僕の実家では男の双子が生まれると、どちらかが入り婿として出される。
    その地方では一番の地主であり裕福な家柄の為、その手の事は別段不思議では無いだろう。
    だが、その出される所が問題なのだ。そもそも相手は人間ではない。
    科学が席巻する現代、神秘は殆ど姿を消したと言われている。
    だが、完全に、ではない。僕の実家が繁栄しているのは、御山と呼ばれる場所を支配している狐一族の力。
    入り婿というのは、彼女達に差し出される言わば生け贄の事だ。
    代々、双子が産まれると数年間かけて、狐たちが見極めを始める。
    知らない顔の使用人や客人が何食わぬ顔で実家に出入りし、やたらと子供部屋を覗いている。
    彼女らは彼女らの力を維持する為の婿(子種と精の供給源)を、じっくりと選定しているのだ。
    そして彼女達の基準で成人した15才の双子の片割れを、行列を組んで迎えに来る。
    先触れの使者が事前に来るので、実家は選ばれた片割れを実家と地域の繁栄の為に狐へと差し出す。
    否や、はない。代々そうしてきた事柄だし、彼女達の助力がなく、怒りを買えば実家はたちまち没落四散する運命にある。
    『教育』によって諦観に満ちた表情の婿は、御山へと連れ攫われ二度と戻る事はない。
    ……そう、僕の兄さんの様に。兄さんは三人の雌狐に見初められ此度の代の入り婿にされた。
    お役目から免除された僕は早々と実家から引き離され、県境の街に住む親族の爺さんの元に引き取られた。
    だけど、僕はそれで全てが終わるとはとても思わなかった。
    爺さんが運転する車に乗って実家を去る時。爺さんは「毛布を被って伏せていろ。絶対に顔を上げるな」ときつく僕に言った。
    言われるままに札が幾つも貼ってある毛布を被っていたけど、それでも僕は感じ取っていた。
    睨め付けるような、じっとりとした執拗な感情を秘めた視線を幾つも。
    視線は実家を囲むようにして連なる山を抜けるまで、何時までも追いかけてきた。

    そう、兄さんの様に直接指名を受けなくても、狐は気に入った相手に酷く執着するのだ。
    だから、爺さんから幾つも教授された呪いの仕方や魔除けを僕は常に欠かさなかった。
    「血を分けた兄弟を犠牲にして普通の生活を送れるのだ。その生活を大切にしなければな」
    爺さんは遠い目でそう言った。爺さんは、僕と同じ存在なのだろうか。

    だけど、そんな爺さんの尽力を僕は無駄にしてしまった。

    修学旅行でとある地方に出かけた時、クラス全員で山歩きをした。
    風光明媚な森林地帯を歩いていた……筈だった。
    何時の間にか、僕はただ1人で森の中に居た。
    歩いていると、黒い服を着た金髪の少女が居た。此処は何処かと尋ねたら襲いかかられた。
    彼女曰く僕は食べても良い外の人間らしい。魔除けを口に放り込んで怯ませて逃げたけど危うく追い着かれそうになった。

    「久し振りにごちそ……ちにゃ!?」

    満面の笑顔を浮かべたまま、彼女は吹き飛び空の彼方へと消えた。
    助かったのか? と僕は思い、

    「ふふふふふふふふふふふふふふ、紫様のお戯れをこれ程素晴らしいと思う日が来るとは思わなかった」

    後ろから抱き締められた。
    甘い女性の匂いと肌の感触。背中に当たる2つの感触。
    そして身に覚えがありすぎる、強烈な指向性のある……あの、御山から感じた視線。

    「運命という言葉など陳腐だと思っていたが、今正にその言葉を私は信じる事にする。
     そうだ。お前と私は今日出会う運命だったのだ」

    そう、僕を執拗に狙い続けた、雌狐達の視線にそっくり、いや、そのもの。
    身を捩って背後を見た僕を、九尾の尾を持つ美女が妖艶な笑顔を浮かべて凝視していた。

    「私の、私だけの婿よ」







    「……っ」

    薄暗い寝所で、彼は目を覚ました。
    布団の周りが御簾に覆われた、純和装の部屋。
    ただ、南蛮時計(持ち主曰く桃山時代の品)が燭台の明かりに怪しく照らされながらコチコチ時間を刻んでいる。

    「夢か……?」

    久しく、弟の事は忘れていた。いや、忘れるよう務めてきた。
    御山に嫁いだ男は俗世を捨てなければならぬ。そう教育されてきたからだ。
    そこには生みの親や兄弟も含まれる。
    彼にとって、親とは家の繁栄と引き替えに実の息子を取引に差し出す様な存在であったので未練なぞない。
    ただ、宿命を知っても尚健気に務めを果たそうとしていた弟だけは最後まで気にかけていた。
    務めに選ばれた事については、もう全てを諦めていたので何も感じない。
    唯一、弟が因習のしがらみから逃れ人並みの人生を歩める事は彼にとって幾らかの救いにはなった。

    しかし、先程の夢は何だろうか。
    弟は悲しそうに此方を見ていた。そして、影に引かれるようにして去っていった。
    胸騒ぎがした。が、彼には何も出来はしない。
    御山に来て数年ほど経った筈だが、彼が住む屋敷から出た回数は数える程しかなく御山からは一度も出た事はない。
    最早狐の婿として飼い殺しされる以外に道が無い彼にとって、弟の身を案じる以外に手立てがないのだ。

    「う……ん」

    隣で寝ている女性、この部屋の主が身動ぎをする。
    兄は我に返り、注意深く静かに寝床に横たわり直す。
    彼女に気付かれなかった事は幸いだ。
    自分の妻である三人の雌狐の内、彼女はもっとも位が高くもっとも嫉妬深くもっとも執着が強い。
    外界の事を考えている等と知れたら、非常に厄介な事になってしまう。

    (すまない○○……僕にはこうしてお前の安全を心の中で案じる事しか出来ない。どうか、ただの杞憂であってくれ)

    兄は、そう願う事しか出来なかった。
    そして、その願いが既に叶わなくなっている事に、生涯気付くことはなかった。


    兄さんの夢を見た。
    兄さんが暗い部屋で僕の方を驚いた様に見ていた夢だ。
    あそこは御山のお屋敷なのだろうか。兄さんは、僕が逃げられなかった事に気付いたのだろうか。
    だとしたらとても悲しい事だ。兄さんの犠牲が意味を無くしてしまうのだから。

    どうして、どうして僕は此方に招かれてしまったのか。
    僕を攫った藍の上司、紫が言うには化生との因果が強すぎるから。
    代々、狐と接しその祖先には妖怪との混血もあったという僕の家系。
    そのような血統の家系で、「対になる」双子として生を受ければどうなるか。
    双子の存在事態が人為らざる者を引き寄せてしまうと、紫は笑いながら僕に指摘した。
    自分のスキマに引き入れる人間の条件は主に三つだと。

    人の世で生きられない宿業を背負った罪深い存在。
    人の世に忘れ去られた生きる意志の希薄な存在。
    そして、幻想を自ずと引き寄せる存在、つまり僕みたいな。

    「諦めなさいな。例え兄を犠牲にしようと逃れられたのは1つの因果だけ。
     貴方の存在がそれを引き寄せるのであれば、何れはこうなった運命なのよ」

    僕の身体から力が抜ける。
    だとしたら、兄さんの犠牲は一体なんだったんだろう。
    こうなる位だったら、僕も御山に連れて行かれれば良かった。
    あの狐の嫁入りを見てから、僕の心の中でずっとジクジク痛み続けていた気持ち。
    虚ろな面持ちで花婿姿に着飾り、1回だけ僕を見詰めて連れ去られた兄さん。
    あの虚脱が、あの犠牲が、ずっと感じていた痛みが、意味の無い事だった?

    「大丈夫だ○○」

    心の中が崩れていく僕を後ろから抱き締め、藍はそんな言葉を囁いた。

    「もう、これ以上は何もない。私が起こさせない。ずっと、お前を私が守ってあげるから」

    藍の執着と盲愛に満ちた言葉は、僕の心を細部まで砕いた。
    ああ、兄さんも、こんな感じで「全てを諦めた」のだろうか。
    薄れていく意識の中、安堵も感じていた。これで、僕も狐の婿にされる。

    そうならば、残された罪悪感を、もう感じる事もないのだから、と。

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最終更新:2013年06月21日 13:20