昭和39年 公明党結成
昭和42年 竹入委員長、矢野書記長体制に。
昭和45年 言論妨害事件により政教分離を宣言。
このとき、新しい理念を採択。
このとき、新しい理念を採択。
昭和46年 第一次訪中団を派遣。
昭和49年 共産党と10年協定を結ぶ。
それまで犬猿の仲で争っていた共産党と10年間はお互いに批判しないという協定を結んだ。しかし、山崎元学会顧問弁護士が創価学会を恐喝したことにより逮捕されたとき、昭和45年に自分達が共産党の宮本議長宅を盗聴していたことを暴露。
それまで犬猿の仲で争っていた共産党と10年間はお互いに批判しないという協定を結んだ。しかし、山崎元学会顧問弁護士が創価学会を恐喝したことにより逮捕されたとき、昭和45年に自分達が共産党の宮本議長宅を盗聴していたことを暴露。
昭和63年 田代参議院議員が砂利船汚職で辞任。
昭和63年 池田克也代議士がリクルート疑惑で党役員を辞任。
平成1年 石田委員長、市川書記長体制に。
平成3年 湾岸戦争90億ドル追加支援に賛成。
平成4年 自公民の賛成でPKO協力法案が成立。
平成5年 細川連立内閣で4人が入閣。
平成6年 羽田連立内閣に6人が入閣。
平成11年 小渕連立政権に参加。公明党から一人入閣。