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ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo



第12話 帰還



空中戦の勝者は、ほとんどの場合先に相手を発見した者である。
敵機の位置を確認し、ただちに機動し有利な位置に着いて――例えば後方、つまり後ろに回り込む――気付かれる前に一撃を浴びせ、撃墜する。フ
ァースト・ルック、ファースト・キルこそが、エースへのもっとも効果的な近道と言えるだろう。
ならば、逆に敵を見失ってしまったら? おそらくは、どこにいるか分からない相手に怯えながら、そして多くの場合不意打ちを食らう。運が良けれ
ば回避出来るだろうが、悪ければそのままあの世行きだ。
視界を染める青空、群青一色の世界。かつてのエースオブエース、高町なのはもまた、同じような苦境に立たされていた。呼吸を整え、焦る思考を
落ち着かせようとするが、視線は左右上下に行ったり来たりを繰り返す。手中の相棒、レイジングハートも同様に敵機の位置を探っていた。

<<Warning,6 o'clock!>>
「っ!」

デバイスからの警告と、背筋に妙な悪寒が走ったのはほぼ同時だった。いちいち振り返るまでもなく、なのははアクセル・フィンを全力稼動させて
急上昇。魔法の翼が羽ばたき、少女の身体を強引に押し上げたその瞬間、空を切り裂く赤い二〇ミリの曳光弾。バリアジャケットがあると言えど、
あんなものを食らったらミンチにされてしまう。
ここは魂の空間、実体は存在しない。そのはずなのに、細い首筋を流れる汗には実感があった。撃たれれば、死ぬ。それは魂が消えることを意味し
ていたし、ディスプレイの向こうにあるであろう自分の身体が、文字通り抜け殻になることを意味していた。実質、死んだも同然だ。
冷や汗をぬぐう暇もなく、すぐ真下で衝撃と轟音があった。超音速で駆け抜けていく鋼鉄の翼、F-22ラプター。不意打ちに失敗した敵機は離脱に入
るが、その背後に向けてなのはは金色の杖を構えていた。

「アクセルシューター……っ」
<<Accel Shooter Mode Phalanx>>

詠唱、術式展開。浮かび上がる無数の弾丸は、彼女の魔力量がずば抜けて高いことの証。最後にシュート、と口ずさむと、魔法の弾丸は各々意思を
持ったかのように駆け出す。狙うは敵機、F-22。
放たれた無数の桜色の軌跡は青空を駆け、質量兵器の無防備な背中に飛び掛る。機関砲の如き連続射撃、回避出来るはずが――否、あった。
F-22のエンジンノズルで、赤いジェットの炎が姿を見せる。同時にどっと勢いよく加速、アフターバーナー点火。真後ろに迫る魔力弾の多くは追尾
し切れず失速し、やがて限界を迎えて消えていく。
それなら! 急加速でアクセルシューターを振り切った敵機を見て、なのははカートリッジを一発ロード。溢れんばかりの魔力を加速に変換、桜色の
光を纏って降下開始。重力さえもが少女に味方し、逃げる猛禽類との距離を一気に縮めていく。
魔力弾の追撃から生き延びたF-22は、次に迫ってきた桜色の閃光を察知し、上昇して逃走に入った。逃がさない、とエースオブエースは意気込んで
追跡続行、もう一発カートリッジをロードする。みなぎる魔力は、やはり加速へと変換。アクセル・フィンが羽ばたきを強くし、少女の身体を超高
速の世界へと導いていく。
追いつ追われつ、鋼鉄と魔法、まったく異なる翼が青空を駆け上っていく。
く、となのははわずかに苦悶の表情を上げた。身体への負担を無視した急加速、カートリッジのロードは間違いなく、彼女を蝕んでいた。

<<Master>>

無理はしないで、とレイジングハートからの忠告。大丈夫、と一瞬作り笑いを浮かべて応えてなのはは正面、天への方向を睨む。視線の先にいたの
はF-22、距離は主翼の動きがはっきり見えるほどに詰まっている――この距離なら。
金色の杖を構える。現在進行形で稼働中の飛行魔法と並列する形で、詠唱と術式展開を開始。放つのはディバインバスター、自身が得意とする砲撃
魔法。近距離で撃たれれば、いくら戦闘機と言えども回避は出来ない。

「ディバイン――」

光がレイジングハートの先端に集まり、収束されていく。上昇しながらの必殺の一撃を放つ直前、彼女はF-22の機首がわずかに揺れ動いたのを目撃
した。同時に、尾翼に輝くリボンのマークが、妙になのはの思考に絡みつく。
駄目! 自分でも知らないうちに、彼女は口走っていた。このままではやられる。主の指示を受けて、デバイスがただちに術式展開を中止。集まり
かけていた光は消え去り、砲撃魔法が行使されることはなかった。
直後、正面にいた敵機がガクンッと機首を下げてきた。上下がそっくりそのまま入れ替わる、失速反転。白い水蒸気のドレスを纏って、F-22は強引
に進路を天からありもしない大地へと変更する。垂直尾翼に動きがあって、猛禽類の端整な顔がまっすぐなのはを見つめてきた――撃たれる。
生存本能が警鐘を鳴らす。強いGがかかるのを承知の上で、なのはは回避を優先。魔法の翼が、少女の身体を弾き飛ばしたように機動させた。どん
っと鈍い打撃音が響きそうなほどの衝撃、たまらず彼女は咳き込んでしまう。バリアジャケットがあると言えど、物理法則の全てを緩和するには至
らなかった。
ぼやけた視界の向こう、機関砲弾がそれまでなのはがいた空間を引き裂いていく。数瞬して、どっと衝撃が走ると共に敵機の黒い影が目の前を降下
していった。上昇して逃げを打ったのは、最初からこうするつもりだったのか。

「やっぱり、一筋縄じゃいかないよね……」

死すべき運命から、一瞬の判断で逃れられた。
だと言うのに、少女の顔を染めるのは恐怖でもなければ涙でもなく。浮かべる表情の名前は、おそらく闘志。
急降下で離脱したF-22は反転、再び進路をなのはに向けてくる。機動は間違いなく、彼、メビウス1のそれと同じ。
だが、違う。幾度か矛を交わすうちに、なのはは目の前の猛禽類がメビウス1とは違うことに気付く。これは彼の意思じゃない。別の何か、彼の動
きをそっくり真似た別物に過ぎない。
この空間に敵機が現れた時、無機質な声でアナウンスがあった。『侵入者を確認。防衛システム起動、侵入者を駆除します』と。
意識が飛んでこの空間に飛ばされる直前、誰かの声で言われた。『悪いが、俺の代わりに手伝ってもらう。リボン付きを、解放してやってくれ』と。
"electrosphere"――ディスプレイで見た単語。最初は意味が分からなかったが、あれこそがこの空間を構築し、魂のみを封じ込めているシステム
の名前ではないのだろうか。
ならば、それを守る防衛システム、あのF-22を撃墜すれば。

「行くよ、レイジングハート」
<<All lights>>

これは一つの仮説に過ぎない。他にも可能性はあるかもしれない。だけど、思いついたのはそれ一つ。他に考える余裕はない。
だったら賭けてみよう――万に一つかもしれない可能性に向かって、なのはは前へ駆け出した。
狙うはF-22、リボン付きの撃墜。



脳裏を駆け巡るビジョン。見覚えのあるコクピットの中で、キャノピー越しに見る白い羽衣を着た少女と激しいダンス。飛び交う魔法の弾丸、曳光
弾。追いつ追われつ、上昇と降下を繰り返す。時としてだまし討ちすら使っていた。
何だこれは、とは言うまい。砂嵐が増えてきた世界の中で、彼は確かに感じ取っていた。ここではないどこか、同じ作られた世界で、彼女が、なの
はが戦っている――自分を模した、何かと。
くそ、と誰に向けてでもなく、彼は悪態を吐き捨てた。こんなところにまで、彼女はやって来た。だと言うのに、自分は今の今まで、惰眠を貪って
いた。過去と言う過ぎ去ったものに、身を委ねていた。ありもしない夢に、溶け込もうとしていた。
どうすればいい。壊れたテレビのように、視界の中を走る砂嵐の向こう。そこにいる人影、かつての好敵手に向けて、彼は視線と疑問を叩きつけた。
簡単な話だと前置きした上で、影は答えた。

どれだけ作られようが、所詮この世界はお前の過去に過ぎん。過去を捨てろ、リボン付き。この世界を、幸せだと思わないことだ。

過去を捨てる? どういう意味だ――示された答えに、しかし彼は理解出来ない。捨てるとは、どういうことだ。
そこまで考えたところで、突然自分の部屋に誰か入ってきた。顔は、分からなかった。砂嵐が覆っていた。

「――、ご飯出来たけど……」

声を聞いて、侵入者の正体がようやく分かった。死んだはずの、恋人だった。今は夢の世界の住人のようだが。本来ならば、彼女ももう思い出だけ
の存在、過去の人になっているはずだった。
――過去。単語の一致は、果たして偶然なのか。おそらくはきょとんとした表情を浮かべているであろう、恋人を無視する形で彼は砂嵐に向かって
振り返る。人影が、黒光りする何かを次元を超えて差し出してきた。拳銃、ISAF空軍制式のUSPだった。
過去を捨てること。過去の人。差し出された拳銃。脳裏を渦巻く要素が一つになった時、彼は好敵手を睨んだ。
俺に彼女を殺せと言うことか、13。その拳銃で、過去を捨てろ、消してしまえと。
人影は、今度は答えなかった。ただ、彼に対してUSPを渡すと、最後に一言だけ付け加えた。

どうするかは、お前次第だ。

手渡されたUSPは、弾が一発だけ入っていた。二度目はないという事か。
恋人の方に、振り返る。砂嵐で覆われた彼女の顔は、今どんな表情なのか分からない。だが、きっと彼が突然拳銃を手にしたことで、恐怖と疑念が
入り混じった視線をしているに違いない。
これは夢だ。これは過去だ。これは作られた世界だ。一刻も早く、なのはを助けなければ。
頭では分かっている。だが、拳銃を持つ手が震えていた。両手で持たなければ、自ら手放してしまいそうなほどに。
撃てよ、臆病者。
だけど、彼女は。
ぐるぐるといたちごっこを繰り返す思考の中で、並列する形でもう一つのビジョンが再び脳裏をよぎる。
コクピットの中で、高音が響いていた。警報とは違う、ならばこの音は――ロックオン。目標を、ミサイルで撃ち落とそうとしているのだ。
狙うはエースオブエース、なのはの撃墜。



ここが実体がない世界であることを、なのはは理解していた。それでも決して気のせいには出来ないのは、現に身体が苦痛を訴えているからだ。
敵機を追うための上昇、降下、急旋回。攻撃から逃れるための回避機動。バリアジャケット越しに伝わる急制動が、彼女を締め付け、痛みつける。
それでも――エースオブエースは振り返る。無限に広がる群青の世界、ぽつりと浮かぶ黒点は飛行機雲を描きながら急接近。
痛いから、辛いから。そんな一時の苦痛に弱音を吐くようでは、あっという間に撃墜される。歯を食いしばって、彼女はその場で一旦停止し急速
反転。同時に強いGが圧し掛かってくるが、咳き込み一つでなんとか耐えた。レイジングハートを、正面に向けて突きつける。
青空の向こうで、黒点が少しずつ大きくなり始めた。シルエットがはっきり浮かび上がり、リボンを付けた鉄の猛禽類が姿を見せる。よく
見れば、主翼下のウエポン・ベイが開いているのが見えた――まずい、来る。

<<Warning,Missile Alert!>>

手にした金色の杖からの警告より数瞬遅れて、F-22の翼の下から白煙が上がった。ミサイル、短距離用のAIM-9サイドワインダーだ。ガラガラ蛇の
名を冠したAIM-9は、蛇の如くの高機動でなのはに迫る。
ミサイルを回避するのは不可能ではない。アクセルシューターの魔力弾を適当にばら撒けば、魔力反応をアテにして追尾するAIM-9は幻惑されて逸
れてしまうだろう。魂のみの空間であっても、それは変わるまい。
だが――ミサイルを放ち、反撃に備え回避機動に入ったF-22の垂直尾翼。なのははそこに、リボンのマークがあるのを見出した。

<<Master,break>>
「ううん、落とす」

相棒からの冷静な、しかし緊迫した様子の回避機動への提案を彼女はあえて無視した。代わりに選んだ手段は、迎撃。
素早く詠唱を終えて、術式展開。周囲に浮かび上がらせた大量の魔力弾に、エースオブエースは命じる。ミサイルを撃墜せよ。
主の命を受け、光の弾丸は次から次へと青空に飛び出していった。群青色の世界に桜色の軌跡がいくつも走り流れ、白煙を吹きながら迫るAIM-9に
急接近。桜色と白色が交差したかと思った次の瞬間、どっと赤い炎の花が咲き乱れる。迎撃成功、目標の手前で撃墜されたミサイルは爆発し、最後
に黒煙を空に残して消え去った。
――来る! 黒煙の向こうで、かすかに赤いジェットの炎がちらつくのをなのはは見逃さなかった。今度は迎撃は間に合わない。主の意図を察して、
レイジングハートが詠唱代行、プロテクション。魔法の力で正面に向けて障壁を張る。
ばっ、と。黒いカーテンを内側から突き破るようにして、眼前に現れるF-22。機首はしっかり、目標である空戦魔導師を捉えていた。主翼の付け根
に、閃光が走った。
直後、防御魔法で発生させた障壁を機関砲弾の雨が叩く。絶え間ない衝撃が魔法の壁越しに伝わり、弾かれた金属の弾丸が火花を散らす。
毎分六〇〇〇発の、二〇ミリ機関砲弾の嵐。ミサイルは囮だ、敵機は最初からこれが狙いだったのだ。AIM-9を回避してほっとしている間に、本命の
機関砲を叩き込む。だがその目論見は、エースオブエースによって破壊された。
さんざん機関砲を撃った猛禽類は効果がないことを認め、機首を跳ね上げて上昇、離脱にかかる。明らかにその機動は、驚きの感情が入り混じって
いた。なのはの頭を掠めるようにして、F-22は行き過ぎていこうとする。

「こ、の……!」

逃がさない。闘志に火のついたエースオブエースは、逃げるリボンのマークから決して眼を離さなかった。絶え間ない打撃を耐え抜いた障壁を一度
解除し、そのまま彼女はアクセル・フィンを全開稼動。魔法の翼が羽ばたき、なのはの身体はその場でそっくりそのまま反転、天に向って足を投げ
出し、ひっくり返った視界の中でレイジングハートを構える。捉えた、逃げを打つ猛禽類の背後を。
詠唱、術式。難解な計算、魔力の統合、複雑な思考が脳裏をよぎり、相棒がそれに答えてくれる。攻撃準備、完了。
無防備な背中を曝け出すF-22に向けて、なのはは一撃を放つ。

「ディバイン……バスター!」

ごう、と空が唸りを上げた。放たれた桜色の閃光は、彼女がもっとも得意とする砲撃魔法。風も、大気も、空の青も全て飲み込みながら、光の渦は
リボンのマークに向けて突撃する。
――え?
逆さまになった視界の中で、少女の疑念と驚きに満ちた声が上がる。それが自分のものだと気付き、なのははかっと目を見開いた。
ディバイン・バスター、彼女の放った必殺の一撃は確かに敵機を捉えていた。間違いなく、直撃のはずだった。
そのはずなのに、桜色の閃光はF-22を目前にして突如、見えない壁にでも当たったかのように四散してしまった。絵の具をぶちまけたかのように広
がる桜色も、やがて消えた。AMFかと思ったが、それならレイジングハートが感知しているはずだ。

<<Master,ECM Defense System>>

そのレイジングハートが、答えを探り当てていた。それとほとんど同時に、攻撃を無力化した猛禽類が急旋回してこちらに振り向いてきた。無機質
な鋼鉄の翼は、しかしなのはには笑っているようにも見えた。
生存本能が、警鐘を鳴らす。それは予感だったのか、それとも実際に目撃したからなのか。F-22の胴体下ウエポン・ベイが開き、中から一発のミサ
イルが放り投げられていた。AIM-120AMRAAM、中距離空対空ミサイル。この距離ならばAIM-9で充分のはずなのに、あえてそれを選んだのは一撃の威
力がAIM-9のそれをはるかに上回っているからだ。母機から切り離されたAIM-120はわずかに高度を下げて、ロケットモーターに火を灯す。あっと言
う間に加速し、白煙を吹きながらミサイルはなのはに迫る。
迎撃――間に合う訳がない。彼女は咄嗟に発生させた囮の魔力弾をばら撒き、回避に入った。
魔法の翼が羽ばたこうとしたその瞬間、まだ主とそう離れた距離にいなかった魔法の弾丸にミサイルが突っ込む。炸薬に点火、起爆。その身を散ら
し、AIM-120は爆風と衝撃、飛び散る破片によって破壊の限りを尽くした。衝撃の波は囮の魔力弾を消し飛ばし、なのはすらをも飲み込もうとした。

「逃げ切れ、ない……!?」

どんっ、と強い打撃にも似た衝撃が、彼女を弾き飛ばす。視界が揺らぎ、頭が思うように回らない。
駄目。なのはは必死に、意識を保とうとした。
ここで諦めたら、自分の魂は消える。それは文字通り死を意味する――メビウス1も、おそらくあのまま。
だから、彼女は踏み止まった。己が役割、エースオブエースの名を背負う者として。



――結局、こうするしかないってことか。
震える腕が、ゆっくりと上がる。手のひらに収まる拳銃、引き金に指をかけた。銃口の先にいるのは、過去。思い出だけの存在だった、彼女。
銃口を突きつけられた彼女は、驚きはしたものの、抵抗するような素振りを見せることは無かった。ただ、少しだけ悲しそうに肩をすくめて。
増える一方の砂嵐は、ついに彼女から言葉さえも奪っていった。世界が、終わろうとしている。彼を夢の世界に誘い、封じ込めた奴らはこのまま彼
を消してしまうつもりなのだ。緩やかに、幸せだった過去に囲まれたまま。だけど、それは作られたものに過ぎない。誰かに作られた、偽者。そん
なものに囲まれて消えてしまうのは、許しがたい。だから、彼は拳銃を彼女に突きつけたのだ。
――いいわよ、撃って。あなたの好きにして。
だと言うのに。彼女は、全て分かっていたかのように。消去が進み、言葉を奪われているはずなのに。自分を殺そうとする彼に向けて、そう伝えて
きた。見えるはずのない砂嵐で覆われた顔は、微笑さえ浮かべていたように思う。

「どうしてだよ」

震える腕は、やはり止まらない。ブレる銃口を突きつけたまま、彼は怒ったように問いかけた。

「殺そうとしてるんだぞ、 消そうとしてるんだぞ、お前を。どうして逃げない、抵抗しない」

拳銃は、今にも手のひらから滑り落ちてしまいそうだった。女の子一人の力でも、簡単に奪い取れてしまうだろう。
しかし、彼女は首を横に振った。揺れる銃身に手を伸ばし、自らの喉元に突きつけてすら見せた。
――戻りなさい、現実に。辛いとは思う。苦しいとは思う。でも、あなたには役割がある。夢は、もう終わりにしないと。
役割。その言葉を聞いて、彼ははっとなる。フライトジャケットに縫い付けてあった、リボンのマーク。ユージア大陸を守るようにして囲
む、メビウスの輪。
――"メビウス"。それが、俺の役割だと言うのか。
震える腕が、止まった。拳銃はしっかり手のひらに収まり、銃口は彼女の喉元に密着する。
改めて、引き金に指をかける。彼女はあくまでも、抵抗する素振りを見せなかった。
――最後に、一つだけ。作られた身でこんなこと言うのもなんだけど……また会えて、嬉しかったわ。
さぁ、撃ちなさい。撃って、メビウス1。現実に戻って、自分の役割を果たして。
引き金にかけた指を引く。手のひらに反動があって、銃声が響いた。
その瞬間、世界が目の前から消えた。ユリシーズで消し飛んだ故郷も、家族も、恋人も。何もかもが無くなり、ただ真っ白で何も無い空間が、彼の
足元に広がっていた。
弾切れの拳銃を、投げ捨てる。途端に、どこからともなく聞き覚えのある声がした。

終わったか、リボン付き。

ああ、と彼は頷く。抱えていたフライトジャケットに袖を通し、ふっと短く息を吐いた。
急に、止まっていた腕の震えが再び走り出した。腕だけではない、足も胸も頭も、全身が震えていた。
これが正しい選択だったかは分からない。だが、少なくとも彼は自分の行いが正しかったと思いたかった。
それなのに、脳裏をよぎるのは酷い罪悪感。出来ることならこのまま地面に膝を突いて、延々と自分自身を罵りたい衝動。
――よかったのか、これで。本当に、よかったのか。なぁ、13。
搾り出すように口から出した問いを、好敵手に振り掛ける。ああ、と短く、白い世界の向こうから返答があった。

役割を果たせ、リボン付き。お前の帰りを、待ってる奴らがいる。

罪悪感とは別に、脳裏を駆け巡るビジョン。ミサイルを喰らって怯んだ白い羽衣の少女に、自分の機体はさらにもう一撃加えようとしていた。この
ままでは、彼女はおそらく撃墜されるだろう。
自分自身を責めたい衝動は、依然として収まりを見せない。だけど、と彼は前を向く。
俺は、メビウス1だ。それが俺の役割だ。他の何者でもない。彼女もそれを、望んだんだ。
ゆっくりと――メビウス1は、歩き出す。自分に課せられた役割を、果たすため。
やがて真っ白な世界は、彼を別の場所へと誘って行った。



ECM防御システム――機体の周囲に強力な電磁波を展開させ、ミサイルも機関砲弾も、果ては魔力さえをも捻じ曲げ消してしまう最強の盾。
旧ベルカ公国が過去に開発し、一九九五年のベルカ戦争末期、そして数ヶ月前のJS事変にて用いられたこのシステムは、しかし搭載機に膨大な発電
量と処理能力を求めるため、装備した機体が現れることは一切なかった。ベルカ戦争のモルガン、JS事変のファルケンはそもそもがイレギュラーな
破格の超高性能機であり、生産性にも留意した一般の機体とは事情がまったく異なる――現実世界では。
仮に、重苦しい金属の殻を脱ぎ捨て、プログラムがプログラムされた通りの性能を発揮出来る場所があるならば?
電子の世界、魂のみの異空間。リボン付きのエースとエースオブエースが舞う大空は、まさしくその条件を満たしていた。
もっとも、ミサイルの爆風の余波を受け、意識を保つのがやっとな今のなのはにはそこまで考える余地はない。頭に上手く血液が回らない、視界が
灰色になっている。必死に酸素を取り入れようと荒い呼吸を繰り返すが、喉が焼けるように痛かった。

「……っく」

それでも迫る敵機、F-22に向けてレイジングハートを構えることが出来たのは、さすがと言うべきか。強い眼差しを持って、エースオブエースは天
を睨んだ。弱ったはずの獲物が思わぬ反撃体勢を取ったところで、猛禽類の動きに変化があった。主翼を翻し、横に回り込もうとするような機動。
正対を避けるような素振りに、なのははあっと思い出す。ECM防御システムは、正面角度からのエアインテークへの攻撃には脆い。JS事変の末期、同
様の装備を搭載したスカリエッティのファルケンを正面からの攻撃で撃墜したのは、他ならぬリボンのF-22だ。
しかし、見えない。灰色になったままの視界、いくら目玉を動かしても敵機の姿は映らなかった。ミサイルのダメージが思ったより酷かったのか、魂
のみの空間といえど無茶が祟ったか。探知魔法は駄目だ、空間が広すぎてそもそも自己の位置を特定できない。
光を失い、群青の世界から一人灰色の世界に放り出されたなのはの背後。質量兵器の邪悪な視線が、彼女の背中を捉えていた。

後ろだ! ダイヴして逃げろ!

え、と思わずエースオブエースは振り返った。グレーに霞んでしまった視界、しかしわずかに見えた猛禽類の姿。
誰の警告かは分からない。だが、彼は敵機の位置を教えてくれた。迷わず急降下、高度を急激に落とす。直後、頭上を掠め飛ぶ赤い曳光弾。灰色の
世界に映ったのは、完璧だった奇襲攻撃を避けられ離脱に入る黒い影、おそらくは敵機。
はっと、なのはは我に返った。今の警告は誰だ、どこからなのか。答えを求めてレイジングハートに問いかけるも、返ってきたのは信じがたい回答。
通信機から念話の波長に合わせて送られた声、発信源は――翼の端から水蒸気の白い線を引き、天に昇って宙返りを打つ猛禽類。垂直尾翼に輝くのは
リボンのマーク、メビウスの輪。
F-22は宙返り、その頂点で突如主翼を大きく翻す。うつ伏せの状態からハーフロール、俗に言うインメルマン・ターン。敵機が何故そのような機動を
行ったのか、なのはには分からない。ただ、それまであくまでもリボン付きの機動をそっくり真似ただけの猛禽類の動きに、血が通っているような気
がした。何者かの意思を受け取ったかのように、F-22は機首を跳ね上げ天を向く。上昇、アフターバーナーまで点火して鋼鉄の翼は群青の世界を真っ
直ぐ駆け上っていった。

自立制御を奪ったが、長くは持たない。垂直降下するからな、一番デカいのを叩き込んでやってくれ。

再び通信。発信源はやはり、天に昇るF-22から。聞き覚えのある声だった。灰色の視界のまま、なのはは頭上を見上げる。微かに見えた黒い翼、はる
か上空でくるりと反転し、自分を目掛けて高速で突っ込んでくる――すなわち、ECM防御システムの弱点である正面を曝け出したまま。ミサイルの射
程にはとっくに収まっているはずだが、敵機のウエポン・ベイが開く様子はない。相棒さえも、F-22からレーダー波を感知出来ないことを伝えてきた。
躊躇するな――彼の声が、脳裏に響く――こいつを落とせば終わる。撃ってくれ、なのは。お前にしか出来ないんだ。

「――レイジングハート」
<<All lights.Mode Blaster open>>

視界はまだ戻らない、灰色のまま。バリアジャケットはところどころ煤けていたし、連続高機動の代償で身体は至る所が苦痛を訴えている。
それでも、とエースオブエースは顔を上げた。色を取り戻していない眼からは、しかし光が消えることはなく。魂のみの空間ならば、肉体への負担を
考慮しなくていいはずだ。ブラスターモードを開放、カートリッジも惜しまず全弾ロード。言われた通り、"一番デカいの"を叩き込む。
爆発的に溢れ出た魔力は、ぴりぴりと痛覚を刺激する――大丈夫、耐えられる。表情ひとつ変えずに、なのはは相棒である金色の杖を構えた。狙うは
天空、そこにいるリボン付き。F-22ラプター、鋼鉄の猛禽類。
詠唱、術式、照準。色のない肉眼で直接狙うのは難しい、補正はレイジングハートが担う。
青空の向こうから、猛禽類が真っ逆さまの体勢で落ちてきた。攻撃の意思は、最後まで感じられない。ひょっとしたら、どこからか戻ってきた彼がコ
クピットで操縦桿を握っているのかもしれない。そういえば、敵機には最初生命反応が検知されていたのを思い出す――待って。だとしたら、撃って
いいの? 本当に。
躊躇するエースの背中を押すのは、同じエースからの通信。迷うな、構うな、狙え。大丈夫だ、上がってからのことは恨みっこ無しだ。
レイジングハートを、天に向ける。意を決したように、なのはは息を吸った。灰色で霞む視界、だが分かる。びりびりと大気を震わせるジェットの轟
音、F119エンジンの咆哮。彼の乗ったF-22が、まっすぐ突っ込んでくる。
撃て。最後に、彼の声が響く。自分を落とせと、促してきた。戻るために、帰るために。

「スターライト……」

撃てよ、臆病者!

「ブレイカァー!!」

どっ、と世界が揺れた。限界まで集めた魔力を一気に放つ。星の瞬きと呼ぶには、あまりにも凄まじい閃光。
天に向かって放たれた桜色の光の渦は、大気も群青もまとめて蹴散らし、突進してきた猛禽類を飲み込んだ。
ただでさえ弱点だった正面からの攻撃、ECM防御システムが有効に機能するはずがない。光の津波の中で、鋼鉄の翼は溶けて消えていく。津波がコクピ
ットにまで達した時、なのはは彼の声を耳にした。

いい腕だ――ナイスキル、エースオブエース。

天が割れる。大気が燃える。世界が消える。
作られた世界は中核を射抜かれ、終焉を迎えた。内に秘めた魂を、現世へと送り返して。




「っ!」

戻ってきた、帰ってきた。夢のような、それでいて間違いなく現実と酷似した奇妙な空間から、彼女の魂は肉体へと帰還を果たす。
いきなり意識が戻ったことで、思わずなのはの足元はふらついてしまう。一歩二歩とたたらを踏んで、どうにか体勢を維持した。
ふぅ、と安堵のため息を一つ吐いて周囲の状況を改めて確認。レイジングハートは、しっかり握っている。呼びかけるとただちに応答もあった。あの
ディスプレイ、"electrosphere"の単語が表示された画面はすでに消えている。

「そうだ、メビウスさん……?」

がっ、と肉体を得て元に戻った視界の片隅で物音がした。AMFが施され手の施しようのなかった透明の牢。その向こうに閉じ込められ、じっと鎮座して
いた飛行服の青年が、自力で立ち上がろうとしていた。
青年が立ち上がると同時に、彼の周囲を覆っていたガラスが開かれる。システムの中枢が消された今、遮るものは存在しない。ただ一つだけ、首筋に
繋がっていた何本ものケーブルが、前に行こうとする青年を引っ張り離さない。

「どれだけ眼を背けても、所詮、夢は夢だ――」

囁くように、しかしはっきりと。青年は口を開き、右手で自身の首に繋がるケーブルをまとめて握る。そのまま強引に引っ張り抜こうとする。
なかなかケーブルは抜けなかった。苦悶の表情を露にし、それでも彼は決して力を緩めなかった。そのうち一本、二本と首筋からケーブルが千切れ、離
れていく。

「現実から、逃げることなんて、誰にも出来ない。立ち向かっていくしかない……だから」

最後の一本。額に汗を浮かべて、青年は、メビウス1はしぶとく抵抗を続けるケーブルを握り締めた。

「立ち向かう手段として、人にはそれぞれ、役割がある――俺は、メビウス1だ。それが、俺の役割だ!」

ぶちり、と。力任せにケーブルを引っ張り、今度こそ千切って投げ出す。瞬間、前に進もうとしていたメビウス1の身体は勢い余って前のめりに倒れ
かけてしまった。慌ててなのはが駆け出し、その身体を受け止めた。
倒れかかってきたエースの身体は、冷え切っていた。呼吸こそしっかりしているが、このままでは命が危ないかもしれない。自分が入って来た途端に
閉まった扉に、彼女は視線を送る。開く様子はやはりない、ここだけ別系統のシステムで制御されているのか。
直後、爆発音。どっと強い衝撃をかけられ、扉が前倒しになって開かれた。そこから飛び出してくるのは、黒い戦闘服に身を包んだ陸士たち。一緒に
やって来たB部隊だ。

「高町一尉、ご無事で!?」

アサルトライフルのG3A3を持った陸士が、なのはたちを見つけるなり駆け寄ってきた。指揮官のベルツ二尉だった。
なのはは自分は問題ないことを告げ、抱き支えているメビウス1をすぐ運ぶよう伝えた。承知した指揮官は部下に命じて、救出されたばかりのエース
をただちにヘリに搬送するよう命令する。
銃を肩に引っ掛け、二人の陸士がなのはからメビウス1を引き離す。あいにく担架は持ち合わせておらず、二人で抱えてヘリまで持っていくしかない。

「え?」

抱えられたエースパイロットの口が、微かに動くのを彼女は見逃さなかった。構わず運ぼうとする陸士たちに断りを入れ、なのはは彼の口元に耳を傾
けた。
ただいま。搾り出されるように出た彼の言葉は、しかししっかりと聞き取れた。
そうだ。彼は今の今まで、夢の世界に行っていたのだ。そこからようやく、現実へと帰還を果たした。パイロットが元の場所に戻ったならば、帰還報
告は必須だろう。
だから、なのはは優しく微笑を浮かべて答えた。

「おかえり」



リボン付きは現実へと戻り、帰還を果たした。己が役割を果たすため。
すなわちそれは、闘争のため。戦いのため。エースに出来ることは、戦うことしかないのだから。
見届けろ、エースの行く末を。








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最終更新:2009年11月04日 18:30