「○○さん、最近暗くなるのが早いから、夕餉までには
帰ってきて下さいね。」
守矢の神社の縄張りである妖怪の山とはいえ、流石に夜の帳が
降りると、色々な妖怪が跋扈する魑魅魍魎の世界となる。現人神の彼女
とは異なり、唯の人間である自分にとっては危険なモノも彷徨いている。
しかし感情的には分かっていても、そうそう何度も言われると窮屈な
気持ちが湧き上がり反発したくなる。

「分かっているよ、そんなに言わなくても。」
「そうですか、ならいいんですけれど…。この所遅いものですから。」
彼女はあくまでも心配していたものの、僕は被害妄想にも似た、束縛の
ような絡みつく愛情を彼女から感じ、思わず反発してしまう。
「一々五月蠅い。」
そう言って僕は彼女に目も合わせずに、神社よりさっさと出て行く。
後ろの玄関では、彼女が傷ついた顔をしていることがありありと思い
浮かび、僕はその想像を振り払うように足を速め山道を下った。

 人里で簡単な用事を済ませた後、茶屋で一息付く。直ぐに済む用事に
かこつけて人里で半日潰そうと考えたのは、早苗と四六時中顔を合わせて
いると息が詰まると感じたためである。庄屋の倅がつくような草臥れた
溜息をつき、分厚い湯飲みを揺すりながら茶を冷ます。猫舌でもないのに
そんな事をするのは、手持ち無沙汰だからであるし、ひとえに家に帰りたく
ないからである。
 彼女のことは愛していない訳ではない。彼女の神社が権力を持っているから
なんていう打算的な勘定ではなく、-其れが無いと言うと真っ赤な嘘になって
しまうのだが-最初の内は上手くいっていた様に思える。しかし徐々に慣れが
生じて来たのか、彼女のことを疎ましく思うことが出てきた。美人は三日で
見飽きると世間は言うが、あばたもえくぼだった物が、あばたは痘痕となり
自分に彼女のいやな面を見せつけてくる。自分も彼女に同じような思いをさせて
いるのであろうから、きっと自分も我慢をするべきなのだろうが、しかし
厭なものは嫌であるし、窮屈な物は窮屈である。特に最近は自分が彼女に
刺々しくなってきたためか、彼女は益々僕を束縛しようとしてきたように感じ、
僕は益々彼女から逃げようとする。つまり悪循環という訳である。

 そうした事をつらつらと考えていると、不意にふわりと香りが鼻に届き、
手元より団子が一つ減っていた。さらさらとした金髪の髪を風に遊ばせて
霧雨魔理沙は僕の椅子に座り話しかける。
「どうしたんだ○○。いつに無く暗いじゃん。」
「まあ、色々あって。」
まさか魔理沙に恋人の悩み事を話す訳にもいかず、曖昧に誤魔化す。これが
上白沢であるならば、また違ったのかも知れないが、自由奔放を絵に描いた
ような彼女に相談することは、町内スピーカーに向かって王様の耳は驢馬の
耳と叫ぶようなものである。
僕の気のない返事を聞いた魔理沙は、僕を暫く見つめてふうんと息を吐いた後、
ぼそりと呟く。
「東風谷早苗。」
 まさか当てられるとは思わずに、びくりと背中を震わせた僕を見て、正解を
確信した魔理沙は更に追撃をかける。
「最近いやに束縛してくるとか。」
「お前には関係ないだろ。」

 失敗した。これでは大当たりですと抽選会で鐘を鳴らすようなものである。
これは更に突っ込んでくるかと身構えると、予想に反して彼女は僕に香水を
差し出す。
「団子のお礼に取っとけよ。私特製の魔女の秘薬だぜ。」
「効果が分からない物を使う程、追い詰められてはいないよ。」
「藁にも縋りたいという顔をしていた癖に?正直になる薬だぜ。」
-じゃあなと言ってそのまま魔理沙は飛び去って行き、後に残った僕の手には
硝子の小瓶が残される。貰った物を人前で堂々と捨てるのには抵抗があり、
僕は香水を持って帰るのであった。

 ブラブラしながら帰り道を歩いていると、僕の意思に足が従ったのか、途中で
すっかり日は暮れてしまっていた。また早苗が小言を言うであろうことにうんざり
しつつ、僕は気が進まないながらも階段を上ろうとする。すると飛行機から爆弾が
降ってくるように、空から早苗が急降下して僕を捕まえる。
「○○さん、心配したんですよ。今まで何処に行っていたんですか!」
「唯、人里に行っていただけだよ。」
鷲に捕まれた小鳥のように、背後よりしっかり抱き寄せられながら空を飛ぶ。
慣れるまでは肝を冷やしていたが、今では会話が出来る程である。
「嘘です!うそです!そんなことないです!」
早苗は興奮しながら僕の胸元をまさぐり、神社の玄関に着地すると同時に魔理沙より
貰った香水を抜き取る。
「やっぱり、これ魔理沙さんから貰ったんですよね!」
「押しつけられただけだよ。」
あくまでも事実を述べるのだが、それは彼女にとっての真実にならない。
烏天狗に僕を尾行させるような人物には、どんな関係無い事であっても全ては疑惑の
種となる-パラノイアは存外優秀である。

 僕は彼女の誤解を解くために、硝子瓶を地面に落とし、ついでに足で割っておく。
中身が媚薬であったなら、彼女が興奮するかもしれないなとは、割った後で気づいたが。
アルコールかエーテルを溶媒にしていたのか、忽ち香水は蒸発して辺りに濃密な甘い
花の香りが漂うが、僕に縋り付いて泣いている彼女に変化は見られない。馬鹿に付ける
薬は飲んでしまった阿呆の話を思いだしながら、暫く早苗の好きなように服をハンカチ
代わりにさせておくと、不意に彼女が呟く。
「この香り、イランイランじゃないですか!」
「なんだいそれ?」
「エッチな気持ちになる香りですよ!この浮気者!」
-私は捨てられるんだ-と更に号泣しだした彼女を眺めていると、急にこれまでの怒りが
湧き上がり、早苗にぶつけたくなる。

「烏天狗に毎回尾行させているやつに言われたくないよ!」
彼女も負けじと言い返す。
「○○さんがだらしないからですよ!いつも女の人に鼻を伸ばして。今日なんかはプレゼントまで
貰って、私がいつも心配しているのに!」

「おいおい、お前のは心配してる振りをして、俺を縛り付けているだけだろう!」
普段思っていたことを早苗に言うと、彼女は涙を追加し鼻声で喚く。
「○○さんは私から逃げるじゃないですか!私はこんなにも好きなのに!」
「だからそれがうざいんだって!」
「馬鹿、馬鹿、ばか。」
ついには単語を繰り返すだけになってしまった早苗は、僕に懇願する。
「お願い、好きでいて。愛してるって言って。」
ひときしり泣き叫び、涙に濡れて仮面が剥がれた早苗を見ると、不思議と
素直に言葉に出来た。
「愛してるよ。そんな早苗でも。」
フーフーと最早唸り声を出すのみになった彼女は、僕のよれよれになった
服に鼻水を擦り付けてじっと僕を抱きしめている。
何時しか空には月が出ており、僕らを明るく照らしていた。

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最終更新:2016年05月23日 22:23