「ぐむむむーっ 聖にスケベなことしたら許さんからなーっ」
「グワー! するわけないだ…グワー!」

きゅっ、と抱き付くなどという乙女な仕草とはほど遠く、コアラめいて両足まで使い○○を締め付ける村紗水蜜。
いたいけに見えて、この亡霊の腕力は超重量の錨を楽々と「ばら蒔く」剛力である。
ただひとたる○○にはなすすべなどなかった。

そのころ。
聖白蓮はここ数年でみたこともないほど浮かれていた。
僧侶である彼女には着飾るという習慣はない。
しかし、何度も身支度を終えては脱ぎ、「あれやこれや」を確認してはまた再び一から装いを整える……そういった微笑ましい不毛さに患わされていた。
まさに初々しい乙女然たる姿。
さながら恋人との逢瀬へと臨む生娘のような……
あるいは、白蓮の熟した肢体をかんがみれば、新婚の夫との久々の逢い引きを前にした新妻のような。
溌剌とした興奮が満々と内から沸き上がっているのだった。

(なにをしているのかしら私)

という疑問が浮かばない訳ではない。
しかし、理性的にあろうとしてもどうしようもなく心が乱れてしまう。
白蓮にとって、理解を越える衝動であった。
ーーいいや、正確には違う。
この衝動を無意識のうちに愛しく思い、大事にしたかったのだ。
押さえつけ、水をさし、その興奮の火を消して、無くしてしまうのを心底で恐怖していた。
その、意味さえ知らず。
何故なら

(おかしいわ、私……○○と里に説法に行くだけ、それだけですのに……何故こうも)

頬を両手で挟むと、いつの間にか弓めいてつり上がっていた唇が掌に触れた。
いやいやをするように二三度首をふり俯いて瞑目する。
聖白蓮の視界を、見慣れた闇が包む。

(これはいつものこと。…………ぁ…ぅ…ぃ、ぃぃぇ……、ぃぃぇ、…………「いつものこと」なのです……何も特別なことなど、ない、のです)

聖白蓮にとり、○○は常に共にあり、公私共に支えてくれる博愛の男(ひと)。
であるならば、こうして説法へと伴するのは日常茶飯事であり、当然のことであった。
現に、彼女は先週も「二人で出掛けている」。

(なのに、何故、私はこうも…………)

と、白蓮は自問自答を投げ掛け……るのを辞めた。
余りに危険だった。
その理由、その先。
視界の端をかすめるこの、何か。
さながら何かの尾……そう、例えば猫の尻尾。
この、目の前をうろちょろとちらつく、目障りな猫の尻尾の先にはきっと不快なものがある。
いいや、不快と認識することすら危険。
それを寸でのところで白蓮は、曖昧の中にくるみ認識の外へと放り投げ、追い出した。

(そうです)
(そうです……)
(いつものことでも、嬉しいのはかわりないですよね)

震えていた細い肩を抱き、白蓮はゆっくりと俯いていた顔を少しだけあげた。
肩を抱いたことで、豊かな乳房が持ち上がり柔らかに歪む。
聖白蓮の、あげた顔はほんの一寸で、彼女の豊かな髪に隠れその僧にあるまじき美貌の全てを伺うことは出来ない。
しかし、艶やかに濡れた唇はつり上がり、そこから漏れた吐息が熱く熱をもって前髪を濡らした。
白蓮は笑っている。

(そう、楽しいひとときですのもの。うれしくて、そう、嬉しくて、つい、笑ってしまいますわ、ね……)

聖白蓮はわらっている。
しかし前髪の奥、その瞳は恨めしげにねめあげて、何かを見ていた。
そこには居ない、なにものかを。

境内、門前を浄めるのは僧侶ならずとも朝の大事な仕事である。
……とはいえ、大まかな日課としての掃除は朝食の前に済ますのが習わしであり、現在そこに立つ彼女……幽谷響子が箒を持っていることにさして意味はなかった。
ただ、門前の掃除は彼女に与えられた大事な御勤めであり、それを誇らしく思っている響子にとって、箒はある種のトレードマークとして機能していた。

「ぎゃーてー(↓)ぎゃーてー(↓)はーらーそわかー(↑)♪」

生きるための哲学を凝縮した有り難いお経も、その意味も知らず口ずさめばもはやそれは鼻唄である。
とはいえ、寺の受付も兼ねる響子のお経ソングは名調子で、わざわざ聞きに来る年寄りもいるというのだから満更無駄でもない。
響子の年寄り受けは鳥獣戯楽のそれとは別個に、かなり高い。

「なんだかね、最近癒されるのよね、アレ」

響子の後方、ギリギリ声の届かない程度の距離にある井戸で、一輪は彼女にしては珍しくシニカルな笑みを浮かべた。

「まあ、雲山はまえから結構気に入ってたみたいだけどね」

あたしも年相応に老けたのかな、とぼやく彼女はどうみても年頃の少女でしかない。
肌艶も若々しく、妙齢の御婦人が聞いたならば一笑にふされるか、さもなくば手が出るだろう。
しかし、彼女とて悩みと無縁という訳ではない。
であるなら、時には皮肉や愚痴のひとつも溢したくなるのだろう。

「いいですよねぇ、響子ちゃん。秘密ですけど、毘沙門天さまもちょっとおきにかけてるんですよ」

……まあ、そういったものが効かない相手だと知っててぼやいた訳なのだが。
その悩みのたねは至極あっけらかんとして相槌を打ってきた。
寅丸星である。
一輪はなんだか馬鹿らしくなってしまった。
寅丸と○○の関係、そしてかつての○○の想い人である白蓮。
想い人、とはいえなんら実を結ぶことな終焉を終えたわけだが、その二人が連れ立って出掛けるという。
○○を信じていない訳ではないないが、盲信している訳でもない一輪はある意味非常に女らしく「気を揉んで」いたのだ。
言葉を選ばなければ、○○が浮気してくるのでは、と。
ただの人間である○○に、聖が遅れをとるとは万が一にも思わない。思わないがしかし。
それは聖白蓮が正常な状態にあれば、の話だ。
ここ最近の心ここにあらずといった白蓮が、負い目もあるかもしれない○○の熱意に押し切られ、その、なんだ、あれよあれよというまに……

「大丈夫ですよ」
「えー……」

唐突に太鼓判を捺した星に、ほんとにぃ?という意味と、あたしの言いたい事ちゃんと分かってる? という二つの意味で一輪は片目をすがめた。
寅丸星が基本優秀でありながら、肝心の時ちょっと「やらかしてしまう」こともあるのを知る一輪である。その心配は無理もない。

「大丈夫ですって。信じてますから」

しかし、一輪は失念している事がある。

「一応聞くけど、どっちを?」

寅丸星は既に乙女ではない。
彼女のなかに確固たる信頼と親愛の証が「実を以て」根付いていることを。

「もちろん」
「……」

「両方です」

一輪は深く重く、溜め息ついた。
そりゃ、あたしだってそうだけどさぁ、と。
あーもー、いいや。と。
結局のところ、自分がいくらどうこう騒いだところで、どうにもならないなるようにしかならない、と。
聖と○○と星にまつわるあれこれに悩むのを、徒労にしかならないと諦めた。
もとより、最近の聖のことはともかく、星と○○の間のことは自分の口出すことではないのだし……と

最近、星は思う。
きっと、自身が強く在る為……
あるいは教義に殉じる為に、自分は聖白蓮から○○を託されたのだ。と。
ならば、それが今更どうこうなる筈などあるわけはないと。
寅丸星はそう結論付け、疑い無く信じているのだった。

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最終更新:2015年12月16日 22:25