本当に愛しているのは誰なのか

 始まりはほんの些細な、そう、本当に些細な事であったが、それがレミリアの琴線に触れてしまった。
いや、悪い事が引き起こされてしまったのだがら、逆鱗を踏んでしまったと言うべきか、
はたまた虎の尾を踏んだと言うべきなのか、いやはや引き起こすなんて被害者のような振りをしている現状では、
-お前は本当に反省しているのか-と手痛い反論を受けてしまうのだが、
普段は大人しい彼女と珍しく喧嘩をしてしまった私は紅魔館を飛び出して、
そのまま足が向く方に歩いていくといつの間にか人里の大通りを当てもなくブラブラとしていた。
 冬の訪れと共に通りを吹きすさぶ風が強くなり、日が落ちるのが早くなったことと相まって、
体が冷えてきたと感じた私は手頃な屋台の暖簾を潜った。
何か温まる物を頂こうと付け台をのぞき見ると、大根が出汁で煮込まれて湯気を立てていた。
早速店主に注文し、出された大根を頬張る。熱々の汁がすっかり冷えきっていた体に染み渡った。
ふと隣の客から視線を感じて首を横に捻ると、女がこちらをジッと見ていた。
「もし、どうかされましたか?」
女の手が震え、持っていた猪口が滑り落ちる。机の上に透明な酒が広がり酒の匂いが店に広がった。
「大丈夫ですか、お具合でも悪いですか?」
気遣って伸ばした私の手が、その女によって強く払われる。
始めは女の顔に広がっていた驚きが、さっと憎しみに彩られていく。
酒の酒精が顔に乗せられていくのと同じ様だと、どうでもいいことであるのに何故だか私はそう感じた。
恐らくはレミリアと言い争いをしていた私はどこか動揺した、あるいは浮ついた雰囲気があったのかも知れない。
女はそんな私の、ふわふわとしていた気持ちを一瞬で打ち消すようなことを言った。
「お前…オニのオトコじゃないか!触らないでおくれ!」
「……。」
「吸血鬼と寝た奴に触られたら、こっちまで妖怪に引きずり込まれるじゃないか!触るな!」
彼女の余りの言い草に私は言葉を失ってしまった。
私と女の争いを聞きつけた女の連れが、私の前に割り込んでくる。
女よりも酒を空けているせいか一層血色は良くて、そして悪いことにその分以上に威勢が良さそうであった。
男の方が目を吊り上げて私に迫ってくる。
「おい、お前、俺の連れになにしようっていうんだ?」
「いやいや、私は何もしていないぞ。」
厄介な酔っ払いに絡まれたと私はチラリと店主の方を横目で見た。
視界の端で店主は後ろを向いており、我関せずの態度を貫いていた。

「テメエ、いい加減にしろよ。」
男の方はすっかり私が女にちょっかいを出したと思い込んでいた。どうにか宥めようと話しをする。
「お連れさん、落ち着けって、私は何もしていないよ。」
「嘘つくなよ!お前が手を出していたのはしっかりと見てたんだよ。」
「だから誤解だと言っているだろう!」
「俺の女から血を搾り取る積りだったんだろ、クソ野郎め!」
酔った男の方が私を思いっきり押した。
突き飛ばされた格好の私は自分の座っていた椅子を巻き込んで倒れた筈だったが、
一向に衝撃が来ない。
反射的に瞑った目を開くと、何故か私は離れた椅子にちゃんと座っていた。

「つまり、貴方は我が紅魔館の主が見境無く人を殺している…と、そうおっしゃりたいのですね?」
男の後ろから声が聞こえた。
普段館でレミリアに使えるメイド長の声。
普段と同じ声の筈なのに、店の中が時が止まったかのように静かになった。
メイド長は普通ならば相手と応対するために向かい合っているのであるが、今の彼女は男の後ろにいた。
まるで死神が鎌を振りかざして命を刈り取るかの如く。男の顔から汗が噴き出し、一筋が首に滴った。
「い、いえ…。そんな…ことは…。」
「そうですか…。ならば貴方はなんの理由も無く、御主人様を侮辱された…と。」
ぐにゃりと目の前の空間が曲り、悪意と敵意がない交ぜになったものが後ろから流れ出す。
確実に殺す、その意思がナイフのように男に突き刺さり、一緒にいた女の方は放っておかれているにも関わらず、
咲夜さんの殺意に当てられて既にまともに息をすることも出来ないようだった。
荒い呼吸が店に響く中、カチャリと刃物を鞘から外す音がした。
「そこら辺にしておけ。「言い間違い」や「勘違い」は時々有る物だ。」
一触触発の空気の中に慧音さんが入って来た。途端に張り詰めていた空気が消え去っていく。
男の方は腰を抜かしてしまい、ズルズルと地べたに座り込み、女の方は涎が流れていた。
「あら、勘違いならば仕方ありませんね。」
勿体ぶるかのように、銀色のナイフを鞘にしまう咲夜さん。
そのまま彼女は歩いていこうとしたので、私も慧音さんに頭を下げてから、後を追うようにして店を出た。
 先に店を出た彼女を追うように早足で店を出ると、彼女はさほど離れていない場所にいた。
こちらを待つ彼女に追いついて礼を言う。
「ありがとう、咲夜さん。」
「いえ、そのような事は…。」
彼女はいつものように言葉少なに返す。
十六夜咲夜という人物の忠誠心は、紅魔館の主のレミリアのみに捧げられていた。
そして私は精々がそのおまけという扱いなのだろう。いつも彼女は私から距離を取ろうとしていた。

「旦那様。お嬢様の所にお戻り下さい。」
低い声で咲夜さんが言う。何かを押し殺したかのように。
「何だか戻りにくくって…。」
「お嬢様がどれだけ、旦那様のことを気に掛けておられると思っていらっしゃるのですか?私とは比べ物になりません。」
いつも冷静な彼女の言葉は、今日は取り分け辛辣に感じた。
「レミリアは咲夜さんのことをいつも自慢しているよ。最高のメイドだって。」
「ええ、お嬢様から信頼を頂いているのは重々承知しております。しかし旦那様とは比べることすらできません。」
「そりゃあ、まあ、仕事に対するものとは別だろうから…。」
咲夜さんの足が止まる。普段感情を見せない彼女の瞳の奥に、うねるような感情が潜んでいた。
「私はお嬢様より人間として生きることを許されました。それはお嬢様の好意でありますが、
結局は私はそれだけの存在だということなのです。……失礼致しました。口が過ぎました。」
足早に紅魔館に向かう咲夜さん。
隣で歩いている筈の彼女と私の間には、越えられない亀裂が存在するかのように感じた。

「ただいま…。」
「おかえりなさい、ダーリン。」
紅魔館に帰った私をレミリアが迎える。
先の口ケンカのことなどなにも感じさせないように、私の方に寄り抱きしめる彼女。
抱きしめ返すと、レミィの羽がパタパタと嬉しそうに揺れた。
「えへへ…。」
小さく細く抱きしめれば壊れそうなレミリア。
この非力な少女が私を愛しているということだけが、私の紅魔館での地位を保っている。
細い道を踏み外さないようにして歩く人生。
心に浮かんだ不安を打ち消すかのように、私はレミリアを強く抱きしめた。






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最終更新:2018年12月30日 16:11