この幻想郷は、広いようで狭い。
規模が小さいから、自然と外の世界より死者の数が少なくなってくる。
だが、ゼロなわけもない。
あっち側とは違い、ここにはヒトを食べる妖怪だっているのだ。
少ないと言うのは比較してであって、結局あたいに多くの仕事が回されてくるのは変わりない。
元々そう言う職業なんだから、諦めはついている。
そこまで執着はしていないし、意欲的に取り組めるかと問われれば答えはノーだが。
……こう言う態度を取っているから、上司から怒られるんだけどね。
まあ、それはそれさ。何かに縛られるより、自由に生きる方がいい。あたいは死神だけど。
こんな感じに、あたいが業務を滞らせたからか、ここにも新しい死神が勤めることになった。
それが、出会いだった。
新任の死神。
外の出身らしいが、何の因果かここで働くことになったらしい。
最近、人口が増えているせいで地獄は財政難だ。
それ故、新人が来るのは珍しい。
第一印象は、それだけだ。
確かにめったにないことではあれど、天変地異が起きたわけでもあるまい、特別どうこうと言うことはない。
もちろん、中々コミュニケーションの取れない仕事――死人に口なし、と言うやつ――だし、
話し相手が増えるのは喜ばしいことではあるが。
◆
ただ、それから先、やたらと彼の姿を見かけるようになった。
そもそもの発端があたいにあるんだから、彼が幻想郷で死神業に従事するのは当然のことなのだが。
彼は非常に真面目――と言うか、あたいが不真面目なだけ――で、経験が浅いながらも必死に職責を果たしていた。
何と言うか、それを見ていると、後ろめたい気持ちになる。
やらなければならないことがあっても悠々と過ごしてしまうのはあたいの癖ではあるが、
その横で精勤している同業者を目にしてしまえば、そりゃあ良心の呵責を感じるのも当たり前だ。
そんなこんなで、あたいは心を改め、精力的に働きはじめた。
今までのツケがあるのだ、それを返済するのは容易いことではなかったが、死神の持っている時間は長い。
それこそ、地獄の鬼が待ちくたびれるぐらいに。
◆
ある日、三途の河を渡っている最中、同じく勤務中の彼に声をかけられたことがある。
彼も――あたいが空けた穴を埋める意味があるのだから、言うまでもないが――船頭として活動していたから、
こうして顔を合わせるのは不思議なことではない。
当初、彼はあたいが裁判の折の書記を担当していると思っていたらしく、中々挨拶できないことを気にしていたようだ。
書記の任を担うのは、死神の中でも限られたエリート達。そんな連中とあたいとは、似ても似つかない。
その上、あたいを見ないのもおかしいことではない。他の死神ほど、仕事場所にいないのだ。その理由は、言わなくともわかるだろう。
いらない気をつかわせてしまったようだ。
気にしなくていい、と告げると、彼は安心したようで、わずかに表情を綻ばせた。
それから、彼と少しばかり話をした。
個人差はあるが、霊を運ぶのにはそれなりの時間がかかる。
今まで、あたいはその間一方的に言葉を投げかけていたが、霊魂は返事をすることができない。
それに反して、彼と話すのは楽しかった。
今までは独り言の様に語るだけだったそれに、話し相手が生まれたのだから。
生真面目な堅物かと思っていたが、中々どうして人がいい。
柔らかい雰囲気で、親身に話を受け取ってくれて、それでいて冗談のわかる、話しやすい相手だった。
長いこと死神として毎日を送っていたが、こう言うタイプは初めてだ。
饒舌な方だと自覚してはいたが、喋りすぎてやいないかと言うぐらいに舌が動く。
向こう岸に着くまでの時間、ずっと談笑していたのだから相当である。
◆
それから、三途の河で、中有の道で、あるいは人里で、彼と鉢合わせては、連れ立って動くようになった。
本当に偶然出会わせることもあれば、もしかしたらと淡い思いを抱いて赴いたこともある。
あたいは話好きで、よく人といると自負しているが、彼はどこか違う。
やけに馬が合うと言うか、肩肘を張らなくてもいいと言うか、とにかく、彼の隣は心地いいのだ。
同僚とも、友人とも取れるが、どこか違うような感覚。
仕事に出るのも、彼に会えるのではないか、と言う、浮き足立った理由が付随するようになった。
現金なものだが、行動には動機があるものだ。
そもそも、あたいが心機一転したのも、彼が発端だったような気もする。
そう言えば、彼が死神になったきっかけを聞いたところ、生前四季様と縁があったから、と言うことらしい。
四季様には、感謝しなければならないだろう。
偶然に過ぎないかもしれないが、こうして彼と巡り会えたのだから。
◆
そのうち、あたいに対する風当たりは緩くなった。
前とは打って変わって、きちんと結果を出すようになったからだ。
周囲の対応が変化すること自体には、そこまで感心を持たなかった。
嬉しいことはあっても、それが目的だったわけではない。
それよりも、明日も彼の顔を見られるかと言うことの方が大事だった。
優先順位、と言うやつだ。
今のあたいの心の内訳は、他人よりも、あの新人さんが占める割合の方が大きい。
それほどまでに、彼の存在は重要だった。
◆
彼と知り合って随分と経ったある日、報告のために裁判所まで出向いた。
間が悪く、彼と同行することはできなかったが、割り切るところは割り切らねばならない。
だから、もやもやと胸中で渦巻く嫌な予感も、ただの思い過ごしだ。
あまり気負いすぎては、身が持たない。
一定のリズムを保ちながら廊下を歩いていると、不意に、人影が視界に入った。
曲がり角の先から、二人分、黒いもやが伸びているのだ。
はて誰だろう、と聞き耳を立てつつ近づくと、
耳に入ったのは、四季様の声と、
彼の、声。
反射的に、足を止めてしまう。
別に、動揺することなどない。
ただ単に、彼も報告に来ているだけだ。
今日はあたいと一緒でないのも、期せずしてのことのはず。
だから、そんな、慌てる必要もないのだ。
心臓が早鐘を打つのも、ただの思い違いだ。
だから、楽しそうな声など、気にすることではない。
彼は聞き上手で話し上手だから、四季様と歓談しているだけだ。
四季様が、あまり雑談などしない人だとしても。
四季様の声が、いやに弾んでいたとしても。
彼の声が、あたいと話している時よりも、上機嫌に聞こえても。
彼にだって、相手はいるだろう。
それが、四季様かもしれない、と言うだけの話だ。
冷静になれ。たかが談笑しているだけだ。
そんな、誰かと笑いあっているからって、気が動転するのはおかしいじゃないか。
落ち着け。そんなんじゃ、まるで病気だ。
だって、彼は誰とだって接しているじゃないか。
四季様は上司だから、特別愛想よくしているだけだ。
そうだ、そもそも、彼が死神になったのは、四季様の助力あってのこと。
だから、恩義を感じてるだけだ。
いや、でも、
……だったら、彼はずっと前から――――?
背筋に冷たいものが走って、鳥肌が立つ。
いや、まさか、そんな。
――――妬ましい?
違う。
嫉妬なんかしていない。
違う、絶対に。
――――嫌な予感が当たった。
違う。だから、考えるな。
――――取られた。
違う。取られてなんかない。
何を悔しがる必要がある。違う。
――――四季様に、取られた。
違う。彼は、あたいのものでもない。いや、ものなんかじゃない。
誰を選ぶかなんて、彼の自由だ。縛り付けるべきことじゃない。
――――前から、思いを寄せていたのに。
違う。彼は、大事な人だけど、そんな関係じゃない。
――――違わないくせに。
違う。違う。違う。
何なんだ、これは。
先から、ずっと頭の中に響くようなこの声は。
誰だ? 誰が? あたいの中に、誰がいる?
いや、違う。 違う? 何が違う? 何を否定している?
だって、全部、この声は、
――――違わないだろう?
あたいの、気持ちじゃないか。
◆
報告をすませて、裁判所から出る。
早足に駆けて、彼の後姿を捉えた。
足音に気づいて、彼が振り返る。
彼は、微笑んでいた。
あたいに会えたから?
四季様に合えたから?
……わからない。
直接問いただそうかとも思ったが、ぐっとこらえる。
ここで妙なことをして疑われては、後に支障が出るからだ。
軽く言葉を交わして、隣に並ぶ。
口と足を動かしながら、止めてある舟までゆっくりと進む。
ちりちりと焦げるような感覚が急かしてくるが、無理やりにでも押さえ込んだ。
何の障害もなく岸に到着して、それぞれに乗り込む。
もうすぐだ。もうすぐ。
◆
舟は進む。音もなく、粛々と。
他愛もない話で気を逸らしながら、ちらと横目で彼を見やる。
いつも通り泰然自若に、笑い話を語りながら、彼は舟を漕いでいた。
相槌を打ちながら、タイミングを計る。
まるで獲物を前にした猛禽類のようであるが、さして変わりないだろう。
いつでも動けるようにしつつ、不自然でない程度に観察を続け、
ふと、彼が視線を水面に落とした。
彼の意識は、完全にそちらに向いている。
今だ!
櫂を放り、一息に跳躍して、彼の舟へと飛び乗る。
そもそも空を飛べるのだ、この程度、造作もないことである。
舟を揺らさぬように注意しながら着地して、即座に彼の背へ手を伸ばす。
いきなりの行動に驚いた様子の彼の両肩へ手を置くと、体勢を崩すべく手前に引く。
不意を突かれた彼は、力の流れのまま後方へ倒れこんだ。
頭を打たないように、今度は彼の腕を掴む。
くっと手前へたぐると、彼の体は一瞬浮いて、それからゆっくりと地へと体重を預けた。
状況を把握される前に、そのまま両の足で彼の体を挟み込み、馬乗りになる。
抵抗を封じるべく彼の両手を再び拘束すれば、前傾姿勢の形になった。
マウントポジションだ。
彼は足しか動かせないだろう。
そう簡単にどかせるものではない。
彼は二度三度まばたきをすると、数少ない自由に動かせる部分である首を左右に動かしてから、
あたいの顔を見やった。
言葉はなかったが、おそらく説明を求めているのだろう。
説明すべきことなどない。
ただ単に――――
彼が四季様のものなら、奪ってやろうと思い至っただけだ。
黙ったまま、彼の顔へあたいの顔を寄せる。
その勢いで、ぐっと唇を押し付けた。
ムードも何もない、無造作で不躾なキス。
彼はひとたび驚きの声を上げたが、すぐに無言になった。
言葉にならない音しか出せないとわかったのだろう。
たっぷり十数秒ほどしてから、ゆっくりと離す。
正直、触感などさっぱりわからない。緊張がそれを上回っている。
心臓は、さっきよりもバクバクいっていた。
行為が終わると、彼は固まったままだったが、軽く頬を朱に染めていた。
意外とウブだ。でも、あたいも多分顔が真っ赤だろう。何せ、初めてだから。
何か言いかけて、彼が口を開く。
すかさず、もう一度唇で塞ぐ。
今度は、恐る恐る舌を入れてみる。
口腔の中から彼の舌を見つけて、つっついてみたり、舐めてみたり。
少し慣らし、今度は絡めてみる。
閑静な空間に、いやらしい音が響き始めた。
拒絶されるかとも思ったが、彼もやられてばかりではないらしく、今度は攻勢に出てくる。
競争心を刺激されて、負けるものかとあたいも対抗した。
息がもたなくなって、ゆっくりと距離を広げる。
鼻で息をすればよかったのか、とぼんやり考えて、彼の左手を握っていた腕を解き、そろりと腰の方へと指を伸ばした。
想定通り、そこには――――
◆
死ぬぜぇ……死神の××××を見た者は、みんな死んじまうぞぉーっ!!
◆
でまあ、途中で舟が転覆しそうになるハプニングもあったものの、
二人して大分消耗した後。
彼に、それはもう情熱的に告白された。
一字一句正確に思い出すと顔から火が出そうになるが、その、要約すると、
『ずっと好きだった、責任は取る、嫁に来てくれ、俺の子供を産んでくれ』
――――とまあ、こんな感じだ。
ああ、思い出してもにやにやしてしまう。
まるで少女マンガだが、本当に、ものすごく嬉しい。
そう言えば、彼と四季様との関係だが、何かと抱え込んでいそうで心配だったと言うだけで、そう言ったところに踏み込んでいるわけではないらしい。
それを聞いて、ひどく安堵した。
まあ、体で繋ぎとめるような真似をしておいて何だけども。
それにしても、順調に行き過ぎていて恐ろしいぐらいだ。
でも、今はこの幸せに浸っていたい。
ずっと、願っていたものだから。
◆ ◆ ◆
無機質にリズムを刻みつける時計に目をやる。
これで何度目だろうか、数えてはいないが二桁に届いているかもしれない。
どれだけ回数を重ねても、針の位置は変わらず、ノックの音がする様子もなかった。
……どうしたのだろうか。
今日は一部の死神が報告に訪れるはずだと言うのに、何故か一人だけ姿を見せない。
時間も、刻限に近いと言うのに。
その一人と言うのは、小野塚 小町のことだ。
昔のサボり癖も、ここしばらくは鳴りを潜めていたと言うのに、またこれである。
それが直されたきっかけである、彼は真面目に勤務していると言うのに。
そう、今は死神として忠勤に励んでいる彼。
きっかけは、妖精の悪戯を受けていたところを助けたことだった。
悪戯といえば聞こえはいい――いや、全くよくはない――が、その内容は非常に危険なものだ。
なんと、崖から突き落とされたのである。
私が発見しなければ、最悪命を落としていただろう。
通りすがりの身ではあったが、彼を救わずにはいられなかった。
空中に投げ出された彼の腕を取り、どうにか救助に成功したのだ。
その後、彼にはいたく感謝された。
過剰とも思えるほどの気持ちを受け取るのに悪い気はしなかったが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、私は遠慮し、その場を立ち去った。
なお、主犯である妖精には後で説教を施した。
それからしばらくして、彼とまた会う機会があった。
と言うより、彼が私を見つけただけなのだが。
お礼として菓子折りを渡された。
見返りを目的に助けたわけではないのだが、彼がどうしてもと押してくる以上、厚意を無碍にするのはよくない。
大人しく頂いておいた。なお、もらったお菓子は甘くて美味しかった。
……一応言っておきますが、私は子供舌ではありません。あしからず。
それに端を発して、彼との奇妙な関係が始まった。
外に出るたびに、何故か彼と出くわすようになったのだ。
どうやら、彼の方から探しに出ていたらしい。
礼儀正しいのはいいことだが、それを引きずりすぎるのもよくないことではある。
それをきつく言い含めても、彼は私を見つけようと躍起になっていたようだが。
だが、悪く思わなかったのも事実である。
正直、私はこの幻想郷の人間にあまり好かれていない。
まあ、会うにつけ説教をくれるのだ、それも当然だろう。一応、自覚はしている。
しかし、彼は違った。
お礼のためとは言え、私を求めてくれたのだ。
私は閻魔だ。
公私の区別はあるが、何事にも私情を挟むことを許されない。
けれど、彼に肯定されて、心を動かしてしまったのは事実である。
今更言い訳もしないが、私はある意味孤独な状態だったのだ。
そんなところに、彼が転がり込んできた。
友好的に私を受け入れ、むしろ快い感情すら抱いてくれる人間が。
それは、まさしく麻薬のようであった。
決して揺らいではならない感情に、起伏が生まれてしまったのだ。
だから、気を許してしまった。
私を気にかけてくれる彼に、つい仕事の愚痴をこぼしてしまったのである。
閻魔の職業は、死者を裁く裁判官だ。
それが楽な仕事であるはずもない。
それも、まるで人間のような情緒を持ち合わせている私であれば、多少なりとも不平を感じずにはいられないのだ。
私は随分と溜め込んでいたし、彼は聞き上手でもあったから(こう言っては、まるで彼が悪いようだが)、
気づけばべらべらと泣き言を紡いでいた。
自分のことのように、彼は付き合ってくれた。
いやな顔一つせず、相槌を打ち、頷き、共感してくれた。
そんなことをされてしまっては、揺るがずにはいられない。
他者とは一歩違う立ち位置にあらねばならない閻魔にとって、友人の存在は、非常に大きいものだったから。
それから先、今度は私から彼に会いに行くようになってしまった。
孤高な閻魔は、依存先を見出し、堕落してしてしまったのだ。
彼に、死後は死神として働かせてくれないかと頼み込まれたのも、それぐらいの時分だった。
これは、本当に重要なことだ。
真剣そうな彼の態度を判断の材料にして、
その理由と、覚悟があるか否かを問えば、彼は私を支えたいからだ、と。何の淀みもなくそう答えた。
だからこそ、それを了承した。
丁度業務が滞っていたこともあり、彼を雇うことを決定したのだ。
それを経て、今に至る。
こう言っては何だが、あれは一種のプロポーズに近いと思う。
死んでも私と共にありたいと。傍に置いてくれと。
まっすぐにそう言うのが恥ずかしかったのかもしれないが。
ただ、彼は奥ゆかしいのか照れ屋なのか、愛の言葉を囁くようなことはしなかったが、
私を思ってくれていることは、言われずとも読み取れた。
色々と踏み込んだ話もするようになったが、その時も彼は楽しそうであったし、
私の悩みの種であった小町の悪癖も直してくれたりと、尽くしてくれている。
彼を死神にしたのは正解だったと、強く思う。
やはり、彼は頼れる男だ。長い間付き合ってきたからこそ、そう言いきれる。
そんな彼の助力を得ていたにも関わらず、小町はこれである。
ここ最近は仲良さげに過ごしていたし、上司である私が下手に割って入って険悪になっては悪いだろうと判断して触れずにいたが、
最終的にこうなってしまっては元も子もない。
彼をこんなに長い時間手元にとどめて置いてこれか。
私の数年の我慢を返して欲しいぐらいだ。
ため息をついて、視線を机に戻す。
この調子では、今日中にはもうこないだろう。
そう判断して、ぼんやりと中空を見つめ、
ふと、気づいた。
机の上に積み重ねられた書類のてっぺん、一枚の写真が裏になって置いてあることに。
こんなもの、あっただろうか?
ほんの数分前にはなかったし、仕事机の中に写真の類は入れていない。
怪訝に思いながらも、何が写されているか確認すべく写真を手に取り、裏返す。
そこには、
赤子をあやす、彼と小町の姿があった。
……え?
最終更新:2011年03月04日 01:23