>>583・>>584の後編です。

   『ユメ、デアイ、マショウ:後編』

【1/3】
 ――嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものかとは知る
 『蜻蛉日記』



 ○○君を一目見た時、たまたま目に入っただけなのに、とてもしっく
り来た。気になってもう一度見たら、私は恋に落ちてしまっていた。

 頭の中で突風が吹き、胸が膨らんで、それから心臓が嬉しそうに跳
ねるのを感じた。自分の今までの人生は霞んでいたとさえ思えた。そ
の霞が一瞬にして晴れて、うらうらと日の光が祝福と共に降りてくる
情景を幻視した。

 それからというもの、私は彼の姿を追うことがたびたびあった。彼
の一挙一動が気になっていた。居ない時には、今どんなことをしてい
るのだろうと想像していた。笑った顔、しかめた顔、びっくりした顔、
色んな顔を見た。もし、私にその表情を向けてくれたなら……。

 ○○君と話せた日には、狂喜乱舞して、その日一日中が清々しかった。
私の世界と彼の世界を、一部でも共有出来た。

 ――私、変じゃなかったかな。――○○君には私がどう映っていたのかな。

 ――私にはにかんでくれた! ――彼の気持ちが知れた!

 私の思慕は弥が上にに募るばかり。そんな私に悪魔が囁く。

 彼のことをもっと知りたい、そして私はその手段を持っている。
後ろめたい思いに駆られはするものの、出来る手段があるとなると、
どうしても我慢出来ない。

 抑え切れずに覗いた彼の生活。学校では見られない彼の姿。

 ご両親との会話の中で、好い娘は居るのか○○君が問われた時。
私の中で大きな鼓動が一つ、それから静寂、再会された拍動が徐々
に聞こえてくる。彼は、私のことを話した。

  凄く可愛い娘だって!……。高嶺の花だなんて!……。その高
嶺から私がいつも見ているのは、あなただけなのに。今すぐにでも
この思いを伝えたいけど、なかなかその勇気が出ない。

 またある時には、彼の……オブラートに包んで言うと……女性の
趣味について知る機会があった。パソコンに表示された、豊満な女
の人とか、従順そうな女の人とか。

 ○○君は私と話している時、私のを見たりするけれど、ひょっと
してそういう眼で? あの女の人たちの肌に、私の肌を重ね合わせ
ていたり? あの人たちを見て、私を思い出してくれたりとかは。

 何だか急に、嫉妬心が芽生えた。

 「私だけを見て……」

 私ならいくらだって見せてあげる。触ったっていい。全部あなた
のもの。と、妄想の中で告げていると、ついついその気になってし
まい、それを持て余す日々だった。

 でも、そんな日もいずれ終わってしまうのだった。何故なら私は
幻想郷に行ってしまったから。

 私には使命がある。後ろ髪引かれる思いだけど、どうしようもな
かった。私は現人神で、風祝。私の持って生まれた力は、神奈子様、
諏訪子様のために……。

 諏訪子様は、

 「悪いけど、早苗、自立出来ない齢の子を勝手に親御さんから引
き離して幻想郷に連れてきちゃあ駄目なんだ。ま、忘れちゃいなよ、
奇跡でも無い限りはさ……」

 やっぱり、忘れるしかないのか。でも、この熱く切ない思いを失
くすなんて、到底考えられない。本当に、忘れられるのだろうか。
しばらくは悶々としてはいたけど、こっちに来て色々と忙しかった
から、その間くらいは幾分か彼のことは忘れられていた。

 あと、幻想郷に来て、友達が出来た。ただの女の子とお友達じゃ
ない。私の力についても、気兼ねなく話せる友達が。外の世界でも
楽しく話せていたけど、窮屈だった。ここに来て良かったのかもし
れない。


【2/3】
 ところが、ある程度ここに住むと、妙な事に気付いた。私には男性
のお知り合いが居なくて、皆避けてくるのだ。

 人里の人々は、険悪な仲でもないにも拘わらず、どこか隔てりが
あった。その辺の人妖はおろか、妖怪の山で高い位に居る天狗の方々
でさえ私を、神奈子様や諏訪子様と同等の神のように、いやにへり
くだった態度で扱ってくる。

 私からすれば、偉い人への扱いというより、力のある厄介者とし
て見られている気がしてならなかった。これが下衆の勘繰りだと分
かっていても、ひとたび勘繰ってしまえば、たちまち彼らへの憎悪
と軽蔑がせり上がってくる。

 神奈子様らから宥められることで、それらの気持ちをどうにか飲
み下した私は、ひとまず寝て、忘れようと思った。そして、起きれ
ばあれらの負の感情は鎮まったが、代わりにうそ寒い寂しさに心が
冷えていた。

 「もう嫌っ! 寂しい!……、寂しい!……、寂しい!……」

 溢れてきた悲憤を、布団の中で床を叩いて吐き出す。されど私の
胸の空洞は埋まらない。それどころか、吹き出物を絞り出すのと同様
に、繰り返せば繰り返すほどに広げられていく。

 こんな時、○○君が居てくれれば。会いたい。会いたい。声を聴
きたい。一目見るだけでもいい。

 こうして感情を発露させていると、あっという間に神経が疲れて
いき、その日も私は早々に寝ることにした。

 そして奇跡が起きた。

 夢の中で、私は○○君に逢えた! そこで私たちは結婚していて、
その初夜の折だった。彼は私の両手を優しく取ると、接吻をしてき
た。そっと重ね合わせるだけの、二人の身体の温もりを分か
ち合うためのような。

 身体がのぼせ上がっていく。心臓から広がっていく、渇望の波。
こうべに達すれば、私たちから節度が消える。お腹に及ぶと、五臓
六腑とは別の器が、物欲しそうに蠕動する。

 接吻はやがて、舐め合うが如くお互いに口唇をすり合わせていき、
襦袢が着崩れていった。

 私たちは――これで一つになれた。

 覚醒した時、私は、あれは奇跡だったのだと信じた。

 フロイトとかユングとか関係ない、私と○○君の思いが通じ合った
から、ああして再び巡り合えたのだと。

 それからは、自分自身の待遇程度なんて、へっちゃらだと威勢を
張れた。だって、夜には彼との逢瀬があるのだから。温かい布団に
潜って少し目を瞑れば、○○君が相好を崩して私を受け止めてくれ
た。

 幸せが身体から溢れ出てしまいそう。ああ、とっても幸せ! 
○○君、大好き! 大好き! 大好き! 私の旦那様、ずっと一緒
に……。

 と、こんな風に私は、興奮のあまり幸せしか感じていなかった。
不安なんて無かった、否、気付かなかった。

 まず不満だったのは、彼とのまぐわい。ロマンチックではあった
けど、刺激が足りないと言うか、箱の中で致していると言うか。

 果たして彼は満足しているのかしら。だって、彼がパソコンで見
ていたものは、ここまで上品な感じじゃなかった。どちらかという
と、もっと奔放な、男も女も自身の欲動をぶつけ合いに行っていた。

 実は○○君は私に満足していない? それとも、私にそんな気は起きない?

 思えば、私は幻想郷、○○君は外の世界。私たちが会えない時間
があまりにも多すぎる。その間にも彼は、沢山の女に遭っているは
ず。ピンからキリまで様々な。私がこうして冷静に考えられている
のと同様に、彼の情熱もいつか冷め、離れていったりするのだろう
か。

 「いやだ……」


【3/3】
 その晩、私は夢の中で彼と喧嘩した。一方的に私は当たり散らし、
彼を追い出してしまった。その後、私以外誰も居なくなった部屋。
耳鳴りがするくらい静かな室内で、拠無い不安が私の頭の中で揺曳
していた。興奮冷めやらぬままに、いよいよ愛想を尽かされてしまった
んじゃないか、もう戻ってこないんじゃないかという想念が脳裏に
ひっきりなしに浮かび上がってきた。私は気が動転して、けれど何
をすべきなのかも判断出来ず、身悶えるほかなかった。

 やがて○○君が帰ってくると、一目散に私は彼に飛び付き、泣き
ながら縋り付き、謝り続けた。泣けば赦してもらえるという打算は
無かったつもりだけど、ひたすら私は泣きじゃくって、うわ言のよう
に赦しを求めた。赦してくれないと思いながら、どこかで、謝罪の
果てにいつか相手も折れてくれるかもという希望があった。

 やおら彼は私を、ちょうど赤ちゃんをあやすみたいに、抱き締め、
撫でてくれた。私の強張った身体がほぐれていくのが分かった。同時
に、一緒に凍り付いていた寂寥感をはじめとした感情が、溶けて流れ
出した。

 瞬間、私は○○君を押し倒した。自らの情欲のままに彼を感じた。
脂肪の無い引き締まった腕、押すと反発する固い胸板や腹、それと
男の子の匂い。これらに包まれていると、私の身体が如何にか弱い
かが知れる、やっぱり私は女なんだと。この熱さが無いと凄く寒く
て、心細くて、死んでしまいそう。常に私の肌に密着させて感じて
いないと、どこかへ行ってしまうかもしれないという恐怖で頭が
どうかしてしまう。

 「ずっと、一緒ですからね……。だって、私の……早苗のこの身
もこの心も、あなたに捧げたんですから……」

 私たちに遠慮なんて要らない、何故なら夫婦だから。○○君が求
めているものを、私が満たしてあげなきゃいけない。そのために彼
のプライベートを見ていた。彼が何をしてほしいかなんて、私はもう
知り抜いている。だからしてあげた。

 毎日、毎日、毎日、毎日。毎晩、毎晩、毎晩、毎晩。私たちだけ
の生活。私たちだけの世界。

 それでも○○君は浮気をした。相手は、人に対して知ったような
ことを宣うあの女カウンセラ。あんなの、所詮は上っ面だけの共感
でしかない。女同士での薄っぺらい友情のさなかで為されるの仮初
の親和と同じに。

 心にもない言葉をどれだけ紡ごうとも、畢竟、人の本性は行動に
出る。私はその本性の行動を彼にぶつけることが出来る、だって妻
だから。浮気について私は怒ったけど、その分だけ彼を好きになった。
その気持ちのままに抗議をした。その甲斐あって、あの女と○○君
は引き離せた。本当に仕方のない、私の旦那様……。

 その後、彼は珍しく、私と話したがった。膝を交えて話そうと持
ち掛けてきた。ちょっと怪訝に思ったけど、彼たってのお願いだか
ら、了承することにした。

 何でもない、ただの談話だった。どこかほっとする。私の気持ち
を話せば、彼はちゃんと受け入れてくれる。凝り固まった何かが
ほぐれていく。こんなの久しぶりだった。こういう夫婦の営みも
また醍醐味なんだって。

 ○○君はやっぱり、私の運命の人なんだと改めて確信した。こんな
にも私のことを思って、私と向き合ってくれる人なんて、他に居ない。
失えば、苦い青春の思い出なんかでは済まされない、唯一無二の、無
くてはならない人。

 何が何でも逃がしてはいけない。だったら、こんな夢の中での夫婦
ごっこで甘んじては駄目。私たちが実際に契りを結んで、二者の絆は
ようやく確かなものとなる。

 そう言えば、○○君との夢が始まって、かれこれ一年。そろそろ
彼は満十八歳となる。そう、結婚の出来る年齢なのだ。

 諏訪子様も初めに言っていたはず。自立出来る年齢、即ち結婚出来
る年齢でない人をご両親から離してはいけない。それは言い換えれば、
結婚出来る歳になれば、一端の男なら、親元を離れて生活しても差し
支えないということになる。

 ○○君の十八歳の誕生日に、彼を幻想郷に迎え入れる。そしてそこ
で私たち二人は、名実共に夫婦となる。

 この一年間の夢――、あれが私たちを結ぶ絆だった。あれが無かった
ら、私たちはいつまでも離れ離れだった。彼が十八歳になるまで続いた
二つの夢の連絡は、まさしく私たちが添い遂げるための奇跡だったんだ!

 もうすぐ日付が変わり、彼の誕生日がやって来る。

 「もうすぐ、迎えに行きますからね……」

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最終更新:2017年06月24日 18:40