すがり付こうとする村紗を跳ね除け、振り切り。荒々しい足音を響かせながら、○○は歩を進めていた。
村紗の事を考えると、どういうわけか顔面が熱くなるのを○○は感じていた。
先ほどまでの口論で荒くなる息、維持されたままの憤怒に歪む表情、そして火照る顔。
せめて息くらいは整えようと。手に顔をやり深呼吸を繰り返す。しかし歩みは止めなかった、一秒でも早くこの場を去りたかったから。

顔面に当てた手は火照りを感じた。その火照り、それは決して欲情などと言う感情ではないはずだ。きっと何かされたのだろう、村紗水蜜に。自分がまだ思い出していないだけで。
あの空き地に感じていた違和感は、思い過ごしや考えすぎなどではなかった。
○○は自身の直感を信じていた。信じた結果、今こうやって楔から解き放たれる事ができたのだからなおさらだ。
この一件に関しては。○○は直感を信じて行動する事に決めた。きっとそれが一番の道だと思ったから。


ようやく例の空き地が見える場所にまで、○○は出てきた。
○○は真っ先にかつて蔵の合った場所に。今は空き地で、ついたてがあるはずの場所に目をやった。
聖輦船の下絵が描かれているはずのついたて。そのついたての一つは、無残にも引き倒されていた。
ただの絵とは言え、聖輦船の無残な姿を見るのは何となく胸がすく気持ちだった。
近くには村紗水蜜の持ち物である碇が転がっていた。あれを使って引き倒したのだろうか。
あの碇は彼女を象徴する、彼女を説明する上でなくてはならない物のはずだ。
命の次に大事なはずのそれを野ざらしにしたまま放置している所に。○○が部屋にいないことに気づいた面々の慌てぶりが垣間見えるだろう。

次に、正門に目をやると。やはり誰かがいた。
かつて履いていた靴ではなく。仕方なくこの命蓮寺でいつも履いていた。
恐らくこれも、聖白蓮が用意したであろう下履きに足を通す。その際も、○○は正門を睨みつけたままであった。
物怖じもせず。○○はズンズンと正門へと足を進める。正門の前で○○を待っていたのは寅丸星と、彼女の従者ナズーリンであった。
2人は○○が敷地外に出るのを邪魔をする気なのか。門の中央付近に横に並んでいた。
その光景に、○○の拳に力が篭った。

寅丸星の手には。かつて○○が気を失う直前までは確かに持っていた、帳面を入れていたあの鞄が握られていた。
その鞄を返せ。そう言う前に寅丸星は、○○に鞄を投げ渡してくれた。
拍子抜けであった。てっきり○○は、自分が命蓮寺の敷地外に出ることを妨害すると思っていたから。
いや、よくよく考えれば。邪魔をすると言うならば、今までは隠していた鞄をさらけ出すと言うのにも。○○は引っ掛かる部分を感じた。
その疑問を深めるように。星とナズーリンは左右に別れ、○○に中央を譲った。
「邪魔をしないのか?」
心の奥底ではふつふつと、怒りの溶岩が煮えたぎっていたが。この場面は、努めて冷静に疑問を口にした。
「何の邪魔ですか?○○」
「俺が命蓮寺の外に出るのは。お前達にとって色々と不都合じゃないのか?」
「妙な事を聞きますね・・・・・・」
寅丸星との問答はいささか要領を得ない物であった。最も○○はそれでも構わなかった。今更まともな行動は期待していない。
「正当な理由が無いのに、家族の外出を邪魔する者がありますか」

“家族”その言葉に○○は堪忍袋の尾が切れるのが分かった。
「・・・・・・家族だと!?」
その言葉を発する寅丸星の表情が・・・余りにも穏やかだったから。尾どころか袋自体がずたずたになったのではないか。

「ええ、家族です。これまでも・・・そしてこれからも」
「黙れ!!」
今日何度目かの、喉がはちきれんばかりの○○の怒声が命蓮寺に響いた。
「あれが家族に対する仕打ちで合ってたまるか!それとも愛の鞭とでも言いたいのか!?」

○○から浴びせられる罵声に心を抉られたのか、寅丸星は顔に手をやった。表情を隠しているようだったが、明らかに困惑と・・・悲しみの色が合った。
傍らにたたずむナズーリンも。言葉こそは発しないが、目まぐるしく表情筋が動き、何ともいえない感情を映し出していた。
○○の方は全く理解が出来なかった。先の村紗水蜜と言い、この寅丸星と言い。
自身を捕まえろと指示を出したのは間違いなくこいつ等のはずだった。
あの山狩りは間違いなくこいつ等が主導していた。罪人に用いるような手法を持ってしてでも○○を捕まえようとした。
何の罪も無い人間にそんな仕打ちをすれば。そんな仕打ちを受けた者が、指示を出した輩にどんな感情を抱くか。想像に難くはないはずだ。
なのに。彼女達のかもし出す空気は、明らかに悲壮感に満ちていた。
○○はその不一致さに、いつしか気を向けることはなくなっていた。そもそも、狂人相手にまともな会話をしようとしていたのが間違っていた。
そう結論付けてしまっていた。

「ええ・・・確かに・・・・・・ですが。多分あれが、いや間違いなく。最善の方法だったんです・・・・・・」
しどろもどろになりながら、言葉を続ける寅丸星の姿に何も思うところは無かった。
「そうかい」
それ以上の答えを○○は発しなかった。その声色だけで○○の心の内を図るには十分であろう。
○○はもうそれで仕舞いにしてしまった

バラバラになった帳面を鞄にしまい。わき目も降らず、真正面だけを見据え○○は歩みを進める。
星は金魚のように口をパクパクとさせながら何事かを言おうとしている。
だが何を言おうか決めあぐねいているのか、声はすんでの所で出せないでいる。
○○が目の前を通り過ぎた辺りからは。歯を食いしばり、拳をぎゅっと握り、上下にぶんぶんと振って地団駄のような仕草を見せる。
○○は背中から星が大きく息を吐く音を聞いた。そして「・・・・・・行ってらっしゃい」それが星がようやく出せた言葉だった。
星の搾り出したこの言葉に、○○は振り返りこそしなかったが歩みを止めた。
○○の顔面はヒクヒクと口角の片端がつりあがり。怒りと嘲笑の混ざり合った顔を浮かべていた。
行ってらっしゃい。この言葉の意味する所は、つまり。○○がまだ帰ってくると思っているからに他ならないだろう。
この期に及んで。全てを思い出した○○に向って言うには余りにも趣旨のずれた一言ではないか。
○○としてはもうこの命蓮寺に戻る気等微塵も存在していない。道半ばで捕縛されるのならば自決を選ぶ腹積もりもあるほどであった。
やはり何か言い残してやろうか。そうは思ったが、ヒクヒクと動く口角の痙攣は止まらず。おかしな笑いまでもがこみ上げる始末。
この状態で、まともに言葉を発する自信が無かった。少し考え、そう思った為。振り返ることなく足を再び動かした。
「行ってらっしゃい・・・か・・・・・・ははは」
後ろではまだ見送っているであろう二人を、思いっきり嘲り笑いたいと言う衝動を抑え。○○は背中を震わせながら里へと向った。




「ご主人・・・一応ネズミにつけさせるが・・・・・・良いかな?」
小さくなっていく○○の背中を見ながら、ナズーリンは横にいる星に問う。
「・・・・・・お願いします。まぁ・・・絶対に大丈夫なんですけどね」
「発作的に死を選ばれたら目も当てられない・・・もしもの備えは無駄ではないよ」
会話に区切りをつけ、ナズーリンは手を小さく動かした。茂みがほんの少しだけカサリと動いた。
「最初に行くのは・・・里ですかね、それとも博麗神社。ナズーリンはどっちがいいですか?」
「怨みを晴らしに里に向って欲しいね・・・我々は博麗神社に行こう」

ナズーリンも星も・・・いや、命蓮寺の全員が確信している事が一つだけあった。
「事実をどう知るのが最も傷を負わずに済むかな」
「そんな物ありませんよ、ナズーリン。それを知る事そのものが、○○にとって致死的な一撃です」
○○は幻想郷から絶対に出ることが出来ないと言う事を。
「そうだね・・・確かにそうだ。里にはまだ聖がいる・・・・・・」
「ええ・・・ですから。暴れだしても止める事は可能です。我々は博麗神社に行きましょう」
「里に向ったようなら、そこから行けば良い・・・とにかく博麗の巫女とは会わせたくない」

「楔の打ち直しは・・・やはり必要だったか」
「ええ・・・でも聖だけじゃない。私達全員がもうあんな手荒な方法使いたくないと思った」
「だから・・・○○の聖への情念だけで、楔の緩みに対処しようとした。そうでしょうナズーリン」
「と言うか・・・それを提案したのは私だからね。小うるさいお目付け役も、私なら適任だ」

彼女達は○○に楔を打った。あの忌まわしい記憶を封じ込める為に、楔を奥深くまで打った。
「やはり止めるべきなのかな・・・無理矢理にでも。もう一本の楔に気づく前に」
「その楔は・・・スキマ妖怪や博麗の巫女でも絶対に解けませんからね」
そして。記憶とはまた違った場所に。彼女達の望もうが望むまいが楔がもう一本打たれた。
「今の博麗の巫女は・・・と言うか博麗の巫女と言う物は随分口が悪い。と言うのが常ですからね」
「剥き身の刃で切りつけられるようなものだよ」
その楔は、打たれた瞬間に。○○の人としての命を奪っていた。







静かでは合ったが、里全体に漂う空気は騒然としていた。
○○が記憶を取り戻した。前後も無く、その一文のみと言う簡潔な内容で書かれた文は、ナズーリンのネズミが持ってきた。
その一報を呼んだ聖は一気に顔面蒼白となった。最も、ナズーリンのネズミが文を持ってくる時点で、碌な報せではない事は確かだったが。
それだけは、有り得て欲しくなかった。せめて、○○がまた昏倒したという内容ならば、ここまでの空気は作られない。

寄り合い所の大広間には何人もの人間が座っていた。今この場には指導者層が全員集まっていた。
皆一様に落ち着きがなくなっている。だが、その中で一人だけ。諦め半分に覚悟を決めたような若い男がいた。
聖は里長も押しのけ、最上座に座っていた。それは別段不思議ではない。
問題はその若い男が次席に座っている事である。特筆すべきはそれだけではない。

こういった大広間での席次は、即その組織の中での地位に関係する。
この席で、人外の一派をまとめる存在は聖だけであった。だから聖は自動的に最上座に案内される事となる。
問題はここからだった。聖の隣に座る若い男。彼は今の里長よりもはるかに若い、それなのに次席に座る事を許されている。
横暴や下克上と言った物ではなく。人里と言う組織自体が、彼が里長より上に立つ事を許している。
それは席次以外でも顕著だった。聖と、隣に座るその男には、仰々しく茶と茶菓子が運ばれたのに。里長にはお茶のみ。他の物は茶すらない。

その理由のほぼ全てを知っている聖は、その光景を嘲笑と侮蔑の顔で見ていた。
(そう。やっぱりあの男の一族に、全ての厄介事をおっ被せているのね・・・・・・)
(里長をも超える丁重な扱いは、その対価なのね・・・随分安い気はするけど)



大広間に座る聖とその若い男以外の一同は。しきりに二人の顔を見比べている。
勿論、聖は何度か里の者と目が合った。その度に、わざとらしいほどににっこりと微笑んだ。
そうすると、目が合った物はビクンと体を波打たせたり、硬直したり、短い悲鳴を上げたり。
その姿が、聖にはたまらなく滑稽で。不愉快極まりなかった。

「茶菓子を食べて・・・茶を飲み干す時間くらいはください」
何度も顔を覗き込まれるのに嫌気がさしたのか。その男は短くこう言った。
その言葉の通り。他の物は、その男が茶と茶菓子を食べ終わるまで律儀に待っていた。
その男は饅頭を口にほお張り、ゆっくりと咀嚼し。茶もゆっくりとすする。
じっくりと味わうように。またそうする事が出来る自分を慈しむ様に。

「ふぅ・・・美味しかった」
きっと。最後に口にしたものの味を、しっかりと覚えたいのだろう。
湯飲みの底には茶の粉すら残らず。饅頭もかけらすら残らず綺麗に平らげた。
そして、飲み干した湯飲みを茶托に置く。その際、コンという音が。小さい音なのに部屋一杯に広がった。


大広間に座る者達は、男の第一声を待っていた。
男は広間に座る全員の顔を見て。ふぅ、と言う一呼吸の後にようやく言葉を発した。
「聖様と・・・それから皆さんも、逃げてください。私はここに残って、義務を果たします」

その一言に。里長も含め全員が間髪いれずに、地に額をこすり付けんとばかりにひれ伏した。
何人からは小さく。「有難うございます」と言う言葉が、何度も何度も、繰り返し呟かれていた。
「し・・・しかし・・・・・・」
「何でしょう?長殿」
その男には、里長ですら。恭しく、そして仰々しく話しかけていた。
「も・・・・・・もし。貴方様が父上と同じように・・・・・・なられたら。我々は一体・・・・・・」
「大丈夫ですよ、長殿。さすがに二代続けて、子供が父の思い出を殆ど持っていないというのは避けたいですよ私も」
「ですから・・・多少みっともなくても何とか生き残ってみますよ」
「はは・・・!有難うございます・・・!有難うございます・・・・・・!」
「で・・・ですが・・・・・・もしも、もしもの事があった場合。お子様はまだ小さい。我々は・・・我々は、誰を頼れば・・・・・・」
その男は、死すらも覚悟しているようだった。しかし、まだ小さい自分の子供を残してしまうことだけは、もしもの時の最大の心残りとして気にかけていた。
対して、里長以下の全ては。全てをあの男の一族に頼りきっていた。

長い間、人里と付き合いをしているうちに。ほんの少しだけ印象が変わった。
少なくとも、あの男の一族に関しては。聖はとても同情的だった。

「皆さんは逃げればいいんですよ。私はここで○○を待ちます。間違いなく私も恨まれてますから」
「まぁ・・・何かあっても。この方の命くらいは守れますよ」
聖の言葉にその男は座布団から跳ね降り。聖の正面に座り、深々と頭を下げた。
「あ・・・有難うございます。聖様・・・!有難うございます!」
「ですが・・・・・・ギリギリまでは私がやります。聖様は掛け軸の裏に。隠し部屋がありま―
「結構です。○○は私の最愛の人です。○○を前に隠れるなんて事、私はしません」
その男からは、不思議と卑屈さは全く感じなかった。幼い頃から刷り込まれていたのだろう。
自身が果たすべき義務を。後ろに座る者共の手によって。

「さぁ、早く逃げないと。○○が来てしまいますよ?」
段々と聖の我慢も限界が近づいていた。聖らしからぬ棘のある言葉を使ってでも、早々に視界から消したかった。
その男の後ろに座る者共を。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年11月26日 10:54