29 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:08:51
 以前、連合通信の長谷川記者が、後に極寒の地で云々という終わり方をするSS(支援SS→824-827)を投稿しました。
この時はアラスカでの話がいつかできるかなと思ったいましたが、見事アラスカ作戦は中止。そこで別の寒い所に行って
もらうことにしました。
 各章の章名にあるキリル文字をYouTubeなどで検索してたただくと、原語での曲がたくさんヒットしてきます。


モスクワ通信2  -モスクワ方面軍見聞記- その1 ともしび Огонёк
1943年2月17日水曜日

 連合通信の記者である長谷川は、陸軍少将真田穣一郎以下四人の陸軍将校とともに駐ソ連公使大島浩の執務室にいる。

 南方での従軍取材から帰国して自宅でゆっくり過ごしていた長谷川は、正月早々に社長から直々に呼び出された。ソ連
政府との交渉の結果、(ソ連との貿易条件として-これは長谷川には伏せられていた)ソ連が陸軍の観戦武官を受け入れ
ることに同意した。また、1名ではあるが記者も短期の同行が許可されたという。その言葉で長谷川は観念した。

 長谷川は大学時代に白系ロシア人の子供の家庭教師をしていた縁で、露西亜語に興味ったのと生徒の姉である女子大学
生に下心を持って露西亜語の日常会話を習った。彼女には心を寄せる男性がいたために下心は成就しなかったが、露西亜
語が出来るということを売りに就職したのだから自業自得である。

「どうでしたか。シベリア鉄道の旅は?長谷川さん。」椅子から立ち上がった大島は陸軍将校に続いて長谷川と握手をした。

 着いたばかりなのだが、長谷川は、帰路にあの鉄道に乗らなければと思うと今から憂鬱になった。ハルピンからシベリ
ア鉄道の支線に乗り換えるなり、19世紀末のロシア帝国時代の遺物かと思われるような老朽化した客車に乗せられた。
破損したガラス窓の修理が間に合わないのか、窓ガラスが入手できないのか、廊下側の窓の一部は板で塞がれている。
 コンパートメントの座席はかつては、王族や大貴族の使用に耐えるほど豪勢だったと想像できるが、今ではすっかり剥
げて所々スプリングが飛び出ていたりする。

 それでも1等というので、奥ゆかしいほどの暖房は入っていた。昼は外套を羽織っていれば寒くはなく、寝るときは日
本から持ち込んだ毛布を列車備え付けの薄い毛布に重ねて体を丸めてようやく凍死することなく寝ることはできた。1等
がこれなら2等以下ではどのような環境なのかと想像するが、ソ連当局は長谷川に真田穣一郎少将以下の観戦武官団とも
ども別の車両に行き来知ることは許可しなかった。

「あまり快適ではありませんでした。」長谷川は正直に答えた。

「でしょうね。ソ連も外国人が利用するシベリア鉄道の車両はできるだけ質に気を配っていましたが、戦争で新造は出来
ず、前線へ輸送に使われる客車などは消耗する一方です。そのため車両不足で廃棄したような車両も復帰させているらし
いのです。
 まあ、ヨーロッパロシアでは貨車も民間人の輸送に引っ張りだされていますから、彼らも精一杯シベリア鉄道の威信を
維持しようとはしているのでしょう。」大島公使が気の毒そうに言う。

 長谷川はソ連が威信をかけて運行しているはずのシベリア鉄道ダイアの混乱振りから、これから利用するだろうソ連
鉄道の惨状を思いやった。

30 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:09:48
 何しろ八日間で到着する予定は主に石炭の輸送待ち、線路の補修、機関車の部品不足による故障などの理由で十日間に
延び長谷川の苦痛を長引かせた。もっともこれらの遅延の理由は、餅は餅屋で長谷川が駅に停車した時に、取材の要領で
駅の作業員や乗客相手に小さな蒸しジャガイモなどの売る物売りから聞き出して分かったことだった。

 日本で見慣れたロシア人は赤ら顔に大柄で恰幅がいいという印象があるが、ソ連で出会うロシア人は一様に土気色の顔色
目ばかりが目立った貧相な姿ばかりである。食糧不足がかなりの地位にある人間にまで蔓延していることが聞かずともわ
かった。長谷川が非常食に持ち込んだ餅の一つでもやると彼らは大概の質問には答えてくれた。

 しかし、このことは次の大島の言葉で大いなる後悔を生むことになる。

「まあ、あなたは今後もおもしろくない思いをしましょうが仕事と思い我慢してください。」

「取材の難しさは覚悟しております。」長谷川は、内心シベリア鉄道での体験から取材には手応えを持っていた。

「それもありますが、この国では海外派遣の記者はスパイと同義語なのです。自分たちがそうだから相手もそうだと決め
つけていますそのような目で見られ、また、扱いをされますから取材禁止と言われたらしっかり守ってくださいよ。許可を
得ないでやたらと民間人に言葉をかけることも注意してください。」大島公使は一旦言葉を句切った。

「なにしろ戦時中です。事故で死ぬ確率も高く、いかに公使館が抗議を申し入れたとしても、ちゃんとした調査されない
でしょうからね。」大島公使の言い方は上からといった感じはなく好感が持てたが内容は長谷川を落ち込ませるのには十
分だった。

「まあ、ささやかながら今夜はあなた方の歓迎会を予定しております。赤軍からあなた方を案内するグレベンニコフとい
う中佐も招待しておりますので色々お話をしておくとよろしかと。」大島公使は長谷川への忠告に緊張する真田少将一行
に笑顔で言った。

 その夜、公使館で開催された各国の駐在武官を招いた歓迎会は物資窮乏、極寒のモスクワとは思えぬ世界だった。山海
の珍味とはいかないが主なロシア料理は食べ放題、数は限られるが天ぷらなどの日本食も用意されていた。大島公使と
タチアナ夫人の手際よいホスト、ホステスぶりに会は談笑の絶えることなく進んでいく。

「こちらは物資が不足と聞いておりましたがどこからこのような?」長谷川が一際輝きを放っているタチアナに日本語か
ロシア語かと迷いながら聞いた。

「あるところにはあるのですよ。そうでなければ、今もスターリンがあのような恰幅のいい姿をしておりませんわ。まあ
公使館員の中には蛇の道はヘビのような者もいますから。」タチアナは流暢な日本語で答える。

「職員の入れ替わり時にシベリア鉄道経由で物資を持ち込みますし、定期的にフィンランドの駐芬公使館からも物資を送
ってきます。おかげで公使館の中で数ヶ月は持ちこたえる備蓄食料も用意しています。」大島公使が補足した。

「長谷川君、こちらが赤軍のグレベンニコフ中佐です。」山崎少将が二人の赤軍将校を長谷川のところに案内してきた。
 あまり大げさでない公式行事や社交時などで着用する日本陸軍のジャケット式である第二種軍装から比べると、厳つい
詰め襟の二人の将校が長谷川の前にやってきた。

31 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:10:46
「同盟通信社の記者の長谷川恭一です。明日よりお世話になります。よろしくお願いします。」長谷川は簡単に自己紹介
をした。
「ようこそモスクワへ。わたしはグレベンニコフ中佐です。」グレベンニコフ中佐は日本語で言った。
「日本語がおできになるのですか?」長谷川はさも驚いたように言った。

「モスクワ大学の日本語科で日本語を習いました。卒業してから赤軍に入隊して極東シベリアで軍の通訳の仕事をしてい
ました。」グレベンニコフ中佐はここまで日本語で言うと、ロシア語に切り換えた。
「こちらは政治将校のドルゴフ少佐です。」190cm近いだろう長身のグレベンニコフ中佐と比べて、長谷川と同程度の
身長であるドルゴフ少佐はいかつい感じを受ける。

 長谷川はこれが噂の政治将校かと緊張する。虚実取り混ぜているだろうが、泣く子も黙るソ連の政治将校は、日本でも
「共産党の権威をかさに無謀な攻撃を司令官に強いる」というステレオタイプが広まっていた。長谷川が右手を差し出す
と、ドルゴフ少佐は黙って軽く握手をした。その手は温かかった。

「ドルゴフ少佐、長谷川です。」長谷川はドルゴフ少佐の目を見て言った。
「明日からは強行軍になるが、体力に自信はあるか?」太い声でドルゴフ少佐は聞いた。
「はい、昨年はパラオ諸島などの前線基地で取材しておりました。熱い方は自信がありますが、寒い方はこれからです。」
長谷川は歓迎会の席とは思えない仕事口調で答えた。

それを聞くとグレベンニコフとドルゴフは二人で見合って笑った。

 やがて歓迎会はお開きになった。机の上に二つのバスケットが置かれ残った料理が次々に入れられる。いつの間に入っ
てきたのか二人のソ連兵がそのバスケットを受け取ると嬉しそうに出ていった。

「彼らはグレベンニコフ中佐らの従卒です。あれはお土産です。」大島公使が長谷川の背後で囁いた。
赤軍には赤軍の誇りがある。食べきれなかった自分の分を持ち帰ることは、たかりでもお恵みでもないといことか。長谷
川はそう判断した。

 長谷川達は、公使館のゲストルームに宿泊するため、帰路につくグレベンニコフ中佐らを見送りに公使館の正面玄関に
移動した。外は真の闇だった。灯火管制と電力不足が重なっているのだろう。そして、東京とは異なるもう一つの特徴に
気がついた。モスクワには疎開がすすんでいるとはいえ300万人ほどの市民が生活しているはずだ。

ところが、犬の声一匹とは聞こえてこない。時々、吹きすさぶ風の音だけだ。「闇と静寂」それがモスクワに対する長谷
川の印象だった。

 公使館の書面玄関からは中の明かりが漏れている。その明かりは外の闇に飲み込まれる。そう、明日からはこの闇の中
に入っていくのだ。そして、何としてでもこの公使館の灯火のもとに戻ってこなければならない。長谷川はいつもの取材
とは異なる気配を感じていた。

グレベンニコフ中佐らは公使館の自動車に乗り込むと、ほんの小さなスリットからのヘッドライトの明かりを頼りに自動
車は闇の中に溶け込んでいった。

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最終更新:2012年02月07日 03:57