私は慌ててれいむを追いかける。
くそう、あれはばあさんから無理を言ってひったくってきた写真なんだぞ、などと毒づきながら。
れいむは、写真をくわえているにもかかわらず器用に倒木や茨を跳ねて避けるが、慣れないこっちはけつまずくわ、
体のあちこちをすりむくわで散々な目に遭う。差は埋まらず、どうにかこうにかついていくのにも精一杯だ。
体力が無い、などと言うなかれ。私が今この瞬間にもすっころんでいないだけ、まだしもマシである。
生まれながらの運動音痴だったのだから。
「こら!かえせ!」
「ゆっふひついへひへね!」
ついて来い、というのだろうか。
ひいひいと半ば悲鳴のような息をしながら走っていると、だんだんと光景が変わってくるのを感じる。
うっそうと茂っていたジャングルが、まばらになってきたのだ。
そして、ついにれいむが止まった。そこいらにある木のうろや、影から、他のれいむやまりさなどがこちらを伺っている。
何事か、という感じだ。ひそひそという声がちらほらと耳に届く。
が、それをかき消すような、写真をつい先ほどまで咥えていたれいむの元気のよい声が、どこへともなく発される。
「おにいさんのこどもがきたよ! おおばあちゃん!」
おおばあちゃん、とは誰のことだろう。
そんなにゆっくりは長生きできないはずだが、と考えていると、ずしん、という大きな音が、後ろからした。
慌てて振り向くと、そこには、信頼の証だというリボンをたくさんつけたドスまりさが、居た。
落ち着いた態度に似合わぬ、滝のような涙を流しながら。
「ゆぅっくりおかえり! お兄さんのこども!」
「おおばあちゃん! あのね! あのね! このお兄さんがあのおしゃしんもってたの!」
あまりの急展開に、話が読めない。
どういう事なのだろうか。ばあさんや爺さんにも、血の巡りが悪いとは、よく言われていたのだが。
話を聞いて、興奮気味のゆっくりたちから離れ、ドスまりさから説明を受ける。
今の今まで、必死に生きてこられたのは、爺さんの無責任な約束があったからだという。
要は、迎えに来るから、それまで生きて居ろよ、という事らしい。
待ちに待って、今ではドスにまでなった、おじいさんが亡くなった事は残念だけど、君が来てくれて嬉しい。
そのような話を、ゆっくりしながら、聞いた。どうにも、このドスまりさの話を聞いていると、意思に関係なくゆっくりしてしまう。
「爺さんは無責任だな……」
「ゆ、違うよ。……迎えになんて来られない事ははまりさにもわかってたよ、だけどね」
だけどね、だから今までまりさはあの子達を育てられたんだよ。
ゆっくりと、しかし誇らしげに、ドスまりさは言った。かつて、エンジン音が鳴り響いた滑走路をともに眺めながら。
「そうか。……そうだな」
「そうだよ」
言葉が無い。どれほど苦労をしてきたのだろう。
どれほどゆっくりできないと泣き喚いてきたのだろう。だが、それでも、ゆっくりたちは生きている。
「……参ったな、出来るなら連れて帰ってやりたいが」
「いいよ、まりさたちはここで生きていくんだよ」
恥ずかしい事を言ってしまった。
照れ隠しにぼりぼりと頭をかくが、ドスまりさは一匹の、写真を咥えていたれいむを連れてきていた。
「この子を連れて行ってあげて! 私の代わりだよ!」
そういって、原理は不明だが、私の組んだ足の上にれいむをぽん、と置く。
その数秒後にぐらり、と視界が揺れるが、この声だけは、耳に入った。
「ゆっくりつれていってね! おにいさん!」
自信と、不安の入り混じったれいむの声。それが耳に、入った。
はっと我にかえる。ぶんぶんと頭を振ると、そこはボロのオペルの車内で、体中が汗でぐしょぐしょだ。
張り付いたシャツが、不快感を増す。
ゆっくりと左を見ると、そこにあったはずのジャングルは、なかった。
枯死した木が、骸をたたえていただけである。はあ、とため息をついて、ハンドルを握りなおした数秒後に、ふと右を見てみる。
そこには、写真を咥えたれいむが眠っていた。
ああ、そうか。と、ひとりごちた。
「夢じゃ、なかったのか……」
アクセルを踏み、Uターンして元来た道へ引き返す。れいむと、一緒に。
『らばうる』了
あとがき
あれです。某所で書く、と言っていたブツです。
どんなもんやら。
2008-09-30 19:55:08
まあ、この島に来た『おにいさん』には群れの皆を連れて行く能力が無いわけですし、どーしたって居残り組みが発生するのなら……ってところでしょうか。多少冷たいのは、その辺が理由……ってトコロでしょうか。
ここで生きて、ここで死ぬ、と決めている子が居ないわけでは無いでしょうし。
- いいよね、これ。忠ゆっくりっていうのかなぁ、ドスまりさがちょっと冷たい気もしたけど群れがいるから仕方なかったのかなあ -- 名無しさん (2008-09-30 19:55:08)
- このジュブナイル的な展開好きだわー -- 名無しさん (2008-10-02 03:49:32)
最終更新:2008年10月02日 03:49