681: ham ◆sneo5SWWRw :2021/08/05(木) 13:47:04 HOST:sp1-75-215-65.msb.spmode.ne.jp
三菱 一式陸上攻撃機一一型 (ham第一案)
全長:19.97m 全幅:24.88m 全高:6.0m
エンジン:三菱「火星」一五型空冷星型複列14気筒1460馬力エンジン
最高速度:461.7km/h
航続距離(巡航速度で飛行時)
  • 爆撃時:2,067km
  • 偵察時:5,676km
武装
  • 7.7mm機銃:1門(機首)
  • 13.2mm機銃:2門(上部・尾部)
爆装(以下のいずれか)
  • 800kg魚雷1本
  • 800kgor500kg爆弾1発
  • 250kg爆弾4発
  • 60kgor30kg爆弾12発
乗員:4~6名(機長兼操縦手・副操縦手兼上部機銃手・爆撃手兼前部機銃手・通信手兼後部機銃手・予備搭乗員2名)


<解説>
蒼空会の本庄技師は、史実でワンショットライターと酷評された一式陸攻の雪辱を晴らすべく、計画当初から防弾タンクを装備した三四型を基に設計を始めた。
しかし、海軍の偵察時航続距離要求は2600浬(4815.2km)。
三四型の航続距離は3633km。
とても要求を満たすことはできなかった。
元々約6000Lは必要とされたガソリンが4470Lにも減ったのだから当然と言えよう。

史実では有無を言わせなかった和田少将は、この世界では転生者となったことで要求性能の引き下げを検討したが、
史実でこの長大な航続距離で助けられた点があること、
四発機での雷撃はさすがに被弾面積も考慮すると限界があること、
歴史の修正力からか用兵側からの強い要望もあり、要求仕様を変えるに至らなかった。
これに対し本庄は、一一型だけに限定的に装備された爆弾倉搭載の増槽で対応することにした。

一方で、防弾タンクのほうは、ガソリンとゴムが太陽またはエンジンから伝わる熱で化学反応して、ゴムが溶解するという問題があった。
史実でも悩まされたこの問題に対し、鐘淵紡績(現:カネボウ)のカネビアン樹脂(ビニロン)で問題解決が見出されていたが、この樹脂が開発されたのは1939年。
一式陸攻が発注されたのは1937年であるため、開発開始当初は存在しないものであった。
加えて、史実大戦末期の日本の重化学工業では、独軍のペルプナン(スチレン・ブタジエンゴム)や米軍のネオプレン(クロロプレンゴム)のような合成ゴムの生産には1942年に成功していたが、大量生産に至っていなかった。
そのため、必要な防弾性能を得るためには相当に厚い天然ゴムを使用していた。
大戦末期でこれなのだから、1937年では防弾タンクも合成ゴムも研究の最中であり、本庄は頭を抱えた。
空技廠の倉崎と彼を通じて夢幻会で技術開発の促進を促す方向で対応したが、それでも合成ゴムの生産は間に合わず、史実通り天然ゴムで対応することことなった。
こうした紆余曲折を経て、防弾タンクを施した一式陸攻として開発されたのが、本機である。

682: ham ◆sneo5SWWRw :2021/08/05(木) 13:47:42 HOST:sp1-75-215-65.msb.spmode.ne.jp
  • 機体特徴
本機の最大の特徴は防弾タンクを完全に施した点である。
天然ゴムを利用し、加硫ゴムとスポンジゴムの積層式としたものだが、被弾による漏洩を完全に塞ぐことに成功していた。
加えて主翼内に二酸化炭素を利用した自動消火装置を装備しており、防弾タンクとして合格点を出していた。
大戦後半には合成ゴムを使用したタイプも開発されたが、その頃にはレイテ沖海戦後であり、旧式化は否めず、少数で終わったが、開発に関わった研究は日本の重化学に大きな足跡を残すことになる。

機体形状は史実と同じく葉巻型の太い形状である。
本庄は以前から、その独自の縱安定理論に基く研究に際し、その風洞試験によって尾端まで太い葉巻形の胴体は、案外に空気抵抗が少ないことを発見していた。
このため、機体形状は三四型をベースに、極力弄らないこととしていた。
太い形状を維持したことで、海軍で開発された爆弾と魚雷を全て搭載された実績(銀河などでは一部魚雷が長すぎて爆弾倉に入らなかった)を持っている。
この実績からA-1のような冗談が飛び、即席爆弾の名目で搭載したという話が残っているが、真偽は定かではない。

爆弾倉は二二型までは空中で開閉できないという問題を抱えていたが、本機では最初からハンドルで開閉できるようにしている。
この爆弾倉には、偵察時には増槽を搭載していた。
一式陸攻の爆弾倉の直上には胴体を横に貫く1番燃料タンクがあり、仮に爆弾倉内に増槽を積んでもから燃料パイプを引くことは容易であった。
一般的に零戦の胴体下に備え付けられる増槽の容量が330Lで比重換算すれば約250kg。
250kg爆弾4発を納められる爆弾倉内ならば、計4つで1320Lの増槽を装備することが可能である。
史実の三四型の防弾タンク4470Lと合わせれば5790Lであり、これによりなんとか要求値を満たすことに成功していた。

搭乗員は基本的に機長兼操縦手・副操縦手兼上部機銃手・爆撃手兼前部機銃手・通信手兼後部機銃手の4人となっている。
これは史実のように多くの搭乗員を乗せることで撃墜や被弾による人的損失を増やすことを防ぐためである。
史実より半分近くに減っており、元々海軍航空隊は少数精鋭を旨としてたが、大戦中の戦線拡大と人的損失に追い付けなくなった。
夢幻会の御蔭で搭乗員数を増やしているが、十分とは言えず、これは有難かった。

とはいえ、葉巻型の太い胴体は内部空間に大きな余裕があり、折り畳み式の仮設座席を設けることで、少数の人員輸送も可能にしていた。
これが後の海軍甲事件の機体となる要因となったのは、また別の話である。
また、4名としたことで搭乗員の負担も大きいため、偵察時など危険の少ない任務では上部と後部に専門の機銃手を置いて負担を減らすことも有った。

防御火器をいくつも搭載するより全く無くして戦闘機の追い付かない高速性を発揮したモスキートの例から、下手に増やすより、最も危険な後方と上方に限定して銃座を置くこととした。
使用する機銃では20mmにするか、13.2mmにするかで倉崎と本庄の間で議論となった。
史実の20mm機銃は本体重量が13.2mm機銃より5kgも軽いため、威力もあることから軽量化には有難かった。
しかし、弾数が零戦の3/4の45発で、交換するのに約16kgの弾倉を持ち上げなければならないという問題があり、防御面では大問題であった。
一方で、13.2mm機銃はベルト給弾式で給弾が容易で、弾数も200発以上と経戦力があり、防御面ではこちらが有利であった。
軽量化をしたい本庄は20mmを推したが、倉崎は防御面から13.2mmを主張。
結局、運用側からの要望で13.2mmを搭載することとなった。
これを上部と尾部に1門ずつ搭載している。
機首にはスポッティングライフルや露払いを目的として7.7mm機銃を1門装備している。


以上です。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年08月07日 19:26