タグ一覧: 天子


 神の経(と)おりみち

 「なんじゃ、こりゃ…。」
ある日外に出ると、世界が一変していた。数ヶ月前に外界から流れ、幻想郷に馴染んでしばらく経ったと思える時分であったが、
こんなことはついぞ聞いた事も、そして見た事が無かった-他の人の顔が見えなくなるなんてことは-。朝起きて外に出ると、
道行く人の顔が、霞が掛かったかのようにすべて見えなくなっていた。どういう訳か声は聞こえるのだが、顔が見えないので何処の誰だか
分からない。混乱する頭でとってつけたような挨拶をして、自分の家にとんぼ返りする羽目になった。
 元いた世界では勿論のこと、そして今居る幻想郷ですらこのような奇怪な現象にはお目に掛かったことなんぞなく、
幸いにして生きてきたのであるが、どうやらこの幻想郷はとんでもない出来事が起こるようである。妖怪の山にある神社の巫女さんならば
きっと嬉々として常識を捨てなければならないと仰るのだろうが、生憎と自分はそこまで幻想の世界に溶け込む積りは無かったので、
適当に聞き流していたのが少々悪かったのかもしれない。いや、随分と大袈裟に言えば生死を分ける程度には致命的なのかもしれない。
なにせ他人の顔が見えなければ、買い物一つすることすらできないのだから。
 さて、どうしようか。この状況はすこぶる不味い状況である。どうしたらいいのだろうか?外界でもこんな病気は聞いたことすら無い以上、
町医者に行ったところで、気が狂ったか妖怪に取り憑かれたと思われるのが関の山。ならば天才の医者が居る永遠亭に行ってみるか、
あるいは奇跡を使えるという守矢に行くしかないのかもしれない…。一瞬、そこでも顔が見えなければどうしようかと思ったが、兎に角
やってみなければ始まらないだろう。
「無駄さ。」
振り返ると天子が居た。青い髪が腰に流れ、右手に持った黒い帽子がクルリと一回転廻される。いつか彼女が持って来た桃の香りが辺りに
漂っていた。何故に彼女がそこに居るのか、どうして訳を知っているのか、普通ならば湧き上がる諸々の疑問を吹き飛ばすようにして、
はっきりと顔が分かる彼女がそこに居た。昨日までの日常を取り戻すかのようにして。
「天子…」
声が漏れ、弾かれたように足が動く。数歩の距離ももどかしく感じ、足が縺れるのにも構わず彼女に向かって体を動かす。倒れる自分を
支えるようにして、彼女の腕の中に飛び込んだ。近くで見る彼女の顔は例えようも無い程に美しくて、そして神々しかった。
瞼を摘まみ、僕の眼を医者が診るようにじっくりと見る天子。
「ふむふむ…うん…。こんな感じなのね。」
「良かった…。他の人の顔が見えなくなって…。」
「大丈夫。私の姿は見えるでしょう?」
「ああ…天子は大丈夫。」
僕を抱きながら天子が言う。
「そう………



なら良いじゃない。他の人間は必要ないんだから……ねえ○○。」
僕の体を貫く神経に、一筋の電気が走った。






感想

名前:
コメント:




タグ:

天子
+ タグ編集
  • タグ:
  • 天子

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年06月21日 21:53