最後に。全てを読み終え満足した○○は神社の方向に向き直り、深々と一礼をした。
家族、友人、故郷。自分が関わった全てのものに対するせめてもの挨拶だった。
○○はくるりと里の方向へ向き直り、はっきりとした足取りで歩を進めた。

「明日の朝一番に命蓮寺に行こう」
決意はもう十分に固まった。時間をかけすぎた気はした、その事だけは謝らなければならないだろう。
今日はご近所さんに、決心を固めたとの挨拶回りを。ついでに何か酒でも配った方がいいのだろうか?
今住んでいる家は手放すだろうから、命蓮寺に居を移すのはいつごろになるだろうか。
かなり待たせてしまったから、早い方が良いだろうな。

直近に起こるだろう事を想像し、段取りを頭の中で建てながら○○は里へと戻っていった。
「・・・流石に今日明日にいきなり居を移すのは失礼だよな」
本心は、今すぐにでも聖の元に行きたかった。
ただ、○○は生真面目な為。一足飛びですぐに行こうとせずに、急がば回れの精神か。
段取りや手順を決める事を好んでいた。周りとの良好な関係のために。

「ん・・・そうだ」
○○は歩きながら、外での事を記した帳面を取り出した。
そして、その余白の部分に何かを書き始める。それは自身の心の内をつづった物だった。
○○にとって、自分が自分足り得る物の根幹は間違いなく外での生活に合った。
だから、結果的に○○は幻想郷を選んだとは言え、外での思い出を記憶を捨てる気は無かった。
歩きながら、自分と言う物を作り上げた外に対する今の思いをつづる。
それはなんら後ろ向きな物ではなく、感謝の気持ちを中心につづっていた。

「・・・後で清書しないとな」
ただ、歩きながらでは字の形は多少なりとも崩れる。それでも、後に回してしまったら忘れてしまいそうだから。
走り書き程度でもいいから少しは残しておきたかった。

歩きながらの書き物。それが更に時間を使う結果となった。



里に帰ってきたのは、もう昼を少し過ぎた辺りだった。空腹感を覚え途中から早歩きになったがそれでもかなり時間をかけてしまった。
「・・・・・・?」
門の前に、いつもより多い人間が集まっている。
普段の門番の数より明らかに多かった。引継ぎのの場面に出くわしたにしても、平時の警備に必要な人数とは思えない。

門の少し手前で○○の足は止まった。門の前に集まる人間が全員、○○の方へ視線を固定していたから。

冷や汗が流れるのを感じた。彼らの視線は、およそ平穏な生活を送ってきた○○が経験した事の無い物だったから。
冷たい。侮蔑の意味とはまた違う冷たさ、その冷たさはさながら刃のようだった。
指揮官だろうか、誰かが手を動かし周りの者に合図を送る。
笑っていないので中々気付けなかったが。それはいつも○○と日常の会話をして、相談相手にもなってくれた彼だった。
いつもの微笑はそこには無く。じっと○○を見据えていた。
彼だけではなった。皆動きながらも視線は○○を捕らえ続けていた。
その動きにはひとかけらの無駄も無かった、さながら獲物を見つけた熟練の猟師のようだった。

「あの、みなさん・・・どう・・・・・・された・・・」
○○の問いかけに反応する気配も無く、その者達は○○を取り囲もうとする。
後ろに回られたくなく、後ずさりをする。その後ずさる早さも徐々に早くなる。
段々と里の入り口である門から離れていく。
だが、門の前に陣取る彼と何人かの取り巻きも、後ずさる○○と歩調を合わせるように前へ前へと動き。
その距離を一定に保つ。

ついに、その緊張に耐え切れなくなった○○が、里を背にして走り出した。


「追え!神社への道もふさげ!!」
背中越しに、いつもの微笑を絶やさない彼からは、想像もできない大きな声が張り上げられるのが分かった
神社への道からも何人かが○○を追ってきた。ずっと隠れていたのだろうか。
反対側の少し斜め後ろからも、○○を追いかける者たちの姿が見えた。

左右から並走されれば袋のネズミになってしまう。仕方なく○○は神社への道を捨て、まだ並走されていない方向へ道を変えた。
その道は、○○が命蓮寺へ向うのにいつも使っている道だった。


訳が分からなかった。少なくとも○○は追われるような大それた事はしていない。
まったく身に覚えの無い、予期などしているはすも無い逃走劇だった。
この時○○は手に持っていた帳面を落としているのに気付いた。
だが、気付くだけで何も思わなかった。思えなかった。
その落とした帳面が外での事を書き記した事だと気づけても。そこに何らかの感情を抱けるほどの余裕は、あろうはずも無い。
そして何故追われているのか?それを考える暇も無い。
とにかく今は逃げる事しか○○は考える事ができなかった。

命蓮寺へと続く道は、草木も刈られ見通しが良かった。
不味いと思った。今は捕まらずにいるが、この数では太刀打ちが出来ないし、ここでは隠れる場所も無い。
その為、○○は横にそれる事にした。不整地を走るのには不安があった。
しかし、このまま見通しの良い場所を走り続けるのはジリ貧だった。賭けるしかなかった。

案の定、不整地への進入は足を取られるだけでなく、木々の切っ先で生傷も出来上がった。
しかし、不整地への進入を追いかける側が少しためらってくれる嬉しい誤算があった。
木々が刈られていない不整地では足元も見えない。その為倒木や足を取るには十分な丈夫さの草木が見えない。
それらに足を取られて転倒してしまう危険が合った為、追跡者達は勢いに任せての進入を躊躇したのだ。
「追え!見失う事だけは絶対に避けろ!!」
また背中越しに彼からの怒声が聞こえる。何があの微笑みを絶やさぬ彼をここまで駆り立てるのか。
一向に分からぬ難問だった。

しかし、今は疑問に対する考察よりも、身の危険を回避するのが最優先だった。
この時、○○はまた賭けを思いついた。
その賭けを実行に移す際、思わず何かに祈った。


○○は走るのをやめ、思い切り地面に伏せた。
木々を踏み荒らす音が聞こえる。恐怖で飛び出したい衝動に駆られた。
しかし、今飛び出せば。目と鼻の先程度に詰まった距離にある追跡者に簡単に捕まってしまう。
○○は息を止め、祈り続けた。どうかみつかりませんように。
次第に木々を踏み荒らす音が遠ざかる。

勝った!だが、喜ぶのはまだ早かった。見失った事に気づいた追跡者が戻ってくるかもしれない。
○○は慎重に前を確認し、出来るだけ姿勢を低く保ち元の道に戻った。
しかしもう里には戻れない。○○は消去法で命蓮寺に向うしかなかった。


「戻れ!走れ!走るんだ!!」
また怒声が聞こえてきた、どうやら撒かれた事に気付いたようだ!
このまま命蓮寺に足を踏み入れるべきか、○○は迷った。
何故追いかけられているかは分からなかった。でも、彼らが自分を捕まえようとする姿勢は本気だ。
聖白蓮ならば・・・いや命蓮寺の皆なら自分を匿ってくれるだろう。
しかし、もしその事がばれたら・・・とてつもない迷惑となってしまう。
かと言って、里にも戻れない。この状況ではきっと里全体が敵だろう。
一体自分が何をやったと言うのだ。身に覚えの無い出来事に憤りと悲しさがこみ上げる。


ただ、その言葉が聞こえるまでは。
「急げ!早く捕まえないと、我々全員聖様に殺されるかもしれないぞ!!」
その言葉で、走り続ける足は止まらなかったが。思考は止まらざるをえなかった。

その言葉にこもる必死さ。それはこの異常事態を飲み込む事の出来ない○○でも分かった。
だから、その一言は嘘などではないのだろう。○○を惑わせる嘘とも思えなかった。
そう、だから。だからこそ○○の思考は止まってしまった。
自身が逃亡者となる事よりもありえない事態だったから。
○○を捕まえろと言ったのは聖白蓮なのか?だとしたら何故?
一体、私は聖白蓮に何をしたのだろうか?そんなに大事となるような事をした記憶は一切無い。
○○の頭に聖白蓮と出会い、今までの事がぐるぐるとめまぐるしく回る。
説法会での事、談笑の事、法力指南の事。彼女に抱いた確かな恋心。
そして徐々に、その思考も。それを含めた殆どの思考が出来なくなっていく。

○○が聖白蓮に対して、何かした事といえば・・・あるとしても。
あるとしても、待たせすぎた事くらいのはず・・・それは○○も大きく反省していた。
だが、それがここまでの。里の者達が血相を変えて○○を追い掛け回す。
そこまでの大事を引き起こす原因になりえるとは、とても思えなかった。

そこまで考えて、○○の頭脳の回転は、眼前に迫る危機を回避する為に両手両足を激しく動かす部分を残し。ぷっつりと途切れてしまった




命蓮寺の境内には誰もいなかった。○○は手近な蔵に入り込んだ。
逃走劇の途中から、この蔵に入り込む行動。その行動は殆ど無意識だった。
今○○の頭で動いているのは危機回避のための本能だけだった。
あまりにも、あまりにも考えられない事態だったから。
聖白蓮の人となりは○○もよくしっている。彼女がこんな荒事を指揮するようにはとてもではないが見えない。
それは聖から簡単なものとは言え、手取り足取り法力の手ほどきを受けたからこそ余計にそう思う。
蔵の壁にもたれ掛かり、一息付く事ができた為。
徐々に○○の思考は再び動き出す事が出来ていた。
しかし、動けば動くほど○○の混乱は深まるばかりだった。

このときの○○は、まだ聖白蓮や命蓮寺に対して疑念の一文字も浮かんではいなかった。
いくら考えても、こんな事をしでかす人達には見えないし思えなかったから。

座っていても目眩が激しくなっていくのが分かった。余りの混乱状態に。
その混乱状態は体にも異変をもたらした。視界も定まらずチカチカと黒くぼやける上に、体も小刻みに震える。
顔全体を手で多い。大きく呼吸をして息を吸い込み、酸素を取り込む事により、かろうじで頭を回していた。
それでも、体の小刻みな震えと視界の異変は止まらなかった。


「申し訳ありません!!寅丸様!!!」
外で何事か合ったのだろうか大きな声が聞こえてきた、声を出したのは彼だった。言葉尻から彼は寅丸星に何事かを謝罪しているようだ。
その声色に、○○はまた不穏な空気を感じ取る。

寅丸星、彼女のことはもちろん○○も知っている。
聖白蓮の手足として非常によく働く姿を何度も目にしているし。聖も寅丸のことはよく褒めていた。彼女が部下である事を誇りに思っているようだった。
実質的なこの命蓮寺での次席に当たる地位にいるのは。貫禄と聖の言葉で理解していた。

○○は外の様子が気になった。しかし入り口の扉を開けるのは危険すぎた。
○○は出来るだけ音を立てない様に注意しながら、階段を上っていった。
階段も床も這いずり回る形で移動し、動作音を可能な限り減らしていた。
そのまま蔵の二階にある入る時に確認した、明り取りの為の少し大きな格子状の柵が付いた窓に近づく。
残念ながらその格子窓には観音開きの戸が付いていた。
○○は慎重に。早く何が起こっているかを確認したい、そんなはやる気持ちを抑えゆっくりと、ほんのすこしだけ戸を開いた。


その本の少し開いた戸から見えた光景に○○は絶句した。
丁度、寅丸星が。土下座をしている里人の彼を蹴り上げる姿だったから。

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最終更新:2011年11月26日 10:57