空気を読めば

 空には高く太陽が昇る昼間にあっても、店内は程よい暗さであった。
一階に喫茶店が入るそのビルは、立地の良い都会の建物にありがちでの風景、
二階以上には何処かで名を聞いたことがある会社が入っているという、日常的な環境を作り出している。
一時間前は昼食を食べる人で満員であったろう店内は、今ではまばらになっており、
特製のカレーを客に振る舞っていたであろう喫茶店の厨房は、今の時間は珈琲を出すのみになっていた。
 手元の氷水が入ったグラスに付いている水滴を拭い、さも今来たかのように永江衣玖は店員に紅茶を注文する。
目の前に女が座ったと同時に、店員が注文の品を持って来た。
「珈琲になさいますか。」
機制を制すように女に声を掛ける。
「ええ。」
短く声を返す女。二人の間には挨拶は無い。
ドカリと音を立てて、さも忙しそうに女は鞄を放り投げる。
「それで、いつ別れてくれるの。」
首を傾けながら衣玖の目を見つめて言う女。ライターの音が鳴り紫煙が辺りに漂った。
「変な事を仰いますね。」
煙が苦手なのか、衣玖は顔を引いて言葉を返す。
「あなたがいるから、彼、遠慮して私と付き合えないのよ。邪魔ってこと。だから別れてよ。」
「何を馬鹿な事を。そんな事を言われる筋合いはありません。」
女は深く息を吸い込み煙を吐き出す。口元が小さくニヤリと歪んだ。
「ハン!そんなに私のお下がりが良い訳?バッカじゃない?」
「あの人を悪く言わないで下さい。」
穏やかな声で、しかし断固として衣玖は反論をする。
半分以上燃え残った煙草を灰皿に押しつけ、女は身を乗り出す。
「大体ねえ、私の方が付き合いがズッと長いのよ。あんたみたいな女が彼女面する幕なんて無いの。」
「○○さんは、あなたとの友人関係は、消したい過去だって仰ってました。」

バッグより煙草を探る手が止まる。
思わぬ反撃に固まった女に衣玖の追撃は続く。
「あ゛?なに言ってんの?」
「あなたとはしなかったと、○○さんは言っておられました。私としても…」
女の目をみて衣玖は言葉を続ける。
「○○さんが汚されなくて良かったです。」
勝ち誇ったかのように、まるで女を見下すかのごとく。二人の間に激しい火花が散った。
「クソみたいな根暗女が何言ってんのよ!」
「その女よりも、不倫して奥様にバレて相手から捨てられた女の方が惨めじゃないですかぁ?」
「負け犬は大人しく寄越せよ!」
「彼に女として一番大事なことがあげられない、あなたの方が無様ですよ。」
「テメエ!潰してやるよ!アタシの連れ舐めんなよ!」
激高した女がコップを掴んで水を衣玖に浴びせかける。
前髪から水滴を垂らしながらも、衣玖は女の目を見ていた。
騒ぎを見た店員が駆け寄り、テーブルの横から二人の間に割って入ろうとする。
女の方はバッグを乱暴に掴み、椅子を蹴飛ばすように喫茶店から去っていった。
「大丈夫ですか。」
店員が衣玖に声を掛け、タオルを手渡す。
「ええ、大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました。」
一転和やかな顔になり、店員にわびる衣玖。
「どなたか呼ばれますか。それとも…。」
警察を、と言おうとした店員を衣玖が遮る。
「いえ、ご心配には及びませんよ。」
「それでも…」
「いえいえ、この後ちょっと用事が有りますので。」
心配する店員を宥めた衣玖は店を後にした。
笑顔をずっと貼り付けたままで。

 女はその夜、自室でスマホを操作していた。
昼間のあの女の顔が時折頭を過ぎり、何をしてもムシャクシャを晴らせない。
ムカつく女を脅かすために喫茶店ではああ言ったが、本当に実行してやろうと女は思った。
昔の悪友に電話を掛ける。色々悪さをしていた馬鹿な奴なので、例えそいつが逮捕されようが良心は痛まない。
逆に自分に罪をおっ被せないかが心配であった。
「ねえ、一人潰して欲しい奴いるんだけれど。」
「えー、おとこぉ?おんなぁ?」
酒でも飲んでいるのか、間延びした声が聞こえる。
後から脅すために録音をしながら、会話を続けていく。
「女、ムカつくけど美人で××だから、何してやってもいいよ。」
「やったー!マジやっちゃうよ!マジで!」
「今から顔送るから…ねえ、聞いてんの?」
電話の先が急に静かになり相手の声が返ってこなくなった。
酒癖の悪い男が、酔い潰れたのかと思い大声で話しかける。
「おーい!起きてんの!」
「…。」
「起、き、ろ!」
「こんばんは。」
電話の先から昼間に水をぶっかけてやった女の声がした。
「え…?」
「私、空気が読めますので。先回りさせて貰いました。」
「おい、何やったんだよ!何でお前が居るんだよ!」
混乱している女の耳元から、衣玖の声がスピーカーを通して聞こえてくる。
「先にご自分の心配をなさった方が良いですよ。それじゃあ、さようなら。」
「おい!おい!あつっ!」
携帯が持てない位の熱を持つが、自分の手は電気で痺れたように微動だにせずに頭の真横で動かない。
薄い機体が一瞬で膨れ上がり、耳から脳全体に爆発音が響き渡り、女は意識を失った。






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最終更新:2018年01月08日 21:32