185: モントゴメリー :2021/12/22(水) 23:14:10 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
試製三式中戦車

全長(車体長):6.34m
全幅:2.90m
全高:2.50m
重量:約30t
エンジン:空冷ディーゼル(400馬力)
最高速度:45km/h
装甲厚:前面75㎜(傾斜60度)
    側面及び背面40㎜(傾斜20度)
武装:試製十糎戦車砲(口径105㎜、約55口径) 1門
   試製三式車載重機関銃 2丁

※ 全般的なシルエットは、ヤークトパンターに類似。ただし、側・背面装甲の傾斜はゆるめ

【概要】
日本陸軍が開発した戦車。
米軍のM1重戦車(M26パーシングのこと)やソ連軍のスターリン重戦車を仮想敵とし
「主砲として十糎戦車砲を搭載する」ことを前提に設計された。
防御についても、九七式中戦車の弱点であった車体前面の垂直部分を砲塔と一体化した傾斜装甲としている。
サイパン島で初陣を飾って以降、朝鮮戦争まで第一線に立ち続け九七式中戦車『殿』から五式中戦車、さらには61式中戦車へと日本戦車の栄光と伝統(無砲塔戦車)のバトンを渡した。

【計画】
1942年12月、九七式中戦車の後継車両としてチト車(=四式中戦車)の設計が決定された。
しかし、設計自体はごく短期間で達成されたものの、製造段階で予想以上の遅延が発生していた。
考えてみれば致し方無い面もある。転生者たちは経験豊富であっても、現場の工員たちはこれほどの「大型」戦車を作った経験などほぼ皆無なのだから。
特に回転砲塔に関してはチニ車以来のことであり、この部分の製造がボトルネックとなっていた。
そのため工場ではチト車の車体のみが「首無し」状態で在庫となっていく有様であった。
そして、その光景を見た前線帰りのとある戦車兵は激怒した。
(「休暇配置」として工場に視察に来ていた)
前線では1両でも多くの戦車を必要としているのにこの有様はなんなのだ!?と。
案内役の技師は理由(砲塔の製作遅延)を懸命に説明したが、戦車兵は納得せず次のように叫んだ。

「なら砲塔なんていらん。九七式中戦車殿と同じ構造にしろ!!それならもう一回り大きな砲も積めるだろう」

九七式中戦車殿と共に戦い続けた日本戦車兵にとって、回転砲塔は「ぜいたく品」とまでは言わないが、優先順位は低いものであったのだ。
彼らが求めるものはまず敵戦車を貫ける主砲、次に敵の戦車砲弾をはじくことができる装甲、そして敵戦車に先んじて優位な地点にたどり着ける機動力であったのだ。
回転砲塔が無い不利など、「大和魂」でいくらでも補うことができるのだ、と。
そして、その発言に陸軍上層部の一部が賛同した。
彼らは、如何に回転砲塔を搭載したとしても75㎜砲ではアメリカやソ連が投入してくる重戦車には勝てないと考えていたのだ。
無論、それらに対抗する車両も開発していたが(=五式中戦車)、完成はチト車より先になるのは確実である。
その間に敵重戦車がやってきたら対抗できない……。米ソの国力を見れば彼らの懸念は決して荒唐無稽なものではなかった。
そのため、九七式中戦車に105㎜砲を搭載することを検討していた(=九七式中戦車改二丙型)ところに、件の発言がやってきたのである。
同じ砲を積むとしても、より大型の車体の方が安定するのは自明である。
彼らはこの機会を最大限に利用し、「前線の将兵の声に応える」という名分のもとにチト車の車体を確保し105㎜砲搭載戦車を即席で作り出したのである。
各種手続きも簡略化されたため、本車両には制式名称もなく「『試製』三式中戦車」という仮称がそのまま使われた。

186: モントゴメリー :2021/12/22(水) 23:15:21 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
【武装】
主砲として試製十糎戦車砲を搭載している。
これは口径105㎜、砲身長は約55口径であり新設計の一式徹甲弾を用いた場合距離1000mで約180㎜の装甲貫徹能力を有する。
太平洋ではアメリカ軍のM4中戦車を約3000mの距離で撃破し、樺太や満州、朝鮮半島では2500mでT-34を、2000mでスターリン重戦車を撃破した。
(もっとも、上記の戦場でこれほどの視界を確保できる場面は滅多になかったが)
構想段階では自動装填装置の採用が検討されていたが、(予想された通り)開発が難航した。さらに一日でも早く前線へ届けてくれという将兵たちの声を受けて実装は見送られた。
(本砲への自動装填装置の採用は、戦後の61式中戦車まで待たねばならなかった)
携行弾数は定数40発であるが、戦場では兵士たちの創意工夫により50発前後を搭載したという。
副武装として、新規設計の試製三式車載重機関銃(史実試製四式車載重機関銃)を2丁装備している。

【機動力】
エンジンには三菱が新規設計した試製三式V型12気筒空冷ディーゼルエンジン(史実四式V型12気筒空冷ディーゼルエンジン)を採用している。馬力は400馬力で、九七式中戦車を大きく凌駕している。
当初はチト車に予定されていたエンジンを予定していた。
しかし本邦では例を見ない大馬力エンジン(650馬力)、しかもこれまで実績のない液冷ガソリンエンジンという構造のため開発が難航していた。
また、前線の兵站部門経験者からの「補給の都合考えろやボケェ(意訳)」という意見もあり採用は見送られた。
(九七式中戦車は空冷ディーゼルエンジンなので燃料は軽油である)
よって、今現在手に入る中で一番大馬力のエンジンを採用したのである。
その馬力はチト車のものの2/3程度であったが、重量もまたチト車より軽量であったため速度は同等の45km/hを発揮できた。

【防御力】
本車の各部装甲厚は、車体前面75mm、側面及び背面40㎜となっている。75㎜という数字は、当時日本で量産できる装甲板の最大厚さであった。
前面装甲の傾斜角は60度であり、避弾経始の効果(斜面効果)を考慮すれば225㎜の垂直装甲に匹敵する。
理論上ではM4の75・76㎜砲、あるいはT-34-85の85㎜砲では零距離でも貫徹されず、スターリン重戦車の122㎜砲に対しても200mまでは安全圏を確保できる。
(実際、樺太戦車戦終盤の乱戦では距離300mで発射された122㎜戦車砲弾をはじいている)
しかし、沖縄などで体当たりしてきたM4の射撃で撃破された例もあり絶対の装甲ではなかった。
これは、冶金技術の限界からくる製造時の欠陥が原因であると考えられる。

【生産コスト】
回転砲塔を排したことにより製造にかかる費用はチト車の7割から8割程度まで抑制することに成功した。
(九七式中戦車約6両分)
製造時間に関しても、九七式中戦車で慣れ親しんだ無砲塔型戦車であるため工員たちの習熟も早く、こちらはチト車の6割程度であった。
(九七式中戦車3両分)

187: モントゴメリー :2021/12/22(水) 23:19:08 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載は自由です。

約2年お待たせしました。
「和製ヤークトパンター」でございます。

元々の構想は、九七式中戦車殿(和製三突)と五式中戦車(和製エレファント)の間が離れすぎてるな~
と思ったのが最初ですね。
多分、普通だったらアイデアのまま埋もれていきましたが
加賀氏がこの車両を採用してくれるという話だったので、何とかして完成させました。

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最終更新:2021年12月25日 22:19