節分

「ゆゆー!」
「ゆぅー!」
「ゆっ!」
「ゆいしょっ!」
「ゆっくりー♪ ゆっくりー♪」 

 どすん、ばたん。
 饅頭と大福は今日も今日とて元気一杯。
 部屋の中を所狭しと、跳ね回り転がり回り。
 しかしまあ、今日は常にも増してやかましい。
 それもそのはず、2匹はソファーを経由し部屋の中央に鎮座ましますコタツの天板に飛び乗ると、

「せつぶん!」
「おにさんー!」
『ゆっくりしていってね!』

 見事に揃ってぽよんと飛び上がり、元気一杯のゆっくり宣言。
 まあ、宣言どおり今日は2月3日、節分だ。
 顔しかない体を文字通り期待に膨らませたその姿は、まさにイベントを楽しむ子供そのものだ。
 部屋の主が帰ってきてから今日はずっとこの調子。
 内装や遊び道具が結構動いていたところを見ると、恐らくは一日中居ても立ってもいられず大暴れしていたのだろう。

「……そう繋がると明らかにおかしいんだが」

 目を輝かせてふんぞり返る2匹とは対象的に、主の方は枯れていた。
 見上げる視線も何のその、コタツに刺さってのほほんと。

「どこで覚えてくるんだろうね、全く」

 コタツに刺さり、萎れた花のように背を曲げぼやくが、そんなものテレビに決まっている。
 そもそも去年の夏前にこいつらが来てからと言うもの、主要なイベントは大体制覇してきた。
 楽しそうな事だけはやたら耳聡く覚えがいい。
 まあこの2匹は去年の春生まれ。
 だから節分も何もかもが初めての経験なので、ついつい浮かれる気持ちも分からないでもない。
 知ってしまえば地味な行事だとは思うが。
 決してお祝いでもなんでもなく、他人と集まって楽しむものでもない。
 そりゃあ、有名どころでは有名人なんかが豆を撒いたりするものの、それだって賑やかではあれど、華やかではなし。
 まあ、現実に摺れた大人の思考なんてこんなものだ。
 が、この2匹にとってはそうではない。
 今度はさらに狭い天板の上でぼよん、ぽよん。
 溢れる期待が形を成したように、丸く膨らみにぎやかしく押し合いへしあい。
 ……これくらい気楽になれたら生きるの楽しいだろうなぁ。
 ペットを飼った人間が誰しも一度は思うであろう、他愛も無いぼやきを封じ込めたのは良く判らないプライドか。

「と言うか、テレビが見えねぇ。どけ」
「ゆ?」
「ゆゆ?」

 目の前を跳ね回り続ける饅頭と大福が、ぴたりと動きを止める。
 ちら、ちらり。
 顔を合わせ、目配せし合うこと数度。

「だったらおせち!」
「おとしだま!」
『ちょうだいね!』

 台詞ごとに踊るようなステップで飛び跳ね、最後はまたもや揃って振り返った。
 れいむはいつものやや上向きの、まりさはややニヒルに口元を歪めた笑み。
 決めポーズのつもりだろうか、タイミングが揃った事もありなかなかに満足そうだ。
 だが。

「……それはもう終わっただろ?」

 ゆっくりしすぎです。

「じゃ、おまめさん!」
「たくさんちょうだいね!」
「お前らなぁ……」

 判ってるなら最初から言えよ。
 そう言いつつも、よいしょ、と億劫そうに男はソファーから体を浮かせる。
 どうせこうなるだろうな、とは男の方でも予想済み。
 別に今日日特別な事でも無し、コンビニに行けばレジの前にイベント商品が並んで置かれる、そんな時代だ。
 傍らに置かれた袋に手を伸ばすと、撒き散らさないよう注意しつつ慎重に封を切る。
 その様子を真正面、天板の淵から覗き込む2匹。
 降りろ、と声をかけられると、こういうときは聞き分け良くすんなり飛び降り、男の前に行儀良く並んで座る。
 どきどき、わくわく。
 頬が上気しているのは暴れまわったためだけではあるまい。

「――ほれ」

 そんな期待に胸を膨らませた2匹の眼前――ぽい、ぽと。

「……ゆ?」

 2匹揃ってかくんと体を横に傾げ。
 たくさんたくさん入った袋の中から取り出されたのは――

「いっこだけ?」
「うん? ……あ、悪い、悪い。少なかったな」

 怪訝そうな声と眼差し。
 その指摘に自らの過ちに気が付いたのか、頭を掻いて男は再び袋に手をやった。

「よかったね」
「やっぱりすくなかったんだね」

 袋が動くたびに響くざらざらと食欲をそそる音に、2匹の顔にぱぁっと明かりが差していく。

「数え年でやるんだったっけ、確か」

 袋の裏の説明書きに目を落としつつ、指の先からぱらり、ぽとん。
 追加されたのは、先と同じく1粒ずつ。
 まあ、パーセンテージで言えば100%アップの大盤振る舞いだ。

「……」
「……」

 右を見て、左を見て。
 勿論元の2つと増えた2つ以外、豆の姿は何処にも無い。

「…………」
「…………」

 粘度を増した、恨みがましい視線。
 その表情はどう見ても不満たらたら、満足などとはほど遠く

「……何」
「けちー!」
「おじさんだけさっきからたくさんずるい!」

 ちらりと目をくれただけでまた説明書きを読みふける主の態度に、れいむとまりさはさっそく揃って噴火開始。
 なるほど、2匹の言うとおりいつの間に数えたものか、机の上のティッシュの上に選り分けられた豆は20以上30未満。

「ケチで結構。そもそも節分の豆は数えの歳の分だけ食う。だから二つ。分かったか?」 

 しかし男は余裕綽々。
 袋を輪ゴムで縛って机の上に放り投げると、ゆっくり2匹に向き直る。
 かなり着膨れした腕を組んで悠然と見下ろす視線に隙は無い。
 対峙する1人と2匹。

「ぷー」
「膨れてもダメ」
「ぶー」
「むくれてもダメ」
「だー!」
「しゃくれてもダメ」
「かみなりさま!」
「ブー。……いやいや、なんで知ってんだ?」
「ゆっへん!」
「……まあ、どんなに頑張っても増えないけど」
「けちー! ぶーぶー!」
「やだやだやだやだ! もっとおまめさんたべたいー!」

 じたばたじたばた
 びたんぼよんごろんぷくー

「そう言われてもな。自分の齢と同じ数だけ食べて、一年健康でいられますようにって願う慣わしだから、沢山食べたらダメなんだよ」
「ゆぐぐぐぐううううううう!!!!!」

 顔を真っ赤にして膨れてみるが、それ以上はれいむもまりさも抵抗らしい抵抗は見せなかった。
 ここの主は一応温厚な部類の人間であるらしく、そうそう怒る事は無い。
 大体は客人に対してちょっと調子に乗りすぎたときか、止めろと言われてるのにしつこくそれを続けたときくらいか。
 それにしたっていきなり怒鳴り散らすこともなく、その場で1から懇々と諭すような説教。
 良く出来ていると言えなくもないが、その代わりと言おうか、溜め込みすぎると暴発する欠点があった。
 れいむとまりさの脳裏に過ぎるのは、ちょっと前の秋の出来事。
 お散歩と言って連れ出されて喜んでいたら、1時間以上に渡って近所の子供からくっつき虫の標的にされた記憶だ。
 必死になって逃げ回っても束になって追いかけてくる子供達。 
 とてもやかましくまったくゆっくり出来なかったものだが、それ以上に辛い事があった。
 それは、扇動どころか子供に混じって追いかけてくる主の姿。
 どうして問えば、食べ物の恨み辛みが次から次へとつらつらと。
 何というか、怖いとか嫌だとか以前に、痛々しくて直視できない物があった。
 おとなげないね。
 おじさんなのにこどもなんだね。
 きっといやなことがあったんだね。
 ゆっくりできてなかったんだね。
 じゃあしかたないよね。
 部屋の扉前で、帽子とリボンに余すところ無く張り付けられたくっつき虫と必死で格闘する背中。
 それを横目に自分達も髪に絡まったくっつき虫を口で毟り取りつつ、そんな風に語り合ったものだ。
 怒らせたら最後、とにかくただただ空しくなる事しか待っていない。
 1年にも満たない付き合いだけども、れいむもまりさも主の事をそれなりには理解していた。

「しかたないよね……」
「ゆっくりたべようね、れいむ……」
「そうだね、ふたつだけだもんね……」

 さすがに主と伝統に二正面から攻められては分が悪い。
 それに長生きできたら、その分沢山ゆっくり出来るんだからしかたないよね。
 そう自分の心を誤魔化してみようとはするものの、あれだけある豆を前にやはりそう簡単には諦めきれない。
 舌をぺろりと伸ばし、もったいぶるようにつんつん突付いてはみるが、

「行儀が悪いから止めなさい」

 いじましい抵抗も男の声にあっさり終了。
 夢破れたり、2匹は袋一杯の豆を前にして引き下がるしかなかった。
 豆と比べれば大きな体を小さく縮め、見るからにしょんぼりした様子を横目に男はふん、とひとつ鼻息。
 少々気の毒な気はしないでもないが、そういうものだから仕方ない。
 まあ、いい機会だ。
 たまには家でおやつをゆっくり食べられる幸せを噛み締めてあじわぼりぼりぼりぼり『むーしゃむーしゃ』ごっくん『それなりー』
 縁起物、5秒で終了。
 しかもそれなり呼ばわりされてる。
 ……いや、まあ、別にいいけどさ。
 ばり、ぼりとこちらはこちらでやたらとセコく、一粒一粒貧乏たらしく食べていくのだった。





「ぶー」
「ぷくー」
「ふぅ」

 膨れる2匹は意図的に無視。
 多少は小腹も膨れる程度には豆を詰め込み、茶をすする男は上機嫌――と言うことも無い。
 子供じゃあるまい、味気ない豆をぼりぼり食べただけ。
 むしろ何故味付きを買わなかったんだろうかと、後悔すらも覚えていたりする始末。

「……ああ、それだ」

 そこでぽんと手を一打ち。
 どうして味付きではなく、普通の豆を買ってきたのか。
 そこに思い至って、忘れていた物の存在を思い出した。
 節分と言えばこれ、ゆっくり達も一番最初に言っていたではないか。

「れいむ、れいむ。ちょっとこっちこい」
「むー。なに、おじさん?」

 男が手招いたのは何処と無く背中の煤けた感があるれいむ。
 今からやることにはれいむの方が都合がいい。
 不機嫌そうにちょっぴり頬を膨らませつつ、それでもれいむは律儀にやってくる。

「ここで待て。これはこの家でお前だけが出来る特別な役だぞ?」
「ゆ、ほんとに!? じゃあゆっくりしないでいそいでやってね!」

 特別の響きが気に入ったのか、たちどころにれいむの眼差しに輝きが満ちる。
 れいむは詳細を聞く事も無く大人しく男の膝元に行儀良く座り、

「ずーるーいー! まりさもやって! まりさもとくべつしたいよ!」

 御指名に漏れたことが不満なのだろう、れいむの周りをどすどす跳ねるまりさのブーイング。
 しかしれいむは余裕を持ってそれを聞き流す。
 頬は微かに朱を帯びて、引き結ばれていた口もいつの間にか半開き。
 れいむの身を一心に染める感情の正体は優越感だ。
 自分だけが選ばれたと言う自負に満ち満ちた笑みが、れいむの顔を彩っていた。


 何が起こるのかを今か今かと待つれいむの頭上に、すっと影が落ちる。
 ほえ? と疑問に思う間も無くそれは顔に張り付き、耳の横で、パチン、パチン!

「よし完成。世にも珍しい鬼ゆっくり。……威厳ねーなー。ほい、まりさ。お前も感想言ってやれ」

 大した事でも無いのだが、何故か事をやり遂げたような顔の男。
 お披露目よろしく、れいむを掴んでまりさの方へくるりと反転。
 れいむが振り返った瞬間、まりさは一瞬ビクッと震えてあとずさる。
 が、眺めるうちにそれがお面を被ったれいむだと理解したのか、

「れ、れいむ、だよね? ゆっくりしていってね?」

 おっかなびっくりながらも、コタツの陰からおずおずとゆっくり的挨拶でコミュニケーションを試みる。
 そりゃそうだ。
 角の上からでかいリボンを覗かせた鬼なんざそうはいるまい。
 そもそも面の横から体がはみ出してて、肉襦袢着てるような絵になってるし。
 が、まりさのゆっくり挨拶にも、れいむはふるふる震えるだけで返事をしない。

「……? どうした、れいむ」

 声音と顔に浮かぶのは、怪訝の一言。
 そのままぐっと上体を伸ばし、覆いかぶさる形でれいむを覗き込んだ刹那――

「こわいよおおおお!」
「いや、何でだよ」

 耳を劈くれいむの叫びに、顔を顰めつつも思わずツッコミを入れる男。
 怖がられるのが鬼であって、自分が怖がってどうするんだ。
 まりさの方が正しい反応で、れいむ、お前は間違っていると言わざるを得ない。

「まっくらでまえがみえないよ! まりさ、おじさん、どこいったの? かくれてないでとってちょうだいね!」
「――あ、なるほど」

 逆さまになって覗き込んだれいむの顔。
 本来覗き窓の役目を果たす穴からは、もちもち肌がたこ焼きのようにみちっとはみ出していた。
 いや、顔の割にでかい目だから大丈夫だろうと思ってたんだけど、パーツのバランスが悪くて人間だと鼻のところに目の穴が来てるのな。
 納得納得。
 疑問が解決した事に彼は納得の頷きを重ね、

「ところでれいむ、言い忘れてたが」
「ゆ?」
「節分の鬼と言うのは、豆をぶつけられるのが仕事みたいなモンでな。現代だと全力で持って撃退し、家長の威厳を見せ付ける意味合いもあるらしい」

 ざらり、ばらばらばら。
 視界を閉ざされたれいむの耳に、何とも不吉な煎り豆の音。

「やめてね、ぶつけないでね! いたいのやだよ! どこなのみんな!? はやくとってちょうだいね!」

 もぞもぞもぞもぞ。

「ほーら投げるぞー鬼は外ってやっちゃうぞー」
「いやあああああおそとはさむいからいきたくないいいいいい!!!」

 うろうろうろうろ。

「……安心しろ、部屋が汚れるから撒いたりしない」

 その言葉にぴたりとれいむの動きが止まった。

「たすけてー、まりさー、おじさんー、まえがみえないー」

 そしてまた振り出し。
 やっぱりな、と男の口から吐息が漏れた。
 予想通り、こういう時はむやみに騒いだり動いたりはしないタイプか。
 おそらくまりさだったら前後も無しに暴れまわるだろう。
 そんなれいむの姿に、男の脳裏に浮かぶのはろくでもない思いつき。
 期待を多分に含んだ嗜虐的な笑みに、男の口元がにやりと歪む。

「よいしょ」
「ゆ? ゆゆっ? なに、なんなの!? おそらをとんでるみたいだよ!?!?」

 ひょい、と。
 お面が取れず、右往左往するれいむの体が宙に浮いた。
 顔の両端を掴むものが主の手だと言うことは感触で分かるものの、どこへ行くかはトンと判らない。

「ゆ……?」

 浮遊感は僅か数秒。
 短い滞空時間の後に、れいむの底には硬く冷たい感触。
 その肌触りは何度も上ったコタツの上だ。
 見知らぬ場所に連れて行かれたわけでは無い事が判り、れいむはほっと息をつく。

「おじさん、まりさ、ゆっくりしないでゆっくりたすけてね!」

 が、安心したのもつかの間、視界を奪われたままではどうにもならない。
 舌を伸ばし、口で銜えて取ってみようとするものの、どちらも上手く届かないので、自力でお面は取れそうに無い。
 れいむは主と相方の名を呼びながら、机の上をじりじりとさまよい歩く。
 危ない物は何もないが、落としたりしないように、机の上の障害物は男によって既に取り払われている。
 そんな状況も判らず、派手に動くことの出来ないれいむは僅かな距離を右へうろうろ、左へうろうろ。

「れいむ、こっちだよ! まりさはこっちにいるよ!」

 そんな前も後ろもわからぬような暗闇の中に、差し込む光明。

「ゆゆっ! そっちだね! まりさ、たくさんおしゃべりしてね! れいむそっちにいくよ!」
「ゆっくりおしゃべりするからゆっくりきてね!」

 自らを誘導する声にしたがって、おっかなびっくりながらもれいむはにじにじ這いずり歩く。
 その有様は、まさしく「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」といった具合だ。
 もっとも、その遊び自体は節分本来の意味と逆であるが。
 ――それはさておき。

「……ゆ?」

 なんとなく。
 れいむに向かって呼びかけるまりさに過ぎる、よく分からない不安感が。
 なんだろうか。
 このままいくと、なんだかとてもよろしくない事が起こる気がする。

「どうしたの、まりさ?」
「……ゆ! なんでもないよ! こっちだよ、ゆっくりきてね!」

 まりさの声が途絶えた事に、それだけが頼りのれいむから不安げな響き。
 そうだね、いまはれいむをゆっくりさせてあげることだね!
 頭を振ってよくわからないモヤモヤを振り払い、まりさはれいむの誘導に意識を傾けた。
 れいむの声は大分近い。
 このままならもうすぐ降りられ――

「ゆゆゆっ!!!」

 そこまで至ってようやく。
 まりさは不安の正体に遅まきながら気が付いた。

「れ、れいむ! ちょっとまってね! ゆっくりとまってね!」

 慌ててれいむを押しとどめるべく急を告げるまりさ。
 だが、何もかも遅かった。
 気付くのもゆっくりならば、声をかけるのもゆっくりすぎたし、れいむの反応速度もまたゆっくりだった。

「ゆ? どうしたのまりさ? きゅうにいわれてもゆっくりしかとまれないよ……?」

 既に天板の縁まで来ていたれいむが、その警告に足を止めるよりも速く。

「ゆ? な、なんだかまたおそらをとんでるみた……」

 抜け落ちた警戒心と共にぐらりとれいむの体が傾ぐ。
 あとはまあ、地球上には重力と言うものが存在していまして、

「いーーーーっ!!!」
「ゆ、ゆゆっ、ゆっ!」  

 予想通りの事態に困ったのはまりさ。
 なにしろれいむはまりさの声に一直線だったから、即ち今の自分はれいむの真下。
 ゆ、ゆ、ゆ、どうしようどうしようどうしよう、ゆっくりしてたらあたっちゃうよ、ゆっくりできなくなっちゃうよ!
 逃げるべきか、留まるべきか。
 あたふたあたふた。
 迷う心に体はふらふら揺れるばかりで、その場を動く事は無い。
 そうこうしているうちにも、やけにゆっくりのんびり落ちてくる鬼の面は大きくなっていき、

「ゆーーーーーーっ!!!!!」

 ぼよんっ! 
 ぼよんっ、ぼよん、ごろごろごろ。
 落ちるれいむと、結果的に受け止める形になったまりさ。
 両者は顔面から激しくぶつかり合って、反動で互いにあらぬ方向へと転がっていく。

「ゆゆゆゆゆ……」
「ゆぅぅ~~~……」

 受身も何もありはせず、揃ってひっくり返り目を回す2匹。

「くく、ははは、お前らは、ああ、見ててホントに、あはは、飽きない……!」

 そして、腹を抱えて机に突っ伏す傍観者。
 夕方ならば外聞も何も無く盛大に笑い転げていたことだろうが、時間を気にして必死でそれをかみ殺す。
 が、その試みも成功しているとは言いがたかった。
 天板はヘッドバットにガンガンと音を立て、足はコタツの中でどたばたと。 
 下の階の住人からすればさぞかし迷惑な事だろう。

「まりさも横着しないで、お前が上ればよかったのに……」

 いまだひっくり返ったまりさに吐く正論も、そも自分がれいむに面を被せて放置したことを棚に上げては意味が無い。
 目には涙を浮かべ、腹筋の痙攣に悶えながらも、彼はしばらく笑い転げ続けていた。





「せつぶん、ちっともたのしくないね!」
「ぜんぜんおなかいっぱいにならないよ!」
「基準はそれかよ」

 数分後。
 ようやくお面が取れた顔を憤怒に染めたれいむと、節分の趣旨を大いに勘違いしているまりさ。
 ぶりぶり怒る2匹を尻目に、男の顔には疲労の色が見て取れた。
 笑い疲れの影響か、突っ込む声も強くはなく。

「よし、まりさ、れいむ。これで最後だ。今度は普通の食べ物だからな」

 もういいや、さっさと済ませて風呂入って寝よう。
 投げやりになりつつある心を奮い立たせ、彼はあえて明るい声を上げ、コンビニ袋から最後の品を取り出した。 

「ゆ?」
「なにそれ?」

 ビリビリと包装を破る音の後に2匹の前に置かれたのは、黒くて細長い棒状のもの。
 今まで見たことが無いそれを前に、2匹は体を左右に歪めて覗き込みつつ、んー? むー?と首を捻る。

「それは巻き寿司、今日の場合は恵方巻きと言ってだな」

 そんな微笑ましい姿に疲れた頬を僅かに緩め、男は説明してやる事にする。

「こいつを東北東に向かって、願い事を思い浮かべながら目を閉じて無言で食べきるとだな」
「もぐもぐ、むーしゃむーしゃ……はふはふ」
「あぐあぐ、ぺろ。ちょっとたべにくいけどおいしいね!」
「なかになんだかたくさんはいっててきれいだね!」
「いろんなあじがするね!」
「……うん、なんとなくオチは見えてたよ」

 待てと言わなかったら我慢できないだろうなとは薄々思ってたし、食べるときに喋る癖は抜けなかったのも良くわかってる。
 そもそもお前ら誰かに手伝ってもらわないと、上手くほお張れそうに無いもんな。
 はいはい、俺がバカでした俺が悪かったですー。

「えーと、今年は東北東ね。東北東、東北東……」

 いいよ、俺一人だけ律儀にやり通してやる。
 いじけるのとはまた違った虚しさに襲われつつも、彼は今年の恵方へ向かって体を捻り――

「…………」

 壁。

「…………」

 もぐ。 
 もぐ、もぐ、もぐ。

「むーしゃむーしゃ、ちょっとすっぱいけどおいしいね! こんどはゆっくりできるごはんだからゆっくりできるね!」
「そうだね! ……ゆ! まりさ、おかおにごはんつぶさんついてるよ! ゆっくりとってあげるね! ぺろり」
「ありがとうねれいむ! まりさもおれいにゆっくりぺろぺろするよ! ぺーろぺーろ」
「ゆ~~~♪」
「ゆぅ~~ん♪」
「…………」

 一人空しく壁に向かって巻き寿司をほお張る男と、縁起やしきたりなんてなんのその、2匹仲良く顔を並べて一心不乱にむさぼる2匹と。
 果たしてどちらが勝ち組なのだろうか。





「ゆっくりできたね!」
「せつぶんってすっごいゆっくりできるね!」
「ああ、うん、そう。それは良かったね……」

 先ほどまでのしぼみっぷりは何処へやら。
 お互いニコニコ笑顔で顔を舐めあい、食後の身だしなみを整える2匹。
 頬が心なしかつやつやと輝いているのは食品油の所為――では無いと思いたい。
 男の方は相手するのも面倒だとばかりに、コタツに突っ伏したまま。
 後はもう、風呂に入って寝るだけだ。
 が、動く気にもあまりなれず。
 ゆっくり2匹を見ての通りエアコンこそかけてはいるが、コタツと比べれば直接的な熱が違う。
 何より風呂は入れに行かないと入れない。
 面倒臭い、このまま眠ってしまおうか。
 満腹感とコタツの温もりに誘われ、眠気と脱力半々、半ば夢の世界へ飛び立ちそうな男の袖を何かがぐいぐい押してきた。

「おじさん、おじさん」
「うん?」

 今度はくいくいと服の袖を引っ張られて、男は億劫そうに顔を上げる。
 見上げた正面、内容が全然頭に入らぬままにドラマは終わっており、ニュース番組へと切り替わっていた。 
 映し出されているのは、立派な体躯に羽織袴を纏った相撲取りが派手に豆を投げている光景だ。

「……」

 ちらっ。
 ちらっ。

「…………」

 ちらり。
 ちらり。

「さっき言っただろ? 撒かんぞ」
「けちー」
「今から部屋散らかしてどうすんだよ。もう寝る時間じゃないか」
「だいじょうぶだよ! おじさんがねてるあいだにまりさたちがゆっくりおそうじするよ! ね、れいむ! ずずっ」
「ちゃんときれいにおそうじするよ! だからあんしんしておまめさんばらまいてね! じゅるり」
「ならまずはそのよだれを掃除しなさい」

 節分の夜は更けて行く……


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最終更新:2009年02月13日 10:59