……御免なさい」

長い黙考の末、絞り出した声がそれだった。
早朝の伽藍。そこに立つのは独創的な僧衣に身を包んだ聖白蓮ともう一人、○○という男。

「気持ちは、嬉しいのです……本当に。しかし私は邪法で永らえる浅ましい身なれど、やはり仏に仕える……」
「分かった。大丈夫だから」

瞳を伏せたまま、心臓に突き刺さった刺を抜くような苦悶を浮かべる彼女の言を遮る。
あまりの悲痛さに、見ていられなかった。
想いは通じなかったものの、好きになった女の、そんな姿を見るのは○○とってあまりにも辛く……
あまつさえそれが自分のせいだとあらば、是非もなかった。
彼女にフラれた身である自分の失意や、切なさが、今は全く気にならない。
きっと、あとでみっともなく男泣きするのだろう。
しかし……、今は、彼女を守りたかった。
その為に自分の想いが邪魔となるなら、こんなもの!と、捨てるのに迷いはない。
何故なら恐らくは、それが自分にできる最後の愛情表現なのだから……

「い、いやー、バカなことをいった。気にしないで、忘れてほしい。ほら、忘れた! な、俺は忘れた! いやー、忘れたな。うん」

○○は不器用だった。
口をついてでた言葉のこの不格好さたるや……別の意味で泣きたくなる。
そして、この期に及んで聖の前で良い格好をしたいと望んでいた自分の浅ましさに気付いて、○○は吐きそうな程の自己嫌悪に襲われていた。

「○○さん……」

薄く瞳をひらいて、上目使いで恐る恐る○○を見る白蓮の姿は殊更に弱々しく、更に○○を打ちのめす。

こんな筈では……

こんな顔をさせるためにここにいた訳じゃないのに。

○○は背を向けて、その場を離れた。
今このとき、自分は毒でしかない。
そう思って。
これが彼女のためだと言い聞かせて。

しかし、本当は自分がいたたまれないだけだろう? という己の中の声を聞きながら伽藍に聖白蓮を残しその場をあとにした。

滲む視界の中、ただひとつ。今日限りこの想いを捨てることを心に決め、足早にさった。

それが、一月まえのことである。

そして今、一月経って○○がどうなったかというと……

「水蜜、ちょっと重いんだが……」

まだ寺に居るのです。
幻想郷の空を遊覧する船、その操舵室。
○○の膝の上で上機嫌におくつろぎだった船長は口を尖らせた。

「女の子に重いとか……ちょっとデリカシーないよな、○○は」

キュロットスカートから幽霊だというのに健康的な両足を投げ出し、バタバタと宙を蹴る村紗。
背中を○○の腹に預け、頭をグリグリと押し付ける様はいたいけで、まるで仲の良い父と子のように微笑ましい。
村紗も本気で○○を責めるつもりなどない。
ただ、この軽妙なやりとりを楽しみ、○○の少し困ったような苦笑いをみたいだけだった。
だから、つい口が滑ってしまった。

「そんなだから聖にフラレるん……」
「ご、ごめんなさい!」

預けていた背中が、○○の体の緊張を余さず伝えてきて、彼女は弾けるように向き反転させた。

「大丈夫?、ご、ごめんね、あの、私、そんな積りじゃなくって! あの、あの、ごめんなさい、わた、わたしは違うから!」

大きな瞳、整っているが少し低い鼻、ぽんぽんと小気味良い声をぶつけてくる口、それらの全てをぐしゃぐしゃにして村紗は○○の襟にすがり付いた。
「御免なさい」が少しトラウマ気味の○○だが、この純粋に好意をぶつけてくる子供には無条件に許しを与えたくなる。
女としてではなく、父子のそれでもなく、微妙ながらも最も気安い間柄にいてくれる村紗を○○は愛している。
だから、彼女が心配することなんて、ただの杞憂だと、心配など要らないんだと、○○はとても安らいだ気持ちで伝えた。
ぽん、と。さらさらの黒髪をもつ形の良い頭に手をのせる。

「…………」

気にしすぎだ、とか。
心配するな、とか、そういった言葉を言おうとした○○だが、やめた。
最近になって気が付いたのだった。
言葉を発しない方がうまく伝わることもある、と。
ぽす、ぽす、と赤子の背をさするように村紗を撫でる。
掌から、この不細工な己のにやけ面から、誤解なく気持ちが伝わるようにと。

「怒ってない?」

「……」

「で、出て……ぃ、行ったり、しない?」

「……」

「う、うう、なんかいってよぉ……ほんとに大丈夫? 信じて良い?」

「……いいぞ」

「!」

なんとか言質を取ろうと、しかし不興を買わないよう恐る恐る顔色を伺っていた村紗は、その一言で弾けた。
まるで封印がとけられたように勢いこんで両腕を広げ、○○の首にしがみついた。

ありがとぉ……」

鼻声を直接ぶつけてくる村紗に、それは俺の台詞だ、と言いたかった。
あの朝、白蓮にフラれたのは、やはりショックだった。
こんなこと、誰にでも起こること、イケメン様でもあるまいに、釣り合うとでも思ったのか? オーケーオーケー順当な結果だ、な、だからどーってことないそうだろ?
などなど、慰めか自己嫌悪か分からないような言葉が飛び回るなか、現実の自分は嗚咽だけは漏らすまいと奥歯を噛み締めていた。
己に何の価値もないように、自分を全否定されたよう感じていた。
酔ってるのか? 大袈裟だ、と俺でない自分が言っている。
そうだ、それが正しい。それで合ってる。しかし……収まらない。
分かりやすく打ちのめされていた。
思うに、幻想郷の女は一途で惚れっぽい、という風聞を宛にしていたせいもあるのだろう。
森の魔女、冥界の少女、そして博麗の巫女など、名だたる麗しい少女が外来人と番(つがい)、幸せを謳歌している。
自分も、もしかしたら……と期待を寄せていたのだ、きっと。いいや、確かに思っていたのだ。今度は俺の番だ、と。
その結果が、その増長の報いがこれなのだ……
早朝とはいえ、寺の朝は早い。
しかし誰も○○のもとへと訪れることはなかった。
怒濤の波がひき、真っ直ぐに立ち上がれるようなるまで。
聖白蓮をすっぱりと諦める気持ちが、覚悟のような大袈裟なものでなく、自然に身に染み込んで、例えば手でそこを拭っても濡れないほどに染み込むまで。
○○は感謝した。
寺の皆が気を使ってくれたのは明白だった。
そして、その日の夕方、掃き掃除をしている○○に村紗が言ったのが、奇しくも「出ていったりしないよね…?」だった。
目の奥が灼熱のように煮えた。
必要にされている。居なくなるのを否んでくれる。
それが雷光のように雲を裂き、本当の意味で○○を立ち上がらせてくれたのだった。

「ごめんね?」

現実の声が○○を回想から引き揚げる。
ちゃり、と鎖の揺れる音がして、村紗は腕から○○を解放した。

「水蜜?……これは?」

小さな錨をあしらったネックレス。
それは飾り気の少ないながらもコケティッシュで愛らしく、錨という武骨なモチーフながらも逆にいたいけな彼女によく似合う逸品。
ゆらり、と揺れると小気味良い音をたててピンと張り、ここが定位置とばかりに○○の心臓のあたりにとどまった。

「……あげる」

短く、しかし○○の目をみていった。

「良いのか?」

頷く。

「○○がどっかいかないように、その錨で留め置くの」

「……そうか」

「うん、錨ってそういうものだから」

そういうと、村紗は再び定位置へと戻り、○○の腹に背中を預けた。
足を伸ばし、上機嫌で寛ぎはじめた。
ありがとう、と○○は一言だけ言って、膝の上に掛かる重さを我慢する修行を再開した。

ソプラノの鼻歌と共に船は飛んでいる。
青い空と白い雲、遠く見える大地。
○○は、空を飛べない。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年06月08日 21:19