凛とした空気の漂う茶室の中で、幽々子は粛々と。茶筅(ちゃせん)を使って、椀の中身に投じられた抹茶とお湯をかき混ぜて、一杯の薄茶を点てて行く。
そこに無駄な動きは存在しておらず。聞こえてくる音は、抹茶とお湯が椀の中で茶筅によってかき混ざる音だけだった
そうやって、適度にかき混ぜて満足したのか。茶筅を脇に置いて、椀を○○の前に突き出そうとしたのだが。
突き出す前に、いつもは絶対に存在しない。一つ、余計な動作があった。
幽々子は、出来上がった薄茶の入った椀の上に、一枚の金扇子を乗せた。
いつもならあり得ない動きだが。幽々子から茶の手ほどきを受けている○○は、口を挟むことも無ければ驚きもしなかった。
「はい、どうぞ」
そうやって、差し出された薄茶を。○○は幽々子から厳しく教えられたはずの動作を全てすっ飛ばして。
不躾な動作で、ぐいっと自分の方向に持って行った。
そして、載せられた金扇子の裏。つまりは、中身から立ち上る湯気の当たる部分を見て。
「うわぁ……しっかり変色してる」苦笑いと一緒に呟いた。
幽々子の見せた動きより、こちらの方が遥かに酷く。趣を演出した等と言う言い訳も、絶対に通用しない動作だったのだが。
その動きを見ても、幽々子は優しく笑っているだけだった。
「でも……これだけ変色すれば、確実に幽々子さんと同じになれますね……それは良いのですが、一つ聞いてもいいですか?」
嬉しさ半分と言った表情で変色した金扇子を見ながら、○○は幽々子にある疑問をぶつけようとした。
「何かしら?」
「幽々子さんの能力を使えば……それが一番手っ取り早いのでは?」
幽々子に促されてから、○○が出した言葉に。幽々子は少し笑った。
「それじゃあ……趣が無いじゃない。それに……」
「私が引っ張ってしまうのと。自ら毒を飲み干すのと……どっちが、私に対する執着が強くなると思う?」
幽々子の出してくれた助け舟に。「ああ~……」と、色々と合点したかのような表情を浮かべた。
「○○、貴方は茶道の御点前の方は丁寧で、狂いも無いけど。趣を感じたり、演出したりする方はまだまだね」
「それでも、言われたらすぐに分かるようになるだけ、成長したけど」
「はぁ……有難うございます」一応、最期は褒めてくれたが。それでも、ばつの方は少し悪いから。照れた顔にならざるを得なかった。
「永遠亭特性の毒薬よ……苦しまずに、じわりと、眠くなるように効いてくれる。そう言う物を所望したから、大丈夫よ」
○○は幽々子の言葉を聞きながら、金扇子を脇に置いて。これまた無作法に、椀の中身をくんくんと匂った。
これもまた、ある意味では先ほどよりも更に行儀が悪かったが。幽々子も○○も、どちらも気にしてなどいなかった。
匂った感想は、言葉としては出さなかったが、表情には雄弁に表れた。誰が見ても分かる、苦そうな表情だった。
しかし、毒を入れているのだから。それも当然かと思い、その事は話題には出さなかった。
「これを飲んで、目を閉じて、次に目が覚めたら……幽々子さんと同じになれるんですよね?」
しかし、味や匂い等はいくらでも我慢できる。重要なのは、我慢した先に○○が求める物があるかどうかだった。
「幽々子さんと同じになれば……人の輪から外れて、もっとずっと長い時間、一緒にいれるのですよね?」
強く。問いただすように。○○は、最も知りたい事を幽々子に問うていた。
「ええ、それだけは確かよ……信じて」
○○の問いに対して“信じて”と言うのが、幽々子の答えだった。言葉の後に、いくらかの間が、二人の間に流れていった。
間が流れた果てに、○○から柔らかな笑みが浮かんだ。
それが、間の終わりを告げると同時に。幽々子の搾り出した“信じて”と言う言葉に対する返答だった。
そうして、笑みの次に。○○は行動で幽々子の“信じて”に応えた。
○○は、毒の入った薄茶を、一気に。これ異常な勢いで、飲み干した。
飲み干そうとした時には、意思に溢れた、爽やかな顔だったが。
毒入りの薄茶が舌に触れたと同時に、○○の表情は苦悶の顔を浮かべた。
明らかな異物だと、体が反応して。自分の意思とは関係なく、吐き出そうと体が動くが。
その体の反射的な動きを、○○は強靭な意志で跳ね返した。
そうして遂に、○○は椀の中身を全て飲み干したのだが……
「うおええ!不味っ!苦ぁ!!」
飲み干した後の言葉は。物凄く汚い上に、大きくて。茶室の雰囲気をぶち壊すには十分な品の無さだった。
「あははは……もう○○ったら、今のはもう完全に採点不能よ。0点ですら無いわ」
そんな○○の様子に、幽々子は笑っていたが。その目じりには、感謝の涙が浮かんでいた。
「幽々子さん……そうは言いますけど。抹茶の味に慣れて、上手いと思える自分ですらこれは……」
「あはは……ごめんなさいね、さっきとの落差が余りにも激しくって。口直しのお菓子、いる?」
そう言って幽々子が差し出した菓子器の上にちょこんと乗った、可愛らしいお菓子。
それを○○は「当たり前です……」と言って二、三個引っ掴んで。口の中に放り込んだ。
本来一つずつ食べる物を、まとめて口に放り込んだのだから。餌を大量にほうばったリスのように、○○の頬は膨れていた。
口の中のものを咀嚼して、飲み込むまでの間の口の動きも。本当に、リスのような動きだった。
そうやって、飲み込むまでの間の動きを。幽々子は嬉しそうに、ずっと見つめていた。
見つめられると、勿論恥ずかしくなる。なので急いで咀嚼しきって、飲み込みたかったのだが。
恥ずかしさが、口の動きをぎこちない物にしてしまい。飲み込むまで、思いのほか時間が掛かってしまった。
……無論。口の動きがぎこちなかったのは、恥ずかしさだけが原因ではないのだろうが。
「気分はどう?○○」
幽々子だって分かっている。○○の動きがぎこちない事の、主たる原因がどこにあるかなど。
「ええ、やっとマシになりました。あと、眠いですね……物凄く…………」
そして○○も分かっている。この尋常ではない眠気が、一体何を意味しているのかぐらい。
「隣の部屋に、布団を用意しているわ……何だったら、一緒に少し眠らない?」
そう言って、幽々子は着衣を少しはだけて。下にある素肌を○○に見せるが。
「良い……ですね……でも、それより…………」
流石は、永遠亭謹製と言った所か。薬の効き目は、本当に良かった。
ジワジワと、眠気の形で○○の体は蝕まれていった。
その状態で一組の布団を共にしても、余り楽しくは無いだろうな。何故なら、体がもう動きたくないと言っているから。
だったら、布団を共にするよりも…………
「本当に、これでいいの?」
「ええ……前に、耳掃除をして貰った時の事を思い出してね」
せっかく布団まで用意したのだが、○○が求めたのは全く別だった。
布団を共にすることよりも、幽々子からの膝枕を強く所望した。
本当に、これで十分かどうかを問う幽々子に対して。問われている○○は、満足気な顔をしていた。
「……あれは多分、耳掃除よりも……膝枕の方が良かったんだって。今になって気づきましたよ……」
「……死の淵に立って、わびやさびが解ったのね。でも大丈夫よ、○○。その気持ちも、持ち越せるから」
そうですか、それは良かった。○○はそう答えたかったのだろうが、もう口から聞こえる音は、声として完成していなかった。
でも、幽々子には。そんな状態の○○であっても、何を言いたいのかはっきりと解ることができていた。
だから、優しく微笑みながら。○○の頭をなで続けていた。
「おやすみ、○○。起きたら、耳掃除をしてあげるわ」
最終更新:2013年06月21日 13:00