Call of Lyrical 4_08

Call of Lyrical 4


第8話 セーフハウス/怒り



SIDE SAS


三日目 時刻 2205
イギリス海軍空母「アーク・ロイヤル」
ジョン・"ソープ"・マクダヴィッシュ軍曹


「――奴は腰抜けですよ、プライス大尉。アルアサドは絶対に、理想と共に殉じたりしていません」

敵地からの秘匿回線は雑音こそ混じっていたものの、充分聞き取ることは可能なものだった。一度救出され、再びロシアの大地に潜入した諜報員も任務がやりやすいはず。
人工衛星を介して繋がった軍事用ネットワーク、それを通じて送られてきた座標。詳細は中東より北側、アゼルバイジャンと言う国だ。確か、冷戦終結と共に一度ロシアから独立し、その後かつての母国に反目した国。
なるほど、とコンピューターに送られてきた座標を見て、ソープは納得してみせた。現地情勢については大まかにしか知らされていない管理局の執務官、クロノに訳を話す。
ロシアの影響が強いアゼルバイジャンには、旧ソビエトの復活を企む超国家主義者たちも多く出入りしている。彼らと同盟関係にあったアルアサドがそこに逃げ込むのは、ごく自然のことなのだ。

「アルアサドが以前使っていたと言うセーフハウス、位置が判明しましたよ。送ります――」

送り込まれた諜報員は、一人ではなかった。超国家主義者たちへのロストロギア、レリックの流出を危惧した管理局もまた諜報員を送り込んでいた。イギリス政府と管理局の間に同盟関係が生まれた以上、現地の諜報員同士は協力して情報収集に取り込んでいた。
管理局の諜報員が最後にクロノ、幸運をと付け加えて必要な情報を送り終えると、ディスプレイを食い入るように睨んでいた髭面の兵士が即座に立ち上がった。

「承知したニコライ、ヴェロッサ。お前たちは引き続き情報収集を頼む、アウト――」

髭面の兵士――SASの指揮官、プライス大尉はこの時、その顔に珍しく感情を露にしていた。
誰が見ても読み取れる彼の黒い感情、それは怒り。

「ギャズ、皆を招集して装備を確認しろ。アゼルバイジャンへ向かうぞ」
「了解です。この時期ならあそこは綺麗なはずですよ」

付き合いの長い副官ギャズの冗談も、この時ばかりは通用しなかった。むすっとした指揮官に、部下たちはただただ戸惑いを覚えるほかない。
空母の飛行甲板から彼らを乗せたUH-60輸送ヘリが飛び立ち、作戦区域に向かう。現地に到着した頃には、とっくに日付が変わっていた。



SIDE 超国家主義者


四日目 時刻 0155
アゼルバイジャン北部
アルアサド


一国の主から一転して、ゲリラ同然の超国家主義者たちに匿われて追われる身に。泥のついた軍服、薄汚れたベレー帽だけが彼の持ち物である。
彼、アルアサドはひたすらにため息を吐いていた。ぼんやりと隠れ家の天井を眺め、後悔ばかりが思考の中を渦巻く。
付けっぱなしにしたテレビでは、中東での核爆発の被害状況を延々と垂れ流している。ブラウン管に映る、巨大なきのこ雲。死者、行方不明者は依然として不明だが、米軍兵士だけでも千人は超えるだろうと予測されていた。
ざまあみろ、と言う言葉は不思議と脳裏に浮かばなかった。スイッチを押したのは確かに自分だが、今こそ使うべきだとそそのかしたのは自分ではない、ロシアの友人だ。
だから俺は悪くない。俺のせいじゃない。首都に展開していた味方の兵士たちも犠牲になっただろうが、みんなアイツが悪いんだ。アイツがあの怪しい宝石紛いのものを送ったりなんかしてきたから――無論、狂気の笑顔を浮かべて起爆準備を行っていたのは彼自身である。だが、その事実を彼の頭は忘れ去ってしまっていた。
ただひたすらに、彼の思考は同じ言葉を繰り返す。俺は悪くない。俺じゃない。俺は悪くない。
首都を脱出するヘリの中で見た、巨大なきのこ雲。生きとし生ける者全てを飲み込んだそれは、怨念の塊のようになってアルアサドを睨んでいた。その時からだ、彼の思考に楽観的なものがまとめて吹き飛んだのは。残ったのはひたすらに続く罪の意識と、それらを転嫁する卑しい心。
突然、彼の潜む隠れ家の扉が開かれた。びくっとかつての一国の主は肩を震わせ、構えもろくにおぼつかない腕で拳銃、デザートイーグルを扉に向ける。彼には、やって来た兵士が自分を追ってきたアメリカかイギリスの刺客に思えたのだ。

「落ち着け、我々だ」

ところが、デザートイーグルを突きつけられた兵士は大して驚きもせず、両手を上げて味方であることをアピールした。自分を保護してくれた、超国家主義者たちの一人だった。彼はアルアサドに銃を下ろすよう伝え、それからまず落ち着くよう促した。
落ちぶれた独裁者は、なかなか指示に従おうとしなかった。すでに失せた一国の主としてのプライドがしつこく残っていたのか、単に怯えて軽くパニックに陥っていたのか。
やって来た兵士はため息を吐き、アルアサドの腕からデザートイーグルを大胆にも強引に奪い去った。下手をすれば撃たれる可能性もあったのだが、彼はそうされない確信があった。マガジンが抜けて、薬室もオープンになった銃などに怯える必要はあるまい。
銃を奪われてようやく静かになったアルアサドに、兵士は告げる。

「いいか、何者かは知らんがここにヘリが近づいている。だが安心しろ、援軍が到着するまでの間、我々が貴様を守る」
「……な、なんだって? アメリカか、イギリスか」
「知らん」

いいから座ってろ、と兵士は強引にアルアサドを椅子に座らせる。それから部下たちに命じて、寝ている者は起こして警戒配置に就かせること、村人たちを相手に好き勝手している者にはすぐに配置に戻るようにと伝えた。了解、と答える部下たちではあったが、その眼には露骨に不満が宿っていた。

「なぁ、あんな奴を守る価値あるのか? やばいならさっさとずらかった方がいいぜ」
「それは同感だけどな……俺らのボスは、奴をまだ利用できると判断したらしい。何に使うかは知らんがな」

問いかけてきた仲間に答えてやって、彼は配置に就くよう促す。念のため装甲車も出した方がいいかもしれない。たった一輌の虎の子だが、使わずに置いておくのももったいないだろう。
隠れ家のある村は現在、超国家主義者たちの支配下にあった。




SIDE 時空管理局


四日目 時刻 0200
アゼルバイジャン北部
クロノ・ハラオウン執務官


引き上げていくUH-60の黒い翼を見上げて、黒衣を纏った執務官、クロノは正面に向き直る。合同作戦を行うロシア政府軍とは、丘を目前に構えたこの平地で合流予定だった。
事前情報に寄れば、丘の上には戦争や紛争とは無縁の、ごくごく普通の村があったはずである。だと言うのに、上から聞こえてくるのは銃声、悲鳴、怒号――何が起きているんだ。深い疑問を表情に出すが、傍らでM4A1片手に待機するソープは俺に聞くなよ、と眼で訴えてきた。
思考中断。闇夜の最中、平地の奥で何かが光った。視覚強化の魔法を行使するまでもなく、同じく待機していた指揮官プライスが動いていた。事前に秘匿回線で通達のあった発光信号、それが三回。草を掻き分け姿を見せたのは、ロシア政府軍の兵士だった。この地での案内人らしい。

「アルアサドはこの村にいる。超国家主義者が護衛してるんだ」
「情報通りだな、行くぞ」

ロシア兵と手短にやり取りしたプライスが、後方で待機していた部下たちに向け合図を送る。クロノは相棒のデバイス、魔法の杖のデュランダルを右手に構え、プライスたちの背中を追った。SASとロシア軍、それに管理局と言う妙な合同部隊は各々の方向を見張りながら丘へと向かう。

「上で何が起きてるんだ?」

ふと、自分よりは現地の情勢に詳しいであろうロシア兵にクロノは尋ねた。丘の上から聞こえる銃声と悲鳴は、依然として彼の思考にまとわり付いていた。ロシア兵は異世界からの執務官の装備を見てわずかに怪訝な表情を見せたが、とりあえず質問には答えてくれた。ロシア本土から流れ出た超国家主義者たちが、刃向かう村人を殺して回っているらしい。この国、アゼルバイジャンは旧ソ連から独立を果たし、かつての母国に反目している。村人たちがロシアからのアウトローに露骨な敵意を持つのは、当然のことだろう。しかし、何故アゼルバイジャン政府は動かないのだ。

「動いていない訳じゃない、人手が足りないんだ。この国はロシア本国以上に超国家主義者たちの巣窟と化してる――」

クロノの疑問に答えたのはSAS副官のギャズ。ロシア政府軍に追い立てられた超国家主義者たちは国境を超え、旧ソ連を構成していた連邦諸国に逃げ込む者も多い。ゲリラと化した彼らを掃討するのは、決して容易なことではなかった。
酷いことを、と次元世界を渡り歩いてきた執務官は丘の上を睨む。アルアサドの確保が目的ではあるが、超国家主義者たちをまとめて倒す方を優先すべきかもしれない。放っておけば一人で飛び出しかねない、そんな思考を持つ彼の肩を、誰かがポンと優しく叩く。ソープだった。

「落ち着けよ戦友。いくら魔法使いでも一人じゃ無理だぜ」

ソープは手にしたM4A1を軽く叩いてみせた。やるなら協力しよう、と言う意味だった。
煮え繰り返りそうな怒りは収まらないが、執務官に必要な合理的な判断がクロノを頷かせた。
立ち並ぶ木々を避け、丘を上っていくと視界に二つの建物が入ってきた。左手に教会、右手に二階建ての家屋。どちらも本来は村人たちの物だったのだろうが――複数の黒い影が、銃を手にして飛び出してきた。
撃て、とプライスの声。SASの襲来を察知した超国家主義者たちが、迎撃に現れたのだ。丘の上にわらわらと姿を見せた敵に向かって、兵士たちは一斉射撃。消音機を装着したM4A1の弾丸は静かに闇を切り裂き、敵兵たちを屠っていく。
はっと、クロノは視界の左片隅に何かが動いたことに気付く。姿を見せる前に素早く詠唱、術式展開、スティンガーレイ発射。右手のデュランダルを振り抜いて、教会の方に向けて魔法の弾丸を放った。数秒しないうちにあっ、と短い悲鳴。気を失った敵兵が、斜面をゴロゴロと転がっていく。

「おい、非殺傷設定ってのは――」
「解除しないよ。これが僕のやり方だ」

転がってきた敵に目立った外傷がないことに気付き、ソープが彼を咎めるように声をかけてきた。それに、クロノは真っ向から反発する。確かにテロリストは裁かれて然るべきだが、その場で殺してしまえばいいものでもない。執務官には執務官なりの信念があった。
兵士であるソープには、理解できないだろう。とりあえずクロノのやり方に口出しはしないにしても、「いずれ死ぬぞ」と忠告してきた。
死なないよ、僕は。言いかけて、クロノは唐突に背後で嫌な気配がするのを感じ取った。首筋に、飢えた猛獣の臭い息吹が吹きかけられる、そんな感覚。
振り返ったと同時に押し倒された。どっと地面に叩きつけられ、彼は必死にデュランダルを振り回して襲い掛かってきた何かに抵抗する。それでも襲撃者は離れない。臭い息吹が少年の顔を撫で、撒き散らされる涎が彼の思考を徐々に追い込んでいく。そこでようやく、クロノは襲撃者の正体に気付いた。犬だ、鋭い牙を持った軍用犬。獲物の喉を噛み千切ろうと、文字通り野獣の本性を露にしている。
ガキッと、軍用犬の牙がデュランダルの柄の部分に食らいついた。喉に噛み付かれる寸前、ガードに成功。だがそれも一瞬のこと、意外に頭の回る野獣は一度デュランダルを離し、再度クロノの喉元目掛けて牙を突き立てる。
恐怖で背筋が凍った。銃弾に撃たれて死ぬより、何倍も恐ろしい感覚。野獣に襲われる恐怖を、彼は生涯決して忘れないだろう――忘れられない思い出になったのは、幸いだった。死んだら思い出も何もない。横から銃撃を受け、軍用犬は悲鳴を上げた。その隙を逃さず、クロノは思い切り野獣の腹目掛けて蹴りを入れた。青白い魔力を纏ったキックを食らい、今度こそ軍用犬はひっくり返って動かなくなった。

「生きてるな、クロノ?」

倒れた軍用犬にもう一発銃弾を叩き込み、ソープはクロノに手を差し伸べてきた。軽く咳き込み、彼は差し出された兵士の手を取り立ち上がる。

「あぁ……犬の餌になるところだった」

脳裏にちらっと、今は諜報活動の現場に戻った友人の姿が浮かぶ。レアスキルで大量の猟犬を生み出す彼が見たら、なんと言うだろう。
ともかくも軍用犬の襲撃を撃破したクロノは、ソープと共に前に向かう。これから家屋を一軒一軒、アルアサドがいないか確認していく必要があった。
静かな夜は、やはり銃声によって埋め尽くされていく。



SIDE SAS


四日目 時刻 0215
アゼルバイジャン北部
ジョン・"ソープ"・マクダヴィッシュ軍曹


こりゃあ、埒が明かないな。
銃声と敵の悲鳴、爆音が木霊する村の最中を駆け回り、ソープは焦燥に駆られていた。手にしたM4A1は、何度も連射したおかげで銃身が火傷しそうなほど熱くなっている。フォアグリップとグローブのおかげで気にすることはないが、銃そのものが最後まで動いてくれるかが問題だ。

「アルアサドは確認できず。次に向かおう」

今日で何軒目かになる、突入した家屋内。二階建てのこの家はかつては健やかな生活を送っていたのだろうが、本来の住人は超国家主義者たちによって追い出されていた。そこにSASがやって来て、不法居住するテロリストを皆殺しにした。否応なしに射殺する様を見てクロノは複雑そうな表情だったが、これが俺たちのやり方だとソープは言ってのけた。
死体を一体一体起こして顔を確認し、目標のアルアサドがいないことを確認した副官ギャズが次、と屋外に視線を向けたその瞬間だった。SASの突入した家屋の壁が、突如としてバラバラと音を立てながら崩壊を始めた。何事だと窓から外の様子を伺おうとしたソープは、誰かに首を掴まれ床に叩きつけられた。直後、脳天に響くのは指揮官プライスの怒鳴り声。

「馬鹿野郎、死にたいのか!」

意味が分からない。指揮官が必死の形相を浮かべながら、屋内であるにも関わらず身を伏せている。はっとなって視線を上げると、自分が顔を出そうとした窓際に突然大穴が開き出した。ただの銃撃じゃない、これは装甲車の機関砲だ。三〇ミリくらいはあるだろう。
ソープは周囲を見渡し、グシャグシャに粉砕された家具の中から鏡の破片を見つけた。ついでに傍に転がっていたビニールテープを引っ張り出し、鞘から引き抜いたナイフの先に鏡の破片を貼り付ける。昔、戦争映画で見たやり方だ。ゆっくりと、ナイフを握った兵士の腕が半壊した窓際に伸びていく。すでに時刻は深夜だが、外には照明よろしく派手に燃える家屋があった。
――見えた、BMP-2。ロシアの装甲車に違いない。
旧ソ連時代から生産の続く、大国ロシアの装甲車。歩兵として標準的な火力しかないSASにとって、間違いなく強敵であろう。
バキバキ、とまたBMP-2が機関砲を撃ったのか天井の方で嫌な音。木片が兵士たちの頭に降り注ぎ、彼らは否応なしに屋内でも伏せることを強要された。頭を上げて外から見えたりでもしたら、機関砲の射撃が集中する。家屋の壁は、先ほど粉砕されたばかりだ。防御としては期待出来ない。

「おい、ヘリの援護を頼む」

だけども、彼らには切り札があった。プライスが、SASと行動を共にしていたロシア政府軍兵士の肩を叩く。彼の持つ大型通信機ならば、強力な航空支援であるMi-28ハボック攻撃ヘリを呼んでもらえるのだ。
ゴトリ、と。壁際に伏せていたロシア兵の身体から、何かが外れた。そのままゴロゴロ床を転がって、同じく伏せていたギャズの目の前で止まる。くそ、と副官の悪態。生首だけになったロシア兵の無感情な瞳が、天井を見つめていた。仕方なく、プライスは匍匐で首の外れた兵士の身体から大型通信機を取り外す。

「こちらブラボー6、応答しろ! こちらブラボー6……」
「大尉、こいつ戦死してます」

ソープの指摘を受けて、指揮官はあっと驚く様子を見せた。通じていると思っていた通信機に、大穴が開いていた。主のロシア兵諸共くたばったか。
再び、家屋に衝撃が走った。BMP-2の機関砲が二階の窓を中心に弾丸を集中させ、粉砕しているのだ。ソープたちはみんな一階にいるから、おそらく正確な位置を掴みかねているのだろう。それでも脅威であることには変わりなく、時折壁を突き抜けた機関砲弾が頭のすぐ上を掠めることもあった。ヒュン、ヒュンと風を切る音、死神の鎌が通り過ぎていく。
こんな状況下にも関わらず、ソープはクロノがじっと眼を閉じ静かに何かを考えている様子であることに気付く。M4A1を両手に持ったまま、器用に床をころころ転がって兵士は魔法使いの元へ。

「おい、何か考えがあるのか? 聞かせてくれ」

てっきりソープは、クロノがその回転速度の速い頭で状況を打開できる必勝の策を練っているのだろうと考えていた。時折降ってくる木片を払いのけながら尋ねたのだが、当のクロノは眼を閉じ黙ったまま。おい、と再び声をかけたところで少年の瞳が片方だけ開き、ぎっと睨んできた。今は話かけるな、彼はそう言いたげだった。
どういうことだよ、いったい。睨まれたソープはバツの悪そうな表情を浮かべた――彼に魔法の知識が一片でもあれば、こうはならなかったろう。
かっと、何かを見つけたようにクロノは今度こそ両目を開く。そのままソープを無視し、プライスの元にまで匍匐で近付く。

「大尉、アルアサドの位置がおおむね分かりました――ここから北にまっすぐ、離れた家にいます!」
「根拠は?」
「探知魔法で!」

なるほど、と指揮官はすぐ納得して見せた。過去に管理局と協同した身であるから、魔法に対して一定の理解があるのだ。
しかし、と横からギャズが口を挟む。外の奴はどうするんだ、あれを撃破しないことには身動きが取れない。
現実を認識させようとしたのか、BMP-2の機関砲がまたしても光瞬いた。今度の射撃は彼らの立て篭もる一階に集中、壁をぶち抜いた機関砲弾がまだ健在だった家具を、台所を、電化製品を容赦なく粉砕していく。電灯さえも破壊して、ついに家屋内の明かりは消えてしまった。

「……僕は、防御魔法を展開できます。いつまでもは耐えられないでしょうけど、何とか奴の懐に飛び込んで」
「あぁそりゃ無理だ」

暗くなった屋内。クロノは自身の持つ魔法の杖を突き出して、自分がBMP-2を破壊すると言い出した。横から口を挟むのは、やはりギャズ。
どうして、と不満げな表情を見せる魔法使いに、副官はあの装甲車は、と説明する。BMP-2は歩兵戦闘車両と呼ばれる装甲車両の一つで、七名の歩兵を搭載可能である。その気なれば奴らは、装甲車の機関砲に合わせて歩兵も下ろし、彼らの持つ銃火器で撃ってくるだろう。機関砲だけでも充分な破壊力があるというのに、これに複数の歩兵の火力が
加わることになる。いくらクロノでも、正面突破は無理と言う訳だ。防御魔法だって、いつまでも持つ訳がない。

「じゃあ、どうやって」
「バーカ、俺たちが指をくわえて見てると思ったか」

カシンッと頼もしい金属音。クロノに置き去りにされていたソープが匍匐で彼に近付き、M4A1の熱くなった銃身を叩いていた。
でも、と魔法使いは戸惑いの表情を見せた。防御魔法にバリアジャケット、二重の防衛網があるクロノと違って彼らはせいぜい胴回りに防弾ジャケットを着込んでいるだけ。
取り回しを優先してケブラー繊維の軽いものだから、装甲車の機関砲はおろか歩兵の持つAK-47すら満足に防げない代物だ。
だが、クロノが見たのは不敵に笑う兵士たちだった。

「クロノは合図したら飛び出せ。ギャズ、ソープは俺と一緒に露払いだ、一斉に撃つぞ」
「了解」
「了解!」

ほとんど決まったことのように、プライスたちは動く。ギャズは匍匐で二階に上がり、上から敵を撃ち下ろす。ソープはプライスと共に、一階から銃撃だ。装甲車に小銃の弾丸が通用するとは思えないが、注意を引くことは出来るはず。その隙に、クロノは屋外に飛び出すことになる。
ぽんっとソープは、依然として納得いかない様子の少年の肩を叩いた。任せろよ、と視線を交わす。
兵士たちの決意をようやく理解した魔法使いは、匍匐の体制から中腰になって家屋の中を歩く。機関砲弾で穴の開いた壁から、合図があり次第飛び出す構えだった。
構えろ、と指揮官の指示が飛ぶ。ソープはM4A1の銃口を、プライスと共に半壊された窓から外に向けた。照準は適当でいい、装甲車がこっちに注意を向ければ。

「スタンバイ……スタンバイ……」

外を睨むプライスが、昔の上官からうつったと言う言葉を口ずさむ。何も知らないBMP-2は、歩兵を伴ってゆっくりとSASのいる家屋に近寄ってくる。もう制圧したつもりらしいが、やがてそれは大きな間違いだと気付くだろう。
スタンバイ――くっと、ソープはM4A1の銃床をしっかり肩に当てた。射撃準備よし。
スタンバイ――敵に悟られないよう、静かにクロノは足元にミッド式の魔方陣を展開させる。
スタンバイ――銃声と悲鳴ばかりが響いていた、夜の戦場。一瞬の静寂が舞い降りていた。

――GO!

「!」

すっと息を吸い込み、ソープは引き金を引いた。肩に軽い反動が連続して飛び掛り、M4A1の銃口でマズルフラッシュが煌く。プライス、ギャズもほとんど同時に射撃開始、三つの赤い銃撃のラインが、静寂の舞い降りていた戦場を引き裂いていく。
照準は適当だったが、フルオートでばら撒かれた弾は決して敵を見逃さなかった。銃弾が大地を抉り、道路のアスファルトを砕く。あっと短い悲鳴が上がり、銃弾の雨に晒された敵兵たちは倒れていく。
銃弾はBMP-2にも襲い掛かったが、厚い装甲は甲高い金属音を鳴らして全て弾き返すばかりだった。怒ったように砲塔が動き、機関砲がソープたちのいる家屋に再度向けられた。

「伏せろ!」

プライスの指示が飛ぶ。言われるまでもなく、兵士たちは銃撃を中断して床に飛び込んだ。直後に機関砲が唸り声を上げ、無数の弾丸が家屋に殺到する。壁は砕かれ、まだ形を保っていた家具などは今度こそ命を絶たれるが、ソープたちの身体には小さな木片が飛び散るだけだった。
――どっ、と夜の空から何かが落ちてきた。降り注ぐは、光の雨。SASの援護射撃と同時に飛び出したクロノの攻撃、スティンガーレイの大量発射。
BMP-2の周囲にいた敵兵たちは、得体の知れない魔法の弾丸を浴びてなすすべなく蹴散らされていく。載せていた歩兵を全て失い、しかしBMP-2は健在だった。砲塔が回転し、機関砲の照準を家屋から空中に浮かぶ魔法使い、クロノに向ける。

「デュランダル!」
<<Blaze Cannon>>

機関砲が火を吹く寸前、クロノは手にしていた魔法の杖の名を叫んでいた。術式展開、詠唱代行。人間とは違う機械のそれは、恐ろしいまでに速かった。
青白い閃光が、夜空を走り抜け、大地へと落ちた。クロノの持つ最大火力の砲撃魔法、ブレイズキャノン。重装甲に覆われたBMP-2と言えども、これならば。
ぐわっと、何トンもあるはずの装甲車の車体が舞い上がった。直撃を狙わず、あえてクロノは照準をずらしていた。BMP-2の手前に着弾したブレイズキャノンの青白い閃光は大地を抉り、装甲車をひっくり返すことに成功する。
さすがに横倒しになったのでは動くに動けず、BMP-2の乗組員がハッチを開けてヨロヨロと出てきた。デュランダルを振りぬき、非殺傷設定のスティンガーレイを発射。魔法の弾丸が飛びぬけ、逃げる乗組員たちの背中を叩いた。
ひゅー、と気の抜けるような口笛。ひとまずの脅威を排除したクロノが地面に降りると、ソープが笑みを浮かべながら家屋から姿を現していた。

「さすが魔法使いだな、火力が俺たちとは段違い」

でも殺してはいないんだな。装甲車の横でのびている敵兵たちにちらっと眼をやり、兵士は魔導師に向き直る。

「言ったろ、これが僕のやり方だ」

肩をすくめて、クロノはソープに応えて見せた。




「忘れるな、アルアサドは生け捕りにしたい。死なれちゃ困るんだ」

クロノの探知魔法は、大いに役立った。装甲車を撃破したSASは村を突っ切り、離れたところにある納屋の前に集まっていた。途中で流れ弾で死んだと思われる牛の亡骸があったので、おそらくは牧場であるに違いない。
納屋の扉の前に一度集結し、そこでソープは指揮官の様子が少しいつもと違うことに気付く。出撃前もそうだったが、プライスの顔には明らかに見て取れる感情が浮かび上がっていた。すなわち、怒り。彼ほどのベテランが任務の最中で私情を挟むとは、いったい何事なのだろう。アルアサドの行いは確かに許せるものではないが――プライス自身が、何か思うところがあるのだろうか。
部下からの疑念の眼差しをよそに、プライスは自ら先陣を切ると言い出した。断れるはずもなく、ソープたちは彼の背後についてバックアップに入る。
納屋の扉は押し戸。閃光手榴弾、フラッシュバンを持ち出した指揮官はドアノブに手をかけ勢いよく、わざと音を立てて扉を開けた。中にいた敵兵たちの注目を集め、その上でピンを引き抜いたフラッシュバンを叩き込む。
すぐさま扉を閉じて、納屋の中で炸裂音を確認。狭い屋内で長物は不要と判断したのか、銃をサイドアームのM1911A1に切り替えてプライスは一気に突入する。
あっ、とソープは息を呑んだ。指揮官たる彼は、部下たちにGOの一言もなく、一人で突っ込んだ。しかし、そこはベテランのSAS隊員である。フラッシュバンの強烈な閃光をもろに浴び、未だ体勢を立て直せないでいる兵士たちに向かって、プライスは素早く銃口を向けて射殺。最後の一人、薄汚れたベレー帽の男にだけは銃弾ではなく鉄拳を叩き込んだ。
どっと、硬い肉の塊を叩きつける音。ベレー帽が弾け飛び、男はプライスの一撃を食らってたまらず地面に倒れた。容赦なく、指揮官は倒れた男の顔面に何度も拳をぶち込ん
だ。一撃、二撃、三撃。一撃目で気を失いかけた男は続いてやってきたパンチで強引に意識を引きずり出され、再び鉄拳で気を失う。それでもプライスの怒りは収まる様子を
見せず、失神した男に向けてもう一発硬い拳を叩き込む。覚醒と失神を何度も繰り返させられ、男の顔は赤く腫れ上がっていった。ゴキリッと嫌な音がして、彼の鼻から大量の鮮血が流れ出る。鼻の骨が、折れたらしい。
さんざん殴ったところで、プライスは足腰立たないほどに追い込まれた男の襟元を掴み、近場に転がっていた椅子に座らせた。

「クロノ、確か拘束出来る魔法があっただろう。それでこいつを締めろ」
「あ……は、はい」

ぶち切れた英国紳士のドスの利いた声で、ようやく傍観者に成り果てていたクロノは正気に返る。言われた通り椅子に座らせられた男にバインドを仕掛け、動きを封じ込める。
そうでなくとも、徹底的に殴られた彼はもう立ち上がることすら出来ない様子だった。
なぁ、とクロノは隣で同じく呆然としていた友人に問いかけた。君んとこの指揮官ってみんなこうなのかい?と。問われたソープは悩んだ末に、答えに窮したのか肩をすくめるだけ。

「あんな派手にぶち切れた大尉は初めて見た」

付き合いの長い副官でさえ、その表情は青かった。
どんっと、納屋にまたしても肉の塊を殴る音が響く。はっとなって部下たちが振り返れば、プライスが椅子に縛られた男――もはや言うまでもないが、アルアサドをサンドバックにしている光景が広がっていた。

「なんでやらかした!? なんでアレを起爆させた!?」

英国紳士の左フックが、動けない男の腹部に入る。反動で一瞬椅子ごと浮かび上がったアルアサドの顔面に、今度は右フック。左右からの容赦ないワンツーパンチ、彼が疑問に答えられないのも無理はなかった。そうとは知らず、あるいは分かった上でやっているのか、プライスはかつての一国の主の顔面を、腹部を交互に殴る、殴る、殴る。
鉄拳の連打の最中、アルアサドが何か言った。掠れた中東訛りの英語は、しかし悲痛な叫びでもあったためはっきり聞き取れた。違う、俺じゃない。

「では誰だ」

ようやく口を開いた男に、プライスは続きを喋るよう促す。促すために、さらに殴った。

「誰だ、名前を言え!」

もう一撃。もっともここまで殴られては逆効果だったらしく、さんざん殴られたアルアサドの口はヒュー、ヒューと苦しそうな呼吸しか聞こえてこない。チッと露骨に舌打ちし、苛立ちを乗せてプライスはついでにもう一撃殴る。
ちょうどその時、納屋のどこからか妙な電子音が鳴り響いた。聴覚だけはまだ健在だったらしく、アルアサドは電子音を聞いてはっとなる。その表情から何かあると悟ったSASの隊員たちは、きょろきょろと視線を動かし音の在り処を探す。

「大尉、たぶんそいつのです」

ギャズが納屋の中から何かを見つけ、指揮官に向かって放り投げる。先ほどまで鉄拳となっていた右手で受け取り、プライスはそれが携帯電話であることに気付く。電子音は誰かから通話が来ていることを知らせていた。ちらっと本来の持ち主に視線をやり、彼は電話のスイッチを押した。
通話の内容を、ソープたちが聞くことは叶わなかった。ただ、携帯電話を通じて聞こえてきた声に、指揮官だけが意味深に頷く。だいたいの話を聞き終えたのか、それとも通話の相手が、電話に出ているのは本来の持ち主ではないと理解したのか。音声の途切れた携帯電話を、プライスは納屋の中に放り投げた。
その時、椅子に縛り付けられていたアルアサドが、突然暴れだした。クロノがあっとそれに気付き、念のためバインドを強化する。自身を拘束する魔法の力が強くなり、しかし彼は諦める様子を見せなかった。ガタガタと椅子を揺らし、最後の力を振り絞ってかつてに一国の主は、脱出を試みていた。
プライスはそれを無感情な瞳で見つめ――ホルスターに収めていた、M1911A1を引き抜く。銃口をアルアサドの頭に向け――駄目だ、と少年の声が響く。クロノがプライスの肩を掴みかかり、彼は生け捕りにする必要があると訴えた。
任務について一番理解すべき立場である指揮官は、しかし異世界の魔法使いに冷めた感情を露にする。

「必要なくなった。覚えておけ坊主、これがこっちのやり方だ」

ドンッと乾いた銃声。プライスの手にあったM1911A1、その銃口から硝煙が昇る。たった一発の銃弾が、椅子に縛り付けられた男の命を奪っていた。

「……誰だったんです?」

落ちていた携帯電話を拾い、ソープはプライスに尋ねた。
部下からの質問に、プライスはM1911A1をホルスターに戻しつつ、静かに口を開く。この名を口にするのは、一五年ぶりだ。そう前置きした上で。

「ザカエフ。イムラン・ザカエフだ」





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最終更新:2010年02月02日 15:47