誘惑来たれば

 山の麓にある祠は普段よりも綺麗に掃除されていた。僕はいつものように手頃な石に腰掛ける。
いつ来ても土埃がついていないその場所は、長年この祠に通ううちに僕の定位置となっていた。
そしてそこにはいつも彼女がいる。綺麗でいつも優しい彼女だけれども、家族や里にいる人は彼女のことを見たことが無い。あれだけ美人な人で、しかも周りに家が無い場所に住んでいるのだから、目新しさに飢えた村人からすれば放って置かないだろうけれど、誰も彼女のことを知らないし、
僕が友人と一緒にその祠を尋ねた時には、いつもそこにいた彼女はその時だけ全く姿を見せなかった。
そして翌日に僕がその祠に行った時に彼女は「どえらく」怒っていて、二度と他の人を連れてこないように言ったものだから、いつも優しい彼女が見せた怒りに押された僕は、それ以降他の人に彼女のことを話すことが無かった。

 いつも僕の話し相手になってくれる彼女に、僕は是非ともに相談したいことがあった。
物知りでいつも僕に良いアドバイスをくれた彼女ならば、きっと最高の解決策を見つけてくれるだろうと信じて。
 「神様の生贄になる?」
少々怒気を孕んだ声の彼女に、押されながら僕は答える。
 「いや…村の長老の人が言うには、豊穣の神様の付き人らしいんだけれども、どうやら神様の生贄にされるらしくって。」
 「らしいって誰が言ってるの。」
 「誰って訳ではないんだけれど、なんか皆、僕が二度と戻って来れない様な雰囲気を出していて…」
 「ふうん…」
ねめつけるような彼女の目。僕が以前一度だけ怒られた時と同じ雰囲気を出しながら、彼女はじっとうつむいて黙っていた。
 「で、その神様の名前は?」
 「みのりこさま、って村の人たちは言っていた。」

 「良いじゃない。」
彼女は言葉を変えて僕に言う。てっきりどうにかしてくれると思っていた僕は、あてが外れた格好になってしまった。
 「いや、駄目だよ。」
 「なんでなの?」
 「生贄になりたくないから。」
正直に言った僕に彼女は呆れた様に言う。
 「あなた、馬鹿じゃないの。」
何故かと尋ねる僕に彼女は説明する。
 「生贄って、そんな人を食べるみたいに…。そんな野蛮な神様は幻想郷には居ないわよ。」

 「じゃあ、どうして戻って来れないの。」
彼女は天を仰ぎ、さも嬉しそうに言う。
 「それはね、神様と夫婦になるからだよ。」
 「ふうふ?」
 「そう、メオト。良いことよね。神様に見初められるんだから。」
堂々とそれを語る彼女に、僕は反論する。
 「でも、人じゃなくなっちゃうじゃない。」
 「それが?」
別にどうでも良いかのように彼女は言う。まるで彼女にとっては人で無くなることなど、
大した価値などないと言わんばかりに。

 「ねえ、○○。」
彼女のいつもの癖が来た。
 「お願い、だから、付き人になってくれないかな。とっても良い生活が出来るよ。」
どうしても僕に言うことを聞かせたい時に使う、必殺の「お願い」。いつもなら、何故だか彼女の言うことを聞かないといけない気がする彼女のお願いだけれども、それでも僕は精一杯拒絶する。
 「嫌だ。」
 「どうしてかしら、○○、私のXXXのお願いだよ。」
駄目押しの様に彼女は僕の肩に手を掛けて言い聞かせる。彼女の声が頭の中でグルグルと反響して、
声は聞こえるのに彼女の名前が脳の間をすり抜けて行く。
 「絶対に、嫌だ!」
僕は彼女を押しのけて、必死に走って逃げる。もし此処で逃げなければ、笑顔で優しい声をしているのに
目が僕を捕らえて放さない、彼女に囚われるような気がしたから。
そして走っている僕の耳に、逃さないと言う彼女の声が聞こえた気がした。

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最終更新:2017年08月14日 08:22