「ただいま、○○」
「お帰り、慧音。今日は遅かったね」
「ああ……何人かが宿題を忘れてね。居残りに付き合っていたのさ」
「はは、慧音らしい。晩御飯出来てるけど、どうする?」
「そうだな、お腹も減ったのだけど、まずは汗をさっと流したいな」
「そういうと思って、風呂も沸かしてあるよ」
「さすが私の伴侶だな。素晴らしいよ、○○」
「よせよ、照れるじゃないか。ま、いっといで」
「ああ、それではさっさと浴びてくるよ」
上白沢慧音は、私の妻である。
妻である――らしい。
何故このような言い方しか出来ないのかというと、
私の記憶の糸をどれ程手繰り寄せても、存在しないからだ。
――いつ、出会ったのかも
――いつ、恋に落ちたのかも
――いつ、通じ合ったのかも
――いつ、式を挙げたのかも
全てにおいて重要であるはずの、過程とそれに付随する思い出が、
私はどうしても思い出すことが出来ないのだ。
だからと言って、妻に対する私の愛は本物であると自負しているし、
働く彼女を上手く支えてやれているとも思っている。
時折記念日を話題に挙げ、嬉しそうに微笑む妻に
申し訳ない気持ちのあまり、泣きそうになってしまうこともあるが、
私は思い出すことの出来ない過去よりも、今を大事に生きている。
例え思い出すことが出来なかったとしても、聡明で優しい妻に
私が一目惚れしていたであろうことは、想像に難くない。
今でも時折彼女の浮かべる淑やかな微笑みに、私はやられっぱなしなのだから。
「おおーい、○○。タオルはどこにあるんだー」
「ああ、いけない。場所変えたんだった――今行くよー!」
最終更新:2011年03月04日 00:53