「……くっそぉ。体が重いな」
とある家にて、とある男が。不機嫌そうに唸りながら布団からはい出してくる。
そうしながら、壁に掛けられた時計にも眼をやって。
不機嫌なのだから、やはり恨めしそうな顔であくびをしながら壁掛け時計を見やっていた。
どうやら彼が起きぬけにつぶやいていた体の重さはの原因は、寝不足にもあるようだけれども。
「ぐぁ……」
それは補助的要因であって、直接的原因ではなさそうなのが男からのうめき声。
そして背中やわき腹と言った部分を、若干かばいながら歩き出した彼の姿を見れば。
何らかの傷や怪我を背負っている事は、容易に想像できるであろう。

「おはよう」
母親らしき女性に、男性が朝の挨拶を述べた。通常であればこの男性は中々礼儀の立っている人物であり。
「……」
無言で苦虫をかみつぶすような表情しかしない母親の方が、非難されるであろう。
「昨日は何時に帰ってきたの?」
表層だけを鑑みれば、である。中身を見れば実は母親の方に理と言う物が出てくる。

「何の関係が?」
男はわざとらしく話をはぐらかして、食卓に座って朝ごはんを食み出した。
中々礼儀の良さそうな男ではあるが、いただきますの挨拶も抜きで。
ガツガツと小鉢や汁物を使いながら、米をかき込んでいく。焦っているような素振りだ。
「関係あるわよ。自分の子供が妙に遅い時間に帰ってくるようになったし……それに」
「仕事になら、これまで通り遅刻もせずに行っている。疑うなら職場に確認すれば良い」
母親らしき女性がまだ何か言いたげであったが、機先を制するように。
と言うより最初から、母親に喋らせないように。頭で何度も考えたのだろう、どのような会話をするか。
だから、仕事になら行っていると言う言葉も。始めから、適切な場面で強く出すと決めていたように見える。


しかし、仕事もあるけれども母親とあまり話したくないからなのか。
男の見せる食事の所作が、最初からあまりきれいでは無かったが。更に荒れた物に変わった。
舌打ちを鳴らしたかと思えば、汁物を茶碗の米へと放り込んで。おかずもその上に乗せて。
よく言えばお茶漬けのようにしてしまったが、それにしては見た目が余りにも酷すぎる。
即席でこんなものを作ったのだから、食べる所作もやはり、更にひどくなった。
さじ(スプーン)でもあればもう少し食べやすいのだろうけれども、箸で汁にまみれた米やおかずは。
きれいに食べるのには、少々所では無くて不自由で不便だ。
しかたがなく男は、行儀が悪い事――そもそも汁物をかけた時点で悪い――承知で。
汁物の力を借りて、米もおかずも何もかもを流し込んだ。
「ごちそう様!」
いただきますは言わなかったが、しめの挨拶はした。
けれども他の部分でせめてもの何かが帳消しだった。上げ膳据え膳だけの問題では無い。

急いでいたと言うよりも焦っていたせいだろうが、彼の周りは汁やら米粒やら何やらが飛散しており。
それが食卓の上だけで済んでいるのならば、まだ少しは申し訳も立てられたかもしれないが。
飛散した物は、到底そんな狭い範囲には収まっておらず。
何をどうやって、そうなったのかは謎であるけれども。男性が座っていた場所の真後ろ。
つまりは背中の方向にまで米粒が飛んで行っているものまであったのだ。
男性の母親らしき女性は、ため息を付いたりすることも無く。
「仕事に行ってくる!」
そう言って逃げるように自宅を後にする息子の事を、哀しそうな表情で眺めた後。
自らの息子が散らかした食事の後片付けもそこそこで……この母親は文々。新聞を手に取った。
その新聞はしばらく前の物であるが、一面の事件については射命丸以外も特集などと銘打ち。
雑誌の形で色々な天狗が発行したし、講談師も明らかにその事件を題材にした勧善懲悪の芝居が作られた。
その新聞の上段には『八意女史誘拐事件、一日もかからずに解決!』と扇情的に書かれており。
題字の下側には、飼い犬を連れて歩いている稗田の婿○○と。上白沢慧音の夫が写っていた。

更にもう片方の新聞にも、稗田の婿である○○と上白沢の夫が写真で掲載されており。
少しは名の通った猟師の事務所に。稗田、上白沢の両夫妻が乗り込んでいく様子が写っているだけではなく。
中身には別の写真が、山の巫女である東風谷早苗が度々訪れており。何事かを察するには十分。
天狗の射命丸もそう踏んだが、両家および東風谷早苗の口が堅く。類推するのみにとどまっているが。
八意永琳誘拐事件を解決した二人が動き回っている事は、人々に様々な事件を予感させたが。
その後の動きが全くない事から、気づいた時にはもう解決していたらしいと。
野次馬根性の強い物は、天狗でなくとも少々では無く悔しがったり。
稗田の奉公人の場合はうわさ好きの連中に眉根を潜めたりしていたが。この母親の場合は、噂は好きでは無かった。
もっと別の、大きな理由から。稗田の婿○○と、その友人である相棒の上白沢の夫の事を気にしていた。

二人が写っている写真を見ながらは母親らしき女性は。
「もうこのお2人に、ご依頼するしかないのだろうか」
さめざめと泣きながらつぶやいて。自分も仕事があるから、外に出かける支度を始めた。


同時刻、○○は飼い犬を連れて。自らの友人である上白沢の旦那と連れ立っていた。
時間を合わせて何処かに行こうと、そう約束したわけでは無いのだけれども。
しかし不意に合えば、そしてお互いに同じ方向に向かっているのならば。
周りからは仲が良いと思われているし、上白沢の旦那は少しばかり苦笑するが。
上手くは付き合っているのには代わりがないから、仲が良いと見られても構わなかった。
しかし、どこからどう漏れたのかは分からないが。
先日の猟師衆の頭領がおかしくなった事件の調査が天狗の新聞にすっぱ抜かれてしまい。
また何か厄介ごとを解決するために動いておられたらしいと、そう見られるのには。はっきり言ってうっとうしい。
はっきりと、声を荒げたことこそないが。その話題はのらりくらりと、あるいははっきりと無視して逃げた。
そのお陰で、話題を出そうと言う動きはすぐになくなったが。
寺子屋に子供を通わせる保護者達からの目線が、それがまぶしくてたまに腹が立つ。
それはまだ続いているどころか、新聞を毎日読むような人たちは、自分たちの事を知っているし。
何かの為に動いたことも分かっているから、あの保護者達同様のまぶしい視線が。
今、○○と一緒に彼の飼い犬と散歩している時にも感じるので……

「お前の飼い犬……ちゃんと散歩とかさせてるのか?なんか興奮しているぞ」
なので、○○とその飼い犬だけを注視する事にしていたが。目線の端でチラチラと、観察してくる者が見える。
そしてますます、上白沢の旦那は。視界を意図的に狭めて、ついに犬だけを見ていた。
こういう時案外○○は役に立たない、羨望が案外と気持ちいいようだから。

「まさか、ちゃんと毎日最低でも二回は散歩してるし。食事もちゃんと与えてる」
しかし○○も、羨望の視線には気づきつつも。上白沢の旦那が余り注目されたくないのは分かっているし。
それに○○も彼とは上手くやって行きたいから、合せてくれていた。
うがった見方をすれば、今でなくても構わないと言う部分はあるかもしれないが。
「それにしたって興奮しすぎじゃないか?行きたい方向があるような。たまには紐外してやったらどうだ?」
「屋敷の中ではほとんど放し飼いで、広場に出れば紐も外してやっているんだがなぁ……」
○○の飼い犬、彼がずいぶん可愛がっているからと言うのもあるが。
妙に吠えて、飼い主である○○の言う事もまるで聞かず。
どこかに向かわせろと言わんばかりに、○○とは別の方向に突っ走ろうとしている。

○○もかなり頑張って、力を入れて愛犬が暴走しないように堪えていたが。
犬と人間では、純粋な力の差を比べた場合、残念だがまったく太刀打ちが出来ない。
「あっ!?トビー!戻って来い!!」
「行っちまったな」
○○の愛犬も、飼い主が自分を可愛がってくれているのは理解しているからなのか。
噛んだり、体当たりしたりはしなかった。むしろ自分の飼い主にこっちにいてくれと言わんばかりに。
一目散に突っ走らずに、何十歩か行った先で○○の愛犬は振り返り。
頼むご主人、こっちに来てくれと言う風に。こちらを見つめながら吠えていた。
「まぁ、少しだけなら付き合えるよ?追いかけようか」
上白沢の旦那は、腕時計を見ながらまだ余裕がある事を伝えたら。○○は済まなさそうな顔をしてくれた。
普段は○○に振り回されているが、今回ばかりは少しだけ胸がすいてくれた。


○○の愛犬トビーは、件の八意永琳に対する――狂言――誘拐事件でも出馬した。
あれは狂言だったので、自慢の鼻の良さは全く生かす機会は無かったが……
誘拐事件こそ狂言だが、鼻の良さは掛け値なく本物だ。風邪に飛ばされたハンカチを、見つけてくれた逸話もある。
だから今回も、何かに鼻の良さからいち早く気付いて。それをご主人である○○に伝えようとしてくれているのだろうけれど。
「かなり奥の方だな……」
まだ人里の敷地内でこそあるが、その端っこの方に愛犬トビーはぐんぐんと進んで行った。
これには○○も、危ない物を見つけたんじゃと思わずにはいられ無くて心配になる。
「敷地外を示す結界や立て看板は、分かりやすく、ぐるりと囲んでいるから大丈夫だと思うが」
付き合っている上白沢の旦那も、それは同じくである。
今日は○○に恩を売れたと言う考えも、すぐに消え去ってしまった。




ふいにトビーの動きが止まって、向こうだと言わんばかりに吠えつづけた。
どうやら目的の物がみつかったようだ、人里の外にはまだ出ていない。
○○も上白沢の旦那も、まずはその事に安堵した物である。だけれども、きっと○○がそういう星の下にいるのだろう。
○○の愛犬トビー号が評判の鼻の良さで見つけた物は、新しい事件の到来を予期する物であった。
「女が倒れているぞ!?」
上白沢の旦那が驚愕の声を、大音量で漏らした。
幸い流血などは無かったが、そう言う問題でないのは明らかだ。こんな、人けの少ない場所で倒れているんだから。
何かの事件を予感させる。
「…………!?」
○○も、目の前で倒れている者がいれば。さすがに名探偵を気取っていても、衝撃に思考が一拍遅れるのか。
「何をやっている、手を貸せ!永遠亭に連れて行くぞ!?」
上白沢の旦那が、倒れている女性を背負おうとしながら。○○に発破をかけるが。
「そいつに触っちゃ駄目だ!!不味い事になるぞ!!」
こんなにも薄情な物言いには、思わず○○の事を蹴り飛ばしてやろうかとも思ったが。
「そいつは鬼人正邪だ!!一線の向こう側の存在だ!!下手を打てばまずい事になる!!」
残念ながら○○の記憶力は中々素晴らしくて、その上稗田家に婿入りしたから。
各種記録も、阿求がベタ惚れしているからほとんど自由に閲覧できる。
だから、こういう時。たいていは、○○の覚えた危機感の方が正しいのだ。

クソッタレ。
上白沢の旦那は、心中で汚く吐露しながら。正邪を打ち捨てこそしなかったが。
地面に置く以外の選択肢が、全く見えてこなかった




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最終更新:2019年09月16日 00:23