「違う!」

 乾いた音とともに、鋭い痛みが頬で炸裂した。
 もう何度も受けた、何度受けても慣れない痛みが。

「どーしてすぐにつっかえるの!やる気あるの!?」

 彼女は目を吊り上げて、僕の肩をつかんで揺さぶった。
 それだけのことだが、ひどく痛む。
 彼女は妖怪で、僕は図体が大きいだけの人間だ。力の差は
大人と子供ほどもある。小さな手で掴まれている両肩は、ま
るで万力で挟まれたかのように軋んでいた。そのまま、前後
に振り回される。とてつもない激痛だった。
 痛い、やめて。痛みのせいもあって、それだけの言葉すら
紡げない。首をねじられた鶏のような悲鳴を上げ、僕はもが
いた。幼子のように手足をばたつかせて、戒めを解こうとし
た。
 それが、さらなる暴力を呼び寄せると知ってたはずなのに。

「暴れないの!」

 また、頬で激痛が弾けた。

「○○が悪いんでしょ!○○が悪いのにどうして暴れるの!」

 おしおきだよ――そう叫んで、彼女は肩をつかんでいた右
手を振るった。左右の頬に、交互に彼女の平手が炸裂する。
発破を思わせるような甲高い音が轟くたびに、僕の頭は左右
に振り回された。
 悲鳴を上げて逃げようとした。が、空いていた左手に襟首
を掴まれて不発に終わる。
 頬を叩く手が、さらに力を増す。どうやら気分をさらに害
したらしい。
 抵抗は、さらなる暴力を生む。
 だから僕は、彼女に殴られるままになった。痛みと屈辱に
涙がこぼれる。口の中は、すでに血の池のようになっていた。
 それでも僕は耐えた。自分よりも一尺以上は小さい、小柄
な少女の暴力をすべて受け入れた。

 折檻が終わった直後、僕は畳の床に倒れ伏した。とてもじ
ゃないが立っていられない。首から上の全てが痛い。頭の奥
で、甲高い音がなっている。痛くて、痛すぎて何も感じられ
ない。身体も心も完全に満身創痍だった。

 だから、僕にとって何よりも恐ろしい少女が僕の頬を撫で
ても、僕は身じろきすらできなかった。
 覆いかぶさるように抱きしめられても、されるがままだっ
た。

「もう……ちゃんとしてよ……」

彼女が耳元でつぶやく。

「私たちの未来のために、必要なんだよ?私だって、○○の
ことを好きこのんで叩いてるわけじゃないんだよ?」

 慈母のように優しい声が、耳に響く。

 そして、頬に柔らかな感触。

「愛してるから怒るの。真剣だから怒るの」

 わかるよね?そう、口づけをした唇で彼女は囁いた。

 僕は泣いた。
 赤ん坊のように声を上げ、少女の腕の中で泣いた。
 恐ろしくて、悲しくて、つらくて。
 そして、ほんの少しだけうれしくて。
 頭の中で渦巻いてるものを吐き出すように、僕は号泣した。
 そうしないと、心が死んでしまいそうだった。

 僕は今、妖怪の山のどこかに監禁されている。
 先ほどまで僕を打ち据え、そして愛を囁いている彼女―― 
幽谷 響子によって。
 鉄の枷で柱に繋がれ、毎朝毎夜に読経を強要される。機嫌
を損ねれば容赦のない折檻を受ける。殴られ、蹴られ、食事
を抜かれる。それがつらくて、恐ろしくて。僕は毎日、彼女
の一挙一動に怯えながら生活している。

 どうしてこうなってしまったのだろう――僕は彼女に抱か
れて泣きじゃくりながら、もう何度も繰り返した思考を思い
浮かべた。

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最終更新:2011年05月06日 02:44