135 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 15:49:14 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [48/225]



「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」

  信長公記 巻十四より

「その街に近づくと、最初に臭いがしてきました
人間の臭いだってことはすぐに分かりました
恐ろしいことが起こったんだ――とすぐに気づきました
すごく静かでした
近づくにつれ、ここの人たちに何が起こったか分かってきたんです」

                 ――あるアメリカ軍兵士の回想より



「はい。私たちがドイツ本土に入ったのは昭和21年の10月に入ってからでした
ライン川を越えた先鋒が独軍の抵抗を粉砕してから24時間ほどはみんな不安げな顔をしていましたが、どうやら大丈夫そうだと分かると我先に戦車やジープ(くろがねという名前はありましたが私たちは供与元のアメちゃんの言葉で通っていました)に乗り込んで河を渡ったんです
聞くところによるとライン川渡河が激戦になると覚悟していた先鋒は水陸両用戦車をかき集めて強襲をかけるつもりだったようですが、よく知られているように独軍はルーデンドルフ橋の爆破に失敗して首尾よくわが軍が確保に成功したんです
この時点で独軍はまだ気付いていなかったらしく、私たちは安全に橋を渡ることができました
このあとでドイツのジェットやもとは対艦攻撃用の自爆飛行隊(私ら従軍組は本土でいっていた神風なんて名前を呼びませんよ)までもが橋の破壊のために乗り出してきたんだそうで、ついには駆逐艦をライン川から遡航させて砲台代わりに使ったんだそうですが、このときはいつものような光景でしたね
珍しくこのあたりは爆撃の被害がそれほどなかったようで美しい街並みが広がっていました
おのぼりさんみたいにきょろきょろしながら進撃していきましたが上官の「こんなきれいなところだったんだなぁ」というつぶやきが印象に残っています
ドイツ人の態度?
いつもの通りでした
爆撃の跡を通り過ぎる際は家族を亡くした女性や子供らが罵りのひとつも上げるだろうと身構えていましたが、私たちを見つめる目はいつもの通り憎しみに満ちたものだけ
これで洗車はせずとも済むなと戦友と笑う余裕もあったくらいです
アメちゃんもいつもの通り、チョコレートをばらまいてそれに歓声を上げる子供たちという姿が続きましたね
ドイツ人の「ウンターメーンシェ」(発音が正しいかどうかは知りませんが劣等人種って意味です)って単語は既によく知られたものでした

136 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 15:50:02 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [49/225]
もっとも、アメちゃんの方もよく心得たもので、食糧配給なんかは私らの担当でした
やはり腹が減っては何もできないらしく、無言で列に並んでくるんですね
ラインラントを通り過ぎるときは腹も立ったものですがもう慣れたもので、目を合わせずにパンと汁物を渡し続ける音があたりに響いたもんです
去り際にぼそっと一言二言呟いて去っていく。それだけです
私らも友軍の猛爆撃で破壊された街並みばかり見てきましたし、ヒットラの獅子吼の内容はよく知られていましたからこれも戦争なんだなぁとまぁなんとか折り合いをつけたんですな
そうそう
たまに調子に乗ったのが唾を飛ばしてくるんですがそうなればしめたもので、横についているMP(大抵が黒人でしたね)が笛を吹いてとっ捕まえるんですよ
判で押したかのように抗議が上がるんですが、アメちゃんが「これは刑法に記されたれっきとした犯罪だ」とか同じような文句で告げると黙るんです
そうなってはじめてこちらに目を合わせてくるんですね
私らがどうしたかって?
あまり褒められたものじゃないんですが、笑いかけてやりました
まぁ慣れてくると内心あんまり気持ちのいいもんじゃないですけどね

さて、その後後退する独軍の中央軍集団を追撃するわが軍主力と別れて、私たちはドイツ南部を転戦しました
この頃になるとわが軍の五式(中戦車)や六式(重戦車)で楽に独軍の戦車を撃破できるようになっていました
なにせ数が減っていましたからね
出てくるのは4号2型がほとんどで、時折パンテル2、町の周囲に少数のティーガーやティーガー2がトーチカ代わりに配備されている形でした
そんなものはほとんどが友軍の戦術航空部隊がロケット弾を撃ち込んで撃破してくれていましたからほとんど交戦に至りませんでしたけれどね

その町についたのは46年のもう年も暮れでした
ヒットラはドイツの都市に要塞都市という指定をしてその中で市街戦をよくやったんですが、当然住民はそうはなりたくないもので、降伏交渉が行われることもしばしばでした
その町も首尾よく降伏が為されたみたいですが、町の代表者が珍しくこちらについてきたんです
いつもは顔も見たくないとばかりにさっさと引き上げるんですがね
私らの車両が先頭を仰せつかりまして、その後ろにジープに乗った町のお偉いさんと独軍軍人が続きました
ちらりと見た上官は厳しい顔でした
町の住人も珍しく、遠巻きに不安そうにこちらを見つめるだけでした
このときもうみんな「おや?」と思っていましたよ

理由はすぐわかりました
上官殿に町のお偉いさんが「カーツェット(KZ)」という単語を会話の中でしきりに使っているんです
それに戦車を先頭にしているとはいってもその後ろすぐに衛生兵がかき集められているんですから普通じゃありません

137 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 15:50:48 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [50/225]
私は

「オイ。これはひょっとして」

とだけ言って黙りました
噂に聞く強制収容所へ向かっているのだ。とすぐわかりました
そのころにはともに進撃していたアメちゃんの随伴歩兵が合流して私らは2個大隊ほどになっていました

ひどく静かでした

南ドイツとはいえ冬の12月ですから雪も積もっています
ぎゅっぎゅっという押し殺した足音のほかはただ戦車の駆動音と排気の黒煙、そして兵隊たちの息が白く立ち上っていました
と、どこからか匂いがしてくるんですね
私らはもう戦場で嗅ぎなれたもので、すぐに何かわかります

検問所は開け放たれていました
あとで聞いたんですがこの町のナチ指導者が徹底抗戦を叫びながらもわが軍を視認した段階で真っ先に逃げ出したのが発端で、警備もあわてて逃げ出したんだそうです

私らはそのまま前身し、バラックの群れをひとつひとつ確認していきました
すると、物陰からおずおずと這って出てくるのがいるんですね
その姿といったら…
昔、故郷の寺で見た地獄絵図に出てきた人間そっくりでした
眼窩は落ちくぼみ、手足は?覧せ衰え、肋骨が浮き出し、そして腹が異様に凹んでいました
全身は土気色でしたので、私らはどこの人間かわかりませんでしたよ

恐ろしいことに、そんな人間とは思えないような姿(ほとんどが裸でした)の人々が次から次に見つかるんです
彼ら、彼女らはほとんどが建物の物陰で座り込んだまま、ただ黙ってこちらを見つめていました
恐ろしかったのは死体置き場らしい場所を見たときです
男とも女とももはやわからない姿の人間同士が互いの尻に食いついたまま死んでいるんです
地獄かと思いました

すぐに衛生兵が前へ出て手当てをはじめたんですが、人手がまるで足りないというので私らも補助につきました
食事を作ろうという話になったんですがそれは止められました
なんでも、極端に飢えた人間にすぐに食事を与えると消化に使う体力や栄養すら残っていないためにそのまま死んでしまうんだそうです
後方の偉い先生方はこういうことがあるのを予想していたようで、既に手当ての指針を作っていたんだそうですな
ありがたいといっていいのかどうなのか…

まずは手持ちの粉末で経口補水液を作るように命令が下りました
手持ちは減るんですが誰も何もいいませんでしたね
ただ、絶対に食糧は見せるなと言われました
衛生兵はジープから錠剤の入った箱を大量に下して一人ずつ与え始めました
経口補水液で流し込ませるんですな
ご存じの通り、経口補水液は甘いというよりあまじょっぱいものです
登場した頃のものとは違ってこの頃にはいい香料が添加されていてそれなりに「飲める」ものとなっていました

138 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 15:51:35 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [51/225]
最大の衝撃は、ある収容者にそれを飲ませたときです
唯々諾々と飲まされるに任せていた収容者はすぐに自ら杯を手に取ってまるで渡すまいとするかのようにそれを飲み干してからおもむろにこっちを向いて

「ダンケ」

といって顔を少し歪めて笑いを作ろうとして見せたんです
ドイツ語で礼を言われたのはそれがはじめてのことでした

そうです
ドイツ人だったんです

あとで分かったんですが、そこは噂に聞いた絶滅収容所ではなくて政治犯向けにナチスのブタどもが政権を獲得した直後から運営していた「ただの」強制収容所でした
数か月後にアウシュビッツを解放したのは我々でしたが、衝撃の度合いでいえばこのダッハウ強制収容所を見たときが最大でしたね…」


            帝国陸軍 戦車第1連隊所属 福田定一中尉(当時)の回想より

139 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 15:54:27 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [52/225]
138 訂正


×「衝撃の度合いでいえばこのザクセンハウゼン強制収容所を見たときが最大でしたね…」
〇「衝撃の度合いでいえばこのダッハウ強制収容所を見たときが最大でしたね…」

以上になります

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最終更新:2023年05月27日 19:03