「あら……」
稗田夫妻が、まったくもうぐらいには思いながら。
地下の隠し部屋にて乱闘を始めた輝夜と妹紅から逃げて、床の間に隠された出入り口から出ようとしたら。
先に出た阿求が、少し面白くないなと言う声を出した。
「阿求、どうしたの?何かあるの?」
それは夫である○○の耳にも聞こえているので、何より狭い道でいきなり止まったのだ。逃げていると言うのに。
不安になってしかるべきであろう。


「いえね、あなた。目の前にてゐさんがいるのですよ。ごめんなさいねあなた、狭い道なのにいきなり止まってしまって」
阿求はそう言いながら夫に詫びるが。
「うーん……いや、まだマシかな」
夫である○○の方も先程の阿求と同じく、これは確かに面白くないなと言う感想を。
はっきりと言葉には出していないが、声色は確かにそう述べていた。

しかしながら。
「やぁ、てゐさん。ごきげんよう。あの書生君は、いないようですので」
輝夜と妹紅曰く、一服盛られて動きや思考を誘導されている書生君がいないのならば。まだマシだと、○○ははっきりとそう断言することが出来たから。
阿求の後に続いて、床の間にポカンと開け放たれた穴から這い出ながらも、笑顔でてゐにあいさつを述べることが出来た。
阿求も○○とは似たような考えのようで、こちらも笑顔で会釈をしていた。
夫妻そろってにこやかなので、それはまぁ良いのだけれども。床の間にぽっかりと空いた穴が、夫妻の姿に強烈な違和感を添えているのは、この場では特筆しておかねばならぬ事であろう。


「あー……」
てゐは、床の間から這い上がってきた稗田夫妻と言う、見方によってはちょっとばかし面白い光景を目の前にしている物だから。
主である輝夜の部屋に入ってきたてゐは、何事かの話を持ってきているはずなのに。稗田夫妻が与えた衝撃や面白さでそれを口に出せなかったどころか。
「もしかして、姫様もだけれども。八意永琳も、その穴蔵の奥にいるの?」
持ってきた話よりも、自分の興味を優先すらしてしまったが。
「ええ、そうですよ」
けれども○○は、自分が見たもの聞いたものに対する。興味深いだとか、面白いと言う感情の方がまだ色濃くて、てゐの言葉に、妙な笑いかたで答えた。


「あぁ、てゐさん。穴蔵の奥へ、今行くのはやめた方が。妹紅さんが輝夜さんに突っかかったので……」
○○が楽しそうに笑ったままな分、阿求がてゐに気を付けるように口添えしたら。
地の底から突き上げるような振動が、稗田夫妻やてゐの足下から感じられて。
「うわ……」
開けっぱなしであった、床の間から地下の隠し部屋に通じる出入り口から、黒煙が吹き上がり。
○○が驚いて、そして急いで出入り口のふたと言うか、扉を閉めた。
扉を閉める前に、言葉になりきっていない女性の声が聞こえたような気がしたが。多分あれは藤原妹紅の声であろう。
しかしその声が、地下室への出入り口を閉めても聞こえてくるのには閉口するしかなかった。
おまけに、閉めても黒煙がスキマからあふれでてくる始末であった。


「歩きながら話そうや、ああなった妹紅は怖いんだ」
稗田夫妻が現状にやや目を見張っていると、てゐの方から声をかけてきた。それに、てゐには持ってきた話があった。
「稗田家から、使いのものが手紙を持ってきたんだが……夫妻のどちらかでないと渡さないと強情張ってるんだよ。助けてくれ」


阿求も、そのてゐからの報告には意識が呼び覚まされた。
「どちらから……いえ、誰からの手紙をうちの使いは持ってきたのですか?」
阿求はやや訂正しながらてゐに聞いたが。○○の頭のなかにある、今手紙を寄越してくれそうな人物は二人しかいなかった。東風谷早苗か、遊郭の忘八達のお頭だ。
阿求も同じ考えで、どちらからと聞いてしまったのだろう。けれども。
「……それすら分からないんだ。あの強面さんったら、中身に関する公表するしないの権利は、あんたら夫妻にしか無いと言って、きっと今も竹林で突っ立ってるよ」
てゐにすら、使いのものは答えなかったらしい。この様子では、その使いのものは手紙の差出人すら、下手をすれば把握していないかも知れなかった。
しかし、稗田家の奉公人と言うのはそれぐらいでなければ困るとすら阿求は考えていたので。
強情を押し通しているその使いのものには、好印象しか抱いていないようであった。


「書生君は?まだ竹林かな?」
しかしながら○○の気にする部分は、もう少し別であった。突っ込んだ話に、彼は少々邪魔なのだ。口さがない表現だが、それが本心だった。
「……あぁ、強面の使いに手紙の中身を教えてくれとせがんでいるよ。慧音先生もやってきたから、抑えられるとは思うが」
てゐからそれを聞いたとき、○○は少し笑ってしまったが。
「笑い事かよ」
てゐからの評価は厳しかった。


「いやいや、違うんだ……あの書生君は今回の狂言誘拐事件の被害者の一人ですよ」
○○の表現に阿求は思うところがあるのか、少しばかり流し目を○○に寄越した。
事実○○の脳裏には、細見やら春画を売り歩いていた五人組の末路が思い描かれていた。
「最大の被害者ですよ……」
○○の語勢が少し弱くなった。
「いちゃつくな」
てゐからは見とがめられてしまった。


「失礼、失礼……単刀直入に聞きますね。地下室での会談で、あの書生君は一服盛られていると聞かされたのですが……ご存じで?」
「……やっぱりとだけ言っておく」
てゐは、遠回しであるけれども色々と認めてくれた。
「そうでしたか、何だかあの書生君、心がここに無いような感覚に見えましたので。思いきって聞いたら、妹紅さんがぶちまけてくれて、輝夜さんも追認してくれて……」
てゐの表情は更に重くなっていった。


そしてポツポツと、てゐは永遠亭の構成員だからこそ見られる、状況証拠を口に出してくれた。
「例えば食器だね。あの書生君が使う食器は、姫様と八意永琳が慎重に管理していたし。後からかける醤油やらの調味料の類いも、同じ種類のはずなのに、隠し収納に仕舞っていたんだ。あの書生君専用の調味料だ。本人は気づいていないけれども」
「まぁ、一番ヤバいの仕込まれてるだろうなと思ったのは。八意永琳からお菓子を貰っていたのを見たときだね……おあつらえ向きに、色々仕込めそうな飴玉だったのには寒気すらしたよ。実際、よく台所で砂糖を煮詰めて何か作っていたからさ。砂糖以外も煮詰めていたのだろうけれども。精神依存なのは間違いないから、よく鈴仙とどんな薬物を盛っているのか話したもんだよ」
「たまに卒倒もしていたから、配分を間違えたのか。それとも看病の名目のために卒倒させたのか……」

知らぬ存ぜぬは、最大の被害者である書生君のみ。
しかもてゐの口ぶりだと、少しは知恵の回る者であるならば、口外こそ禁じているが腹の底で何かを考えていても一向に構わないと言う。
八意永琳の立ち回りは、いさぎがよいと言うべきか。それとも回りを気にしなさすぎと言うべきか。
あるいは、永遠亭の最高戦力が。首魁である輝夜の協力も取り付けていると言う自信の現れか。
なんにせよ、判断に困ってしまう。


判断に困ると言えば。
いかがわしい物を売り歩いていた例の五人は、下手をすれば全員がもう。閻魔様にその魂が引き渡されているだろう。
けれども、連中はもうそれで。こちらとしても興味の対象外になってしまう。
これ以上はない。少なくとも苦しまない。
けれども書生君は……これからも一服与えられ続けるし。てゐが言う、卒倒も度々味わうことになるだろう。


「まぁ……卒倒はかわいそうなんじゃないですかね。八意先生は、その、下世話な言い方ですが魅力にあふれていますし。他にやりようが」
「あぁ、そうだな。あの体に、あの魅力に耐えられる男がいるとは思えない」
てゐも、少しはこの茶番に付き合わされる事への苛立ちがあるようだ。下世話な話に付き合ってくれたが。
阿求は若干、表情を曇らせながら。
ペタペタと、自分の胸元を触っていた。
てゐが『まずった』と言う表情をしたが。
夫である○○は、きっとわざとらしくなると考えたのだろう、阿求の方は見ずに、阿求自身の胸をペタペタと触る手を握った。


阿求がてゐの出した、下世話な話に付き合ってくれるはずがないのだ。
阿求は一線の向こう側の中でも特に向こう側だから、下手をすれば蓬莱の薬を飲んだ永琳よりもこじれてすらいる。
阿求の様子は確かに違ってしまった、○○の方に少しばかり気にするような目線をやった。
……八意永琳と比べて、恵まれていない自身の体を気にすることはなくなったが。
それとはまた別の事で阿求は○○に対して、気にするような罪悪感を抱いているような雰囲気を見せた。


「その、あなた。もしお気になさっているのでしたら」
「何が?」
○○は努めて平静を装っていたが。阿求が何を気にしているのかは、何となく分かっていた。
「そのですね……私は絶対にそう言うことはしませんが……証明とでも言いますか。これからは大鍋や大皿料理を増やしましょうか?」
○○が若干不機嫌な音を喉から漏らした。
「気にする必要は無いよ、お膳の方が気兼ねなく。配分も決めやすいから」
阿求からの、気にするような提案に○○は若干の失望感すら覚えた。
こっちはこんなにも、信じているし覚悟も決めているのに。
下世話な勘定だけれども、これより良い目が出るとも思えない。



口さがない話ではあるけれども。阿求と○○の婚姻関係は、はっきりと言って○○側が玉の輿である。
幸いにも周りが、人里と言う組織が。稗田の九代目、阿礼乙女の指命を滞りなく進める、その中心的な助けを成している○○に対しては。
安堵や感謝こそあれ、『最後まで』付き合う気持ちに揺らぎが無い○○の事を邪険に扱う空気は一切存在していない。
事実稗田の家中は、『最後まで』付き合うと決めた○○に対する。畏怖の念まで存在している。
もっともこれはまだ、あまり表には出ていない。
病弱な阿求の体を見てくれている永遠亭ぐらいだろう、何とはなしに察しているのは。


「それに阿求。俺は好きにやらせてもらっているよ。十分すぎるよ」
○○にとっては、『最後まで』付き合うのはその代償とすら考えている。


けれども阿求が気にしている。○○に、不自由を味わわせていないかと、よく気にしてしまっている。
健気ではあるし、それすらも可愛いとは考えてしまうぐらいに○○の方が惚れているけれども。
しかし現状に苛立つのも事実。
『最後まで』付き合うと言う言葉には、○○の中に嘘や偽りはない。
それを疑われているようで心外なのだ。



「それに、衣食住のほとんどを共にしているんだから。食事以外にも機会は、いくらでもある。気にするようなら最初から抵抗しているよ」
○○はそう言いながら阿求の肩を持って抱き寄せた。
「今だって、俺に『何か』をやる機会は、いくらでも存在している。けれども俺は阿求から離れようとしない」
「離さないの間違いじゃ」
てゐが茶々を入れてきたが、しかしながら彼女の言う通りであった。
おずおずとしている阿求に反発するように、○○は更に阿求を力強く抱き寄せる。
反発しているくせに、抱き寄せて近づけているなと。
てゐは矛盾している文章に影と皮肉のある顔で笑った後に。
いや、永遠亭の方はまだまだ笑い事じゃない状況だと思いだした。
こっちは『最後まで』の道筋すら見つけられてないんだ。


「イチャつくのはそこら辺にしてくれ、お前らが『最後まで』やれるのは十分承知してるから。こっちの仕事を手伝ってくれ」
てゐからの責めるような口調に、稗田夫妻はようやく我に帰ってくれた。



そのまま稗田夫妻は、お互いに肩を寄せ合いながら仲睦まじく歩いていた。
稗田家からの使いが待っている場所まで先導するてゐは、この夫妻の事は何を言っても変わりは無いだろうと。
諦めにも称賛にも取れる感情で、黙ったままで先導を続けた。



てゐが無言の圧力を携えたまま突き進んでくれたお陰で、稗田夫妻は多少の確かめ合い、手を握りあったりするなどのいちゃつきはあったが。
滞りなく、稗田家からの使いの者がいる場所まで一度も立ち止まらずに向かうことが出来た。


「どうも、お手紙の配達ありがとうございます」
稗田阿求がそう言って、使いの者へ労いの言葉を与える随分と前から。
稗田夫妻の姿を見受けたその、てゐが言うところの強面の使いは、何かに乗っ取られて操作されたかのごとく。
直立不動から、直角に腰を曲げて頭を下げた。
それはまぁ良い、問題はその様子を見ながら阿求が、何秒ものあいだに渡って。
にこやかではあるけれども、ただの一言も言葉を発する事の無い、その事実である。


なぜ、誰も。特に稗田阿求がしゃべらない。
そう、周りの者が思い始めた頃。
「まぁ、まぁ……」
ようやく、阿求の夫である○○が言葉を紡いで、状況を動かしてくれた。

「はっ……ありがとうございます!」
誰かからの手紙を持ってきてくれた使いの者は、感謝にも似たような声で。更にかしこまった。

「いや、そうじゃない……ひとまずは、お手紙を渡してください」
使いの者がひたすらに礼儀正しすぎる様子に。
○○はとまどったけれども。本題を押し通した。


「はっ!!」
そう言いながら、強面の使いは懐の手紙を○○に差し出したが。
その後も、きっと稗田夫妻のどちらからかの許可の言葉を待っているのか。
使いは、垂直に腰を曲げて頭を下げたままであった。


○○が阿求を見たが。一秒ほどであったし。その一秒ほどで○○が少し変な顔をしているのは、友人である『慧音の』旦那には確認できた。
ただその変な顔は、すぐに消えてしまって。
外行きの顔と声に変わった。
「ありがとう、貴方も他にお仕事があるでしょうに。お手間を取らせてしまって申し訳ない。もう、普段に戻っても大丈夫だから」

「いえ!これが、稗田家にお仕えする、わたくしの勤めでございます!!」
○○からの言葉は、気遣いにあふれていた。だのに。
だと言うのに。稗田家からの使いの者は、やり過ぎな程の態度で受け答えをして、立ち去った。
その様子を見ている阿求は、終始満足していたが。
夫である○○は、ため息をつきながら手紙の中身を確認しながら、阿求の所に戻っていった。

『慧音の』旦那は、理解が中々及ばずにこの光景を見ていたが。
とうの、かの旦那の妻である上白沢慧音は、まるで驚かず。
むしろ、その旦那に。
「あれが、あの二人なりの愛を証明する形なのだよ。○○が調整してくれて、阿求は満足なんだ」
そう口添えするのみであった。





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最終更新:2019年04月15日 00:44