あなたの幸せは、私の幸せ?
そうなの。
でも、私の幸せは。
あなたの――
「……すぅ」
肩にもたれかかる様にして眠る、てゐの隣に座りながら、俺は彼女の肩を抱く。
軽すぎるその華奢な体を支えながら、ぼんやりと彼女の事を思い出していた。
出会いの切欠は、良く憶えていない。
ただ人との関係に疲れ、そんな生活の中、何時の間にか隣に居たのが彼女だった。
口の上手い彼女の話は、聞いているだけで面白く、楽しかった。
彼女は事あるごとに、俺に迷惑を掛けてきたり、後始末やらをさせてきたが、
それが可愛く思えるほど、俺には魅力的だった。
騙されていた、ただそれだけの関係だったとしても。
「……え。お別れって、どういう意味?」
「そのままの意味よ。
あんたは道具。
色々と利用してやる為に、付き合ってる振りをしてただけなの。
だから今までありがとね、○○ー」
どんな顔をするだろう、そう彼女は、自分の顔を覗き込むようにして。
「こちらこそ。今までありがとう、てゐ」
その言葉を聞き、
「……は?」
と声を漏らした。
「……あんた何でお礼なんか言うのよ。
だから、あんたは騙されてたんだってばー」
其処は怒ったり泣いたりする所だろう、とてゐが不満げに言う。
「騙されてた事は悲しいけど……」
「だったら何で」
「それ以上に、嬉しかったから、かな」
そう答えられる。
正直な気持ちではあった。
彼女は呆れた様な顔をして。
「……あんたにヤバイ薬処方した覚えは無いんだけど」
「そうだね。てゐはそんな事、しなかったよ」
「私はって、何さ」
「……」
俺は、答えなかった。
「今まで生きてきて、てゐと過ごした時間は楽しかったから。
だから、ありがとうって、それだけ」
「……変な奴。
ま、付き合ってる振りしてた時から判ってたけど」
「……ごめん」
てゐは笑わなかった。
「でも嫌いじゃないよ。あんたのそーいうとこ」
(だからあんたが不幸になる所、もっと見てみたい……かもね)
そう言われ、付き合う振りをやめた俺達の関係は。
終わる事は無く、今も時々こうやって、何かと理由と時間を作っては、
お互いに会う様になっていた。
てゐは可愛くて。
だから傍に居てくれる、それだけで。
俺には十分すぎる幸せだったんだ。
だから――
「私はね、人間を幸せにする力があるのよ。
だから○○も早く幸せになってさ。
それで私にまた騙されてよ」
てゐは見上げるようにして、にやり、と笑ってみせた。
「騙された時、どんな顔をしてくれるのか、
ずっと楽しみにしてるんだから」
指で俺の頬をなぞりながら、楽しそうに。
「でも俺はてゐと一緒に過ごせる、それだけで十分幸せなんだけどな」
「だーかーらー。そう言う事じゃなくてー!」
お互い笑顔で、そんなやり取りを交わしながら。
力の話は、話半分でしか分からないけれど、そうだったらいいなとは願っている。
もしそんな能力があるとしたら、俺の願いでてゐを幸せに出来るかもしれないし。
てゐの幸せ……か。
「でも想像つかないわね……○○の幸せって。
あなたって大金とか、宝物とかを見つけても、凄く似合わない気がするし」
「……そう?」
「何に使うか、想像がつかないよ。
嬉しそうな顔なんか、とても浮かんでこないしね」
「俺はてゐが幸せなら……」
「それは聞き飽きたよ」
そう言いながらも、顔を少し逸らしてみせる。
照れる様にする彼女の姿に嬉しくなると、俺は、頭を撫でてやろうとする。
「こら。年上の私に失礼な」
素早くそれをかわして見せると、自分の手を取って、頬に当てる。
「――ん……ふっ」
少しだけ背を伸ばす様にして、てゐは顔を近づけて……
唇を重ねながら。
俺は、てゐの幸せを願った。
同じ布団で眠っている○○を起こさぬ様、温もりからそっと抜け出ると
「……大好き」
もう少し眠っていてねと、そんな想いを込めながら、○○の頬にキスをする。
……あの人は、本気で私の幸せを願っている。
そうとしか、思えなかった。
いや……そうとしか考えられない。
○○を本気で好きだと、何となく自覚したあの時から。
薄々は分かっていた事だけど。
何かがおかしいって、自分でも気付いてはいたんだ。
だって、私は
私の、幸せは――
あなたの――全てを独占していたい。
全部、手に入れて、しまいたいのよ。
……だからこうして、彼は今も此処に居る。
何も知らない。
そして、気付いていない。
今自分が、どんな生活をしているか。
そして今、この場所が。
人間達に何と呼ばれているのかさえ。
私はあの人の食事をつくり、それに薬を混ぜてゆく。
きっとあの人も、私と同じ様に長生きすれば、いつかは人外へと変わるだろう。
妖怪化か、仙人になるか、それとも別の。
それは分からないけれど……
あの人は、私が好きだと自覚した、あの日から。
家から一歩も離れる事は、無かったのだから。
人里の離れに、一件の家があったと言われている。
しかしある時を境に、近付こうとした者達は全て、
行く途中の道端で”不幸な死に方”をして発見されており、
その家へと近付く事は、誰一人として出来なくなっていた。
一時期、異変と称される事となり、妖怪の退治屋なども手を尽くしたものの、
何の手掛かりを掴む事も出来ぬまま、また死に至る者さえも居たとまで言われている。
時折、一匹の兎がその家へと向かう姿が見かけられていたが、
その噂もまた、何故か直ぐに途絶える様に消えていっていた。
「あなた、退治屋さん?」
一匹の兎はそういうと、笑顔を振りまいてみせる。
「あぁ、丁度この辺りの家で、不審な噂があってね。
此処に近づいた者達が、数知れず惨たらしい死に方をしていたとか。
妖怪の君でも、噂はぐらいは聞いた事が無いかな」
特に不審がることも無く、男はそう答え、先へと進もうとする。
「――危ないよ?」
ヒュッ。
風を斬る様な音と共に、
何処に仕掛けられていたのだろう、鉄線の様な物が男の股下から、跳ね上がった。
「自己紹介もせず、了解も得ずに立ち入ろうとするから……
これだから人間って奴は。
……○○は別だけど」
彼の顔を思い浮かべると、兎は真っ赤な顔で、幸せそうにはにかんだ。
「○○の不幸も幸せも。
余す事無く私のモノ
一つ残らず、誰の手にも届かない。
私だけの、私だけが触れられる、宝物なんだから……
もう誰にも、渡さない――」
返り血を浴びたままだというのに、恋する少女の様な顔をした彼女は、
男の体が”勝手”坂道を転がるようにして、家から遠ざかってゆくのを見下ろしていた。
まるで、偶然そうなったかのように。
まだ眠ったままの○○を、布団の上から抱きしめるとてゐは目を瞑り、額を当てると。
祈るようにして、言葉にはしなかった。
(あなたの――
全てが、欲しい――)
――それから。
「おめでとう、○○。
やっと”一緒に”なれたね……。
二人でずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずぅーーーーーっと
長生き、しようね……?」
「あなたは私の大切な”道具(タカラモノ)”なんだから……
これからも、ずぅっと、幸せにしてあげるから」
大切に、使(まも)ってあげる。
あなたが、私を騙してくれるまで。
最終更新:2010年08月30日 21:32