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殺し屋は撃たない
夜は若く、彼も若かったが、彼女は若くもないようで、謎めいた女だった。
父親のスタジオからの帰り道、結城リトは、マフラーに顔をうずめながら、
繁華街の交差点を渡ろうとして、向こうから歩いてくる人影に目をとめた。
「あ、御門先生」
短いスカートに長いコートを着こんだ女が、立ち止まって、こっちを見た。
「……結城くん?」
「どうも、こんばんは」
交差点の中央で、向かい合ってみると、御門の顔は蒼ざめているようで、
いつもの柔和な微笑から遠い、突き刺すような視線に、リトはたじろいだ。
「あの…… 先生?」
信号が点滅を始めて、赤に変わると、ふたりの前後を車が走り抜けた。
パ――――ッ パパパ――――――――ッ!
「うわっ、あぶねっ!」
リトは、反射的に御門のほうへ飛び寄って、クラクションをやり過ごし、
ふう、とため息をつくと、肩に手がおかれ、御門がやさしく微笑んでいた。
「……今夜はつきあって」
パ――――ッ パパパ――――――――……
10分後―――― リトと御門は、小さなバーの止り木に、並んで座った。
教師と来るべき場所ではない、と思われたが、御門は意に介さないようで、
若いバーテンに微笑みかけて、キールを頼むと、リトのほうに向き直った。
「あなた、何にする?」
「えっと…… コーラを」
御門が、キューバ・リバーとかいう銘柄のコーラを選び、注文してくれた。
飲み始めると、リトも、だんだん気持ちが良くなって、コーラは美味いし、
店の中は静かで、無理に連れて来られたことも、どうでもよくなってきた。
それにしても、今夜はつきあって、というのが、どこまでを意味するのか、
はっきりとは分からなくて、考え始めると、どんどん妄想が広がっていく。
赤くなったリトの頬を、御門の指先が、ちょいと突っついて、撫であげた。
1時間後―――― リトと御門は、甘やかな香煙に包まれて、坐っていた。
石造りのサロンの内装は、アラビアだか、ペルシャだかの様式を模して、
火は暗く、客は遠く、刺繍のあるクッションは、寝床のように大きかった。
リトの両脚は絨毯へ投げ出され、そのとなりに、御門の脚が並んでいる。
御門は、物憂げな様子で、ゆっくりと屈みこむと、ブーツのひもを解いた。
「お行儀が悪いかしら」
「あ、いえ、べつに……」
ブーツの革がひらいて、黒いストッキングに包まれた長い脚があらわれ、
すう、と脱ぎ捨てた拍子に、太ももがゆれて、スカートの裾が持ちあがる。
からみつく視線を感じたのか、御門はリトを見て、とがめるように笑った。
あわてて遠くのほうへ目をやると、褐色の給仕人が、注文を訊きにきた。
御門が引き受けて、シャサーニュとか、フュイッセとかいう単語が聞こえ、
ややあって出されたワインは、金色に輝いていて、たしかに美味かった。
「酒は百薬の長、と言うわね」
呑気なことを言いながら、御門は杯を乾し、リトも負けじと杯を重ねた。
広間の中央では、ローマ風の衣裳をまとった童女が、静かに語り出した。
何か、詩の朗誦のようで、そんな趣向なのだろうが、言葉が分からなくて、
リトの身体は、甘い香煙とクッションの中へ、ずぶずぶと沈みこんでいく。
それでも杯をかたむければ、ワインは唇からこぼれて、喉へと流れる。
ふいに、喉もとに熱いぬめりの這うのを感じて、視線を落としてみれば、
御門の唇が、喉もとに吸いつくようにして、こぼれたワインを啜っている。
その状態が、リトに奇妙な安らぎを与えて、朗誦の声が耳に戻ってきた。
「……何て言ってるんだろ」
訊いてみると、御門はリトの胸へ頭を乗せて、小声で詩句をなぞった。
“白骨の腕に、一束の金髪が巻きついている”
「……怪談ですか」
「ロマンスよ、きっと」
御門はモゾモゾと脚を動かし、リトの脚にからめて、クスクスと笑った。
数時間後―――― リトと御門は、ホテルの最上階の部屋にたどりついた。
ドアを開けて、スイッチを押し、装飾灯が輝いて、ドアが閉まるやいなや、
御門はリトの肩に手をおいて、鼻の先に、左右の頬に、濡れた唇をつけた。
「御門先生……」
いつもの呼び方が、リトの口から飛び出して、御門はリトの唇をふさいだ。
入りこんだ熱い舌が、からみつき、また離れて、頬から耳へと舐めていき、
女の髪の匂いがして、リトの視線の先に、するどく尖った耳があらわれた。
その尖端に、ちょっと唇をふれてみると、御門の肩が、ぴくっとふるえた。
そして、しなやかな腕が背中のほうに回されて、ぎゅっと抱きしめられ、
リトは、ふたつの胸の谷間で、肌の香に、あやうく窒息するところだった。
それでも、やわらかな感触からは離れがたく、リトの腕も御門をとらえて、
抱き合い、探り合い、よろめき合っているうちに、ベッドの上へ倒れこむ。
リトの身体に、ぐっと押さえつけられた形で、御門の顔は天井を向いた。
リトの顔がかぶさって、キスが繰り返され、這いまわる手に、汗が流れて、
やがて、その手が腰のほうへ下りていくと、御門は、かすれた声で言った。
「ごめんなさい……」
なぜ謝ったりするのか、何を謝っているのか、リトには分からなかったが、
分からないままに、リトの手は、スカートの中へと誘い寄せられていく。
そして、ゆっくりと太ももを撫でていった指が、冷たく硬いものに触れた。
「もっと楽しみたかったんだけど、ね」
「……?」
御門の目を見ると、うるんだ瞳の中に、装飾灯の火がキラキラと輝いて、
白い腕がリトの身体を抱き寄せて、ベッドの脇に、黒い男が立っていた。
一閃、御門の手が動いて、引き抜かれた拳銃が、リトの肩越しに火を吹き、
装飾灯が揺れて、直下に跳ね返った銃弾が、黒い男を垂直に撃ち抜いた。
前のめりに倒れながら、黒い男はニヤリと笑って、カチッ、と音がした。
(しまった……!)
閃光が走る。
瞬間、御門とリトの身体は、金色の波に包まれて、轟音だけが耳に届いた……
やわらかな金色の波は、御門とリトを、ふわりと路上に下ろしてくれた。
「ありがとう…… 助かったわ、金色の闇」
しゅるしゅると髪が縮み、いつもと同じ冷静な表情の、ヤミが立っていた。
「どういたしまして、ドクター・ミカド」
ヤミは、こともなげに言って、ふたりから目をそらし、ホテルを見上げた。
最上階の部屋から、煙があがっていて、外壁がきれいに吹き飛んでいる。
「奴は、もともと、自爆するつもりでした」
「ええ…… そのようね」
「見誤るとは、あなたらしくありませんね」
御門は、それには答えず、リトのほうを見て、それでリトも我に返った。
「えっと、これは一体……?」
敵が弾薬を巻いていて、不用意に撃てなかったことを、御門が説明する。
遠くの空から、サイレンの音が聞こえてきて、三人は急いで現場を離れ、
御門は、公衆電話から、宇宙人が経営しているというタクシーを呼んだ。
5分もしないうちに車が到着し、御門とリトが、後部座席に乗りこむと、
窓越しに、ヤミは別れを告げて、立ち去り際に、思い出したように言った。
「意外でした、あの撃ち方を知っているとは……」
夜の街を、タクシーは軽快に走り、パトカーや消防車とすれ違っていく。
赤色灯が、美しい横顔を照らして、やがて御門は、ささやくように言った。
(うちへ寄っていらっしゃい)
(えっ?)
(さっきの…… 続きを……)
言い終わらないうちに、御門はぐったりとして、静かな寝息をたてていた。
おだやかな寝顔には、一片の影も見えず、さっきの活劇が嘘のようだった。
リトは、肩へ寄りかかってくる身体の温かさに、ふしぎな親しみを覚えた。
それで、彼女の過去のことを思ってみても、何のイメージも浮かばなくて、
結局のところ、遠い宇宙の話など、べつに詮索する必要もないことだった。
いつしか、リトも眠りにおちて、タクシーは夜の街を、音もなく走り去った。
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最終更新:2009年03月13日 23:02
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