「さてと!やぁ、聖さん!こんばんは」
聖白蓮が、雲居一輪と一緒に待ってくれている部屋に入った時。稗田○○は非常に明るい、そしてわざとらしい声を出しながら着席をした。
不幸な事に、寅丸星は境内でタバコを吸いだしたので。追いかけてきてくれているはずもなかった。
彼女の呆れと疲れと、その他もろもろの感情がにじんだ表情があれば。聖白蓮に対する説明の何割かを、それだけで担う事が出来たのだけれども。
そういった、事情の一端も知りえない、雲居一輪の監視に注力しなければならない聖白蓮にとっては、何も知らない状況に追い込まれている今の状況は上白沢の旦那には、それを可哀そうだと思える程度の余裕はある。
しかし稗田○○には、○○が稗田姓を名乗り続けるためにも、そのような余裕は持てない。
それぐらいは理解できてしまえた。
「捜査の一環だとはわかっているが、奇襲は控えろ。寅丸さんが明らかにイラついてたぞ」
しかし聖白蓮との会話、増してや雑談などは上白沢の旦那としても避けたいのが本音だった。だから○○への軽口に擬態(ぎたい)するしかなかった。
「それが目的だと言ったら?イラ立ちは向こうから冷静さを奪う」
○○もどうやら、上白沢の旦那がやりたい事、説明を遠回しでもやろうとしているのは気づいているらしく。少し合わせてくれた。

彼の妻、上白沢慧音だって一線の向こう側なのだから。肉体的魅力の特に高い聖白蓮との会話には、細心の注意がいる。
そしてそれは肉体的魅力の低い、稗田阿求を妻としている○○は。そこに輪をかける必要がある。
いっそ少なければ少ないどころか無い方が良いとまで、冷たいかもしれないがそれが無難で妥当とまで言えた。
だから上白沢の旦那は、聖白蓮の方は見ないようにしつつも、彼女にも絶対に聞こえるようなややわざとらしくても構わないから、大きな声で○○に向かって――ここが重要なのだ――声をかけた。
若干どころではなく『察してくれ』と言う様な態度を、上白沢の旦那だってずるいやり方だとは理解しているけれども。
上白沢慧音への愛と、一線の向こう側に対する恐れが混ざった結果、こういうやり方しか思いつかないのだ。
それでも上白沢の旦那は、自らも自覚しているがまだ動きやすい位置にいる事が出来ている。
聖白蓮の肉体的魅力は確かに高いが、上白沢慧音だってその手の魅力に関しては負けていない。また上白沢慧音には、寝取られたならば寝取り返す、奪還してやると思えるだけの気概と……それが出来る体が存在している。
しかし稗田阿求には、気概の点は問題ないどころか周りへの被害を考えてすらいない程だ。
しかし、気概に関しては上白沢慧音と同じぐらいか、むしろ権力も上乗せされてしまってより酷くすらなっているけれども。
寝取り返す気概は十分でも、奪還できるだけの肉体的魅力という点に話を展開させてしまうと……
残念ながら、という結論に達さざるを得なかった。
上白沢の旦那はため息を出してしまった。
それは、稗田夫妻の事を気にし続けなければならない事に対しての物だと言うのは、その通りではあるが。
結局、合わせてしまう自分自身に対する呆れも同時に、無視できないほどには存在していた。

しかし聖白蓮は、聡い人物ではあるから、○○が境内で出迎えに来てくれた寅丸星と。喧嘩程の緊迫した事態ではなくとも、何かいざこざがあったのはすぐに理解してくれたが。
(稗田と上白沢、この二つの夫婦……夫どうしは軽口を叩きあえるぐらいだけれども。妻どうしが少しどころじゃなくおかしい様な……)

稗田と上白沢両夫妻の妻同士が目線すら合わさない事にも、なのに夫同士は緊迫と緊張と懸念を確認しあうかのように、意識的、無意識的に関わらず何度も目線を合わせていた。
実は聖白蓮は、この両夫妻に何かが合ったのではと気づいていたが……
聖白蓮はチラリと雲居一輪の方も確認した。彼女は、意中の男性である、件の歩荷と『そういう事』をしているのも知っているから。
両夫妻が自分たちと、この騒動における落着のための話し合いに来た、そんな場面だと言うのに、雲居一輪は指の手入れにご執心であった。
あの人と一夜を共にする事がある以上、いつだってキレイに手入れをしていないと満足できない以上に不安なのだろう。

聖白蓮は横目などではなくて、明らかに苦悶に歪んだ表情を浮かべながら、しかしながらまっすぐと雲居一輪を見ていたが。
雲居一輪の見せる、指先の手入れ具合は。もはや強迫観念すら見えそうな物であった。今の一輪は、聖を無視しているような形ではあるけれども。そう見えるだけで、一輪は
聖白蓮からの視線にすら気づいていない程に夢中なんだな、と理解できてしまった。目線が全く振れないのだ。
こういう時、聖は自信の聡さが良いのか悪いのか、よく分からなくなってしまう。聖は一輪から突き飛ばされたような感覚も味わってしまった。

やや、逃げるようにして、聖白蓮は稗田と上白沢の両夫妻の方向に目線を移した。
しかし今度は、一輪から突き飛ばされるよりもしんどい、あるいは恐ろしい感覚を味わった。
稗田○○は喋る間を図りつつも、楽しそうな顔を浮かべているしその妻である稗田阿求は、稗田○○の事を楽しそうに見ていた。
上白沢の旦那は稗田○○の事を不安そうに見ていたが、この状況がどうのこうのではなくて稗田○○だけを心配していそうだった。
もしこの状況に対する不安や懸念があるなら、聖か雲居のどちらかを見るはずなのに。それが全くなかった。
上白沢慧音は……彼女が一番精神的に安定していそうであったが、一番どす黒い意志を感じてしまった。
慧音は聖白蓮の方を見てくれていたが、もちろん真っ当な意味は見えなかった。今回の件を穏便に解決しようとする意志は、一切見えなかった。
あんな、舐め回すような目線で聖の全身。卓を挟んで向かい合って座っているから、下半身こそ見えないが、その代わりに顔や胸を舐め回すように見ていた。
女どうしであっても聖は、それを気持ち悪いと思ってしまった。
その後勝ち誇るような顔、次いで稗田阿求の方に目線をやったが。その際の慧音は、明らかに稗田阿求を見下すような表情をしていた。
その顔は聖自身への勝ち誇ったような顔よりも、醜悪だと聖白蓮は断じてしまえた。
唯一の良かった点は上白沢の旦那がこの状況に気づいており、そしてなおかつよく思っていないようではあるが。
残念ながら上白沢の旦那は、問題だと思っているから先の事は思い浮かばないようである。良い案と言う物が、考え付かないようであった。
その間も聖白蓮は両夫妻、四人全員を見やっていたが。
不意に妻どうしの目線が合う瞬間があった。どう考えてもお互いに、避けているような雰囲気を感じざるを得なかったが。
そうは言っても一室で肩を並べていたら、完全に相手を無視しきるのはどだい不可能な事であろう。
聖白蓮は思わず戦慄してしまった、事情などは分からなくともこの両夫妻の間に何らかの火薬庫が存在しているのは、もう理解できている。
願わくば、どちらも相手を避けると言う、おそらくは一番穏当な結末を瞬時に望んだが。
恐らく無理だ、稗田○○ですら面白そうなことがありそうだと言う、そんなニヤケ面が消し飛んだ。
演じていたという安心感と、よりによってそんな演技を選ぶかという苛立ちの両方があるが。
それよりも重大な事があるのは確かだ。

「あの!お、お話を持ってこられたとは思うのですが!?」
しかたがない、というよりはこうするしかないと判断した聖は。立ち上がるような形で、声を出した。
だが稗田○○は目を閉じてぼそりと「不味い……無いものが見えた」と呟いた。
いったい何が悪いのだ!?聖白蓮は若干の混乱に叩きこまれてしまったが。上白沢の旦那には分かった。
立ち上がった時、聖白蓮の豊満な胸が確かに、揺れてくれたからだ。
無論、聖白蓮は確かに自分の女性的魅力に対して、無自覚などではないが。ここまで大きな火薬庫に火をつける理由、としては今までそんなことは無かった。
気づかな買ったことを、責めるいわれはない。それが道理であることは稗田阿求も理解しているが。
理解と納得と感情は、どうしても一致という姿を見せるのは難しい。
「○○!阿求を止めろ!!」
上白沢の旦那は、もはや反射的に言葉を発した。この状況で何かをやるとすれば、最も劣等感と嫉妬と、そこから悪意を作り出した稗田阿求だろう。
稗田○○は、上白沢の旦那からの警告に息を吹き返したが。遅かった。
稗田級にどれだけの権力と、またそれを乱用することが許されていようとも、上白沢慧音が思っている通りそれらは情欲の代替品。
肉体的魅力の低さを補うどころか、誤魔化しているぐらいの意味しかなかった。
上白沢慧音がいて、聖白蓮がいて、それらほどではなくても男を情欲で掴んだ雲居一輪がいる。
悪意ですら気分がすいたり落ち着いたりするのは、ぶつけて直後が最高潮であり、結局はまた嫉妬にまみれる。


「――ッッ!!」
稗田阿求は、はっきり言って奇声を発した。
来ることが分かっていたからというのもあるから、聖白蓮はこの場にお茶もお茶菓子も用意していた。
そしてなおまずい事に、稗田家中独自の決まり事、阿求は寒さや冷たさが大敵だから、家中の人間は夏でも温かいものを飲むと、情報を仕入れていた。
阿求が奇声を上げながら手に取ったのは、熱いお湯の入った急須(きゅうす)であった。
唯一の良かった点は、待つ時間が結構あった事で中身のお湯が少しは冷めてくれた事だが。別にそれは決定的な救いではない。致命傷は負わない程度だ。
「あっつ!?」
かかれば無論、聖白蓮程の超人であろうとも、熱いものは熱い。
「阿求!!やめろ!!」
息を吹き返したのが遅かったとはいえ、それでも○○は阿求の後ろに回って両脇を羽交い絞めにしたが。
○○が阿求に出来る、限界と言うのはこの程度だった。まだ足が、ジタバタできる。
聖白蓮は、熱いお茶がかかった衣服をバサバサと脱ぎ散らかしていった。
皮肉なことに、火傷しないようにと言うとっさの行動は、聖白蓮を薄着にしてしまい、魅力が分かりやすくなった。
「そのデカい胸の肉、揺らしてんじゃないわよ!!」
酷い言い草だ。元々は確かに、雲居一輪の暴走がこの会談と言う場面を作ったけれども。
暴れているのが稗田阿求でなければ、後々の外交的関係は最悪ですら生ぬるくなったであろう。
…………裏を返せば、こんなに暴れた後でもそんなに。というよりは全く、稗田家の立場や選べる行動に悪影響などと言う物は無いのだ。

聖白蓮は自分の肉体的魅力が原因で稗田阿求がいきなり、爆発したのだと分かったが。
留めようとしているのが稗田○○だけな事に驚愕して、上白沢夫妻の方を、熱湯にまみれた服を脱ぎ捨てながら見たが。
上白沢慧音は酷い顔で、稗田阿求の方を指さしながら爆笑の声抜きと言う様な表情をしていた。
肝心の上白沢の旦那は、やや稗田阿求と自分の妻を交互に見やった後。
「○○、すまん!いったん慧音を逃がす!!」
そう言って上白沢慧音の腕を取って、隣の部屋へと引っ込んでしまった。

「お前!!姐さんに何するのよ!!」
聖白蓮がやや呆然としていたら、さすがに、爪の手入れに夢中だった一輪も。この状況には、一応はまだ聖白蓮の事を首魁と、姐さんとは思っているらしく。激昂した声を出したが。
爪の手入れに直前まで夢中だったので、○○に行動の手札が得られていた。
しかし○○は、阿求ほど道徳や倫理を捨てきれていない。一輪を、女性に手を挙げる事は出来なかった
「くそったれがぁ!!」
なので代わりに、机をひっくり返して。とりあえず雲居一輪の方に蹴り飛ばした。
これもどうかとは思うが、雲居一輪の人間を超えた身体能力があれば、避けられることを○○の中では期待していた。
実際、一輪は避けるよりも上を行く、受け止めて横にいなすと言う技を見せてくれた。
「少しは落ち着け!!頼むから!!全員が深呼吸をしろ!!」
一番先に暴れたのは自分の妻だと言うのに、○○の言葉は自分たち夫妻の事を棚に上げるような言葉であったが。
「全員離れろ!!距離を取れ!!俺たちは殴り合いに来たんじゃない!!」
殆ど泣いている稗田○○の姿には、聖白蓮も彼の精神状態と置かれている立場が、どうやらかなり酷い事を理解したし。
……そもそもの発端が雲居一輪であることを思い出したので。白蓮は一輪の腕をひっつかんで、部屋の端に移動した。
この頃には、一度下がった上白沢夫妻も、やや遠巻きに見てくれていたので。本気で何かが怒ったら、おそらくは突っ込んでくれそうではあった。
上白沢の旦那も妻である慧音に何かを頼んでいるし、友人である○○の方にもよって行き何事かを伝えている。
「ああ、分かった。そうしよう」
○○は玉を振りながら、上白沢の旦那からの提案に同意を示していた。
稗田と上白沢、両夫妻の旦那どうしは、色々な状況の解決策を模索してくれていたが。
両夫妻の妻である、稗田阿求と上白沢慧音は、どちらも醜悪(しゅうあく)な感情に支配されており。
騒動の発端である雲居一輪や、その首魁の聖白蓮に苛立ちを向けるならまだしも。
上白沢慧音は、半笑いで稗田阿求を見ながら「お互い、男好きする体を持つと苦労するな」と、やっぱり半笑いで聖白蓮に同情の念を示してきた。
そして稗田阿求が最も獰猛(どうもう)になったのは、上白沢慧音が言葉を発した時であった。

今度は、稗田○○が妻を連れて隣の部屋に引っ込んで、落ち着かせに行った。






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最終更新:2020年09月28日 22:57