「ふりで良いの。○○の目の届く範囲でだけで構わないの」嘆願するように譲歩のような言葉を輝夜は重ねるが、慧音の面持ちは変わらなかった。
今慧音が浮かべているこの酷い表情。これは一体どのような感情で構成されているのだろうか。
怒りか、呆れか、それとも生理的な嫌悪感なのか。はたまた、それら全部が合わさった物なのだろうか。
どちらにせよそんな表情を直視している輝夜は、悪意をモロに浴びる形となっている。
そんな悪意を浴びていては、胃は痛くなるし、泣きたくなるし。正直心労で倒れそうなぐらいだった。
この場にいること自体が疲れる。それは言うまでもないが、責めて少しでも楽になる為に目線を慧音の顔から外したかった。
しかしそれをしないのは……意地と言う奴なのだろうか。少なくともここで目線を外してしまったら、慧音からの心証に関わるのは恐らく避けれないだろう。
もう既にどん底にいるのは置いておくとしてもだ。とにかく、これ以上悪くはしたくなかった。折角話が出来るぐらいにまではこぎつけたのだから。


「…………話の肝はそれだけか?他にはまだ何か話す事は無いのか?」
「そうね……今の所はそんな感じね」
話題をわざと逸らされた感じは否めなかったが、輝夜が一番伝えたかった事は確かにあれだけだった。
これ以上の話題は無かった。かと言って世間話をする気にもならないし、それ以前に乗ってくれそうな雰囲気が存在しない。


「妹紅に会いたいと言っても、同じ事が言えるのか?」
妹紅の名前を出されてしまい、不覚にも輝夜は固まってしまった。
本音を言えば、会わせたくは無い。てゐからの報告を聞いていないのもあるが、聞いていたとしても多分同じ考えだ。
あの子の頭がそう簡単に冷えるとは思えないからだ。今だって自宅で荒れていると言う姿が、容易に想像できてしまう。
大体、妹紅の様子がマシなら。てゐはそんなに疲れていないはずだ。疲れていると言う事は、押して知るべしだろう。

「ふん……無理か?」
「出来る出来ないじゃなくて……会う事に対して、別に何かが間違っていると言う事は無いけれど」
要するに今は不味いと言う事が言いたかったのだが。それを言ってしまったら、慧音は間違いなく怒るだろう。
気心の知れた友人と会う日取りに、良い悪いがあってたまるかと。そう言って激昂する姿が輝夜の脳裏には簡単に映し出されていた。

「じゃあ、会いに行って来よう……朝までには戻る」
まごつきながらも、どうにか言い訳の理由を探そうとする輝夜の姿には歯牙もかけずに。慧音は立ち上がった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
足早に立ち去ろうとする慧音に対して、当然輝夜は追いすがろうとするが。慧音は乱暴に追いすがろうとする輝夜を振り払う。

「待って、ちょっと待って!」
「くどい!」
振り払われてもなお諦めずに付いて行こうとする輝夜に、慧音の拳骨が彼女の鼻っ柱にめり込んだ。
何の前触れも無かった。慧音が輝夜に拳骨を浴びせるのに、何の躊躇も感じ取れなかった。
熱くなる鼻っ柱に、出血を感じ取りながらも。輝夜は怪我の事よりも、そっちの方に衝撃を受けていた。

「姫様!」倒れきる前に鈴仙の声が聞こえてきた。席を外せじゃなくて、もっと遠い所で待っていてと分かりやすく言うべきだったな。
そう思っていたら、輝夜の体は誰か……どう考えても鈴仙、彼女に受け止められて床にしたたかに体を打ち付ける事は無くなった。

「やりすぎ!いくらなんでもやりすぎだよ!」
「てゐ!良いから、行かせてやりなさい!」
鼻からまた大量の血が流れ出ていても。敵意をむき出しにするてゐの声を聞いたら、自分の怪我の事など気にならなくなった。
ここ数日ボロボロだが。まぁ、大丈夫だろうとタカを括っていた。最も、輝夜は蓬莱人だから体の事など何も気にする必要は無いのだが。

とりあえず、このまま妹紅に会わせても良い物か。鈴仙の膝枕を受け、鼻を押さえられながらそんな事を考えていたら、てゐがやりきれないと言うような表情で前に立った。
「有難う、てゐ。慧音を見逃してくれて」
心中は察するに余りある。それでも輝夜の言うとおりに、慧音の邪魔をせずに行かせてやった事は素直に褒めなければならない。
そう思って頭を撫でてやったが、必要ないと言う風にぶるんと頭を振られてしまった。
そして何か言いたそうな顔をしていたが。考えがまとまらないのか口と喉を大きく動かすだけで、結局何も言いきれずにいた。

「てゐ、脱脂綿を持って来て。姫様の血が止まらないの」
血が出続けているからなのか、それとも単純な話でただ疲れているからなのか。輝夜の頭は朦朧としていた。
頭上ではてゐと鈴仙が何か慌てふためいている。そんなに慌てなくても、自分は蓬莱人だから大丈夫なのに。
そう、自分自身の体の事よりも。それよりも慧音の事が心配だ……
でも頭が朦朧として、考えがまとまらない。今慧音を妹紅と会わせても良い物か?と言う部分にまでは考えが及ぶが、それ以上が無理だった。
考え事もしたかったが、同時に睡眠を取りたいと言う気分にもなってくる。一分一秒でも惜しいのに、寝てしまいたいと言う衝動に駆られる。

頭上ではまだ二人がわぁわぁ言っている。鈴仙が自分に対して呼びかけているような気がする。別に大丈夫なのに。
そう言えば、自分はさっき何を考えていたのだろう。疲れているからよく覚えていない。
もう良い、寝よう。





慧音は何度も後ろを振り返りながら、妹紅の居宅へと歩いた。
何度振り返ろうとも人の気配は無かった。あの時のてゐの顔は、苦虫を噛み潰したような酷い顔だった。
本心では慧音の前に立ちはだかって、精一杯邪魔してやりたいと思っていたはずだろうけど。どうやら輝夜の言いつけどおり、黙っているようだった。
だからと言って慧音の輝夜に対する心証が格段に良くなると言う事は無かった。

それにこの数日は、とても疲れた……
その疲れは慧音が今まで守ってきた一線すら、もうあやふやな物にしてしまった。
今の慧音はもう、やらかしてしまっても構わないかなとすら思っている。
勢いでやらかしても良いかなと思うのだが……そう言う事を考える度に頭の端に思い浮かぶのだ。
あのお姫様、輝夜の必死な様子を。あの必死さがどうしても、慧音の脳裏にこびり付いているのだ。



妹紅の家に付いたが、中から人の気配と言う物が感じ取れなかった。
出歩いているのか、寝てるのか、酔い潰れているのか。出歩く理由は見当たらなかったが、輝夜にちょっかいを出しに行って入れ違ったと言う可能性もある。
半ば祈りながら慧音は玄関前に立った。草木を踏む音がしているはずだが、家の中から妹紅の声は聞こえなかった。
少しばかり、慧音の顔に焦りと心細さが出てきた。

「妹紅、いるか?」と言って扉を叩いたら、開けてくれ等と言う前に家の奥の方からドタドタと言う荒っぽい音が聞こえてきた。
どうやら酔い潰れていただけらしい。きっと大酒を飲んでいたのだろう、ドタドタと言う足音がイマイチおぼついていない。
今にもこけそうだなと思ったら……案の定だった。

「ぐぇっ!!」
何処かに蹴躓いて、倒れ込んだのか。玄関扉から大きな音と振動が鳴り響いた。
「妹紅、大丈夫か?」
妹紅の悲鳴を最後に、家の中からは何の物音もしなかった。慧音は心配になって、扉に手をかけるが。
扉に手をかけた瞬間、キィィと言う何かが軋む音が聞こえた。
何の音だと思ったら。それは扉が外れて、こちら側に倒れてくる音だった。

「うわああ!?」思わず慧音は飛び退いた。倒れてくる扉の裏側には、妹紅がへばりついていた。どうやら顔面から扉に突っ込んでしまったらしい。
そしてその衝撃で扉が外れて、倒れてしまったと言ったところか。
流石に勢いよく倒れてくる扉ごと、妹紅を受け止める事は慧音にも出来なくて。
扉は裏側に妹紅をへばりつかせたまま、勢いよく地面に倒れて大きな土ぼこりを立ち上がらせた。

「妹紅、大丈夫か……?」
慧音は立ち上る土ぼこりにむせかえりながら、まだなお倒れた扉にへばりついて動かない妹紅を気遣うが。
慧音が声をかけた瞬間、ピクリと体を反応させたかと思えば。
「慧音!?無事だったんだな!」扉ごと倒れてきた事など無かったかのように、妹紅は嬉しそうに起き上がった。





「慧音、取りあえず中に入ってくれ。玄関先で立ち話も何だから」
先程の事態を間近に見て、多少なりとも呆気にとられる慧音だったが。妹紅から手を引かれれば、付いていくしかなかった。
倒れたままの玄関扉。妹紅は気にしていないが、慧音はこれどうするのだろうと気になって仕方が無かった。
多分あの様子だと、蝶番(ちょうつがい)も壊れてしまっているから。ただ付け直すと言う訳には行かないはずだ。
しかしそんな事を気にしているのは慧音だけだった。

「慧音、何か飲むか?何でも良いぞ慧音が相手なら何だって構わないよ。何なら秘蔵の一品、封を開けようか」
倒れてしまった玄関扉も気にせずに、妹紅は慧音がやって来てくれた事で物凄く上機嫌だった。
上機嫌すぎて、酒盛りを始めようとまで言ってきた。
周りには酒瓶が二、三本転がっているが……これを妹紅は短期間で飲んだ上に、まだ飲むつもりなのだろうか。

「いや……妹紅、あのな」しかし当の慧音は、今はそんな気分になれるはずが無い。
慧音は言葉少なめに妹紅に対して手の平を押し出して、待ってくれと言う意思表示をするので精いっぱいだった。
「あ……すまない慧音。私ばっかりはしゃいじゃって」
「ずっと呑んでたのか?」
「うん……イライラするから」
完全に酒に呑まれているな。しかしそれでも、そんな面倒くさい事になった妹紅が相手でも。
慧音は今までで一番生気のある顔をしていた。そう、紛れも無く妹紅は慧音の友人なのだ。


「ごめん慧音……水持ってくる。もちろん慧音の分も」
「ああ……頼むよ」
妹紅は完全に酔いが悪い醒め方をしてしまったらしく、ゲッソリとした顔で台所に向かった。

「はい、慧音。ただの水で悪いけど……」
「いや……十分だよ……」
毒の心配もせずに安心して飲めるからな、と言おうとしたが。毒を盛られた事を喋ってしまうと、妹紅は怒り狂って永遠亭に突っ込んで行ってしまうかもしれない。
そう思って、黙って置く事にした。黙ってやった理由は、妹紅と話せなくなるのが最も大きな理由ではあるが。
あのお姫様を、ましてや件の二人を頭から信じてやる気は無いが……努力は認めつつあったのもある。


酒の飲み過ぎで喉が渇いているからなのか。慧音が一杯目を飲み干す頃には、もう二杯目すら空にして三杯目を注いでいた。
「で、慧音。こんな時間にわざわざ来てくれたって事は……何か用と言うか、話があるんだよな?」
「…………ああ」
長い間の中で考えたのは、あのお姫様の必死な顔だった。

「慧音!何かするんだったら、いつでも出来るぞ!使えそうなものもあるんだ。ほら!」
色々と考えている慧音の横で妹紅はしきりに、もうしでかしてしまおうと慧音に対して強く勧めていた。
その為の道具もあると言って、妹紅は棚から横笛を取り出して慧音に突き出してくれた。
妹紅の差し出してくれた笛は……確かに、中々濃い曰くのありそうな物だった。よく見なくても色々とありそうと言うのが分かった。

「成程……役に立ちそうだな」
慧音のそれは正直な反応だった。
「だろ!?」
確かに、最後の最後はやらかしてしまって、全てを終わりにしてしまおうとは考えている。
今この瞬間にやらかして終わらせてしまっても、きっと楽になれるだろう。
しかしだ……

「妹紅。その笛はしばらくお前が持っていてくれ。見てみたい、確かめてみたい事があるんだ」
しかしだ。やらかしてしまっても良いかなと思うに連れて、慧音の脳裏に浮かぶのは。
やっぱりあのお姫様の、必死な顔だった。

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最終更新:2014年03月18日 10:53