もし貴方が、突然恋人から別れを切り出されたらどうするだろうか。驚くだろうか?問い詰めるだろうか?それとも怒りを露わにするだろうか?人によって色々な感情の表れがあるの
だろうが、私にとっては全て-そう全てが何か遠い出来事のようで、何か反応をするまでもなく全ての物事が過ぎ去ってしまっていた。あの頃に戻ってやり直すことが出来てもやはり、
やはり何も出来ないのかも知れないが、それでも私は戻りたいと思っている。
  例え全ての事が終わってしまった今であったとしても。

 私が恋人の幽々子から別れを告げられたのは一年程のことであった。秋になり木々の葉が色づきそして散っていく頃であったが、私はその日彼女の住んでいる白玉楼にいて彼女と食事
を摂っていた。幽霊が作る物といえど豪勢な食事は屋敷の豪華さとひけをとらないものであり、私は旨い食事に舌鼓を打っていた。メインデッシュたる懐石料理を終え、幽々子が楽しみにする
デザートを待つばかりとなっていた束の間に、幽々子はふと思いついたかのように私に言った。

「私達、別れないと駄目ね。」


 あまりにもあっさりした彼女の物言いに私はすっかり動転してしまい、何と言葉を返したかは記憶に霞がかかっており今でも思い出す事ができない。気の利いた言葉でも言っていれば
幽々子に心変わりさせることもひょっとすれば、万が一程度の確率であれば、可能であったのかもしれない。しかし私は、紅葉の葉がハラハラと風に吹かれて舞い落ちる最中に漏らした
彼女の言葉を聞いたその瞬間に、もう駄目だと思ってしまっていた。別に彼女との仲が険悪になっていた訳では無い。そして別に彼女に飽きていた訳では無い。そして別に彼女に不満が
何か有った訳では無いのに、私は特別に何か反論する訳でも無く彼女からの別れの言葉を受け入れてしまっていた。
 彼女に深く踏み込まないのは卑怯なのかもしれない、或いは惚れた女に執着しないのは淡泊過ぎるものなのかもしれない。後からそう噂する人も居たであろう
それに対して、私はある種の当然と言わんばかりの態度でその申し出を受け入れていた。

 其れまで私は白玉楼にて、庭師の様な役割で働いていたのであるが、彼女と別れてしまっては今までの様に働くことは出来ない相談である。彼女が突然の気まぐれで私と別れた
のならば私はそのまま身一つで放り出されてしまっていても可笑しくないのであるが、彼女は有り難くも伝手を使って次の就職先を探してきてくれていた。彼女に気を遣わせてしまい
申し訳ないという気持ちと、次の働き口が見つかって助かったという姑息な気持ちがない交ぜとなっていた中で、私は紹介された職である神霊廟へ向かったのであった。


 神霊廟で私は働き始めて幾時が経ち、私はそこで馴染むことが出来た。そこにいる仙人達が流石徳の高い仙人達であり、私の様な未熟な者に対しても親切にしてくれたことも一因であるが、
最大の要因は屠自古の存在である。私が以前冥界で手ひどく振られて以降、傷心していて人と関わることに億劫になっていた時にも、彼女は私に少々お節介なまでに話しかけてきてくれた。
 彼女の存在無しには私は、いつまでもとは言わないまでも相当に長い間、失恋を引きずっていたであろうし、はっとする様な美しさではないものの、横にいると元気づけられる様な彼女の
笑顔によって、私は以前よりも明るくなっていた気がする程である。
 そして私にとって嬉しいことに、彼女の方もまた私に対して良い印象を持ってくれたようで、私と屠自古は恋人となっていた。見た目の明るさとは異なり、二人っきりになると奥手な彼女で
あるが、私は彼女とのそんな関係に満足していた。自分は人間であり年老いていくのであるから、亡霊の彼女とは数十年後になると不都合が出てくることは分かっていたが、それでも私はとても
幸せであった。彼女が泣いて帰って来る迄は。
 私はいつも幸せであった。しかしその幸せは彼女の献身で成り立っていた様である。盲目の愛で見えない振りをするという献身。疑惑の心が芽生える毎に軋んでいった彼女の心が、決壊を迎
えたのは、奇しくも私が幽々子と別れた時と同じ、桜が舞い散る季節であった。

 その日屠自古は珍しく遅くなって帰ってきた。普段は私と一緒に夕食を摂りたいと、此方が嬉しくなる事を言ってくれて、なるべく早く帰って来るようにしている彼女であったが、その
日に帰って来たのは夜も大分遅くなってきた頃であった。
 私は彼女の帰りをじっと待っていたのであるが、半月が漸く山の裾より顔を出す時分になって弱々しく戸を叩く音がしたとき、最初
に感じたのは安心であり、そして屠自古の顔を見た瞬間に湧いてきたのは喜びであった。そして私の喜んだ顔を見た屠自古は、溜めていた感情を吹き上がらせるように、氷柱が溶けて雪解け水
が滴り落ちるように、涙を溢した。心配したと言う私に対して、彼女は細い今にも消えそうな声を出した。

 「○○、私時々聞いていたんだ。」

 何を-と目的語が無い私の当然の問いかけに屠自古は答える。地を這うように低く。

「前に人里の子供が言っていたんだ、○○が私じゃない女の人と歩いているって。」
「その時は見間違えだって、優しく言ってあげたんだ。」

「すこし前に紅魔館の近くにいる氷精が言ってたんだ、○○が私じゃない綺麗な着物を着た、女の人と腕を組んでいたって。」
「その時は嘘を付くなって、怒鳴りつけたんだ。○○はそんなことする人じゃないから。」

「この間、キョンシーを連れた青娥が言ってきたんだ。○○から私じゃ無い女の人の香水の匂いがしたって。桜の匂いって。」
「その時は決闘したんだ。○○の名誉を汚すなって、スペルカードで相手を吹っ飛ばして。あいつが連れていたキョンシーも一緒になって泥に塗れて。」

「ちょっと前に、布都に忠告されたんだ。○○が私じゃ無い女の人と冥界の白玉楼で食事をしていたって。」
「その時は布都を何度も何度も殴り付けたんだ。そんなことは絶対に有り得ないから。○○を狙う泥棒猫って言って顔を殴ってやったの、○○を狙わないように。
 顔を痣だらけにしてあげれば、貴方があんな見てくれだけの女を、好きになることなんてないと思ったから。」

「さっき、太子様に警告されたの。○○が私じゃ無い女の人とキスをしていたって。西行寺幽々子としてたって!」
「その時は、私刺そうとしたの、でも、出来なくて、ねえ、太子様が○○と私の仲を引き裂こうとしているだけだよね、殺して良いよね、○○は浮気なんてしないよね!絶対だよね!」

 私は泣き叫ぶ彼女を抱きしめる。私の肩に顔を乗せ、服に大粒の涙を流す屠自古の背中を撫でて、宥めることしか出来ない。私には身に覚えが無いのに一体・・・。
 ふと、泣いていた屠自古が固まる。私の首筋を一点に見つめているようであるが、首を捻って見るには角度が急である。どうしたかと尋ねる私に、屠自古は泣きすぎて枯れた声で答える。

「何でもないよ○○。うん、何でもない。そう、こんな痣擦れば消えるよ。あの女の形の痣なんて、直ぐに消えるよ、うん、うん、そうだよ。」

ちょっとゴメンね、と言って私の首筋を擦り出した屠自古であるが、段々と力が強くなってくる。そして擦っている範囲が徐々に広がっている。いくらなんでも痛い位に腕を動かす屠自古
を止めようと声を掛けるが、一向に収まる気配が無い。

「消えない、駄目、消さなきゃ、広がってく。蝶なんか、あの女になんか、○○は渡しはしない絶対に渡さないっ!」

 そして屠自古は糸が切れたように崩れ落ちた。

 崩れるように眠った屠自古を布団に横たえる。捲れた服を直して赤くなり所々血がにじむ自分の背中を隠しておく。服が触れて痛いが、屠自古の痛みに比べればマシであろう。静かになって
気づくが部屋に紫色の蝶が飛んでいた。暗い中にぼんやりと光る蝶が扉の方へ消えていくのを見て、私は扉に手を掛け静かに引いた。

 其処には妖夢が居た。静かに立つその姿は、普段であれば立派な従者として私の目には映るのであるが、今の妖夢は余計な感情が死んでしまった冷酷な剣士に見える。妖夢にここにいる訳を
尋ねると、低い通る声で返事が返ってくる。

「幽々子様に、○○さんをお連れするように命じられましたので。」
こんなことをした訳を重ねて妖夢に尋ねるが、妖夢は黙って家を剣で差す。壁を取り巻く千ではきかない数の蝶を見て固まる私を、妖夢は背後から肩を掴んでさっと飛び立った。

 白玉楼で幽々子と対面する。一年ぶりでずっと会わなかった彼女であるが、記憶の中の彼女よりずっと綺麗であった。幽々子の対面に座り正面を向いて彼女の方を見る。以前よりも細くなっ
ているような気がするが、逆にそれが彼女の美しい、日本刀の様な鋭利な美貌を引き立てていた。
 改めて彼女に、何故私と幽々子が一緒にいる場面を、皆が見ているかと尋ねる。扇子で口元を隠しながら、彼女は答える。ゆらゆらと扇子を揺らしながら。

「私、死を操る能力を持っているの。」
知っている-と返すと、幽々子は言葉を続ける。

「その力強すぎたのよ私。自分の死体で西行妖を封じた所為か、死だけじゃなくって、感情とか意識とか、命以外を殺すことができるの。」
「まあ、手加減はできるんだけれど、でも自分にもその力が影響するの。亡霊だからこれ以上死ぬ訳じゃないんだけれど。」
「でも、感情は死ぬの。別の言い方をすれば失われていくって事ね。だから、私の愛は消えていくの。」

私の知らなかった事実が彼女から告げられる。愛情が無くなり好意となる-かつての幽々子の私への憂いを秘めた笑顔に納得する自分がいた。

「貴方と別れたのも、その為。貴方との愛が減っていくのが分かるの。徐々にすり減っていくこの気持ち、貴方が好きなのに愛せなくなっていくの。」
「一度はそれでもいいと思ったの。例え情熱的な愛が消えてしまっても、貴方と毎日過ごす日々で生まれる穏やかな感情と、一緒に生きていければ良いって。でも・・・!」

感情を高ぶらせた幽々子は扇子を叩き付けるように閉じる。口元からは白い歯が覗いていた。
「でも、貴方が他の女と喋っているのを見て、私嫉妬したことがあるの。そしたら、薄れかけてた愛が嫉妬で燃え上がったの。」
「貴方が欲しい、渡したくない。他の女に少しでもやるもんかっていう、醜い感情が、私の貴方への愛を満たすの。だから、貴方と別れたの。」

「一度別れて、他の女を思っている貴方を愛すれば、私の○○への愛は永遠に消えないでしょうから。」
「悔しがる女を尻目に、記憶を殺した○○を愛するのは楽しかったわ。私がこの能力を持って心底良かったって、千年以上生きてきて初めて思えたぐらいですもの。」

 幽々子は私に抱きつき、耳元で話す。
「だから、○○。あの女を好きでいてね。私が○○をそれ以上に愛すから。」
それと、-と幽々子は私を見下ろしす形で付け足す。
「もし貴方があの女を愛さなくなったら、あの女を殺して×をそこの床の間に置くから。」
貴方とのを見せつけてやれるし、亡霊だから腐らなくて便利よね-と言いながら上から見下ろして、私の胸に手を入れる彼女の美しさは、文字通り魂が抜かれるほどであった。

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最終更新:2017年02月12日 14:08