「その男の人、幸福にも雲居一輪さんの意中のお相手は、今どちらにおられますか?接触は無理でも、姿ぐらいは確認したい」
「今の時間なら、命蓮寺に行けば多分いる。正式な檀家や信者になったわけでは無いが。興味があるのか、度々来てくれて。ちょっとした手伝いもやってくれる」
「なら、善は急げだ。行きましょう!」
「その格好で、か?」
ナズーリンは思わず勘弁してくれと言う感情を出してしまった。
もしかしたら稗田○○は、稗田阿求から甘やかされすぎて。自分が有名人だということを失念しているのではないかとすら勘繰る。
歯に衣着せぬ言い方が許されるのであれば、お前が命蓮寺に来たら、変な騒ぎが出てきかねない。
いきなり、依頼した事を少しばかり後悔しはじめたが。一線の向こう側を探るには、同じように一線の向こう側である必要がある。
逃げたマミゾウの事はまだ恨みたい気持ちだが、稗田○○に頼めと言うのは理解できる。
けれども、やはり危うい。

「大丈夫ですよ」
しかし○○は、ナズーリンの懸念に気付いているらしく。朗らかに――その上嬉しそうに、やはり依頼が無いと暇らしい――言ってくれた。
「これでも私の顔が随分と売れていると言うのは、自覚していますから。変装して行きますよ。ちゃんと二人分あるから、安心してください」
2人分と言う言葉に、ナズーリンに向けた物であるのだが。上白沢の旦那は『俺もいくのか……』と言う雰囲気を少しだけ見てとったが。
どうにかその感情を表に出さないようにしている風に、ナズーリンには見えた。
やはり上白沢慧音を妻とするほどの存在でも、稗田阿求の事は怖いようだ。
遊郭街ほどでは無いけれども、彼の存在もいくらかの『必要だから』と言う、稗田阿求からのお目こぼしの気配は否定できなかった。


「○○、人力車は用意していますが?」
「いや、人力車で乗り付けたら目立つ。大した距離でもないから、歩いて行くよ」
一応それぐらいの経済観念はあるようだと、ナズーリンは変なところで感心してしまった。
効果の程は、よく分からないとしか言いようがないけれども。
案外と稗田○○は、稗田阿求の抑え役として機能しているのかもしれない。

だが、歩き始めてナズーリンはすぐに気付いた。使わないのは人力車だけだと。
稗田○○が後ろを、はっきりと気にしていたのでナズーリンも確認すると。屈強そうなのが、最低でも2人は見えた。
護衛と監視、あの屈強そうな奴の任務にはすぐに思い至った。
存外に稗田○○も、稗田阿求の繰り出す過剰とも言える手段の数々に、苦労しているのかもしれなかった。

……だがそれは、件の男の頭の悪さと言うか。優柔不断さを際立たせてしまい。
ナズーリンとしては苛立ちの種でもあった。
別に一輪を選べとは言っていない。確かに、少しは仲よくしているから、恋が成就するのならばそちらの方が良いけれども。
厄介な事になる位なら、失恋を慰めてやる方がめんどくささは格段に少ないと断言できる。
歯を食いしばりすぎて、ナズーリンの口内には苦虫の味がほとばしっていた。
フラフラするぐらいならば、こっちか向こうかのどちらかだと、ハッキリとさせて欲しかった。


「近くにいる。件の男を見つけたら、それとなく知らせる」
命蓮寺の境内にたどり着く少し前に、雑踏をかき分けつつ進んでいると耳元にナズーリンの声が聞こえたが。
その方向を振り向いた時にはもう、彼女の後姿すら見えなかった。
しかしこの雑踏では仕方が無かった。

どうやら命蓮寺も、洩矢神社ほどでは無いけれども商売っ気と言うのを出さないと、なかなかやって行くのは難しいと考えているようであり。
茶屋だとか、大道芸だとか、屋台もそれなりの数が存在していたし。おみくじや占いまで売っている、巫女もどきの女性までいた。
あれは完全に、神社のそれのはずだけれども。どうやら命蓮寺は神仏習合(しんぶつしゅうごう)を否定していないようだ。
まぁ、元々が生きてる物は全部大切にしようと言う考え方だ。そこら辺の教義は、若干おおらかなのだろう。


しかし件の男はここにはいないだろうと、○○はすぐに考えるに至った。
依頼人であるナズーリンの話では、件の男は真面目な様子で。
飲酒や肉食にしばしばふける、いわゆる不良の雲居一輪が。その男の気を引きたくて、不良仲間の水蜜からの誘いも断るほどになったと言う。
ならば、こんな所で油は売っていないだろう。
「境内に行くぞ」
「ここは良いのか?」
まだ考えを話していないから、上白沢の旦那はそう聞くが。全部、最初から最後まで喋るのも案外時間がかかる。
「件の男は、中々に真面目な様子じゃないか。遊んではいないと思う」
幸い、上白沢の旦那も納得してくれた。ただ久しぶりの依頼にはやる気持ちが勝り、少しおいて行くような足取りになってしまった時には。
上白沢の旦那は文句をぶつくさと呟いたが。その声も本気では無い、と言うか半分あきらめているような物だった。

上白沢の旦那にも、少しは同情心が出てきたと言うのも大きい。
自分が上白沢慧音の、無くても特段の不便が無い『追加部品』だとは。慙愧(ざんき)の念に堪えないが、認める他は無い。
それと似たような立ち位置なのだ、稗田○○も。もしかしたらもっと酷いかもしれない。
だから、ぶつくさと呟く声も通りいっぺんの物でしかなく。すぐに歩調を上げて追いかけた。
無論、屈強そうな護衛も。特に信仰心が高いのか、売り子の女性全てに目を光らせていた。
稗田阿求の心配の種は、婚姻を結んでいない限りは、全女性に向いているらしい。
それを見たナズーリンは『自分も危ないんだな』という事を、再び自覚する他は無かった。



境内の方はさすがに、宗教施設としての趣を残していた。
特に奥まで歩いて、賽銭を入れる様な信心深い人間ともなれば、参道での出店目当ての人間よりもずっと、少なくなっていた。
稗田○○も上白沢の旦那も、変装用の衣装の襟を少し直して、帽子もかぶり直し。顔をあまり見られないようにと、自然にそのような動きをした。
上白沢の旦那に関しては、この動きに対して自分自身が毒されたと感じたが。
それに毒づく暇もなく、○○はどんどん前に進んでいた。
依頼を受けて調査に来たと、気付かれないように気を付けているはずなのに、久しぶりの依頼に浮かれている心を抑えられないようだ。

何となく稗田阿求が、上白沢の旦那、自分を掴んで離さない理由が分かった気がした。
稗田○○が名探偵の役であるなら、相棒役が必要と言う舞台演出上の理屈もあるのだろうけれども。
究極的には上白沢の旦那としては、この一連の行動を、大掛かりな遊びの認識でいるが故。
根っこの部分では浮かれることなく、冷静故に。なおかつ彼の嫁はあの上白沢慧音だ。一線の向こう側が何なのかは分かっている。
冷静で、ともすれば呆れと嘲笑すら存在するかもしれないが、水を差す心配は無い。
だから自分は、稗田阿求から指名されたのだろう。

境内をそれとなくウロウロしていたら、やはりナズーリンの方もそれとなく近づいてきて。
「本殿の方、縁側。荷物を運んでる男、前に雲居一輪がいる」
そう言ったと思ったら、彼女はまた離れて行って。命蓮寺の内部、関係者以外入れなさそうな場所に移動したが。
外から見える場所とは言え、ナズーリンが調査してくれと頼んだ、件の男も。関係者しか入れない様な場所にしか見えない。
ナズーリンが自分たちに依頼した理由が何となく分かった。こういう時、第三者の方が手心と言う物を加えずに見てくれるし。
万が一、調査がばれた時も。自分達がナズーリンの名前を頑として言わなければ良いし、恐らくはナズーリンもそれをあてにしている。


「少し座ろう」
賽銭箱――これも神社風だ、やはり神仏習合でも構わないようだ――に気持ち程度の小銭を投げ入れた後。
○○は不意に、手近な長椅子に向かって行った。その間も、と言うか賽銭箱に小銭を入れようと財布を取り出している時から。
○○は外からも見える縁側の方向に、視線が固定されていた。それに○○程ではないが、上白沢の旦那も、そこは気になってはいた。
何の荷物かまでは分からなかったが、それはあまり問題では無かった。それよりも、件の男と雲居一輪の関係性の方が重要であった。

「聞き取れるような距離では無いのが、残念だな」
ご自由にどうぞと言わんばかりに設置されている、長椅子で休むふりをしながら。○○はつぶさに観察を続けつつも、残念そうに呟く。
「だが、表情の方は。雰囲気の方は、隠しようが無いな」
しかし○○程では無くても、上白沢の旦那にだって分かる何かはある。
「仲がよさそうだ」
「うん」
○○もそれは否定しなかった。


○○と上白沢の旦那の目に映っている様子は、仲睦まじい以外の何物でもなかった。
特に雲居一輪の方が、やはり気を引きたいのだろうか。特に、言っては悪いがまくしたてる様な印象すらあった。
途中、依頼人であるナズーリンが横合いを通ったが。その際に見えた雲一輪の行動は特筆に値するだろう。
件の男の前を、一輪は自分も荷物を持っているから、動きにくいはずなのに。
なのに件の男の前をふさいで、自分以外の女性の姿すらあまり見せたがらなかった。
正式な面子では無いとは言え、マミゾウやぬえと同じく、かなり懇意にしているはずの人物に見せる様な行動とするには、少し無理があった。
なるほどと上白沢の旦那は思った、ナズーリンが自分達に依頼してきた理由が分かったからだ。あれは一線の向こう側だ。
それにナズーリンの方も、小柄ではあるが魅力が無いと言う訳では無い。
――すくなくとも体が弱い稗田阿求よりは魅力がある。
そこは関係が無いので置いておくとしても、パッと見の魅力に関しては。ナズーリンは雲居一輪よりも勝っていると言えよう。
雲居一輪の衣装は、やや野暮ったさが見える。
あくまでも尼僧『風』の衣装ではあるが、元の衣装が尼僧のそれであるから、自らの体が持つ魅力は。
それを出す事には、不慣れと言えよう。

…………それを言ってしまえば、命蓮寺の聖白蓮は。魅力の出し方が相当ひどい事になるなと。
いつだかの新聞に載っていた姿を思い出して、考えてしまった。特に最近持ち込まれてきた、バイクに乗っている姿など。
様になりすぎて、目に毒だった。
慧音が新聞を読む自分を気にしていたから、そう言う装束が嫌いでは無いとだけ言ったら。
どこかから用意して、夜になると着てくれた。
慧音は背も高かったから、似合っているとしか言いようが無かった。
――だが、稗田阿求には無理だろうな。かなり辛い物がある。
何となく稗田阿求が、この大掛かりな舞台を用意してやる気持ちが分かった。
富は自分がいくらでも与えてやれるが、名声となると入り婿の○○には難しい。
最も名声に関しては、慧音の旦那である自分も同じように難しいのだが。



「ふぅむ。今日の手伝いは、終わりのようだね」
種々の荷物を全て、あるべき所に置き終わったのだろう。
一輪は件の男の腕などを、気軽な仲と言う風に叩いたりして、労っている風であったが。
「離れたくないって空気がよく分かる」
一線の向こう側の中でも特にである、稗田阿求を嫁にした稗田○○程ではなくとも、上白沢の旦那にだってわかった。
いくらかの粘着性が、今の一輪の感情にある事ぐらい。目の前の人物と離れたくないのだと。

しかし件の男の方にも用や予定があるのか、一輪からはお菓子を手渡されるのみ……ではなかった。
「ふぅん」
○○の声が少し、面白そうな物を見た時の声に変わった。
「封筒のような物が見えた。懐に無理矢理入れたなぁ……金か?」
上白沢の旦那も、予測を付けるが。件の男の慌てっぷりを見るに、金じゃない方が少し驚く。
お菓子とは違う、遠慮のしかたであった。
「後を付けるよ」
横合いにいる○○は、即座に立ち上がり。件の男が出てくる前に、座りっぱなしで凝り固まった筋肉をほぐしていた。
上白沢の旦那もそれに倣(なら)ったが、向こうの方からナズーリンが来るのを見れば、少しわくわくしてきたのは、認めざるを得なかった。
何か新しい情報をくれそうだからだ。

「見たよな?」
ナズーリンは何をとも言わなかったが、依頼された以上はそこそこ関係者だ、分かってしまえる。
「件の男性が、雲居一輪から手渡されたのは……お菓子以外にも、お金もありましたよね?」
ナズーリンは、○○の言葉に少し歪んだ顔を見せながらうなずく。
「一応、それが彼の仕事でもあるのだがね。人手が必要な所に行って、なんでもやって、それで現金を得ている」
「何でも屋、あるいは便利屋と言った具合ですか」
「そう、そのはずなんだが……どうにもね、相場以上の金を一輪が渡しているようなんだ」
「気を引くため?真面目な様子が受けるから、真面目にしていると言うよりは。渡す金を工面するために遊ばなくなったんじゃ」
「もしかしたら……」
ナズーリンもやはり、そこは懸案だったようだ。ともすれば、命蓮寺の金、公費にも手を出しかねないと言うのは。
横領事件を捜査――一応、捜査だと思いたかった――した経験のある○○胃と上白沢の旦那からすれば。
即座に思い浮かべる、懸念であった。

「まぁ、何をやっているかは。尾行して確認しますよ。それじゃ後で、稗田邸にでもいらっしゃってくだされば、何か報告できるはずなので」
ナズーリンの表情からは、また稗田阿求と会うのか、と言わんばかりの硬い表情が見えたが。
残念ながらそれを確認してやれたのは、上白沢の旦那だけであった。


上白沢の旦那は、○○に毒されたかなと思い始めていた。
この尾行など、まさしく探偵っぽくて。はっきり言って、楽しいと言うかワクワクしてきた。
見るなと言われたお守りの中身を見ても、あまつさえ踏んづけて見ても何も無かったじゃないかと、ほくそ笑むのと同じような興奮が合った。
――考えれば、自分はあの頃から。土着の人間のはずなのに、幻想郷になじんでいなかった。
――だから慧音が、結婚『してくれて』守ってくれているのだろうか。
「どうした?」
「いや?何も」
嫌な事を思い出していたら、歩調が緩んで。○○から心配されたが。
「思ったより件の男の歩調が速い、置いて行かれないように、急ぐぞ」
内心までは、喝破されずに済んだ。目の前の依頼を楽しんでいてくれて、助かった。


「昼酒か?」
件の男の尾行は、思ったより長く続いた。そのうちにたどり着いたのは、ちょっとした盛り場だ。
――無論、遊郭ほどのいかがわしさは無い。純粋に飲んで食う店ばかりだ。だからまだ、尾行が続けれる。
待ち合わせでもあるのか、相変わらず歩調に関しては速いぐらいであった。
「待ち合わせの相手は、友達だとは思うが……男かな女かな」
○○が少し、嫌な事を呟いたが。同じような懸念は、上白沢の旦那にもあった。
「女なら最悪だな。女から貰った金で、女と遊ぶんだから」
「男友達ならまだ、言い訳も立つんだがな。正直祈りたい」
やはり○○としても、どうか男友達でありますようにと願っていたが。迷信を信じない上白沢の旦那にとっては。
幻想郷の土着民のくせに、祈ると言うのは気力の無駄遣いとまで思っていた。だから、なるようにしかならないとしか思っていない。
神?仏?妖怪?巫女や魔女、メイドと言うような職業ぐらいにしか思っていなかった。
だから迷信深い俺の両親は、上白沢慧音に俺を売りとばしたんだ!!

唯物論何て、知らなければよかった。もう少し一般人として生きたかもしれなかったのに。


「男友達である事を祈ろう」
女友達だったならばの可能性が的中した場合の、後々における動きを予想していると、○○は思ったのだろう。
やや緊迫して怖い顔を作っている上白沢の旦那に対して、気休め程度だが、落ち着くように言ってくれたが。
上白沢の旦那からすれば、件の男、尾行している相手の会う存在が、男でも女でも良かった。



「目当ての店は……喫茶店かぁ。しかも結構洒落ている」
○○は件の男が見上げている店を、自分も確認したとき。悪い可能性が当たりそうであるから、混みあがる物を抑えた声になった。
確かに、男友達と洒落た喫茶店で談笑、と言うのは考えにくい。待ち合わせならばともかく。
……自分と○○はやっているがな。


「ははは……」
だが、一度悪い方向を確認してしまったのならば。祈るなんてやめて、覚悟を決めるべきだ。
その方が、次の策を考えるために、頭を早くに切り替える事が出来る。
「○○、女が出迎えて、中に入れてしまったぞ。俺は恋愛なんてそんなに分からないが、あの女は件の男が好きみたいだな」
上白沢の旦那はズバズバと、事実を言葉として文章として並べて行く横で。稗田○○はより一層、緊張感に固まる顔を作っていたが。
……確か、これと似た顔を以前に見たことがある。
ああ、そうだ。鬼神正邪が倒れていた時、あの事件の時だ。正邪も結局、我々の嫁と同じく、一線の向こう側で。
あの時であった青年とは、まだ野外で落ち合い、よろしくやっていると聞いている。

「まさか……あの女」
「物部布都だ……尾行は中止だ。考えを、策を練り直すぞ」
そう言いながらも、喫茶店に入りこそしなかったが。外観からせめて、件の男と物部布都をもう一度だけ、確認しておいたが。
「ああ、もう……進んでいる。結構な荷物が見えたぞ、物部布都のやつ、贈り物攻勢で気を引いている」
稗田○○がもう一度、当たり前だが先ほどよりも大きく込みあがってきて、それを堪えながらつぶやいていたが。
稗田○○は、状況が悪くならないよう祈る――無論、祈るだけではなく動き続けるが――けれども。
上白沢の旦那は、この段階になっても祈ろうとは思わなかった。
動き続けて、それでもだめなら、その時はその時までとしか言いようがないのだから。





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最終更新:2020年02月14日 22:07