綿月豊姫は退屈だった。
基本的にやるべき常務はこなしてはいるが、雑務となる仕事は兎に任せるか他の者に押し付けるかして自分は楽をしようとするのだ。
妹の依姫みたく、稽古をして日々の鍛錬を積むわけでもなし、ただただ永久とも言える膨大な時間をありのままに受け止めて過ごしていた。
とどのつまり生きる糧、生き甲斐を持ち合わせていなかったのだ。
月に住む者としてそれは不必要かもしれない。そこが地上の者との決定的な違いでもある。

しかし、昔は気にもしなかったこの何もない日々が最近は酷く憂鬱になり始めていた。
おそらくは地上からロケットに乗って月までやって来た少女たちと出会ってから――。
短い間、巫女の少女とは捕虜として過ごしただけなのだが、それでもほんの少しだけ地上に対する認識が良い方へと変わったのである。

――ちょっとだけ地上に興味が沸いたわ

ある日、上の者から任務の通達が入った。その内容は月の表からによる地上の監視。
豊姫が任じられる程の任務ではなく、それこそ奴隷兎にでも任せればいい内容だった。
実際、地上の監視は兎たちの仕事であったし、何故豊姫が直々に出ていかなければならないのか。

それは当の本人が任務を受けたいと申請したからである。
上は大層驚愕したが、いつも同じ内容の報告ばかりする怠惰な兎よりは適任だろうと判断し、結果豊姫が半季程、委任されることとなった。

それからは兎達に代わり、豊姫が月の表からの地上監視を務めた。
最初は興味で始めてみたものの、一向に変わらぬ地上に退屈になり始めていた。
気まぐれで受けた任務だからもう辞退しようかと考えていた矢先、ある光景を目にする。

小さな子供が眩しいくらい綺麗な眼差しで此方を見上げていた。
一見すると何の変哲も無い光景だった。地上から月を見ているなどそう珍しいことではない。
逸れどころか地上の者達は月の表に何か機械を飛ばしてくるようにもなった。卑しい連中だと思う。

だから地上に興味を持ったというのも、とりわけ地上の者に興味を持った訳ではないのだ。
しかし豊姫はその子供に目を奪われていた。
何故だか視線を外せない。目が座ってしまう。見ていると鼓動が早くなり心が落ち着かない。

ずっと観ていたかった。他のものは一切視界に入らず、ただ、ただその子を…。
とはいえ、どれだけ豊姫が観ていたくとも、子供は暫しの間見上げていただけで直ぐに見るのを止めてしまった。
子供は移動し始め、何処かへ行ってしまうと思い、慌てて目で追うもその子はもうこちらを見なかった。

委任はされても一応は交代制なので定刻には代わりの者と交代した。
いつもなら退屈な仕事が終わり、暫くは懲り懲りだと嫌気が差すところなのだが、不思議とその感情は無かった。
何故?と豊姫は自身に問うたが心当たりは一つしかなかった。

その時はまだ軽く考えていた。また会えたらいいな、と。
あの地上の子に強く心惹かれ始めていたのを自覚せずに――

悶々と過ごしながらも予定通り豊姫の任務時間になった。

――もしかしたらまたあの子はこっちを見てるかも

可能性は低いけれど、まだこの任務に就いてから一日しか経っていないのだ。
根気よく探していればいつかはまた見つけられるかも。

そうだ、何なら昨日見た場所をもう一度見てみよう。あの子がまたこちらを見上げているかもしれない。
月の技術で造り上げられたこの観測機を最大倍率まで上げて隈なく探そう。
地上の人間を一人一人、焦点を合わせてはまた別に視点を変え、気が滅入るような作業を繰り返した。

だがその努力も空しく、一日中あの子を探したが一向に見つけることは出来なかった。

昨日と変わり、あの子に一日会えないだけでこうも気分が優れなくなるのだろうか――。

ああ、もやもやする――。会いたい、会いたい――。もう一度こちらを見てほしい――。

家に帰宅してからも豊姫は鬱念としていた。

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最終更新:2017年05月31日 21:37