『ユメ、デアイ、マショウ:前編』

【1】
 「ちょっと出かけてくるよ」

 「そうですか、いってらっしゃい」

 妻の早苗にそう言って俺は、守矢神社の境内から出た。

 そこで目が覚めた。

 俺が今寝ているのは、自分の部屋のベッドの上。守矢神社なんて
いう所じゃない。

 そもそも、夢に出てきた東風谷早苗という女の子は俺の妻ではな
いし、俺は結婚なんてしていない。あとまだ十八には届いていない
から結婚出来ない。それに、彼女は二年くらい前に自主退学しどこ
かへ行ったのだから、会いようもない。

 東風谷が居なくなる以前、俺と彼女は、友人でもなく、ましてや
恋人関係でもなかった。まあ、機会があれば世間話をするくらいに
は、お互いに良い印象を持ってはいたが。で、東風谷が居なくなって、
数か月後くらいか。夢の中で俺は東風谷と再会した。

 俺も彼女も、揃って白襦袢を着て向かい合って、まるで新婚初夜
みたいな暑苦しい雰囲気から始まった。やがて俺たちは、キスをし
た。夢の中だったものだから、俺はその状況には何の疑問も持たず、
唇を重ねるだけだったキスは次第に淫靡な具合になっていき、その
まま東風谷と一夜を共にしたのだ。

 そこから、俺と東風谷は、毎晩夢の中で夫婦生活を営むように
なったのである。

 夢を見るようになってからしばらくの間、それはもう毎晩寝るの
が楽しみだったものだ。何しろ東風谷は可愛い。居なくなる前から
男子から人気が高かった、そんな女の子と、やけに現実感のある夫婦
生活を送れるのだから。夢の中限定な虚しさに目を瞑れば。

 その理想的な幸せな夫婦生活は、ある夢を境に、負の方へ変化し
ていく事となった。

 夢の中で、俺と東風谷は言い争っていた。具体的な内容はあやふ
やだったが、浮気に関してのことだったと思う。俺が本当に浮気し
たのか、もしくはただの疑惑なのかは定かではなかった。

 夢の中で、東風谷はヒステリックに俺へ、洒落にならないくらい
当たり散らし、神社から叩き出されて、石段から転げ落ちたと同時
にベッドから落ちて目が覚めたのである。起きて俺は、守矢神社に
帰る――もといまた眠ることが億劫になった。さりとて、覚醒した
頭に残っていた眠気は須臾にしてぶり返し、それに翌日も学校で朝
が早いのだから、眠らないわけにもいかなかった。さては、その時
はまだ一回目だったから、こういう場合もあるかと高を括って、
あっさりと再び眠りに入った。

 俺が戻ると、東風谷は脇目も振らず俺へ飛び付くと、しゃくり上
げながら、

 「ごめんなさい、捨てないで、ごめんなさい、捨てないで、……」

 と謝り出したのだ。そのいじらしい様についついほだされ、抱き
締めて頭を撫でてやったのだが。

 すると彼女は、いきなり俺を押し倒した。いつもよりもっと情熱的
に俺を求めてきて、押されて俺もされるがままになっていた。


【2】

 明朝、倦怠感の中で目を覚ました。寝ていたはずのなのに、運動をし
た後みたいに気力が湧かない。身体から栄養を放出してしまったみたい
に怠い。抑うつで、後悔と似た気分になっていた。

 以後、朝起きる度にこの症状に苛まれた。

 それまで、夢の中で東風谷と身を重ねる時には、彼女は貞淑で、しずし
ずと、神聖な儀式さながらに行っていた。対して近頃では、彼女はむやみ
に奉仕精神を出し、あまつさえ自分の身を全てげるとまで言い出す。差し
詰め女郎だ。さすがに、切断した小指を差し出してきたりはしないけど。

 数日もすると、根を上げて俺は友人に打ち明けた。最初は、羨ましいと
かの言葉で茶化されていたが、日増しに憔悴していく様に、さしもの能天気
な友人たちも俺に気を使い始めた。医者を勧められ、親に連れられて診て
もらったら、睡眠障害の疑いありとして睡眠薬を処方された。また、東風谷
早苗の夢が切っ掛けということから、カウンセリングにも通うことに。

 逆効果だった。睡眠薬なんて効かなかった。東風谷は気にせず、またし
ても俺の夢の中に現れては俺を蹂躙し、翌朝の倦怠感の上に、薬の効果が
持ち越され、ストレスに因りますます悪化した。おまけに夢の中の東風谷
は、俺がカウンセリングの一環で女性カウンセラと仲良くなったからか、
より一層情緒が激しくなっていくのだ。

 これらの要因から、睡眠薬は無し、カウンセラは男性に切り替えられた。
少なくとも、前述の睡眠薬と女性カウンセラの時よりは、男性カウンセラと
の対談のお陰で幾分かマシだった。またその後、男性カウンセラから、夢の
中の東風谷と、主に彼女の話を聴く形で、会話をしてみてはどうだろうかと
提案された。自由の利かない夢の中で出来るのか疑問だったが、不思議な事
に、その晩に見た夢の中で俺は、カウンセラに言われた通りのことを実行し
たのだ。それで、カウンセラの提案は功を奏して、東風谷との営みのある夢
はは一週間に三日となった。

 しかしその代わり、学校の昼休みや休日での昼寝の間にも彼女の夢を見て、
その場合は必ずまぐわうこととなったが。

 俺が東風谷の夢を見るようになってから一年、未だに彼女は現れる。今日も
彼女に会いに夢の世界へ赴く。俺は時計を見た、現在二十三時を回っている、
あと一時間足らずで日付が変わる。

 そう言えば、明日は俺の誕生日だった。俺も今年で満十八。

 俺は嘆息した。子供の時は、誕生日が来れば浮き立ったものだ。でも今年は
大学受験がある。


 ――いかばかり 思ひけめかも しきたへの 枕片去る 夢に見え来し
 『万葉集』

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最終更新:2017年06月17日 19:59