センター世界史

第一問 作成者:センター世界史 ◆NBF/ZX8Tu

世界各地における革命、および市民運動について述べた文章A~Cを読み、下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)

今年初めに、1エジプトにおいて大規模なデモが発生し、ムバーラク政権が崩れた。
これに触発され、2アラブ圏の国々において大規模なデモが発生した。
その結果として、3イランやバーレーンでは反政府デモによる死者も発生した。

問1 傍線1の国では、ナセルにより様々な政策が行われた。
次の文のうち、ナセル施政時のエジプトの出来事ではない物を1~4のうちから選べ。
1 アラブ連合共和国が建国された。 2 パレスチナ戦争に際し、アラブ側として参戦した。
3 スエズ運河を国有化した。    4 六日間戦争で敗北し、シナイ半島を失った。

問2 傍線2に関連して、このの地域において、イスラエルとアラブ国家の間で戦いが起こった、
その戦いと関連する出来事について述べた文として、正しいものを次の1~4のうちから選べ。
1 パレスチナ戦争において、アラブ諸国が勝利したことによりイスラエル難民が生まれた。
2 パレスチナ解放機構の議長にアラファトが就任し、対イスラエルのテロが鎮静化した。
3 十月戦争ではOPECによる石油戦略により、第二次石油危機が発生した。
4 1993年に、パレスチナのアラファトとイスラエルのラビンとの間でパレスチナ暫定自治協定が調印された。

問3 傍線部3に関連して、この国において、イラン革命を指導した人物を選べ。
1 モサデグ 2 フサイン
3 ホメイニ 4 サダト

B

17世紀のイギリスにおいて、ピューリタン革命がおこり、ステュアート朝が4ピューリタン革命によって倒れ、クロムウェルによる共和政が始まったが、ここでもクロムウェルによる独裁が行わ
れた。
クロムウェルの死後、即位したチャールズ2世は5カトリックの復活を目指し議会と対立し、次のジェームズ2世の時に6名誉革命が起こり、オランダから新たに王を迎え、立憲政治を行うこととなった。

問4 傍線4の革命について述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを、下の1~4のうちから一つ選べ
a 独立派のクロムウェルは、鉄騎隊を組織した。
b チャールズ1世は独立派によって国外追放となった。

1a-正 b-正
2a-正 b-誤
3a-誤 b-正
4a-誤 b-誤

問5 傍線5の宗教にに関連して、宗教改革について述べた次の文として波線部が正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
ドイツのカルヴァンは、キリスト教綱要を著した。
2 ルターは旧約聖書をドイツ語に翻訳した。
3 アウグスブルグの宗教和議で、個人の信仰が認められた。
ゴアを拠点としたイエズス会は、カトリックの布教を行なった。

問6 傍線6に関連して、名誉革命について述べた次の文章中の空欄アとイに入れる語の組み合わせとして正しいものを、次の1~4の内から選べ。

名誉革命ののち、議会によってオランダからオラニエ公ウィレムとその妻メアリ招かれた。
その後、( ア )と、ウィリアム3世が即位し、( イ )を立法化して、立憲政治を行った。

1 ア-メアリ2世 イ-権利の章典
2 ア-メアリ2世 イ-権利の宣言
3 ア-アン女王  イ-権利の章典
4 ア-アン女王  イ-権利の宣言




第 問 作成者:世界史2 ◆etuGNuwKRM
世界史は男性を中心として語られることが多いが、歴史の流れに大きな影響を及ぼした女性も少なくない。
世界市場の女性について述べた次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)

A 紀元前7世紀末のギリシアに生まれたサッフォーは詩人として有名であるが、その生涯は良く知られていない。
①紀元前6世紀末にシチリア島に亡命し、後にレスボス島で子女教育の学校を設立したことが伝わるのみである。
しかしながら、彼女の詩は時代を超えて人々に影響を与えた。②古代ローマ時代には、詩人のオウィディウスが「いまやサッフォーの名はあらゆる国々に知られている」と述べている。
一方、キリスト教が普及するにつれて、異教的な作風を持つ彼女の詩は非難を受け、多くの詩が失われたとされている。
③ルネサンス期には、古代ギリシア時代に対するヨーロッパ人の憧憬の念から、その詩が再び評価されるに至った。

問1  下線部①の時期に起こった出来事について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 中国では、周の首都である鍋京が、異民族に攻略された。
② オリエントでは、アッシリアが崩壊した。
③ ローマでは、エトルリア人の王が追放され、共和政となった。
④ ギリシアでは、サラミスの海戦が起こった。


問2  下線部②について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① オクタウィアヌスが元首政を創始した。
② 五賢帝の時代に、帝国内の全自由民に市民権が与えられた。
③ テオドシウス帝がキリスト教徒を迫害した。
④ ニケーア公会議が開かれ、ネストリウス派が異端とされた。

問3  下線部③の時期の文化について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

a チョーサーが『ユートピア』で、第1次囲い込み運動を批判した。
b ミケランジェロが「最後の審判」を描いた。

① a―正 b―正
② a―正 b―誤
③ a―誤 b―正
④ a―誤 b―誤

正解 問1 ③ 問2 ① 問3 ③


B ロマノフ朝皇帝ピョートル3世の妻であったエカチェリーナ2世は、夫の死後ロシア帝国の皇帝に即位した。
ロシアの後進性を嫌った彼女は、ヴォルテールら啓蒙思想家と交流し、啓蒙専制君主と呼ばれた。
ロシアの近代化を試みて改革に着手したが、(ア)の反乱の後に反動化した。
また彼女は対外進出にも積極的であり、④オスマン帝国に介入し、領土を拡大した。
3度にわたるポーランド分割にもすべて参加し、(イ)の反乱をおさえ、⑤フランス革命の混乱に乗じてポーランドの全領土をオーストリア・プロイセンと分配した。
アメリカ独立戦争に際しても、武装中立同盟を提唱してイギリスの孤立化をはかった。

問4 文章中の空欄(ア)と(イ)に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ア―ラクスマン イ―ラ=ファイエット
② ア―ラクスマン イ―コシューシコ
③ ア―プガチョフ イ―ラ=ファイエット
④ ア―プガチョフ イ―コシューシコ

問5 下線部④の国について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 15世紀半ばに、ビザンツ帝国を滅ぼした。
② ムスリムの子弟を徴用しイェニチェリを組織した。
③ イスファハーンを首都とした。
④ レパントの海戦でスペインに勝利した。

問6 下線部⑤について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 国民議会が人権宣言を採択した。
② 立法議会では立憲君主派が台頭した。
③ 国民公会ではバブーフが恐怖政治を行った。
④ 革命に対抗して、ポルトガルが対仏大同盟の結成を提唱した。

正解 問4 ④ 問5 ① 問6 ①

C アメリカ合衆国コネチカット州に生まれたストウ夫人は、奴隷制反対を唱える家庭で育ち、アメリカ南部の奴隷制を告発するために『アンクル=トムの小屋』を著した。
⑥当時のアメリカ合衆国 では、奴隷制を擁護し自由貿易を唱える南部と、奴隷制に反対し保護貿易を唱える北部の対立が深まっていた。
彼女の著作は奴隷制反対論者を喚起し、南北戦争時に大統領であったエイブラハム・リンカーンは、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と彼女に対して述べたという。
しかしながら、南北戦争において解放された奴隷が本当の意味で白人と平等な権利を得るのはその約1世紀後であり、(⑦)大統領在任時に制定された公民権法により合衆国内の黒人の参政権が初めて保障された。
⑧今日でも、世界各国において少数派の弾圧は続いている。  ストウ夫人が19世紀に取り組んだ課題は、21世紀になっても完全には解決していないのである。

問7 下線部⑥について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 奴隷制擁護派が共和党を結成した。
② 西漸運動により、インディアンが圧迫された。
③ モンロー大統領が、インディアン強制移住法を制定した。
④ イギリスからフロリダを買収した。

問8 下線部⑦に入れる人物の名前として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① アイゼンハウアー
② ケネディ
③ ジョンソン
④ ニクソン

問9 下線部⑨に関連して、少数派の歴史について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① スリランカでは、多数派のシンハラ人と少数派のタミル人の間に、内戦が発生した。
② チベットでは、ダライ=ラマ14世の指導下で、中国からの独立を求める運動が続いている。
③ 南アフリカ共和国では、少数の白人が政治を行うアパルトヘイト政策がとられた。
④ 19世紀にイギリスがニュージーランドに進出した際に、アボリジニーが抵抗運動を起こした。

正解 問7 ② 問8 ③ 問9 ④



第?問 作成者:世界史3 ◆VkSXVQaq7U
3つの主要な東西交易路について述べた次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)

A
 南ロシアの草原地帯、カザフ草原地帯、アルタイ山麓、モンゴル高原までの
大ステップ地帯を貫くもっとも古い東西交通路である『草原の道』は、
通称ステップ・ロードとも呼ばれ、スキタイ文化の東伝、[①匈奴の活躍]、
アジア系遊牧民族のヨーロッパへの進入などの際のルートとなった。
[②北アジアで強大な国家を作り上げた遊牧民の多くは、この道を支配した。]

問1 傍線部①に関連して、匈奴の説明としてふさわしくないものを次のうちから一つ選べ。

1 冒頓単于が漢の高祖と戦って勝利し、匈奴の最盛期を現出した。
2 武帝の派遣した張騫によって討伐され、衰退、分裂した。
3 分裂した匈奴の一部は西走してヨーロッパに侵入した。
4 紀元前6世紀ごろに栄えたスキタイ文化の影響を受けた。


問2 傍線部②に関連して、北アジアに帝国を築いた遊牧民について正しく述べたものを次のうちから一つ選べ。

1 遼は後梁の建国を助けて燕雲十六州を獲得した。
2 イラン系遊牧民のウイグルは安史の乱に際して唐を支援した。
3 オイラトのエセン・ハンは1449年の土木の変で明の英宗正統帝を捕らえた。
4 突厥はササン朝のシャープール1世と結んでエフタルを滅ぼした。




 中央アジアの砂漠地帯に点在するオアシス都市を結び、
東西交易路の最短路となる『オアシスの道』は、シルク・ロードとして非常によく知られている。
この名は、中国産の絹がこの道を通って西方の[③インド]やイラン、[④ローマ]にもたらされたことに由来し、ドイツの地理学者リヒトホーフェンによって命名された。
この道は中国の[⑤長安]から敦煌を経て[⑥中央アジア]を横断し、メソポタミアを経て地中海沿岸に達する。


問3 傍線部③に関連して、インドに成立した古代王朝の説明として正しいものを次のうちから一つ選べ。

1 ドラヴィダ人によって建国されたサータヴァーハナ朝は季節風貿易で栄えた。
2 グプタ朝ではヘレニズム文化の影響を強く受けたガンダーラ美術が発達した。
3 チャンドラグプタ2世のもとで栄えたクシャーナ朝は、パータリプトラに都を置いた。
4 マウリヤ朝はマヌ法典を編纂し、上座部仏教が成立した。

問4 傍線部④に関連して、後漢の使者としてローマ帝国へ派遣された人物として正しい人物名を次のうちから一つ選べ。

1 董仲舒
2 班超
3 甘英
4 鄭和

問5 傍線部⑤に関連して、傍線部の説明として正しいものを次のうちから一つ選べ

1 後漢の光武帝はここに都をおいた。
2 この都市の郊外に仏教石窟寺院である雲崗石窟がある。
3 八・一宣言に共鳴した張学良は蒋介石を幽閉して内戦の停止と団結を要求した。
4 清明上河図はこの都市の繁栄ぶりを描き表したものである。

問6 傍線部⑥に関連して、中央アジアに位置するアム川・シル川流域に存在しない都市を次のうちから選べ・

1 ヒヴァ
2 コーカンド
3 サマルカンド
4 イスファハーン




 ユーラシア大陸南方の[⑦港市国家]を結んで形成された『海の道』では、
8世紀以降から[⑧ムスリム商人]が中国貿易に乗り出し、より活発に用いられるようになった。
この道は陶磁器の道とも呼ばれ、地中海から[9紅海]、ペルシア湾を通ってアラビア海を経てインドに達し、
さらに東南アジアを経て中国南部へ到達した。

問7 傍線部⑦に関連して、港市国家として栄えた扶南の外港の位置とその名称を正しく組み合わせたものは次のうちどれか。正しいものを一つ選べ。


1 A-パレンバン
2 A-オケオ
3 B-パレンバン
4 B-オケオ

問8 傍線部⑧に関連して、このムスリム商人が使った船として正しいものを次のうちから一つ選べ

1 ジャンク船
2 三段櫂船
3 亀甲船
4 ダウ船

問9 傍線部⑨に関連して、紅海沿岸の都市であるメッカ・メディナに関して述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを次のうちから一つ選べ。

a-マムルーク朝は両聖都を保護下に置いた。
b-マリ王国のマンサ・ムーサ王はメッカ巡礼を行った。

1a-正 b-正
2a-正 b-誤
3a-誤 b-正
4a-誤 b-誤




第 問 作成者:世界史2 ◆etuGNuwKRM
世界史上の政治制度の相違について述べた次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~9)に答えよ。

A 農耕・牧畜の開始と共に、人々の間に身分差が生じた。そこで生まれたのが、力を持つ人物が統一国家をつくり人民を統治する、王政である。
古くは①古代エジプト のファラオがその代表であり、エジプトに存在した複数の都市国家を支配した。王は自らの力の正当性を示すため、しばしば宗教と結びついた政治を行った。
この傾向は中世ヨーロッパ世界にも存在し、そのために②キリスト教における最高権力者と政治上の実権を握る王との間に対立が起こる例も見られた。 
アジアにおいても、③中国 では20世紀初頭に革命が起こるまで、皇帝による中央集権的な支配が続いていた。

問1 下線部①について述べた次の文中の空欄(ア)と(イ)に入れる語の組合せとして最も適当なものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

エジプト中王国時代に、エジプトは遊牧民(ア)の侵入を受けた。
この遊牧民を追放して成立した新王国では、(イ)が大規模な政治的・宗教的改革を構想し、
首都をテル=エル=アマルナにうつしたが、改革は一代のみで終わった。

① ア―ヒクソス イ―ホスロー1世
② ア―ヒクソス イ―アメンホテプ4世
③ ア―スキタイ イ―ホスロー1世
④ ア―スキタイ イ―アメンホテプ4世


問2 下線部②に関連して、宗教的権威と政治権力の対立について述べた次の文a~cが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。

a フランス王フィリップ4世は、教皇庁をアヴィニョンにうつした。
b 聖職叙任権をめぐり、ローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が対立した。
c イギリス王ジョンは、ローマ教皇インノケンティウス3世と対立した。

① a→b→c
② a→c→b
③ b→a→c
④ b→c→a
⑤ c→a→b
⑥ c→b→a

問3 下線部③に関連して、隋代から清代までの中国で皇帝の集権政治を支えたのは、科挙によって選抜された官僚であった。科挙制度について述べた次の文として誤っているものを、①~④のうちから一つ選べ。

① 隋の煬帝が、それまでの九品中正に代えて創始した。
② 唐の則天武后が科挙官僚を積極的に登用した。
③ 北宋において、殿試が科挙に加えられた。
④ 元代には、科挙が一時的に中止された。

B 王政に不満を持った人々が王を追放し、固定された権力者をおかずに政治を行うようになることもある。
このような政治制度は共和政と呼ばれ、現代では④アメリカ合衆国やフランス 
が主な例として挙げられるが、かつてはローマにおいても、エトルリア人の王を追放した後、
(⑤)が元首政と称して事実上の帝政を創始するまで共和政であった。
共和政においては、選挙により民主的に選ばれた人物が、大統領として国民の意向を考慮して政治を行うのが一般的であるが、
第二次世界大戦後の発展途上国においては、大統領が国家の近代化のために、国民の政治運動を抑圧する例もあった。このような政治制度は、⑥開発独裁 と呼ばれる。

問4 下線部④の2つの国の20世紀後半における動向を述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

a アメリカ合衆国では、ケネディ大統領がニューフロンティア政策を打ち出した。
b フランスでは、ド=ゴールが第五共和政を開始した。

① a―正 b―正
② a―正 b―誤
③ a―誤 b―正
④ a―誤 b―誤


問5 下線部⑤に入れる人物の名として最も正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① カエサル
② オクタウィアヌス
③ ネロ
④ トラヤヌス

問6 下線部⑥の例として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① キューバではピノチェトが開発独裁をおこなったが、1980年代に国民投票で敗れた。
② マレーシアでは、開発独裁政権によってドイモイ政策がとられた。
③ 台湾では軍人出身の全斗煥が、民主化運動を弾圧した。
④ インドネシアではスハルトが工業化を推進した。


C 政治を実行するのは民主的に選ばれた首相や大統領であるが、国家自体の最高元首が国王である場合、その国家の政治体制は立憲君主政である。
主な例は⑦イギリス であり、この国は革命によって一時的に共和政となっているが、17世紀後半からは国王が最高元首として存在し、
一方で政治的な実権を行使する首相は⑧議会 に対して責任を負うものとされている。また、2010年に暴動が発生した⑨タイ も、国王を頂く立憲君主政の国家である。

問7 下線部⑦の歴史について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 9世紀末にウィリアム1世がノルマン人を撃退した。
② 12世紀半ばにヘンリ2世がプランタジネット朝を開いた。
③ 17世紀半ばに起きた清教徒革命で、チャールズ2世が処刑された。
④ 19世紀には、チュニジアを領有した。


問8 下線部⑧に関連して、各国の議会の歴史について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 古代ローマでは、ホルテンシウス法で平民会の決定が元老院の許可なくローマの国法となることが定められた。
② 13世紀初頭にモンゴルで開かれたクリルタイで、テムジンがハンに選ばれた。
③ イギリスでは、リチャード1世により模範議会が開かれた。
④ フランスでは、ルイ9世が三部会を開いた。

問9 下線部⑨の歴史について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 7世紀に成立したドヴァーラヴァティ王国では、大乗仏教が広まった。
② 13世紀には、南下したタイ人がアユタヤ朝をたてた。
③ 18世紀後半に、チャクリがラタナコーシン朝をたてた。
④ 19世紀には、フランス領インドシナ連邦に組み込まれた。
最終更新:2011年02月22日 10:56
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