悪夢は体験した実在する事象により形成されるのかもしれない。
人はそれにより恐怖を覚え、無意識のうちに怖いものを避ける様になる。
恐怖は心に根付き、根付いたそれは生涯解ける事は無いのだろう。
トラウマは常に其の者を脅かし、其の者に何度でも近づいてくる。
どれ程避けようと、どれ程逃げようと。
心の傷は癒えず、やがて、壊れていく。
人は、悪夢から逃げようとする。
怖いものから逃げるのは、仕方の無い事だ。立ち向かうのは物語のヒーローだけ。
恐怖から逃げるのは仕方の無い事なのだ。
だが、その恐れに立ち向かわない限り、人は進歩しない。
恐怖から逃げなければ更に恐怖し、立ち向かわなければ状況は変わらない。
最早、どうする事も出来まい―――


生命は、恐怖から逃れる事など――出来はしないのだ。




―――人里から遠く離れた外来人共同長屋―――

「―――あぁあああああああっ!!!」
「どわっ!!」
「オーイオイ、どうした○○よぉ」
何だ。僕は何を見ていた―――?
酷く嫌な、とても嫌なものを見ていた気が、する。
「おい、どうした。凄い汗だぞ……」
「とりあえず、水飲んで落ちつけ。な?」
「は、はい……」
先輩が水を持ってきてくれたらしい。
湯呑みに注がれたそれで口内と喉を潤す。
暑苦しい夜だというのに。体の震えが止まらない。
その日はどうにか落ちつく事ができたのだが。

「おい○○、最近本当にどうした?」
「毎夜毎晩うなされてるねぇ」
「病院いけ。それかお祓いしてもらえ」
「正直うるさくて眠れん」
――まぁ、全て自分の責任なので仕方が無い。
非番の先輩に頼み込み、竹林にある医者の薬を貰ってくるように頼んだ。
「いくら医者でも夢の中の事をどうにかする事は出来ないわよ……」
と、先輩はお医者がそう言っていた事を僕に伝えた。
いや、少し考えれば分かる事だったのだ。非はこちらにある。
ところが、その医者は精神安定剤……みたいな薬をくれたらしい。
『本人が居ないから分からないけど、少しは気が楽になるでしょう』との事だ。有り難い。

悪夢はぱったりと見なくなった。
あのお医者の薬はとんでもなく効果が期待できる。今度お礼を言いに行こうか。
――最近、郷全体が忙しなくなっていた様だ。
博麗の巫女や白黒の魔法使いといった幻想郷の重鎮達がどこかの山に向かったらしい。何かあったのだろうか。
あぁ、最近新しい神社ができたと聞いた事がある。
出来たのは随分前だが、こうして見知らぬ土地に開墾に来ている身なので情報の量が少ないのだ。
今度帰れた時に行ってみようか。お祓いも兼ねて。

数ヶ月後、久しぶりに僕は人里に帰って来た。
先輩が村長や守護者に成果の報告をしに行ったので、暇な僕はこうして人里近くの長屋で身体を休めていた。
久しく食べていなかった甘い物に舌鼓を打ち、自腹で購読している新聞に目を通したり、だらだらと過ごしていた。
――今回の開墾で何人かの先輩達は無事に外への帰還が決まったそうだ。
そうして、一人分ほど帰還の為の資金が先輩達の稼いだ金の余りで集まったそうだ。
その金を誰が使うかで少々話し合いがあったが、候補に僕の名前が挙がった。
折角の申し出だったが、僕はその誘いをやんわりと断った。その枠には最近幻想入りした、右も左もわからない青年が入る事になった。
そいつは僕に何度も頭を下げてきた。何度も『ありがとう』と言ってきた。
とりあえず「外の世界でも達者でな」とは言っておいた。――会話は余り得意ではないのだ。

「おーい、○○。里の方で巫女さんが演説やってるぞー」
「ん、そうか。じゃ行ってみるか」
巫女さんの演説――僕達は知らなかったのだが、開墾の間、新しい異変があったらしい。
外の世界から信仰を求めて神様がやってきたらしく、解決の為に紅白巫女と白黒魔法使いと仲間達が何処かのお山に突撃したそうな。
で、其の神様達は今では幻想郷の一部になって、信仰集めに取り組んでいる、ということだ。
嫌いじゃないね。そーゆーの。

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
「―――ッ!?」
――何だ、今の、嫌な感じは。
「ん? どうした○○」
どうして。
どうしてお前は、そんな平気な顔をしている?
こんなにも、嫌な空気だというのに。
空も、もう降り出してもおかしくない空模様じゃないか。
駄目だ。駄目だだめだだめだ。
これ以上、あの人だかりに近づいちゃいけない。
「おら、さっさと行くぞ」
やめろ。手を引っ張るんじゃない!!
僕は、そこに行きたくない!!
「――ですので、守屋神社に一度お越し下さい!」
『■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■』
何だ! 何でこんな嫌な記憶が!!
何だ! 誰の記憶だ!! これは!!
「おい! ○○っ!!」
「あ……ぁあああぁあ……!!」
止めろ。僕の名前を叫ぶな。
――見ろ。人が、皆が僕を見ている。
その先の、演説をしていたであろう、巫女も。
きっと、僕を――見―――
「―――え?」
顔を上げた、その先。
呆然と見る、緑髪の巫女。
――あぁ、違う。風祝って、言うんだった、か。
その、彼女は僕を見ていた――まるで、信じられないモノを見るかの様に。
「――○、○君?」
―――止めろ。僕の名を呼ぶな。
「――あ、○○君っ」
―――止めろ。僕に近づくんじゃない。
「――大丈夫?」
―――どうして。どうしてそんな顔を僕に向ける。
どうしてそんな面を!
僕に見せられるんだ!!
「……あ、あの、○――」
「喋るなよ。話しかけないでくれ」
「――っ! 御免なさい」
「帰る」
友人に言い残し、僕は長屋へ向かう。
こんな所には居られない。――今日はもう、寝よう。
後ろであの女が僕を見ている気が、した。



僕の血筋は、その地の神を縋る者達に疎まれていた。
何時の時代も、僕の家は神を信じずに村から対立していたのだ。
苛められ、虐げられ、居ないモノとされ、時には殺された事もあった。
その例外なく僕も神を信じず、虐げられていた。――そんな日が幾つも続いた、小学五年のとある日の事だ。
父と母が、自殺した。
――幼い僕は頼る人がおらず、町の施設に預けられた。そうして、そこでも苛められた。
施設でも、学校でも、孤児と不信教者という二つの立場の所為で、僕の居場所は何処にもなかった。
特に、学校での扱いは酷い物だった。助けてくれる者は誰一人として居ない。
加えて、守屋の風祝として扱われていた幼馴染からの手出しはとても陰湿なものだった。
彼女自身は手出しせず、勝手に出来上がっていた部下の様な奴らが勝手にを出すだけ。――体の良い僕、という訳だ。
無論、どれだけ訴えても彼女がそれを認める筈もなく、むしろこちらの立場が危うくなるだけだった。
それはそうだ。相手はここいら一帯の人気者。村八分の孤児が勝てる相手ではない。
僕の生きる意味は無く、ただ暴力に耐えるだけ。相手にもされず、何も信じられず。
――とうの昔に僕の居場所はなくなっていた。

ある夜、嵐が来た。
死を望んでいた僕は孤児院を抜け出し、裸足で町を走る。
冷たい雨は僕の体温を奪い、体力を無くしていく。
――どれ程走っただろう。氾濫している川辺に辿り着いた。
僕にはその様子が、まるで僕を誘っているように見えた。
そうして僕は迷わず、荒れ狂う水の流れに飛び込んだ。
気が付けば、僕は――見知らぬ場所に居た。
変な帽子を被った女の人が僕を見ていた。
そうしてその人――上白沢慧音さんに、僕が幻想入りを果たしたと伝えられたのだ。

それから何年も、僕は人里の為に働いた。
僕を助けてくれた里への恩返しの為、自らの意思で身を粉にして働いた。
危険だと言われている、遠く離れた地の開墾。
妖怪のいる地域への配達。
出来る事は全て、やった。なにもかも、なにもかも。
金はまぁまぁ貯まっていった。目的が無かったから。
慧音先生によると、それなりの額の金で外の世界に帰れるそうだが――そんなのは御免だ。
あんな所に帰っても地獄を見るだけだ。勿論、帰還はしないとしっかり断っておいた。


そうして、昔のことなんか忘れられたと、思っていたのに。


「因果応報って言うのかね。早苗が無意識の内に引き起こしていた事とはいえ……早苗自身は止められた筈だった。
それなのに止めなかったのはどこかであの現状を楽しんでいたからなのかもね」
大きな目玉の付いた帽子を被った少女――洩矢諏訪子は隣に座る者に呟いた。
「……それが原因で彼は人生を狂わされ、この地にやって来たのよねぇ。根本的な原因は私達が居るという事で、間接的な原因は早苗。
でも……一番の原因は彼の先祖、か。これじゃあ何を恨めばいいのやら」
隣に座る八坂神奈子は諏訪子のつぶやきに答えた。
○○の血筋は確かに忌み嫌われ、村八分の扱いであった。
ところが○○の世代では、○○と早苗が『相手の素性を知らぬ間に出会う』という事が起きてしまった。
○○は早苗が守屋の風祝と知らず、早苗は○○が村八分の末裔と知らずに出会ってしまった。
更に早苗は、知らずの内に彼に恋慕の情を抱いて行った。――その矢先、○○が村八分であると知った。
早苗の母親は以前から早苗の交友関係を知っていた。だが、敢えてそれを黙っていたのだ。――ところが、その事実が父親の知るところとなってしまった。
父は早苗に全てを話した。その上で○○と会話する事を固く禁じた。
その内、早苗を取り巻いていた者達が○○の迫害を始め、いつしか彼は居ない者とされていった。そうしてある日から彼を見た者は居なくなった。
――ある大嵐の日から。彼は居なくなってしまった。誰も気にしなかった。――早苗以外は。

「○○君……ここに来ていたんだ」
ようやく見つけた初恋の相手。
だが、彼女は忘れていた。自らにも彼がここに来るに至った原因があると。
だから理解できなかった。人里で出会った彼が自分を拒絶した事に。
「……そうだ、謝らなきゃ。会って、謝らなきゃ」
そう言った早苗の眼は――ただ、虚ろなものだった。
「えへ。えへへっ。やっと会えた○○君。
もう絶対に離れないよ。ずっとずっと一緒。
ここでは私は誰にも持て囃されていないんだもん。
だから、もうあんな思いはさせないよ?
あんなに仲良しだった、あの頃に戻りましょう?
きっと○○君もそれを望んでいるんだ!あは、あははっ。」

どうしてだ。
どうして奴がここにいる!?
「ええ。私達、外ではとっても仲が良かったんですよ?」
「へー、そうなんだ」
違う、違うぞ友人よ。
僕とそいつは仲が良いなんて訳が無い。お前は何も知らないからそんな事が言えるんだ。
「もう、○○君ったら私を見るなりどうしちゃったんですか? 折角の再会だったのに」
「あぁ、そんな事もあったな。しっかり謝っておけよ、○○」
「……あ、あぁ、そうだ、な」
―――何だ、これは。
僕はいつも通りに部屋でくつろいでいただけだったのに。
そうしたら友人が、今度の開墾は無くなったと知らせに来て。その友人の後ろに何故か奴が居て。
曰く、“僕の居場所を知らないから案内してほしい”と言われて従った様だ。
―――だとすれば運が悪い。
開墾が無くなり、いつ来るかもわからない仕事を待つまでの間、僕はこいつが家に来るかもしれない事をずっと怯え続けなければならない。
これを地獄と言わずに、何というのだ。
こいつの、この笑顔は、何が原因で出来ているんだ。

奴が幻想郷に居ると知って数ヵ月が経つ。
里の人間の大半が守屋の信者になっていたのに、僕は気付かなかった。
奴が里で演説を始めると、皆作業を放っておいて広場に集まっていく。
その中には、かつて開墾作業を共にした仲間もいた。
そうして僕にしつこく勧誘してくる。――守屋の信者になろう、と。
全くタチの悪い話だ。僕はそれから逃げてきたのに。それの所為で僕は価値の無い者になったというのに。
――あぁ、また来たのか。奴は。
「あ、おはようございます。○○君」
「…………っ」
当然の様に、奴は僕の部屋にいる。いつもの様に朝食が小さな卓袱台の上に並んでいる。
使用した食材は奴が持参した物、僕の部屋に置いてあった物が半々の様だ。食べてしまえば奴の思う壺、食べなければ食材の無駄になる。
―――その辺りも少しは考えているのだろう。
「…………」
無言の食事。それが最大限の譲歩だ。
なるべく関わらず、食材を無駄にしない、その時その時の最善の選択。
「どうです? 今日も○○君の為に張り切って作ったんですよ?」
まずい、と言ってしまえば嘘になる。使った食材に失礼だ。
目の前のコイツに言うならば話は別だが。
「…………」
「もう、何か言って下さいよ。○○君」
頬を膨らませ、いかにも怒っている風にアピールをする。
それを見ても――可愛いとも、憎たらしいとも、殴ってやりたいとも思わない。
ただただ、無関心で。何も思わない自分が居た。

「早苗……もう、やめなよ」
「そうだね。……悲しいけど、あの子は早苗には振り向かない。今でも早苗を――ううん、『私達』を憎んでいる」
二人の神は早苗に伝えた。
どんなに努力をして○○に付き添おうとも、それは実らないものだ、と。
「そんな事ありませんよ。……えへへ、○○君はぁ、私と一緒なんです。
私の両親が○○君に関わるな、って行ってからずぅ―――っと! 私はお話できていなかったんです。
酷いですよ。私は○○君が好きだったのに、それを全部否定して!!
何がいけないんですか!? ○○君を好きになっちゃいけないとでも言うんですか!?」
「さ、早苗―――」
「……神奈子。早苗はもう――」
「……狂っているとでも言うのかい!? そんな訳―――」
「目の前の現実を見ようよ。早苗は愛に狂い、○○は過去に狂っている。
全ては私達が原因だったんだよ。私達が――けじめをつけなきゃいけない」
神奈子は、どうすればいいのか分からなかった。―――それは、諏訪子とて同じ事だった。
「えへへ……○○君――私、立派なお嫁さんになるよ?」
「○○君のためなら私、何だってします。料理も洗濯も掃除も、夜の事も」
「――あ、でも……何より先にご褒美貰わなきゃ。こんなに頑張ったんだもん。少しくらい許されるよね?」
「―――そうだ! ○○君と一緒になろう! きっと○○君もそうしたいって思ってる!!」
「あは、あはは、はははっ! あはははははは!!」

『■■』
『■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■』
「―――っ!!!」
嫌な夢だ。
いつもこうだ。
奴が家に来た時は、決まって悪夢を見る。
顔も覚えていない誰かが、僕に悪意を示す。
そんな日が、もう何日も続いていた。
どんな内容なのかも全て思い出せる。全て、僕の実体験だから。
―――そう、そんな事を考えていたから。
目の前の異変に、気付く事が出来なかったのだろう。
「ぐっ!?」
瞬間、誰かに押し倒された。
その人物は凄まじい握力で僕の腕を握っている。――荒い息を吐きながら。
「―――お前は」
「えへへっ。やっと喋ってくれたね、○○君」
―――早苗だった。
「何をしている。こんな夜中に……男の家に忍び込み、何を考えている」
「何を?」
奴はとても淀んだ――光の見えない眼で僕を見ていた。
「――ご褒美をもらいに来ました」

「―――早苗っ!!!」
○○の居る部屋の襖を開けると、嫌な光景が神奈子と諏訪子の目に映った。
一糸まとわぬ姿で重なり合った早苗と○○の姿。
部屋には青臭いにおいと汗のにおいが充満しており、何があったのかは想像がつく。
「……っく、ひっく……」
その空間の中、○○は嗚咽を漏らし泣いていた。
「嫌ぁぁ! 離して下さい!! ○○君!!○○君っっ!!!」
神奈子が早苗を○○から引き剥がし、神社へと向かっていった。残されたのは、諏訪子と○○。
「…………」
○○は喋らない。恐らくは早苗に強姦され、歪んだ愛を注がれたのだろう。よりにもよって、一番嫌いな相手に。
「……済まない、○○」
ぽつりと、諏訪子は呟いていた。
「全ては私の、私達の責任だ。神である私が行った事が廻りまわってこんな――幸福な時代の誰かを不幸にしてしまった。
全てはわたしが原因だったのかもしれないんだ。……済まない、○○」
○○が彼女を見る。その眼は恨みと困惑を含んだ――そんなものだった。
「私ができる事なら何だってする。お前の人生を少しでもいい物にしたいんだ……」

「も う  いら な  い」

「―――!?」
「もういらない……何も、何も」
「パパもママも死んで、仲の良かったあいつまで変わって」
「誰にも必要とされてなくて、誰からも苛められて」
「決死の覚悟で命を捨てようとしてここにきて」
「それなのに、どうして……」
「どうして、あいつは僕を追いかけまわすんだよ……!」
ぽろぽろと、彼の眼からは涙があふれた。
「○○……っ」
「なぁ……殺してよ。僕を殺して、パパとママの所に送ってよ……っ」


数日後――○○の葬儀が里で開かれた。
自室で首を吊って死んでいるのを、いつも通りにやって来た早苗が見つけた様だ。
直接の原因は早苗なのだろうが、真相を知る者は守屋の神様達だけなのだろう。

「――なぁ、神奈子……私はな、○○に殺してくれと頼まれたんだよ」
「―――は!?」
「勿論、それは出来なかった。神である以前にそんな事はいけないと、分かりきっていたから……でも」
「でも? 何だい。引っかかる言い方だね」
「彼は最後まで苦しんで死んだ。もし私が彼の望みを受け入れて死なせていれば――ほんの少しでも楽にできたのかな」
「……少し休もう。早苗の様子も見ないといけない」
「○○が死んでから、やけに大人しくなったね……○○の名前を呟きながら腹をさすっているし」
「―――早苗がなんて言いながら、そう呟いていると思う?」
「え?」

『もう二度と、ハナシマセンヨ。○○君』

彼は今、『何処に居る』のだろうか。

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最終更新:2011年11月15日 18:00