「……?」
「あのお姫様が、寺子屋の掃除をしてくれたと聞いてな。○○はその話は……」
「ああ、その話ですか。昨日朝方に喋ってたら、突然掃除しに行くって言って飛び出したんですよね」
要領を得ない○○だったが、寺子屋の掃除の話だと言われたらすぐに腑に落ちてしまった。
あの時寺子屋で起きた、ゲロの嵐と言う惨劇をよく理解していただけに。完全な錯覚とは言え、しっかりと腑に落ちてしまった。

「一応、倒れた時も少しは意識があったから。○○たちが吐いている音と臭いは……うん」
その時の話になると、慧音は少しばかり表情が歪んだ。
「ああ、まぁ。あれは……」
多分にと言うより、完全に汚い話だから。○○の口から出される言葉もつまずき気味だった。
「……この話、やめましょうか。その、気分のいい物でもないですし」
「……そうだな」そう言う慧音の顔はまだ歪んでいた。この話を切り上げたかったのは慧音も同じだったのだが。
○○は純粋に、汚くて気持ちの良い物じゃないから話を切り上げただけなのだが……でも慧音は違っていた。

「まぁ、楽しみにしていよう」
「そうですね。きっと綺麗になっているはずですよ」
今の言葉の中で嘘は言っていない、だが真実からほど遠い事はしっかりと自覚していた。
今の楽しみにしていようと言う言葉だって、○○は寺子屋の掃除の具合を楽しみにしようと言う風に捉えていた。
しかもその事を○○ははっきりと言葉に出しているが、慧音は絶対に訂正しないし、出来なかった。
この時点で、嘘は言っていないかもしれないが○○を騙したような物だと思わざるを得なかった。
上白沢慧音と言う人物は、根が真面目だから余計にそう思った。

だが、残念かな。それは相手が○○だから慧音はそう思えるのであった。ただ輝夜はそこすらも何とかしようと思っていた。



「ふふ」
「あはは……もう、慧音先生ったら」
「先生と言う呼び方は外してくれ。呼び捨てが良い」
「……慧音」
「ふふふふふふ」
世間話、と言っても○○は慧音が心の底から回復したとは思っていなかったから。
感情の起伏がまた激しくなることを恐れて、出す話題に物凄く苦心していた。
でも慧音は○○の髪の毛をいじり倒して遊んでいた。会話らしい会話などほとんど存在しなかったがそれでも慧音は楽しそうだった。

「○○、私の髪も触ってくれ。私からばかりじゃ、不公平だろう」
苦心する○○の心中には、慧音は考えを及ばせもせずに○○とじゃれ合う事に興じていた。
○○が目の前にいれば、しかもじゃれ合う事が出来るのならば。慧音にとっては会話など最早不要だった。
ここの所、極端から極端に振れる慧音の感情と付き合っている○○は。笑顔が苦笑交じりの上に、酷くおっかなびっくりだった。

「じゃあ、失礼します」
女性から髪の毛をいじり倒されて、向こうからも私の髪の毛を触ってくれと言われる。
他人が見たら食傷を覚える様な甘いじゃれ合いの関係。羨ましい光景の中心にいるはずなのに、○○は上せる事が出来なかった。

「○○、そんな他人行儀な言葉は必要ないぞ」
「……じゃ、慧音。触るね」
「ああ、いくらでも弄って、遊び倒してくれ」
むしろ慧音が上せれば上せるほど、○○の肝は冷えるばかりだった。
これならば、意外と面倒くさい性格をしている輝夜がこの場にいた方が。よっぽど楽な面持ちでいる事が出来ただろう。

「ははは……」
○○は何となく固い笑顔をしているが、恍惚で上せあがっている慧音は気づく素振りが無かった。
凄く胃が痛かった。いつ慧音の感情が急変するか分からなくて。付き合いの長い妹紅さんの助けも欲しくなってきた。
心の中で○○は、輝夜が妹紅を連れて帰ってくることを望み始めていた。
でも、妹紅はともかく。輝夜さんが帰ってきたら、慧音は嫌がるだろうなとは漠然とは思っていた。


輝夜の目の前では、縛り付けられた妹紅がギャンギャン喚いている。その姿は衣服がぼろくなって、おまけに体も煤けている。
輝夜も同じく衣服はボロボロで体は煤けているし、おまけにボロボロの衣服から肢体が露わになっているが。輝夜は意にも介さなかった。
それらの事など気にせずに、輝夜は鈴仙から差し入れられた水筒の中身を一気に飲み干した。
辺りではまたイナバ達が、昨日と同様に辺りを駆けずり回って火の始末をしている。
今回は妹紅から殴りかかってきたのが発端だから、輝夜に非は無いのだが。悪いなとは思わずにいられない。

「姫様、お茶のお代わりと着替えです。それから朝食はまだと思って、おにぎりを持って来たのですが」
「ありがとう、鈴仙」
色々と持って来てくれた鈴仙にお礼を言いつつも、横目では妹紅の様子を気にかけていた。

「引きこもり!世間知らず!傀儡君主!」
「この……姫様に向かって」
「まーまー。今の妹紅に対して、まともに相手するだけ疲れるだけよ?」
「おらー!下僕、聞いてるか!お前の事だよ使い走りの月ウサギ!」
相変わらず汚い言葉で吠えまくってうるさかった。鈴仙を宥めて向こうに行かせようとしたが、今度は鈴仙に向かって汚い言葉を吐いてきた。
縛られていても、大人しくするのが癪なのだろう。それだったら相手に盛大に唾を吐いて、怒らせた方が彼女はマシな気分でいられるのだ。
妹紅のそんな様子を見ていると、輝夜は悲しくなってきた。

妹紅がこんなにも荒れるのは、妹紅の中では蓬莱人の友人と言うのが本質的には存在しないのだろう。
輝夜は妹紅の事を友人と思っているが、その逆は無いと言う事だ。
「私は……あんたの事を友達だと思ってるんだけどなぁ……一応何て言う濁った表現無しでね」
鈴仙を抑えつつ、悲しそうな顔でそう妹紅にも聞こえるように呟くが、当の妹紅はその言葉を聞いても何の感慨も無さそうだった。
それどころか、憎たらしさの極致とでも言える様な嘲笑の顔を浮かべてきた。

「お前と、私がァ?友達だってぇ?ハハハハ!」
両手両足を縛られているのに、妹紅は大きく転げ回って笑い出した。
輝夜は自分にとっての永琳のような存在を、妹紅に与えたかった。そしてその役目は、蓬莱人である自分にしか出来ないと確信していた。

死ぬ事すら出来ないと言う業が、これでなくなる訳では無いが。
業を同じくするのならば、仇敵よりも友人の方が良いはずだ。そう思って何年も何十年も、死闘をしながらお茶に誘ったりなどして来たのだが。
何度か暇つぶしに付き合ってくれた事こそあるが、本質的な部分では一切仲良くなれたと言う自信は無かった。
その証拠は、今の妹紅の姿を見れば分かるだろう。

結局のところ、妹紅が荒れやすくて酷い性格をしているのは。蓬莱人の友人がいないからだろう。
輝夜がその友人役をやりたいと、いくら切望しても。妹紅が突っぱねてばかり。そんな事が百年単位で行われていた。

でも自分はまだいい、時間がいくらでも存在するから。皮肉な事だが。
怖いのは慧音だ。彼女の時間は有限で、ただの人間である○○はもっと短い。
有限の時間の中でずっと苦しみ続ける事を、妹紅も不憫に思うだろう。

ここまで考えて、輝夜は頭を振った。まだ間に合う、だって慧音は爪の先ぐらいの量かも知れないが私を期待し始めた。
まだ、まだ間に合うはずだ。そして間に合わせる事が出来れば、きっと妹紅とも。
「妹紅、私はね。諦めないから。慧音の事も、貴女とお友達になる事も」
ニッコリと笑った顔に、妹紅はまた汚い声で大笑いを始めた。

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最終更新:2014年03月18日 10:54