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創価学会とは?

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匿名ユーザー

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創価学会とは、会員数が公称で827万世帯にものぼる、日本最大の宗教団体です。しかし、テレビや新聞ではあまり目にしませんが、選挙が始まるととたんに公明党とともに耳にする機会が増えます。なぜなんでしょうか?この問いに答えるために問題点を一つ一つ探っていき、創価学会の姿を浮き彫りにしていきましょう。

まず始めに、なぜ学会が日本最大の宗教団体になったのかというと、一言で言えば戦後社会にうけたからです。
創価学会は現世利益でなおかつお金のかからない宗教を謳っていました。 本尊を拝むと金は入るし病気も直るのでひたすら拝み続けろというのが2代目 戸田氏の教えでした。 戸田氏が言っていたように、本尊はまさに”幸福製造機”ですね。 つまり、生きているうちに利益があるというお手軽な宗教だったのです。このお手軽さが戦後の混沌とした時代の世相にマッチしぐんぐんと会員数を伸ばしていきました。

創価学会を創立した初代会長牧口氏が昭和3年、日蓮正宗に出合い、仏法による「人間価値の創造」を目的として、昭和5年に日蓮正宗の講、すなわち信徒の集まりとして創価教育学会を設立したことが創価学会の始まりでした。牧口氏は元々教員で、学会自体教員の集まりでした。”創価”とは「人間価値の創造」の略です。その後、第二次世界大戦が始まり、この間に牧口氏は獄中で死去しています。

戦争直後の創価学会の会員数は5000世帯程度であったので周りからはそのうち消滅すると思われていたのですが、1951(昭和26)年、戸田氏が第2代会長に就任したことにより持ち直しました。戸田氏は豪快な人物で、当時の混沌とした世相に合うカリスマ的な指導者でした。会長に就任してから学会を立て直した戸田氏は”自分が死ぬまでに会員75万世帯の達成”を宣言しました。達成できなければ自身の葬式は出さないと明言し、会員のやる気を奮い起こすことで、いわゆる"折伏大行進(簡単に言うと強引な勧誘)"を開始しました。昭和30年代の折伏大行進当時の会員数は約5万人程度だったようで、そこから爆発的に会員を増やしていき、この75万世帯は戸田氏が亡くなる前年の1957(昭和32)年に達成されます。また、このときの学会の勧誘は凄まじく、一般人の家に押し入り神棚を破壊するなど、ヤクザより怖かったといわれてます。

戸田氏亡き後、1960(昭和35)年、池田氏が第3代会長に就任した後も会員数をのばし続け、40年代初頭には会員数が500万世帯になりました。それからも徐々に会員数を伸ばしてき、現在に至っています。会員が多いのはそのとき入った人がまだ残っているからです。しかし、故・西口浩副会長(広報室長)が”脱会者は既に1,000万人以上”とテレビで発言していることから、”公称”と”実数”には隔たりがあると思われます。

昭和54年、池田氏が第一次創宗戦争(学会が学会の上部組織である日蓮正宗を無視して独自色を出したことが正宗の逆鱗に触れ正宗から破門されそうになった出来事)の責任をとる形で創価学会の会長を辞任した後、北條氏が第4代会長に就任しました。北條氏の祖先は、戦国時代の関東において一大勢力を築いていたあの北条氏です。しかし氏は会長に就任して約1年後になくなっており、その後5代目会長に秋谷氏が就任し今でもその地位にあります。ちなみに、今現在の池田氏の肩書きは創価学会名誉会長でありSGI会長です。

平成3年になると、日蓮正宗との間に再び対立が起こり、学会は正宗に破門されました。いわゆる第2次創宗戦争です。この破門によって学会からの会員離れが起こる等の影響があるかと思われましたが、それほど大きな影響とはならずに学会は独立路線を歩みだしました。

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