スレッドより

以下は、平沢進の歌詞をどうにかして解読するスレ2ループ目から引用

109 :Track No.774:2009/11/24(火) 01:02:53
「死のない男」を読み解いた猛者はいないのか?
単に科学がいくら発展しても、不老長寿の技術はまだですよねーって歌なのか?

110 :Track No.774:2009/11/24(火) 08:51:04
ロシア民話に「兵士と死」ってのがあるんだよね、ジムヘンソンのストーリーテラーで見た。
調子に乗って死にすら見放された哀れな男(死ねない男)の放浪記だと思う。

111 :Track No.774:2009/11/25(水) 06:47:55
「死のない男」
男は2度と地球へは戻れなかった…
鉱物と生物の中間の生命体となり永遠に宇宙空間をさまようのだ。
そして死にたいと思っても死ねないので
そのうち死のない男は考えるのをやめた。

112 :Track No.774:2009/11/25(水) 11:06:33
>>111
カーズ乙

113 :Track No.774:2009/11/26(木) 20:01:07
マジで死のない男ってカーズみたいな奴じゃねーの?
死にたくても死ねない→放浪→死にたくてもry
永遠にループ

「タワーは雲をついて 杵の柄を洗う」
杵って…あの餅つく杵だよなぁ
この部分どう解釈すりやいいのか悩むわ

114 :Track No.774:2009/11/26(木) 20:09:06
昔取った杵柄
のことかと思ったが、にしても解釈が難しい

115 :Track No.774:2009/11/27(金) 00:30:04
タワーを杵に見立てる
これの一番下の「手きね」の形ならそう突飛な連想でもなかろ
http://ww1.tiki.ne.jp/~igoshogi/keyaki/usu.htm

高くそびえるタワーの先が雲に隠れている=雨に洗われている
てな読み方もできなくもない

歌詞の一行目に戻ると「ロケット」があるから
タワーはロケットの打ち上げ台かもしれない

タワーが杵なら臼は大地、もしくは「庭」
そこに洗われる上昇・下降の動き そこにある「庭の木の実り」

別にこれで正解とは言わないけど
歌詞の中の要素から見てこの辺の解釈に落ち着くと思う
何言ってんのか分からないって人は、もうあまり深く考えない方が良いかもしれない
(多分こういう見方自体に慣れてないだろうし、変にビックリされても困るし)

116 :Track No.774:2009/11/27(金) 03:59:01
温泉掘るような掘削機だかのピストン運動想像してた

117 :Track No.774:2009/11/27(金) 05:26:44
「死のない男」はヴァーチュアルラビットに入ってる
うさぎ、杵と臼、上下の動き…

うさぎが杵持ってぺったんぺったんと月で餅搗き
♪あー死のない男

118 :Track No.774:2009/11/27(金) 05:52:21
>>116->>117と庭の木の実りを足す=子供?と解釈
ヴァーチュアル・ラビット物語にある「分娩室でおこった事」
~男が出産した

120 :Track No.774:2009/11/27(金) 17:54:30
うさぎが搗いてるのは餅じゃなくて不老不死の仙薬っていう伝説もあるよね。

「死のない男」はライナーノーツのウサギがどうにかなった後なのかも。

121 :Track No.774:2009/11/27(金) 21:08:09
「あるという~」とか「わ~れだして~」とか「まぶしくて~」のパートをボコーダーにしてみる。
言葉は聞き取りにくいがOKだろう。そもそも私の歌詞は何を言ってるんだか分からないと
評判だし、意味のわからない歌詞として有名だ。どうしてなんだろう??あ、歌録りは無事終了。


本人が歌詞の意味が分からない理由が分からないと書いているからには
一応の答えはある筈。

122 :Track No.774:2009/11/27(金) 23:50:10
ヴァーチュアル・ラビット物語でオゾノ・コブラノスキーの遺書で
「科学によって無くしたもの」の一つとされているものは「死」
彼は月面でそれを取り戻すことになった

という事は、それまでのオゾノ・コブラノスキーは「死のない男」だったわけで

123 :Track No.774:2009/11/28(土) 00:26:03
>>122
リアルの実りとデジタルな実りのプロセスは同じとも書いてありましたね<遺言
ということは、歌詞の「庭の木の実り」もリアルの実りである必要はない、のかも。
もっと延長させて、全てはオゾノ様がコンピュータの中で観たデジタルな世界、
という可能性もアリな気がしてきた。

126 :Track No.774:2009/11/28(土) 23:14:38
>>123
ここでC.G.ユングおじさんの「変容の象徴」から引用

「アハスヴェル(Ahasver)は周知の永遠のユダヤ人である。
 かれの特徴は世界滅亡まで続く終わりのない憩いのない放浪である。」

このさまよえるユダヤ人、アハスヴェルの原型的神話として
様々の経典やミトラ教の祭儀の解説等々と共に
ギルガメシュ叙事詩の不死を求めて旅をする様子が
大洪水のエピソードと合わせて紹介される で、

「英雄神話はまずなによりも、意識の光の
 満たされない、まためったに満たされえない熱烈な願望を懐く
 無意識の、探索する憧れ心の自己表現であると思われてならない。

「だが、意識はまた、みずからの光に惑わされ
 根のない鬼火になる危険をつねにはらみ、
 自然の治癒力、存在の深い源泉、また千態万態の生命との
 意識を離れた合一にあこがれる。」(第二部:四:「英雄の誕生」より)

この次に第二部:五:「母と再生の象徴」が続くのだけど
ここは一旦、ヴァーチュアルラビット物語の…

「科学は出産するのだから女だ」
「いや光をあて、分析し、秩序をもたらすのだから男だ」

…の一節がこの辺に関わって来る台詞回しであることを
確認しつつ一旦終了

127 :Track No.774:2009/11/29(日) 22:03:15
おらー 付いて来てるかー 来てなくても続けるけどさー
もう一度「変容の象徴」の第二部:四:「英雄の誕生」からこの一節

「英雄は旅人であることが多い。旅とは、憧憬、どこにも対象がみつからず
 やすまることのない願望、失われた母の探索のイメージである。
 太陽の比喩もこの視点からみればよくわかる。

 それゆえ英雄はつねに太陽に似ているのであり、
 英雄の神話は太陽の神話であるといっても結局のところ正しいのである。」

ーーーーーーーー以上引用終わり

科学(=意識みずからの光)によって「失われた」もの達を求め
月へと旅したオゾノ・コブラノスキー

彼が後続の者達へと書き残した指示は、ウサギを「追いかける」事
ユングの文章とつきあわせてみるなら、これは「失われた母」の探索

「どこにも対象がみつからずやすまることのない」様子は
「死のない男」の「国中のもの知りにたずねてもあてはない」とも呼応する

128 :Track No.774:2009/11/29(日) 22:34:22
そんで続き~ やっぱりユングの「変容の象徴」から~

「箱ないし櫃は女性の象徴すなわち母胎である。
 高価な品物をいれた箱、容器、かごは、
 水面を流れてゆくと考えられることが多い。

 これは太陽の運行との類比である。太陽は不死の神として海面を泳ぎ、
 毎晩母なる太洋へ没し、朝にはふたたび生まれる。

「海に旅する神々はすべて太陽神である。
 彼らは「夜の航海」のためにしばしば女とともに、
 小箱または方舟にとじこめられる。

 夜の航海の間太陽神は母胎にとじこめられ、
 しばしばありとあらゆる危険におびやかされている。」

「ここに述べた神話圏の意味は明瞭である。
 すなわち母胎へ回帰することを通してふたたび生まれたい、
 つまり太陽のように不死になりたい、という憧憬である。」
(第二部:五:「母と再生の象徴」)

ーーーーーーーー引用終わり

女性の象徴である「箱ないし櫃」=「母なる器」=コンピューター

「ロケットを使わず、コンピューターの中を通って」
月面へと至ったオゾノ・コブラノスキー
月も女性の象徴(Swicthed-on LOTUS のジャケット)だから
これも母胎への回帰、すなわち再生の為の死

英雄、航海、海のモチーフは「嵐の海」「静かの海」
「我が心の鷲よ 月を奪うな」にも共通

さらに「UNDOをどうぞ」になると
「…大将さまがゆるしてくれるんなら、"帰りたいです"」

さらに太陽&出産のモチーフは「太陽の木」にも繋がる
太陽の木=生命の木についてもユングおじさんがいろいろ書いてるけど
今日は疲れたからここで止め

129 :Track No.774:2009/11/29(日) 23:29:11
>>128
せんせー、さっぱりわかりません!

難しすぎて何から手をつけてよいやら。
オゾノ様が「ロケットを使わず、コンピューターの中を通って」月に行ったことは、
ロケットという男性の象徴を使わずに女性の象徴に到達したという部分がミソ?
(エンジン部分が男性で居住区が女性の象徴のようでもありますけど<ロケット。
そういう意味では「分娩室の出来事」の出産する男性にも通じる、かな?)
歌詞の「ロケットは晩年も 空を行くだろうし」にも関係してきそうな気はします。するだけですが。

そういえば、この「晩年」も気になる単語ではあります。
誰の晩年なんでしょう。「死のない男」には晩年はないですし。
理屈で言うと、死の近年がいわゆる晩年と呼ばれる時代ですよね。
70歳で死んだ人とまだ生きてる人がいて、死んだ人の60代後半は晩年だけど、
生きてる人の同年代は晩年とは呼ばないはず。
だから、死なない男には晩年は来ない(もしくは常に晩年?)と思うんですが…。

一言一句が意味不明ですw

130 :Track No.774:2009/11/30(月) 00:19:56
「ロケットを使わず、コンピューターの中を通って」は
物理的ではない手段を使っているところがミソだと思う

「母なる器の中でおこる変容の秘儀」
「データを入力し、"実り"に変容した結果を得る」
オゾノ・コブラノスキーはその「変容の秘儀」の方法を使って月面に来た
それは「土の上に種をまき、実りを待つ神秘のプロセス」の応用

「死のない男」にも「庭の木の実りに 思い出したニュアンス」とあるから
どちらかっていうとこっちの方がその「変容の秘儀」に関わって来そう

「晩年」は…アハスヴェルの放浪は「世界滅亡まで続く」わけだから、
この場合も世界が終るその時までずっと、ロケットやタワーに象徴されるものの
働きは途絶える事が無いってとこじゃないのかなっと

131 :Track No.774:2009/11/30(月) 19:07:38
>>130
そっちがミソでしたか。

「ロケットは晩年も」以降の意味としては、
科学の力はこの先ずっと動き続ける…科学によって無くした
死を含む闇はこの先ずっと得られない状態である
「庭の木の実りに 思い出したニュアンス」
実りに「変容の秘儀」を思い出したのは「死のない男」で、
「死のない男」=オゾノ様が死という慈悲を授かり受けるために、
ロケットを用いず「変容の秘儀」を用いて月に到った…?
>>126のユングさんの言葉を少し拝借するなら、
「オゾノ様は死への満たされ得ない願望を抱き、
月という母の象徴へと「変容の秘儀」を用いてたどり着き、
死を得て後進に「ウサギ=月=母を追え」という指示を与えた」
という感じ?
だいぶ前に出た「キミとボク」の考え方をひっぱってくると、オゾノ様と後進は同一であり、
ウサギを追うという目的を与えたことでもう一度「死」を探すという目的を得、
生まれ直したという風に読めないこともないような。

「変容の秘儀」ですが、オゾノ様が博士の言葉にあった「オゾノテック・コンピュ…」を
オゾノ式コンピュータと考えるならば、オゾノ様はOSかコンピュータそのもの?ということになり、
とすると、我が身の内に自身の種を撒き(プログラムを走らせ)、
なんらかの通信を介して月面のコンピュータで実りを得た(自身の分身を獲得した)
という意味になる…かな?違うかも…。

そういえばこのスレだか前スレだかでどなたかが、
「オゾノ・コブラノスキーと死は濃密に関わっている」と書かれていましたね。
ふと思い出しました。これもやっぱり螺旋に通じる死なんでしょうか。

132 :Track No.774:2009/12/01(火) 01:00:04
ヴァーチュアル・ラビット物語の
「科学は出産するのだから女だ」
「いや光をあて、分析し、秩序をもたらすのだから男だ」
を見ると「科学」をどう捕らえるかで分かれる2つの立場があるのが分かる

その2つの立場の間で大論争を引き起こしたオゾノテックコンピュータは
「光をあて、分析し、秩序をもたらす」科学によって「産まれた」
男性性と女性性を併せ持った科学の産物

それを使えば外へ飛び出して行くロケットとはまた異なった方法、
箱の内側に深く潜って行く事で遥か遠い地点に辿り着ける

ブードゥー教徒のヤジは「現代科学」と述べた事に対するものかもしれない
その「神秘のプロセス」は「遠い昔」からあったものだから

それがおそらく「間もなくキミもその技術を手に入れる」と言われている技術
その秘密は月のウサギ(これもが現代の科学の精神には否定されてしまう、
けれども昔からそう言い伝えられてきた筈もの)が持っている

「死のない男」には「うすうす感じていた事を確かめにここへ来た」に
相当する歌詞も含まれているように見えるね

133 :Track No.774:2009/12/03(木) 23:51:48
>>132
>「死のない男」には「うすうす感じていた事を確かめにここへ来た」に
>相当する歌詞も含まれているように見えるね
「そろそろと胸の 奥で確かに聞いた」
の所でしょうか。
何を「うすうす感じていた」のか、さっぱり分からないわけですが。
地上から科学の光で追いやったものが月にあるかもしれないということ?

ふと思ったんですが、ユング心理学が人の心(潜在意識?)にあるイメージを統合して「心像」や「元型」
にまとめたものだとすると、平沢さんの歌詞はそれらまとめられたモノをもう一度イメージになるように
分解してちりばめたように思えます。再イメージ化とでも言いますか。
そしてその時に生じるイメージのブレ(スパーク?)を狙っているような…。考えすぎかも。
というか、意味不明ですね、すいません。

134 :Track No.774:2009/12/04(金) 00:56:49
「うすうす感じていた」
=まだはっきりと意識にはのぼってきていない、
(自分自身の中の)無意識の領域の動きを気付きはじめている

『変容の象徴』ではその動いている心理的エネルギーの事を
リビドーと呼んでいるのだけど、このリビドーの意味が
フロイトとユングとでかなり違ってくるので、
その辺がちょっと面倒な言葉だったりする

いわゆる性衝動とは被る部分もあるけど、ちょっと違う意味
平沢歌詞は初期(やマンドレイク頃)はフロイト寄りだけど
だんだんとユング寄りの解釈になってきてる印象

>平沢さんの歌詞はそれらまとめられたモノをもう一度イメージになるように
>分解してちりばめたように思えます。

音楽とはまるで関係ない(と普通は思われてる)ものを音楽でやるのがヒラサワ
ただし、勿論ユングそのままではないヒラサワ節で

今監督の言う、表現ジャンルをまたいだ「翻訳」って事になる感じ
前スレに投下してもらってたインタビューで誤解や誤読も
許容するような言い方をしてたのはそういう意味なのかな、と

135 :Track No.774:2009/12/06(日) 14:33:33
>>134
何が動くのを感じるかよりも動きを感じること、
もっと言えば動くこと自体が重要ということでしょうか。

またちょっとまとめます。まとめないと混乱する…。
動くこと=変容で、
「死のない男」の「庭の木の実りに 動きだしたニュアンス」のニュアンス。
「庭の木の実り」はオゾノ・コブラノスキーの遺言にある神秘のプロセスを意味し、それもまた変容。

「死のない男」は胸の奥に変容を感じ、「国中の物知り」に訪ね歩く旅に出る。
「授かり受ける慈悲」が知っている物知りに出会え、教えてもらえる僥倖を指すのか、
変容の一つである死を得ることを指すのかがまだちょっと分かりませんが…。

以下、疑問。
「タワーは雲をついて~」部分が庭の木の実り、胸の奥に聞こえるものと対応する動きの描写だとすると、
「セレモニーは~」部分も同じく動きの描写でしょうか?
冠婚祭の明るさかと思ったのですが、「世紀を誇る」で百年に一度クラスの何かの完成式典?にも思えます。
(が、なんとなくこのアルバムに関しては「何の」が問題ではなく、それ自体が大切な気もする…)
タワーが科学と動きの関連付けなら、セレモニーを開催する精神と動きの連動?
難しい…。
というか、スレ独占状態で申し訳なし。

137 :Track No.774:2009/12/07(月) 00:42:02
>>135
冠婚祭という印象は良いとこきてるかもね
ユングさんの話(やはり「変容の象徴」)の続き 長いぞ~

「水に劣らずしばしば見られる母の象徴のひとつに
 生命の枝と生命の木がある。生命の木はたぶんまず
 第一に実を結ぶ系統樹、つまり一種の太母である。

 数多くの神話が、人間を木から生まれたものとしており、
 また英雄が母なる木に封じ込められていたと語っている。」

「神話の木の典型的なものにエデンの園の生命の木がある。
 (中略)松の木に吊るされたアッティスの画像、
 造形芸術の題材としてよく知られる木に吊るされたマルシュアース、
 木にぶらさがるオーディン、犠牲を気に掛けるゲルマンの風習などが、

 十字架の木にかけられるのは宗教的神話のなかで唯一のことではなく
 他の例と同じ観念圏に属しているのだということを教えてくれる。」

「この観念世界ではキリストの十字架は生命の木であると同時に死の柱である。」

「人間が木から生じたと主張する神話がある一方、
 うつろな木のなかにひとを埋葬する風習もあった。」

「木が母の象徴の主要なものであることを考えるなら、
 この埋葬法の意味は理解できるだろう。

 死者は再生するためにいわば母のなかへ包みこまれる。」

ーーーーーーーー(引用終り)

と言うことは「木の実り」と言うには言っても
それは実は「木に吊るされた英雄」の姿の事なのかもしれない

ユングによるキリストの磔刑の意味付けにはまだ続きがあって、
多分そこまで行き着ければ「死のない男」が求めるものや
慈悲を受けられない理由もスッキリ分かるようになるのじゃないかしらん

で、そこまで行けば「太陽の木」に漂う独特の荒涼感のわけも一緒に分かる筈

(…モンティ・パイソンの"Always Look on the Bright Side of Life"を
 十字架に架けられた連中が歌う事の意味も…これは、おまけだけども)

138 :Track No.774:2009/12/07(月) 04:18:48
>>135
興味深いので続けて下さい

「死のない男」は木の実り
「太陽の木」は木の根方
・~…何か掴めそうな気がするのに上手く説明できないこのもどかしさ 

139 :Track No.774:2009/12/07(月) 12:22:23
>>137
「庭の木の実り」=木に吊るされた英雄?で、タロットの「吊られた男」を
思い出したんですが、彼も実りの一種かも。十字の木に吊られてるし。逆さだけど。
「吊られた男」とキリストの磔刑に共通するイメージというと、これで終わりではない感じ
というか、「再生」でしょうか。
(吊られた男:停止と価値観の変化、キリストの磔刑:復活に繋がる刑死)
吊られた男の後には死神、節制(命の水を配る天使)がいますし、やはり死と再生を暗示
しているような…。
>「この観念世界ではキリストの十字架は生命の木であると同時に死の柱である。」
英雄が吊られた木が太母だとすると、キリストの死と同じ経路を辿る?

とすると、英雄もまた再生する?
庭の木の実りに見たのは、成長→実りという生物的連続性の結果ではなく、
実は再生するための死というある種切断されたかに見える連続性の1シーン。
「セレモニー~」の部分は、死が終了ではないからこそ葬式に暗さがなく、
逆に冠婚祭の明るさがある。
「死のない男」が「庭の木の実り」に感じたニュアンスとは、死そのものではなく、
そこから繋がる再生への動き。物知りに尋ねているのも死ではなくて再生。
再生を成すにはまず死なないといけないので、「死のない男」は逆に言えば再生・復活のない男。
「死のない男」は前提で失敗している。故に、慈悲を受けられない。(慈悲=再生だとして)

ユングさんのキリストの磔刑の意味付けまで行き着けてないような…。

「太陽の木」は、「木の根方に伏せては待つ」踊り手は、実は死んだ人で
再生を待つ歌かなー、とふと思いました。くるま座の友は葬列のようでもあり、
わざわざ車座なあたり環状なので、また別の意味あいかも。
そういえば前スレでどなたかが書き込んで下さった写真集の文章にも
踊り手とあったような。

140 :Track No.774:2009/12/13(日) 15:37:19
…また長い引用に入る前に>>137補足
全て『変容の象徴』第二部:五:「母と再生の象徴」からの引用でした

>>139
これもやはり「母と再生の象徴」から

「中世美術に詳しいひとは、アダムの墓から十字架が生えている絵を
 知っているだろう。アダムがゴルゴタに埋葬されたという伝説があり、
 セツがアダムの墓の上にエデンの園の木の枝を一本植えておいたのが、
 キリストの十字架つまり死者の木になったというのである。

 ご承知のとおりアダムの罪過によってこの世に罪と死がもたらされたが
 キリストがみずからの死によってわれわれをその罪過から買いもどしたのである。

 アダムの罪過とはなんだったのかという問いには、
 恕されえない、死によって償われねばならないかれの罪は、
 あつかましくもエデンの園の木の実を食べたことだと答えることができる。」

「死にかたもまた、行為のもつ象徴的な内容を知らせる。

 すなわち英雄は、十字架の横木に釘うたれることによって、
 いわば、母の木の枝にぶらさがる。いわば死において母と合一し、
 同時に合一の行為を否認してその罪を死の苦痛によって償う。

 この最大の勇気と断念の行為によって動物的本性がもっとも強力に抑えられる、
 したがってここに人類にとっての最大の救済が期待される。
 なぜならこのような行為はそれだけでも、抑制を欠く本能的なありようという
 アダムの罪を償うに足ると思われるからである。」

「以前はなにも考えずに種族と一体になっていたものが、
 自分自身を意識する個人になることができた。

 またこうなってはじめて、個人的な決定的な死ということがありうるようになった。
 つまりアダムの罪によって死がこの世にきたのであるが、
 その罪とはまさに意識的になることであった。

 神経症患者が母から離れることのできない理由は十分ある。
 結局のところかれをそこにつなぎとめるのは死へのおそれである。」

というわけで

>再生を成すにはまず死なないといけないので、「死のない男」は逆に言えば再生・復活のない男。
>「死のない男」は前提で失敗している。故に、慈悲を受けられない。(慈悲=再生だとして)

ほぼ正解

141 :Track No.774:2009/12/13(日) 15:48:49
さらに追加

「われわれは幼時の追憶に沈み込んで、現在の世界から姿を消す。
 暗黒の闇のなかに落ち込むようだが、そこで思いがけない別の世界の幻を見る。
 そこでみる「秘儀」とは、原初的イメージの宝庫である。

 これはだれでもが人類の贈りものとしてもって生まれてくるもの、
 本能独特の生得の形式のすべてである。この「可能態」のプシュケーを
 わたしは集合的無意識とよんでいる。

 心のこの層が退行してきたリビドによって活性化すると、
 生の更新と同時に生の破壊の可能性が生じる。
 首尾一貫した退行は、自然な本能の世界との、すなわち形式的ないし
 理念的にいうなら原初的素材との再結合を意味する。

 この素材を意識が捕らえることができれば、
 新しい活気と新しい秩序がもたらされるだろう。

 ところが侵入してきた無意識の内容を同化する能力が
 意識にないことがあきらかになると、危機的状況が生じる。
 すなわち新しい内容が本来の混沌とした古代的な形を保持して、
 意識の統一をはじきとばしてしまう。」(『変容の象徴』第二部:七:「犠牲」)

この無意識の中の「原初的素材」がすなわちヴァーチュアルラビット
物語の方で大論争になってる様子が「意識の統一」がはじきとばされた状態

…と見て見れないこともなさげ

142 :Track No.774:2009/12/13(日) 15:52:54
さらにもういっちょ

「町は母の象徴、住民をこどものように胸に抱いて育む母である。」
「都市と女性とは無条件に同一なのである。」(第二部:五:「母と再生の象徴」)

SIM CITY!

143 :Track No.774:2009/12/14(月) 06:50:39

  ウソ言う 良くない!

144 :Track No.774:2009/12/14(月) 19:01:35
っていうかさー

ユングさん牧師の息子さんだからかキリスト教にやたら拘ってるけど
それ、日本人にはそのままでは適用できないから~
とか思ってたら、河合隼雄がその辺をカバーしてくれてんのな

それも平沢に言わせると

「ユングの言ってることが特に新しいとは、
 日本人だったら誰も思わないでしょう」

になっちゃうけど …そう…なの…?

157 :Track No.774:2009/12/18(金) 11:47:06
>>140
>ほぼ正解
わーい、当たった!

と、喜んでもしょうがない。ほぼということはまだ先があるわけですね。
そのままの表現としての死と再生ではなく、141で書かれた
「集合的無意識下での精神的死と再生」への応用というか。

「死のない男」は、死がない=暗黒への沈み込みがないから、
新しい活気と秩序に出会えない、とかでしょうか。
もうちょっと踏み込んで考えてみます。

160 :Track No.774:2009/12/18(金) 20:52:54
>>157
ほぼ、というのは、ユングがヨーロッパ人の精神の根っこにある
キリスト教の思想をベースして書いてるので、その洞察をそのまま
日本人である平沢の作品に適用するのはちょっと無理がある
…というような感じの意味です

日本人は日本人なりの精神の特徴があるので
本当はそこから考えていかないとダメなんだけど
それは三ヶ月くらい考えないと纏まらなさげ

800 :Track No.774:2011/08/31(水) 23:22:18.53
かまわずに…と思ったけど、振れるネタがあまりない!

ええと、ヴァーチュアル・ラビットの「太陽の木」、
「死のない男」ネタがこのスレで出てきたときにどなたかが書いてくださった
「太陽の木=生命の木=英雄が吊られた木」
から、
踊り手は死のプロセス(伏せては待つ)から目覚め再生を果たした。
稲妻、土砂、夢魔、雨というさんざんな目に泣き
「すくと立ち」踊っている間に夢=死に呑まれてしまう
そしてまた文字通り木から産まれた(伏せては待つ)が友はいなくなっていた…
(浦島太郎っぽい)
という風に読んだんですが、
さんざんな目はもしかしたら死と死の間の暗喩かも、とか
死→再生が出来てるなら、踊り手は言わば「死のある男」か?とか
そもそも踊り手と確定的に述べられているのは意味がある?
最初と最後の「伏せては待つ」の間はそれ自体が夢だったり?などと色々考えています。

何かヒントをいただければこれ幸い。

802 :Track No.774:2011/09/01(木) 00:27:30.79
>>800
では、スレ進行の正常化の為、自ら果敢に
歌詞ネタ振りに臨んだ男気になんとか応えてみせましょう

色んな神話や説話でも似たようなパターンありそうだけど
今すぐに思いつくのは「ゲッセマネの祈り」

画像検索でマンテーニャの絵を見てみるのオススメ
「太陽の木」の歌詞と絵の中の要素を対応させてみてみると
結構いろいろ当てはまるところがある、筈!

811 :Track No.774:2011/09/01(木) 18:54:35.35
>>801
「太陽の木」の途中で聞こえる声=幼児Lonia説?
という意図かどうかは分からないけど、点呼インタラの

>奇妙なことに、点呼する惑星のメガホンは休み無くAstro-Ho!とAstro-Hue!を、
>時に他の人物の名前を点呼する。点呼されるたびにAstro-Ho!は空から落下し、
>Astro-Hue!は反射的に恐怖や怒りに関連した不快な光景を目の前に投影して
>絶叫を上げる。その絶叫を利用して次々とAAROMが破壊されてゆく。

って設定、「太陽の木」の歌詞っぽいとこあるね、と勝手に繋げてみる

・夢魔=投影された不快な光景
・オニのように泣く/くるま座の友は泣く=恐怖の絶叫

ただ肝心の「陽を産むといわれた木」が点呼する惑星には見当たらない…
(トゥジャリットの錯覚でメガホン・タワーが
 そう見える、と強引にこじつけるのはアリかな)

813 :Track No.774:2011/09/02(金) 01:38:53.69
Hue!と風が Hue!と夢に

あ、でも他にも「ヒュー」って歌詞の入る曲、いくつかあったっけ

814 :Track No.774:2011/09/02(金) 11:07:09.37
>>813
即座に思い浮かんだのが狙撃手だった
ヒューと口笛吹き
そしてDDT

815 :Track No.774:2011/09/02(金) 13:35:18.44
>>813
Phonon Belt「百日も吹かれヒュー!と」

816 :Track No.774:2011/09/02(金) 21:02:43.36
>>814
ヒューと嗚咽を吐き 悪夢からまた悪夢へ がAstro-Hue!の
「恐怖や怒りに関連した不快な光景を目の前に投影して絶叫を上げる」に似てる

あー、狙撃手のサビ前でヒューと息を吐く(口笛も嗚咽も息を吐く動作)のは
狙撃手ではなく狙撃手に狙われている側だったりするのかしらん

恐怖とか精神的ショックに連動して反射的に体の筋肉が緊張して
自由に動けなくなっている時によくある対策といえば「深呼吸」
(たんと吹け風よ 人体の宇宙に - 庭師KINGの働きを十全に活かすのも深呼吸)

フルボッコの散々な状況をしれっと乗り切ってみせろ、みたいな
DDTの狙いを見極め、華麗に躱しきって「ざまぁw」と言ってやれ、的なノリ
すごいワルのさらに斜め上を行くワルい人って感じでちょっとかっこいい

817 :Track No.774:2011/09/03(土) 01:21:30.46
風の分身「ひゅうと 吹き荒れよと」

822 :Track No.774:2011/09/06(火) 01:16:30.88
>>800
さんざんな目の連想でベルセルクのガッツを思い出してみる
もし読んでたらその「夢=死」の部分を「幽世」に置き換えて
あの主人公があっちとこっちを何度も行ったり来たりしてる様子を
観察してみると面白そう

向こう側に行く事は死ぬ事だから
あと、狂気も向こう側の世界として考えると…

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年09月25日 15:28