「……ああ、何かきやがったな」
寺子屋の窓から何気なく外を見やった上白沢の旦那は、穏やかな外の様子にも関わらず、1人愚痴るような声を出してしまったが。
「どうした……ああ、あの人力車。稗田のだな」
妻である慧音も、疑問に思うような声は始めだけで。人力車がいきなり寺子屋に乗り付けてきたのを見れば。
そんな高級品をそんな使い方が出来るのは、ましてや上白沢慧音相手に。稗田阿求以外には思いつかない。
幻想郷の神様なら、洩矢諏訪子もそうだけれども。意外と目立つのが好きだから、往来を堂々と歩いてくる。

「誰も降りてこないな」
上白沢の旦那が渋い顔を浮かべたままでいると、慧音がまた声を出してくれた。
人力車からは確かに降りてくる気配は無い、引いてくれる人足夫が足早にこちらに向かうのみ。
懐に手を入れたかと思えば、手紙を取り出した。
「用があるのはどっちだろうな」
上白沢の旦那がそう呟くけれども、彼だってうすうすわかっている。かなりの確率で自分を迎えに来たのだと。
そう、稗田阿求が。また何か、稗田○○に依頼が舞い込んだから。相棒役である自分の登壇を。
願っていると言う態度はとっているけれども、その実態は命令だ。拒否権は存在していない。
稗田阿求が慧音と、何事か相談をしたいのならば。もう少し隠れようと言う意思がある。
慧音の妻となって、そんなに短いわけでもない。それぐらいの空気の違いぐらい、彼だって理解を深めている。
「まぁ……どっちでもおかしくはないが」
慧音もあいまいな態度を口では表現しているが、苦笑しながら夫の方を見ているのでは。
演じているにしても、上手くいっていないと言うほかは無い。
慧音も気付いているのだ、稗田阿求の考えている事が。
自らの演出する舞台に、稗田○○の為に、相棒役をまた必要としているという事が。

――とは言え、以前よりは稗田邸に。○○の下へ向かい、依頼に巻き込まれることを嫌だとは思っていなかった。
○○の事が心配だからだ。
○○は、そしてその妻である稗田阿求も。前回の事件の事は、内々に実行犯を『事故の形で処理』したことから。
酷い話だが、ありふれた物なので世間一般にはもう既に、忘れ去られている事もあり。
稗田夫妻はともに、稗田○○が横領被害を受けたと言う事実を。
知っている者からすれば、不気味なほどに話題にはしない。
それは部外者のいない、稗田夫妻と上白沢夫妻だけがいる場でも。時折1秒程度の、無音からくる緊張感で張りつめるだけで。
努めて――そう、努めてだ――依然と同じ雰囲気を保っていたし。
それは成功していると言えよう。我々は知っているからどうしても、問題になってしまうだけなのだ。
稗田夫妻の仲に一切の変化は無い。横領被害の事をお互いが話題にしたがらないのも、仲の良さの証拠として挙げられる。
――だが、何かが変化した。確実に。
依頼に巻き込まれることを以前ほど嫌だと思わない理由は、もしかしたら、この何かを確認したいからなのかもしれない。

「失礼いたします」
稗田家の奉公人らしく、所作は美しく。されども稗田阿求からの勅命であるから、断固とした意思を持って。
稗田家から使わされてきた勅使は、寺子屋の中に入ってきた。
ふと、上白沢の旦那は壁の時計を見る。まだ昼休憩の時間が始まってすぐであった。
一応は、稗田阿求も気を使って。手が空いているであろう時間を狙ったのだろうか。
……そう思う事にしてやろう。


「上白沢の旦那様に、九代目様よりお手紙です。この場で中身を確認してほしいとの事です」
「ああ、やっぱり」
稗田阿求からの勅使は迷うことなく、上白沢の旦那の方向に歩いてきた。
有無を言わせない態度で、稗田阿求からの手紙を突き出してきたが。相変わらず所作に関しては美しかった。
それが一層、断固とした意思を強調させているし。信仰心の高さに身震いすら覚える。
黙って受け取るしかなかった。

勅使はこちらが手紙を受け取っても立ち去ろうとはしなかった。むしろ、待っていた。
あの人力車で連れて行くつもりだろうかと思いながら、手紙の中身を検めると。書かれていたのは次の無いようであった。


暇であろうともなかろうとも、来なさい。新し依頼を○○が受けるでしょうから
稗田阿求


ここまで威圧的な文章を、思いつくどころかよくぞ届けれるものだ。
「ははは……」
乾いた笑いが混みあがってしまった。
ただし、これでも抑えた方である事は、声を大にして言いたかった。
本当ならもっとあからさまに、口の端っこでも吊りあげたりして、不快感を示すのが普通だからだ。
そうしなかっただけ、褒めてほしかった。
「内容は?……ああ、なるほど」
横合いから慧音が覗き見たが、慧音の方の反応も、はっきり言って芳しくは無かったが。
「まぁ、仕方ない」
一線の向こう側である慧音は、阿求の感情に寄り添っていた。
「行ってやれ」
苦笑交じりであるが、慧音は自分を送り出した。

少し寂しさと言う物は感じ取ったが。
ふと、嫌な思いつきをしてしまった。稗田阿求と言うか、阿礼乙女は体が弱いのが常だから……
つまり、早々長い間、これに付き合わされるわけではないだろうと言う。
本当に嫌な想像である、思いついた自分自身に不快感を抱いてしまった。
「そうだな、○○が待ってる」
嫌な想像を振り払うように、上白沢の旦那は。稗田阿求が逃がさないとはいえ、新しい依頼に首を突っ込むことにした。

ただし、稗田阿求の手のひらの上にいる事を努めて忘れたかったから。待っているのは○○だという事にしたかった。
最も、どっちでも構わないだろう。
稗田家の奉公人にとっては自分がこの手紙を見て、首を縦に振る事こそが重要なのだから。
「それでは、稗田邸にお連れ致します!人力車へどうぞ、お乗りください」
事実、○○の名前を聞いたこの勅使は。少しばかり色めき立つのを隠せなかった。
稗田阿求が演出して、多分誇張もしているとは言え。○○は名探偵の看板を掲げられているのだから。
稗田家の、稗田阿求の信者であるならば。その夫である名探偵○○の支持者になる事が、義務とも言えるのだから。
1つ幸いな事を上げるとすれば、奉公人達はそれが義務であることに気づかないうちに、義務を果たしている事だろう。
本人は幸せそうだから、この夢は覚めない方が多分、誰にとっても損をせずに済む。

ナズーリンとしては、やりにくいことこの上なかった。
秘密裏に稗田阿求と接触して、稗田○○に依頼をすることの許可を得れた。ここまでは良かった。
けれどもどうにも、回り道を何度も強いられているような気配。それだけはどうしても否定できないし。
そもそもの部分で、こんな事をやっていて良いのだろうかと言う、意味や価値の有無では無くて、罪悪感が強くあった。
罪悪感を特に感じる時は、回り道を強いられていたり、待ち時間が必要であるにもかかわらず、その間に何もできずに待つ事しか出来ない時などだ。
つまるところ、今まさにそういう状況に陥っている。
一応自分は、命蓮寺とはそこそこ以上に懇意にしているし。命蓮寺の生きるご本尊である寅丸星が主ではあるが。
懇意止まりだと言うのも認識している、命蓮寺にはたびたび足を運ぶし、実は自分の部屋も用意されているが。住居は別にある。

それでも聖白蓮、彼女は少し甘いから。感情のもつれから発生する―まだ発生していないが、時間の問題だと認識している―問題は。
良し悪しはどっちにもあるけれども、内部である聖よりも、外部である自分がお節介を焼く。
そちらの方が、命蓮寺内部のわだかまりになりにくい。
……そう、マミゾウ親分にも話をして。始めは彼女に協力してほしかったのだが。
『稗田○○に頼めばいいだろう』そう言われたっきり、つまり逃げられたのだ。
――――分かっている、雲居一輪は一線を超え始めたからだ。だから稗田○○の名前をマミゾウは出したのだ。


「お茶のお代わり、いかがです?ナズーリンさん」
「え、あ、いや」
「ああ、阿求。ついでに俺の分も頼むよ」
罪悪感と、一線の向こう側を探らねばならぬ緊張感から。ナズーリンはお茶の進みが早くなってしまったが。
正直、稗田阿求から施しは受けたくなかった。彼女は一線の向こう側の中でも、特に向こう側にたどり着いているのは。
これは、事情通の間ではもはや常識の問題として機能していた。
……マミゾウ親分も事情通なのだがな。はなから逃げに徹されるうえに、稗田○○に頼めと言われた事は。
正直、少し恨みたいぐらいの気持ちだ。
稗田○○に関わるという事は、必然的に稗田阿求ともかかわらねばならない。でなければ、命が無い。
揺り戻しなのかもしれないが、稗田○○が妻である稗田阿求に比べて、穏やかで優しいのも。
実を言えば、救いにはなっていない。スイカに塩を振るかの如く、より強調されるだけの始末なのだ。
今のこれだって、稗田○○はまごつく自分を見て。気を使って、自分もお茶を飲み干して。
あくまでも稗田阿求は、自分のついでにナズーリンにもお茶をくれたと言う体を作ってくれた。
確かに、稗田阿求にお茶を汲ませると言うのは、かなりはばかられる行為だ。
夫である、そして稗田阿求がもはや狂わんばかりに愛している、稗田○○を除けば。

だから、緊張で縮こまっている自分を見て、少し助け船を与えてくれたつもりなのだろうが。
残念ながら、助かっていない。
しかし稗田○○は、何を考えているのか。少しばかりの微笑を浮かべながら、こちらを見るのみである。



「よう、○○。待ったか?」
二杯目のお茶を、礼儀として少しだけ口を付けて、また無為に時間を過ごしていたら。
ようやく役者が、上白沢慧音の夫が、稗田阿求が稗田○○の相棒扱いしている男が来てくれた。
これでようやく、話が進んでくれそうであった。
「ああ、これで話が出来る。君にも聞いてほしかったんだ」
稗田○○は、ナズーリンに向けるよりも更に嬉しそうな顔を浮かべた。この顔で一番安心したのは、実はナズーリンであった。
よそ様向けの顔であるなら、稗田阿求も激昂しないであろうから。

「ナズーリンさん」
何をどう話そうかと、ナズーリンが頭の中で話を整理し始めた折。稗田○○は、はなから用意していた物を読むように。話を始めた。
「恐らく、貴女の中に有るのは罪悪感だ。今回の調査依頼が、命蓮寺と言う看板を外して、ナズーリンさん個人からの依頼である事からも、それは表れている。
それから、私の友人である上白沢の旦那さんを待つ間、話は出来なかったけれども。
その間に何度か、ナズーリンさんはこちらと目が合いましたが……他の依頼人から感じる、請い願うような態度は見えなかった。
それよりも、疑問。自分が行っている事は、果たして正しい事なのか、実は自分は余計な事をしているのではないかと言う疑問があった。
その疑問は、罪悪感という感情も呼び起こした。
唇を噛んだり、ため息のような吐息、うつむき加減の仕草などまるで叱られている子供のようでしたよ」

○○の独演会に、上白沢の旦那は『また始まった』と言う困った笑みを見せているが。
稗田阿求はナズーリンに対して「それで?どうなんですか?」答え合わせをしろと言う圧力をかけてきたが。
もし間違っていたらどうするつもりだったのだ、この女は。事件ごとなかったことにしかねないのが恐ろしい。
「それから」
だが、○○の独演会はまだ続いた。幸いにも先の言葉は、まぁまぁ当たっていたので。
今回もごまかしがきく程度の言葉である事を、ナズーリンは強く望んでいた。

「ナズーリンさんの懸案は、恐らく雲居一輪か村紗水蜜。このどっちかだ」
「雲居一輪の方だ」
だが今度の○○は、より突っ込んだ話を始めようとしていた。慌ててナズーリンは答えをこの場で明示した。
さっきから稗田○○の口数が多い事にナズーリンは。何か嫌な事でもあったのだろうか?と勘繰らずにはいられなかったが。
稗田阿求の手回しが素晴らしく、事情通にすら先の横領被害の事は隠し通していた。
何も知らないナズーリンは恐々とするのみであるが、事情を知っている上白沢の旦那は心配になってしまう。
やはり、○○が人を相手に銃すら使う事になったのは。確実に、○○の精神状態に何らかの影響を与えていた。


「不思議ですね、○○。なぜそこまで当てれたのですか」
しかし稗田阿求は、○○の言葉がズバズバと、正鵠(せいこく)を得ている事に気を良くして。
先ほど指摘した、ナズーリンの罪悪感の事はすっかりと、本人からまだ聞いていないのに、当たっていたことになってしまっていた。
最もこれを指摘できる存在が、どこまでいるかは疑問である。
思わずナズーリンは上白沢の旦那の方を見たが、彼は申し訳なさそうな顔を浮かべて。
「色々あったんだ」
こう言うのみであった。○○の機嫌が悪そうな事に、何かがあったからと言うぐらいしか教えてくれなかった。

「命蓮寺の構成員は、聖白蓮、寅丸星、村紗水蜜、雲居一輪が正式な面子だ。これでも周辺の事は調べていましてね。
ナズーリンさんとマミゾウさん、それからぬえさん。これらは懇意にはしているが、信者では無い。
常日頃から、戒律に縛られずに生きていますから、何かがあったとしても何を今更程度の話ですよ
飲酒も、肉食も、あるいは……遊びにしたって」
遊びと言う部分で、○○は少し言葉を区切って。言いにくそうにしていた。

ナズーリンにも、マミゾウに関しては思い当たる節があるからだ。
配下のタヌキを連れて、またマミゾウの配下であるから可愛い演技もお手の物だ。
遊郭街でたまに、動物喫茶みたいなことをやって小銭を稼いでいるのを聞いたことがある。
極めて特殊な客商売を行っている遊女たちからは、可愛い物に飢えているから。
次はいつやるのかと聞かれて、大層人気があるそうだ。
また本業である金貸しの場としても、遊郭街は最大の需要を持つ空間だ。
恐らく稗田○○もその事は知っているから、言葉を言いにくそうにしていたのだろう。

だがナズーリンに出来る事は、そこを突っ込まない事のみであった。
「……まぁ、否定はしない。私も本来の住居は命蓮寺の外にあるからな」
「だからこその罪悪感でしょうね。それに初めから一輪さんと水蜜さんに限定したのは、このお二方は、戒律に対してしばしば無視するような行動がありますから
もしも寅丸さんや聖さんに何かが合ったら、表には出したくないでしょうから、皆さんで解決しようとします
しかし一輪さんと水蜜さんは、たまに戒律を無視して飲酒や肉食にふけりますが、それだって聖さんが解決しようとする。
ではなぜナズーリンさんが?恐らく、雲居一輪さんがいきなり真面目になったんでしょうね。そこに厄介の種があるんだ」

「何で当てれるんだ?」
段々とナズーリンは、稗田○○の方も怖くなってきた。
稗田阿求から狂わんばかりに愛されているから、稗田家の持つ力も利用できるし。
稗田家がただの名家だとはナズーリンも思っていない、諜報能力だっていくらかはあると知っている。
それを使ったとしても、妙に知っているなと言うのが実際の感想である。
「たまたまですよ。馴染みの喫茶店に行くがてら散歩していた時、マミゾウさんが仲のいいぬさんと水蜜さんを連れて、遊びに出かける風でしたから。おかしいなと思って。
水蜜さんなら、不良仲間の一輪さんも誘うはずだと思って、ずっと引っかかっていたのですよ。
それからあまり時間を置かずに、ナズーリンさんが来られましたから。一輪さん絡みかなと」


「……1つ頼みがある。この事は、可能な限り内密にしてくれ。マミゾウ親分は知っているが、めんどくさがって協力してくれないんだ」
厄介そうとは言わなかった。言葉尻には気を付けねばならない、目の前には稗田阿求がいる。
「もちろん。さぁ続きをお話し下さい」

「雲居一輪には、今、意中の男がいる。けれどもこの男が問題なんだ」
「良くある話ですが、雲居一輪さんはどうやら少し真面目になったご様子。真面目な姿が受けるのでしたら、厄介そうな男には見えませんが」
「少し、悪趣味な表現をするならばね。あの男は、稗田○○の頭を少し悪くしたような存在なんだ。その上、優しすぎて何もかもしょい込む」
ナズーリンからすれば、もっと言いたい事は合った。
稗田○○と違って、一番の厄介――つまり稗田阿求――と手を組んで遊んで、なだめる才能が無い。
けれども真面目だ、仕事には遅れないし率先してやってくれる。それを非難する事は出来ない。
そう、その優しさが複数の厄介をしょい込んだ!けれどもしょい込む原因は、善意からの手助け!非難すればこっちが非難される。
だからあの男は厄介なのだと、そう、言い切る事が出来れば。どれほど胸がすくかとも考えるが。
こちらの胸がすくと同時に、激昂した稗田阿求から、脳天に火箸を突き刺されかねない。だから、言えないのだ。





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最終更新:2020年02月14日 22:04